タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

永瀬隆

三仏塔とホウオウボク 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[6]

スリー・パゴダ・パスのタイ側イミグレの横にはこんな表示がありました。


06_02


   サヤーム最果ての地
ダーン・プラチェーディー・サームオン・ルート
  仏暦2459年(西暦1916年)
  座標 MS.345916

サヤームはタイの旧国名。
ダーン・プラチェーディー・サームオンとは
スリー・パゴダ・パスのタイ語名で「三仏塔国境」の意味です。


さて、三仏塔を最後にもう一度見ておきますか。


06_01


軍用車が停まり迷彩服姿の兵士達が歩いている光景が
国境の雰囲気を一層醸し出していますね。
多分国境警備とは無関係の人達ですが。


坂を登り始めると右手にこんなものが。


06_03


      最西端の地
カンチャナブリー県サンクラブリー郡

と。

なんだかオドロオドロしいですね。
ここに座って記念撮影したい気にはなりません(笑)


その先の左手を見て、あっと思いました。


06_04


真っ赤な花が咲き乱れるこの木。

さっき泰面国境平和祈念堂で見かけた故永瀬隆さんの詠んだ歌、

バンコク桜と兵ら唱えし鳳凰樹
その紅いの花は血の色


の鳳凰樹ってこの木なのでは!?


帰国後調べてみたら、そうでした。

日本名はホウオウボク(鳳凰木)。
中国や台湾では鳳凰樹と呼ばれているようです。

タイ語名は、หางนกยูงฝรั่ง(ハーン・ノックユーン・ファラン)。
「西洋孔雀の尾」という意味です。多分シダのような葉と
そこに咲く赤い花が孔雀の尻尾に似ているからなんでしょうね。


06_05


なるほど。「血の色」と形容したのが分かる気がします。

日本兵が「バンコク桜」と呼んだのは咲いている姿よりもむしろ、
この散り方が桜に似ているからなのかもしれませんね。

タイでのホウオウボクの開花時期は4~5月。

幸運にもちょうどその時期に訪れることができたお陰で
永瀬さんがあの歌を詠んだお気持ちが多少なりとも
理解できたような気がします。


その先の右手の路地に入ってみました。


06_06


こんなうら淋しい寺院の横を通り過ぎると、


06_07


兵士の座る詰所とその先に大きなゲートが。
あの先はミャンマー領に違いありません。

私がどうしようか躊躇していると、

「あの門の前までは大丈夫ですよ」

と兵士さん。

ありがとうございます ^_^;)


門の近くまでにじり寄っていきます(笑)


06_08


カンチャナブリー・ナンバーの車やタイ・ミャンマー双方のナンバーのバイクが
ひっきりなしに出入りしています。

あっ、さっき有刺鉄線の先に見えた道はここに繋がっているんですね!
きっと両国の地元民だけが自由に行き来できるんでしょう。

もっと門に寄ってあちらを覗いてみます。


06_11


牛のいるのどかな景色でした ^^


兵士さんにお礼を言って後にします。
どうも私をタイ人だと思っていたみたいで。


詰所のところで右に曲がると、前方にここまで乗って来たバスが
まだ停車しているのが見えました。


06_09


モップでお掃除中。なかなかの重労働ですね。


見どころはこんなもんでしょうかね。
そろそろサンクラブリーへと向かいますか。


目抜き通りの坂を横切り反対側の路地へ入ります。

あったあった。


06_10


サンクラブリー行きのソンテオ乗り場です。
前回乗ってるから安心して利用できます ^^

時刻は、14:28。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:329バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー


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泰面国境平和祈念堂とミャンマー側線路跡 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[5]

あやうくミャンマーに密入国(笑)するところだったのを慌てて引き返します。

広い駐車場の左手には実は陸軍の施設が。


05_01


第9歩兵師団 第106スラシー市民活動実行隊

と書かれているのが見えます。民間人で編成された部隊なんでしょうか。
さっきの迷彩服姿の若者たちもここと関係がありそうですね。


で、その陸軍施設の前から駐車場を見渡すと、


05_02


白のホンダ・インサイトとその後ろに赤いピックアップが
停まっているのがわかりますか?
ちょうど2台を結んだ線上に泰緬鉄道の線路が走っていたんです。

赤いピックアップの向こうに見える寺院風建物に行ってみましょう。

線路跡を辿ることを優先したのですが、
実はさっきから気になっていたんです。

なぜかと言うと、


05_03


タイと日本の国旗が壁に。

線路が保存されている部分の真横に建っていることも何かあるなと。


05_04


THE BORDER PIECE TEMPLE THAI-JAPAN 25 APRIL 2002

とあります。ピンときました。
きっとここは…。


入ったすぐ右手にこんな石碑が建っています。


05_05


泰面国境平和祈念堂 第二星露院

というのが日本語の正式名称のようですね。

世話人に思ったとおり故永瀬隆さんのお名前が。

永瀬さんは旧日本陸軍英語通訳として泰緬鉄道建設に関わり、
戦後は泰緬鉄道建設従事で死亡した連合国軍捕虜やアジア人労働者の慰霊に
尽力なさった方です。

今年4月に公開された映画『レイルウェイ 運命の旅路』では
真田広之さんが永瀬さんを演じています。

1986年出版の永瀬さん著書『戦場にかける橋のウソと真実』には、
クウェー川鉄橋近くに1985年に建てた「クワイ河平和寺院」についての
記述はありますが、こちらは出版後なのでもちろん触れられていません。

でもきっとこちらも永瀬さんが中心となって建てられたのでしょう。


05_06


上部には、
ศาลาสันติภาพ ไทย-ญี่ปุ่น と。
「タイ-日本平和堂」って感じでしょうか。

小さいながらも立派なお堂の中に入って仏像に手を合わせ、
左を見ると2枚の板が。


05_07


そのうち左には、

雨季の夜の雨降りしぶくカオレム湖
湖底の兵ら思うは何か

バンコク桜と兵ら唱えし鳳凰樹
その紅いの花は血の色

奉納二首 元陸軍通訳 永瀬 隆

とあります。

カオレム湖とはサンクラブリーのあのモン橋が架かり、
泰緬鉄道のニーケ駅を含む線路跡が沈んでいるダム湖、カオレーム湖です。

死んでいかれた方々のことが片時も頭から離れなかったのでは。
そんなことが感じられる歌に思えました。


お堂の外に出ます。


05_08


今度は泰緬鉄道線路のミャンマー側への延長線へ歩いていってみますか。
前回帰ってから写真を見て気付いた線路跡らしきものを確認したいのです。

向こうにミャンマー国旗がはためいていますね。


05_09


ゲートの前まできました。

この右手ですよ。
「The Republic of the Union of Myanmar」の看板の裏です。
ドキドキ。


05_10


あった!!

やっぱりこっちにもあったんだ泰緬鉄道の線路!!


05_11


しっかり残ってますよ!


05_12


横に下りてどこまで続いているのか目で追います。


05_13


2つめのゲートの向こうまで残っているようですね。

「こちらへ来てください」

ふいに背後からタイ語で声をかけられました。
呼んだのは写真の外、左手にある事務所前にいる係官。

言葉どおり前まで行くと、

「タイ人ですか?」

いえ、日本人です。

「外国人は入れませんよ」

どこまでだったら行けますか?

「あそこまでです」と指差したのは、
さっきの「The Republic of the Union of Myanmar」の看板の線。

えっ、すみません!!

厳密に言うと今度こそ本当にミャンマーに不法入国してしまいました。
慌てて戻ったのは言うまでもありません -_-;)
ここへ行かれるみなさん、どうぞお気を付けを…。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:329バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー


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