子供船頭さんの船でモン橋脇を08:16に出発。
「ガソリンを買うのでちょっと待ってください」
とすぐに右岸へ寄せます。
子供船頭さんとお父さんは斜面を登って消えて行きました。
坊やと2人で残された私…。
すると坊やが船を足で蹴って岸から離そうと
いたずらをし始めたじゃないですか
コラッ!!
慌てて船を引き寄せ、坊やを抱きかかえていたずらできない場所に移動。
油断も隙も無いったらありゃしない -_-;)
ふとモン橋のほうを眺めると、
ほぼ全体が視界に入る絶好のポイントでした。
ようやく2人が帰って来たので、再び船に乗り込みます。
「キミは危ないからもうここまでにしよう」
子供船頭さんが坊やに告げます。
ダダをこねられたら堪らないので、そこですかさず私は財布を開き、
5バーツ硬貨を坊やに。
「コップンカップ」(ありがとうございます)
なんだ、タイ語話せるんじゃん。 じゃあね~。
これで安心して泰緬鉄道の線路跡へ向かえます ^_^;)
ほどなくして右手にあの金色の仏塔、
チェーディー・ブッタカヤーが見えてきました。
さっきあそこへ行って来たんですよ。
「塔のてっぺんにはプミポン国王から下賜された金の延べ棒500バーツが
納められているんです。」
1バーツ=15.244gなので、7.6kgほどということですか!
船は左(東)へと進路を変えます。
「そのあたりが元のサンクラブリー郡役所です」
今じゃ、まったく水の底ですか。
このカオレーム・ダムの湖は深いところで水深30mとか。
「あそこに見える木は郡役所前に立っていたんですが、
ダム湖に沈んだ1984年以降も生き続け、
ウッタマ僧侶が亡くなったのと同じ日に枯れたんです」
2006年に枯れたってことですか。
うーん。 で、どの木?
どれだかよく分かりませんでした ^_^;)
かつてのサンクラブリー郡役所は、
ソンカリア川、ビークリー川、ランティー川の3つの川が
合流する場所に建っていました。
そのためこの地は別名サーム・プラソップ(3河川の合流する場所)と
呼ばれていたんだそうな。
で、合流した先は名を変えてクウェー・ノーイ川となっていたんです。
船はせり出した陸地の間を縫うように分け入っていきます。
かつてのランティー川の流れに沿って遡上している感じですね。
霧の向こうに山が見えてきました。
「ランティー山です。爆弾の穴を見に行きましょう」
爆弾の穴?
山肌に近付いたところでエンジンを止め、
子供船頭さんがオールを掻き始めました。
「ほら、あそこです」
あーっ、岩肌に丸く穴が開いています。
戦闘機からの機銃掃射か野戦砲を撃ち込まれたんですかね。
爆弾の穴というから爆弾投下でできた地面の窪みかと思いましたよ。
「水が全て引けば、地面にも爆弾の穴がありますよ」
いずれにしても連合国軍が日本軍を攻撃したものでしょう。
こっちにもありました。
こんなところでも戦闘があったんですね。
「この辺りには日本軍の財宝が隠されているんですよ。
今は水の底ですけど」
えっ!? 振り返るとお父さんも頷いています。
まさかと思ったんですが、帰ってから調べたところ
敗走する日本軍がサンクラブリーに財宝を隠したという伝説が
まことしやかに語られているようなんです。
なんでも1986年頃に日本政府がここから南東へ10kmほどにある
リジア洞窟(ถ้ำลิเจีย)周辺でのタケノコ栽培事業許可をタイ政府に
打診してきたんだとか。
日本政府はタケノコの缶詰を製造し日本へ輸出するためとしていましたが、
掘り出した財宝を密かに缶詰に詰めて日本へ持ち帰るためではとの
噂が立ったんだそうで。
2001年、「信用できる情報」に基づくタイ警察副中佐も参加の
リジア洞窟での捜索作業でなんとアメリカの旧ドル紙幣や金貨など
合計550億ドル相当の財宝が発見されたのです。
その報を聞くや時のタクシン首相も即座にヘリコプターで
現場に駆け付けたりで 大ニュースとなったのですが、
後になって全てニセモノだと判明。
大失態に即刻捜索作業は中止となったのでした。
そんな経緯があっても、今でも財宝の存在を
信じて疑わない人がいるようで。
つい最近も今年2014年4月に隣のトーンパープーム郡山中で
穴を掘って財宝探しをしていた4人が摘発されています。
でもただのデマだとも言い切れない出来事もあったんですよ。
昨年2013年8月にお隣のミャンマーで池の造成工事中に
日本軍が埋めて隠したと思われる金塊が発見されているんです。
日本軍隠し財宝伝説は、サンクラブリーの地で
まだまだ根強く生きていきそうですね。
さぁ、いよいよ泰緬鉄道の線路跡に連れてってもらえることに!
エンジンを再始動しランティー山の断崖から離れていくと、
あれ、エンジンが突然止まりましたよ。
「ガス欠です。ちょっと待ってください」
なんだ。さっきガソリン買って来た時に給油してなかったのか(笑)
そうそう、各場所の位置をグーグルマップの航空写真を拝借して
説明しておきます。
<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
siamgoldsilver.com "ขุมทองโกโบริ สมบัติถ้ำลิเจียสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2 ที่ยังรอการค้นพบ"
『Post Today』2014年4月25日付け記事
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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「ガソリンを買うのでちょっと待ってください」
とすぐに右岸へ寄せます。
子供船頭さんとお父さんは斜面を登って消えて行きました。
坊やと2人で残された私…。
すると坊やが船を足で蹴って岸から離そうと
いたずらをし始めたじゃないですか
コラッ!!
慌てて船を引き寄せ、坊やを抱きかかえていたずらできない場所に移動。
油断も隙も無いったらありゃしない -_-;)
ふとモン橋のほうを眺めると、
ほぼ全体が視界に入る絶好のポイントでした。
ようやく2人が帰って来たので、再び船に乗り込みます。
「キミは危ないからもうここまでにしよう」
子供船頭さんが坊やに告げます。
ダダをこねられたら堪らないので、そこですかさず私は財布を開き、
5バーツ硬貨を坊やに。
「コップンカップ」(ありがとうございます)
なんだ、タイ語話せるんじゃん。 じゃあね~。
これで安心して泰緬鉄道の線路跡へ向かえます ^_^;)
ほどなくして右手にあの金色の仏塔、
チェーディー・ブッタカヤーが見えてきました。
さっきあそこへ行って来たんですよ。
「塔のてっぺんにはプミポン国王から下賜された金の延べ棒500バーツが
納められているんです。」
1バーツ=15.244gなので、7.6kgほどということですか!
船は左(東)へと進路を変えます。
「そのあたりが元のサンクラブリー郡役所です」
今じゃ、まったく水の底ですか。
このカオレーム・ダムの湖は深いところで水深30mとか。
「あそこに見える木は郡役所前に立っていたんですが、
ダム湖に沈んだ1984年以降も生き続け、
ウッタマ僧侶が亡くなったのと同じ日に枯れたんです」
2006年に枯れたってことですか。
うーん。 で、どの木?
どれだかよく分かりませんでした ^_^;)
かつてのサンクラブリー郡役所は、
ソンカリア川、ビークリー川、ランティー川の3つの川が
合流する場所に建っていました。
そのためこの地は別名サーム・プラソップ(3河川の合流する場所)と
呼ばれていたんだそうな。
で、合流した先は名を変えてクウェー・ノーイ川となっていたんです。
船はせり出した陸地の間を縫うように分け入っていきます。
かつてのランティー川の流れに沿って遡上している感じですね。
霧の向こうに山が見えてきました。
「ランティー山です。爆弾の穴を見に行きましょう」
爆弾の穴?
山肌に近付いたところでエンジンを止め、
子供船頭さんがオールを掻き始めました。
「ほら、あそこです」
あーっ、岩肌に丸く穴が開いています。
戦闘機からの機銃掃射か野戦砲を撃ち込まれたんですかね。
爆弾の穴というから爆弾投下でできた地面の窪みかと思いましたよ。
「水が全て引けば、地面にも爆弾の穴がありますよ」
いずれにしても連合国軍が日本軍を攻撃したものでしょう。
こっちにもありました。
こんなところでも戦闘があったんですね。
「この辺りには日本軍の財宝が隠されているんですよ。
今は水の底ですけど」
えっ!? 振り返るとお父さんも頷いています。
まさかと思ったんですが、帰ってから調べたところ
敗走する日本軍がサンクラブリーに財宝を隠したという伝説が
まことしやかに語られているようなんです。
なんでも1986年頃に日本政府がここから南東へ10kmほどにある
リジア洞窟(ถ้ำลิเจีย)周辺でのタケノコ栽培事業許可をタイ政府に
打診してきたんだとか。
日本政府はタケノコの缶詰を製造し日本へ輸出するためとしていましたが、
掘り出した財宝を密かに缶詰に詰めて日本へ持ち帰るためではとの
噂が立ったんだそうで。
2001年、「信用できる情報」に基づくタイ警察副中佐も参加の
リジア洞窟での捜索作業でなんとアメリカの旧ドル紙幣や金貨など
合計550億ドル相当の財宝が発見されたのです。
その報を聞くや時のタクシン首相も即座にヘリコプターで
現場に駆け付けたりで 大ニュースとなったのですが、
後になって全てニセモノだと判明。
大失態に即刻捜索作業は中止となったのでした。
そんな経緯があっても、今でも財宝の存在を
信じて疑わない人がいるようで。
つい最近も今年2014年4月に隣のトーンパープーム郡山中で
穴を掘って財宝探しをしていた4人が摘発されています。
でもただのデマだとも言い切れない出来事もあったんですよ。
昨年2013年8月にお隣のミャンマーで池の造成工事中に
日本軍が埋めて隠したと思われる金塊が発見されているんです。
日本軍隠し財宝伝説は、サンクラブリーの地で
まだまだ根強く生きていきそうですね。
さぁ、いよいよ泰緬鉄道の線路跡に連れてってもらえることに!
エンジンを再始動しランティー山の断崖から離れていくと、
あれ、エンジンが突然止まりましたよ。
「ガス欠です。ちょっと待ってください」
なんだ。さっきガソリン買って来た時に給油してなかったのか(笑)
そうそう、各場所の位置をグーグルマップの航空写真を拝借して
説明しておきます。
<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
siamgoldsilver.com "ขุมทองโกโบริ สมบัติถ้ำลิเจียสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2 ที่ยังรอการค้นพบ"
『Post Today』2014年4月25日付け記事
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
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