タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

泰緬鉄道

ラーチャブリー国立博物館 ラーチャブリーと水瓶の旅[6]

ラーチャブリー名物水瓶ケーキ(ケーク・オーン)の店
「バーン・カノム」で教えてもらった系列のベトナムコーヒー店
「アーティー・コーピー」への行き方のとおりに歩いて行きます。

メークローン川沿いのコイキー市場より西側にあるそうで、
川に出て左へと進んでいくと左手に

06_01

あ、そうか。
ラーチャブリー国立博物館があったんだっけ。

以前来た時にはあいにくの閉館日で入れなかったんですよ。
せっかくなので入ってみますか。

06_02

この建物、元々はかつて置かれていたラーチャブリー省の省庁舎として
ラマ6世時代の1922年に建てられたものなんだそうで。
1983年から博物館として使われています。

どうりで戦争ものの映画に登場する昔の役所っぽい建物だなと
思ったんですよね ^^


入口で入館料を支払います。
「20バーツ」とのことなので何の疑いもなく払ったら、
後でウェブサイトで確認したところ「外国人100バーツ」との記載が。

後の祭り。ま、いっか。

荷物は持ち込み不可なので、すぐの部屋にカバンを預け、
預かり札を受け取ります。カメラはOKだそうで持っていくことに。

中庭を囲んだ「口」状の建物に従って時計回りに回って行きますか。

ラーチャブリーの地理を概説する部屋の次は、

06_03

先史時代のコーナー。

出土した2~3千年前の土器や装身具の展示と
人骨発掘のパネル展示がされています。
そんな昔から人が居住してたんですね。

次の部屋は3~4世紀の「扶南」の次に栄えた
6~11世紀のドヴァーラヴァティー朝時代。

06_04

ドヴァーラヴァティー文化を感じる出土品が展示されています。

私が行きたいと思っているクーブア遺跡もそうですが、
ラーチャブリー県内にはこの時代の遺跡や遺物が出土した場所が
数多くあるということを展示から知りました。

06_05

次は11~13世紀のクメール朝時代の部屋!

が、期待ほどは展示品が多くなかったです。

こんな手に触れられるかたちで無造作に展示されているのが
タイらしくていいですね ^^

でも興味深い事実をパネル展示から知りました。

06_06

航空写真に写っている縦長の遺構、
実はクメール統治時代の都市を囲む堀と土塁の跡なのです。

クメール朝のジャヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)が
アンコール遺跡の一つプリヤ・カーンに遺した碑文に記された
「ジャヤラーチャブリー」という都市がここだと推定されています。

曲がりくねりつつもほぼ「L]字なのがメークローン川で、
この博物館の位置はちょうどその曲がる角あたり。

なんだ、歩いて行ける距離じゃないですか!
今度ラーチャブリーに来たら見に行ってみま~す。

中庭に面した回廊に出ると、

06_07

ん? クーブア遺跡の模型かな、たぶん。

次のスコータイ朝&アユタヤ朝時代の部屋には、
スコータイ朝ラムカムヘン王時代の
かのラムカムヘン王碑文(1283~92年頃と推定)にも
ラーチャブリーの名が刻まれているとの説明がありました。

またナコンサワン県で出土した同時代の碑文にも
やはりラーチャブリーの名が見られるんだとか。
結構歴史があるんですねぇ。

トンブリー朝時代の部屋の次は、
現王朝のラタナコーシン朝時代の部屋。

06_08

このパネルにまたもや狂喜!

なんと城壁の写真じゃないですか!
ってことは、城市だった時代の城壁が現存しているってこと!?

城壁マニアの私としては見逃すわけにいきません!(笑)
今日必ずこの目で見てやるぞ。

06_09

そしてチュラロンコン橋を訪れた時に説明しましたが、
メークローン川に架かる国鉄南線鉄橋の開通式(1901年)に
ラマ5世が行幸された時の写真です。

上から2列目の左から2枚目に当時のチュラロンコン橋が映っています。

06_16

これは、「省の剣」なのだそうですよ。

なんでもラーチャブリー省が置かれていた時代の
1916年にラマ6世が行幸された折、下賜されたのだとか。

各省に剣があったんでしょう。
でも地方自治の省制はこのラマ6世時代に廃止されちゃったんですけどね。


次の部屋は、ラーチャブリー県内のエスニック・グループ展示でした。

パネルによると、ラーチャブリーは国境県でもあることから
エスニック・グループのるつぼとなったんだそうです。

県内には、タイ系、中華系、黒タイ族、ベトナム系、モン族(モーン)、
カレン族、ビエンチャン・ラオ系、元クメール・ラオ系の8種族が
居住しているんだとか。

06_10

各種族の来歴や文化の展示があるんですが、
これはそのうち「黒タイ族」の展示。

ラオスにかつてあったルアンパバーン王国とベトナムとの中間あたりに
元々は居住していたのが、度重なる戦争を避け難民として散り々に。

タイ領内に流入したグループは、時のトンブリー朝タークシン王により
ラーチャブリー南隣のペッチャブリー県に住まわされます。
が、その後も次々と流入してきてペッチャブリー県を溢れ出た黒タイ族の
一部がラーチャブリー県内に移り住んだのが始まりとのこと。

元クメール・ラオ系も、かつての戦争では侵略地の住民を自国にごそっと
強制移住させるのが常だったんですが、クメールとラオの間を強制移住で
行ったり来たりした末にタイに連れて来られた人達の末裔のようです。
それで3つの言語がごっちゃになった特異な言語を話しているんだとか。

どの種族も数奇な運命を辿ってラーチャブリーに居住するように
なったんですね。

06_11

このガラス板には、見づらくてすみませんが、
ラーチャブリー県の「県の標語」(カム・クワン)が刻まれています。
韻を無視してざっくりと訳すと、

ポーターラームの美人 バーンポーンの麗人
竜柄水瓶の中心市街 影絵のワット・カノーン
目を見張る美しい洞窟に ダムヌーン水上マーケット
億のコウモリに夢中になり 良魚イーソップの住む処

てな感じです。

おっ、竜柄水瓶は、やはり県の誇りなんですね!

ちなみにイーソップは、タイガーバルブっていう
コイの仲間の魚のようです。


続く文化遺産の部屋には、

06_12

籐製品が展示されています。

そういえば2010年の「バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅」
で訪れた
バンコクのタラート・プルーで触れたことがありましたね。

タラート・プルーがかつて水上マーケットとして栄えていた頃、
ラーチャブリーから特産品の籐製品が舟で運河づたいに
タラート・プルーまで運ばれ売られていたんです。

メークローン川→ダムヌーンサドゥアック運河→ターチーン川
→パーシーチャルーン運河→バンコクヤイ運河
…というルートに違いありません。

06_13

竜柄水瓶だっ!!

これらが昔ラーチャブリーで生産されていた本物の竜柄水瓶なんですね。
実物を初めて見ることができて、思わず感動です(笑)

前々回にラーチャブリーの竜柄水瓶の歴史を解説しましたが、
パネル展示によると最盛期には水瓶工場が50か所もあったんだとか。

あと中国から渡ってきた焼き物職人が1933年にラーチャブリー
初めて開いた焼き物工場は名称を「タオセンリー」といったそうです。


「現在のラーチャブリー」の部屋は県内産業の紹介なのですが、

06_14

このパネルの中央の写真は、バーンポーンのバス車体工場ですね。

2009年に当ブログで触れたことがあるんですが、
太平洋戦争中、県内のバーンポーンには泰緬鉄道建設の基地として
日本軍が駐留していたことから、軍用車両の修理技術が雇われていたタイ人に
伝承されたのが元で、戦後に国内最大の車体工場集積地となったんです。

タイのテレビ番組バーンポーンの車体工場オーナーが
その旨を語ってくれている部分があるので貼っておきますね。
タイ語ですけど02:17あたりです。


一周して見尽くしました。

いやぁ、ラーチャブリー国立博物館は、軽い気持ちで立ち寄ってみたら
予想外に面白かったですね。大いに勉強になりましたし!

06_15

中庭を囲む回廊になっている造りが、コロニアル風というか
レトロかつ優雅な雰囲気を醸し出していていいですね~。

入口に戻り、カバンを返してもらいつつ、
男性スタッフに尋ねてみました。

ラーチャブリー城壁ってどこにあるんですか?

「基地の中ですよ。県柱廟の近くです。」


よっしゃ、行くぞ!!

でもその前にアーティー・コーピーに寄らねば ^_^;)


<情報>
ラーチャブリー国立博物館(พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติราชบุรี)
場所:グーグルマップ
休館日:月・火曜日、公休日
開館時間:9:00-16:00
入館料:タイ人 20バーツ、外国人 100バーツ


<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:105バーツ

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。

つづく



元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

国立博物館

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     ◇ 入門 ◇
    
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カンチャナブリー経由でバンコクへ 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[最終回]

では戻りますか~。

ミュージアムまで戻るルートは2つ。
来る時に使った旧ルートの「登山道」と新ルートの「板張り遊歩道」。

普通に考えたら後者のほうが楽に決まっているんですが、
新ルート入口までまた戻るのがおっくうなんですよね。
いや、実はヘルファイア・パスをまた通りたくないってこともありまして…。


18_01


そんなワケで、ヘルファイア・パス入口左に聳えるこの急階段を登り
再び旧ルートで引き返すことに。

時刻は、11:00ちょうど。


18_02


黙々と急な登り下りをこなし、15分ほどで
ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムに戻ることができました。

あぢー。
エアコンの効いた館内でしばし涼ませていただきます… ^_^;)


さて、表の国道323号線まで出なければ。


18_03


グラウンドですかね? 広大な芝生のゾーンを「コ」の字に迂回して回らないと、
向こうに見える入口に辿り着けないのです。


門番の兵士さんに会釈をしてから外に出ます。


18_04


時刻は、11:34。

向こうがカンチャナブリー方面。
先にあるあずま屋でバスを待ちますか。
4,50分に一本はあるんじゃないですかね。


18_05


あずま屋付近から振り返った風景です。
左に見えるのが、開発軍司令部開発軍局農業・協同組合部隊の入口。

到着したあずま屋内には若い男女の先客が。
邪魔しちゃってすみませんね ^_^;)


結局25分ほどでバスが登場。


18_06


おっ、なんとエアコン車じゃないですか!
これはラッキー。時刻は12:00ちょうど。

乗り込むと車掌さんに最前列右側に座るように言われました。
車内はほぼ満席。あやうく立ち乗りになるところでしたよ。

席からの眺めは


18_07


こんな感じ。特等席ですね(笑)

エアコンが効いていて快適だと時間も短く感じます。
1時間40分ほどで終点カンチャナブリー・バスターミナルに到着。


18_08


時刻は、13:41。


18_09


日陰を求めてターミナルの建物内へ。

とにかく腹減った!

でも周辺には食堂がほとんどないんですよね。
奇妙なバスターミナルです。

仕方ないので前回も入ったあの店へ。


18_10


10バーツのカオマンガイ屋さん ^^

どうも営業は14時までらしく、片付け始めていたところを
また用意をし直して出してくれました。ありがとうございます~。


18_11


前回も思いましたが、これで10バーツだなんてお得感満点ですよ~。


ササッと食事を済ませ、バンコク戦勝記念塔行きロッ・トゥー乗り場へ向かいます。
いくつかある業者のうち、最もサービスの良いマンゴーン・ツアーへ


18_12


バスターミナルの裏手にあります。

これまたエアコンの効いた待合室で運賃を支払い。
前回は無かったチケットを渡されました。
しかも運賃は120バーツなのにチケットには130バーツとの表示が。

まぁいいか(笑)

バスターミナル入口両側にも戦勝記念塔行きロッ・トゥー乗り場がありますが、
外でひたすら待たされるんですよ。 ここは待合室に無料トイレもあるし、
飲み物やスナック菓子も売っているのでオススメです!


しばし待った後、車まで案内されました。


18_13


これかー。

14:23発車。


爆睡しているうちにナコーンパトムを通過しつつバンコクへ入ったロッ・トゥーは、
戦勝記念塔手前のラーチャウィティー通りで渋滞に巻き込まれてしまいました。

するとここで降りるという人が。

このまま乗っていると戦勝記念塔のロータリーをぐるっと回ってから
ソイ・ラーンナムに入り、センチュリーの裏手で終点になるんです。
まだまだ時間がかかりそうなので、私も降りることに。


18_14


時刻は、17:09。
カンチャナブリーから2時間46分でした、

これにて今回の旅も終了です。


前回のカンチャナブリー&サンクラブリー方面の旅で
見逃したり周り切れなかったりした場所を訪れた旅でした。

その多くが泰緬鉄道の線路跡だったんですが、
これでもまだ取りこぼしがあるんです。

いつかまたそんな場所を訪ねにカンチャナブリーの奥地へと
足を伸ばしたいと思います。


さて次回のシリーズは…、1日旅もいよいよ飛行機に進出です(笑)
お楽しみに!




<旅費交通費>
カンチャナブリーまでのバス:65バーツ
戦勝記念塔までのロッ・トゥー:120バーツ
ここまでの合計:1,849バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


おわり

カンチャナブリー2

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ヘルファイア・パス両側の線路跡は? 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[17]

ヘルファイア・パスの切り通しから先の泰緬鉄道線路跡を
さらにカンチャナブリー方面へ向けて歩いていきます。


17_01


この辺りでは砂利の姿が消え、枕木のみが残っていますね。

切り通しから9分経過。
先のほうで木立がなくなり明るくなっているなと思ったら、


17_02


ありゃ。
舗装道路に出ちゃいました。

この道路建設で線路跡が破壊されてしまったのか。
うーむ、残念。

でも道路の先には残っているはず。
そう思い、舗装道路を登りながら右手の茂みの中を覗き込みます。


左カーブのところで下に平坦な部分を発見。


17_03


分け入ってみましょう。


17_04


線路跡なのか違うのか、判断がつきませんねぇ。

もう少し先に進めばはっきりするのかもしれませんが、
茂みに阻まれてこれ以上の前進は無理。


タイ国内の泰緬鉄道線路跡を全線辿ってみたいなどと漠然と夢見ていましたが
こういう光景を見ると現実的には不可能だと思い知らされますね。
サンクラブリーだって茂みに遮られて先へ進めませんでしたし。

つい最近、イギリス人男性2人が募金活動のため泰緬鉄道跡を
スリー・パゴダ・パスからカンチャナブリーの連合国軍共同墓地まで280km
歩いたというニュース(『タイラット』2014年11月6日付け)があり驚きましたが、
よくよく記事を読んでみると、国道323号線を歩いただけのようです。

やっぱり無理なんでしょうね。


諦めて戻るとしますか。

歩いて来た線路跡を逆に辿り、


17_05


ヘルファイア・パスも逆方向から通り過ぎます。

そう言えばこの切り通しを含めたヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム
旅行クチコミサイト「TripAdvisor」によってタイ国内のベスト・ミュージアムに
選ばれたんだとか。(『TAT News』2014年9月29日付け


そんなヘルファイア・パスを抜けた真正面にこんな碑が。


17_06


BURMA -THAILAND RAILWAY
       1942-1945
   IN REMEMBRANCE OF
ALL THOSE WHO SUFFERED
   AND ALL WHO DIED

とあります。タイ語でも同じ内容が。

私が気になるのは、碑の背後なのです。

この先、ビルマ方面にも泰緬鉄道の線路は伸びていたはず。
あっちにも跡は残っているのでしょうか?

行ってみましょう!


ちょっとした谷間になっている先まで行って振り返るとこんな感じ。


17_07


中央奥がヘルファイア・パス
その手前にさっきの碑の裏側が見えてますね。

崖の石積みは、ヘルファイア・パスを掘削した際に出た石を
積み上げたものなのかも。これまた大変な作業だったことでしょう。

ここにはタム・クラセー桟道橋のような木橋が架けられていたのかな?


先のビルマ方面はというと、


17_08


こっちにも枕木が残っているではないですか。

さらに歩いていくと、


17_09


WALKING TRAIL →

との看板が。

あ、そう言えばミュージアムで貰ったパンフレット
トレイル・コースがなんとかと書いてあったな。

取り出してみると、この先4km地点まで線路跡が遊歩道として
整備されているようです。
でも終点手前の「コンプレッサー・カッティング」までで往復3時間とは。

現在時刻は10:57。時間的には行けなくはないけど、
水や食べ物を持参してないのでちょっと心配なんですよね。

ちょこっと先に進んでみたのですが、


17_10


遊歩道が崖下に続いているのを見て、
きっとこの先もアップダウンが激しいんだろうなと思ったら
行く気が完全に萎えてしまいました。軟弱ですみません -_-;)

でもこの先もパンフレットによれば、7メートルの土手、三層構脚橋(って何?)、
ヒントックの切り通し、ダブルトラック(引き込み線?)、ヒントック駅、
バックオブカード橋跡地、コンプレッサーの切り通しといった見どころが
あるそうなので ぜひいつか再チャレンジしたいですね。


さあ、帰るとしますか。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:1,664バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


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ヘルファイア・パス 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[16]

涼も取れたのでいよいよヘルファイア・パスへ向かうことにして、
ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム
(HELLFIRE PASS MEMORIAL MUSEUM)の横から
裏手へと下る遊歩道を進むと、


16_01


こんなところに出ました。

ここで道が左右に分かれています。
左はここと同じく木の板張りの立派な遊歩道。
右はコンクリートの細い道。

うむむ。どっちだ?

あんな険しいところまで板張りの遊歩道が続いているわけないよな。
きっと展望台か何かへ出る道なんじゃないか?

と判断し、「HELLFIRE PASS」との看板が立っていたこともあり、
右のコンクリートの歩道を歩いていくことにしました。

この選択が大きな間違いであることをこの時は知る由もなく… -_-;)


16_02


歩いていくと「HELLFIRE PASS→」との看板が再び出現。

やっぱりこっちで正しかったんだー。 と安心したのも束の間。


16_03


うげげっ、この長い階段を登らなきゃならないの!?

息を切らせて登り切ると先には、


16_04


急な下りが待ち受けていたのでありました。

そしてまた登って、下って…。

まったくもって登山のレベル。
高尾山よりハードですよ(>_<)


出発して10分、またまた急で長い階段を下りた先に何かありますよ。


16_05


展望台だ!

乗って見下ろすと…、


16_06


おおぉーーー!!
ヘルファイア・パスが眼下に!

最後の階段を駆け下りると、


16_07


ヘルファイア・パスの入口に出ることができました。
ちなみに下って来た階段が左端に見えています。

ここは泰緬鉄道の線路を通すために岩山を削った場所。

作業にはシンガポールなどで捕虜となった連合国軍兵士や
雇われた近隣国の労働者(当時は労務者と呼ばれていましたが)が従事しました。

過酷な労働と環境で多数の死者を出した場所です。
壁面には犠牲者を悼むプレートや十字架が掲げられていたり。


ここがなぜヘルファイア・パス(HELLFIRE PASS)、
訳せば「地獄火の切り通し」と呼ばれているかと言うと、
ミュージアムのパンフレットによれば、「痩せ衰えた労働者を照らし出して
ゆらめくたき火の明かりにちなんで名付けられ」たのだそうです。

その光景が映画『レイルウェイ 運命の旅路』でよく再現されています。
リンク先の予告編でも一瞬ながら登場しますのでぜひ見てみてください。
37秒あたりです。

ここは「コンユウの切り通し」とも呼ばれているんですが、
このタイ語っぽくない名称の由来は何なんでしょうね。


ではヘルファイア・パスを歩いてみますか。


16_08


お、枕木がところどころ残っているではないですか。
でも砂利は新たに敷き直したもののようで。

中央に針のような細い木が一本すっと立っています。

切り通しは高いところで11m。

作業は雨季に重なったためコレラの蔓延で多くの死者が出たそうですが、
デング熱やマラリアも流行ったんでしょうね。
さっき展望台から見下ろして撮影している時、
気が付くと無数の蚊が私にまとわりついてきていましたから。

ここを訪れるなら蚊除けスプレー必携です。


切り通しの出口付近まで来て振り返ると、


16_09


ここにだけ線路が残されていました。

顔を近づけてまじまじと見ると、

BARROW STEEL

との刻印が。イギリス製ですね。
マレーかビルマの鉄道からはがされて転用されたものでしょう。


ふと顔を上げると十人ほどの欧米人グループから
視線を注がれているではないですか。

「あなたが去るのを待ってるんですよ」

笑顔のタイ人男性ガイドさんが英語で声をかけてきました。

あ、そうか。みんな写真を撮りたくて待っていたんですね。
どうもすみません ^_^;)

Sorry sorryと駆け足で場所を譲ると、
みなさんににこにこ顔。軽く声をかけてくれる年配の女性も。

英語が苦手で気の利いた返事ができないのが悔しいったらありゃしませんよ。


16_10


オーストラリアからの団体さんのようです。
年配の方も数人いたんですが、よくあの道を歩いて来られたもんですね。


線路跡はカンチャナブリー方面へまだ続いています。


16_11


朽ちかけた枕木がところどころに。


短い木橋を渡った先には、


16_12


あっ・・・。

全て謎が解けたぞ。

分かれ道を左へ行っていれば難なくここに出て来れたんだな。
さっきのオーストラリア人団体さんもここを下りてきたのか。

きっと私の選んだ道は当初設けられたルートで、
その後楽なこっちの新ルートが整備されたということなんでしょう。

要らぬ苦労をしてしまった… -_-;)

大いに凹みつつ、さらに行けるところまで線路跡を辿ります。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:1,664バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


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ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[15]

ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム
(HELLFIRE PASS MEMORIAL MUSEUM)
に到着です。時刻は、09:47。

開発軍司令部開発軍局農業・協同組合部隊の入口から歩いて9分でした。


15_01


ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムは、
オーストラリア退役軍人省が運営する泰緬鉄道建設に関する
資料展示をおこなう施設です。 入ってみましょう。

入口で靴を脱ぐのがタイ・スタイルですね。


15_02


エアコンの効いた快適な館内は、すぐの左手に受付が。

入館料は無料の上、英語、オランダ語、タイ語、日本語のパンフレットを
無料配布しています。 日本語のを一部頂きますか。

ちなみに上記豪退役軍人省サイトから同じものをPDFで入手できますよ。


順路に沿って歩いていきます。


15_03


パネル展示があったり、


15_04


ヘルファイア・パス周辺のジオラマがあったり、


15_05


泰緬鉄道建設で当時使われていた道具が展示されています。


15_06


奥にはミニシアターあり、ドキュメンタリー映画を上映中。


15_07


この写真の説明には、「1943年、タイ・コンコイターを通過する一番列車」と。

コンコイター
サンクラブリーにあったニーケ駅から
カンチャナブリー側へ19kmほどのところにあった駅です。
サンクラブリートーンパープームの中間地点あたりですね。

タイ側とビルマ側双方から建設が進められた泰緬鉄道は、
コンコイターで繋がったため、43年10月25日にそこで開通式が催されたんです。
その時の様子でしょう。

それよりも写真に写っている蒸気機関車C56 31号機は、
現存しているんですよ。それも日本で見ることができるんです。

場所は、東京九段の靖国神社内にある遊就館


15_08
      (2012年1月撮影)

1979年に現在大井川鉄道で現役活躍中のC56 44号機とともに
タイから里帰りを果たしたんです。


話をヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムに戻しましょう。


15_09


これは1945年、ビルマ国内泰緬鉄道終点のタンビュザヤ付近で
空爆を受けた線路とのこと。
爆撃を受ける度に修復していたんですから気が遠くなる作業ですね。


展示を一とおり淡々と見て回って来ましたが、
お客さんは欧米人9割、タイ人1割といったところ。
日本人は見かけませんでした。


15_10


裏手には展望台が。

あの先の鬱蒼としたジャングルの中に、
ヘルファイア・パスがあるはずです。

いよいよ向かってみますか。

でもその前にトイレを拝借 ^_^;)
出てくると受付横にグッズ販売コーナーがあるのに気付きました。


15_11


ロゴ入りシャツ&キャップや泰緬鉄道に関する英語書籍、
ポストカードなどが売られています。

そもそもなぜタイ国内でオーストラリア政府がミュージアムを
運営しているかというと、戦争捕虜として日本軍により泰緬鉄道建設に
従事させられた元オーストラリア軍兵士が、40年後にタイを再訪し
ジャングルに埋もれたヘルファイア・パスを探し出したことが発端。

オーストラリア政府に対してこれを史跡として保存するよう提案したのが
受け容れられ、1987年に正式開館。
現在のミュージアムは1998年4月にできたのだそうです。


募金箱があったのでパンフレットを頂いたこともあり、
僅かながら入れておきました。

サンダルを履き直し、建物横から裏手に下る遊歩道へと。


15_12


いざ、ヘルファイア・パスへ!

時刻は、10:12。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:1,664バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。
 
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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