あやうくミャンマーに密入国(笑)するところだったのを慌てて引き返します。

広い駐車場の左手には実は陸軍の施設が。


05_01


第9歩兵師団 第106スラシー市民活動実行隊

と書かれているのが見えます。民間人で編成された部隊なんでしょうか。
さっきの迷彩服姿の若者たちもここと関係がありそうですね。


で、その陸軍施設の前から駐車場を見渡すと、


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白のホンダ・インサイトとその後ろに赤いピックアップが
停まっているのがわかりますか?
ちょうど2台を結んだ線上に泰緬鉄道の線路が走っていたんです。

赤いピックアップの向こうに見える寺院風建物に行ってみましょう。

線路跡を辿ることを優先したのですが、
実はさっきから気になっていたんです。

なぜかと言うと、


05_03


タイと日本の国旗が壁に。

線路が保存されている部分の真横に建っていることも何かあるなと。


05_04


THE BORDER PIECE TEMPLE THAI-JAPAN 25 APRIL 2002

とあります。ピンときました。
きっとここは…。


入ったすぐ右手にこんな石碑が建っています。


05_05


泰面国境平和祈念堂 第二星露院

というのが日本語の正式名称のようですね。

世話人に思ったとおり故永瀬隆さんのお名前が。

永瀬さんは旧日本陸軍英語通訳として泰緬鉄道建設に関わり、
戦後は泰緬鉄道建設従事で死亡した連合国軍捕虜やアジア人労働者の慰霊に
尽力なさった方です。

今年4月に公開された映画『レイルウェイ 運命の旅路』では
真田広之さんが永瀬さんを演じています。

1986年出版の永瀬さん著書『戦場にかける橋のウソと真実』には、
クウェー川鉄橋近くに1985年に建てた「クワイ河平和寺院」についての
記述はありますが、こちらは出版後なのでもちろん触れられていません。

でもきっとこちらも永瀬さんが中心となって建てられたのでしょう。


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上部には、
ศาลาสันติภาพ ไทย-ญี่ปุ่น と。
「タイ-日本平和堂」って感じでしょうか。

小さいながらも立派なお堂の中に入って仏像に手を合わせ、
左を見ると2枚の板が。


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そのうち左には、

雨季の夜の雨降りしぶくカオレム湖
湖底の兵ら思うは何か

バンコク桜と兵ら唱えし鳳凰樹
その紅いの花は血の色

奉納二首 元陸軍通訳 永瀬 隆

とあります。

カオレム湖とはサンクラブリーのあのモン橋が架かり、
泰緬鉄道のニーケ駅を含む線路跡が沈んでいるダム湖、カオレーム湖です。

死んでいかれた方々のことが片時も頭から離れなかったのでは。
そんなことが感じられる歌に思えました。


お堂の外に出ます。


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今度は泰緬鉄道線路のミャンマー側への延長線へ歩いていってみますか。
前回帰ってから写真を見て気付いた線路跡らしきものを確認したいのです。

向こうにミャンマー国旗がはためいていますね。


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ゲートの前まできました。

この右手ですよ。
「The Republic of the Union of Myanmar」の看板の裏です。
ドキドキ。


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あった!!

やっぱりこっちにもあったんだ泰緬鉄道の線路!!


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しっかり残ってますよ!


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横に下りてどこまで続いているのか目で追います。


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2つめのゲートの向こうまで残っているようですね。

「こちらへ来てください」

ふいに背後からタイ語で声をかけられました。
呼んだのは写真の外、左手にある事務所前にいる係官。

言葉どおり前まで行くと、

「タイ人ですか?」

いえ、日本人です。

「外国人は入れませんよ」

どこまでだったら行けますか?

「あそこまでです」と指差したのは、
さっきの「The Republic of the Union of Myanmar」の看板の線。

えっ、すみません!!

厳密に言うと今度こそ本当にミャンマーに不法入国してしまいました。
慌てて戻ったのは言うまでもありません -_-;)
ここへ行かれるみなさん、どうぞお気を付けを…。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:329バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー


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