宿泊ホテル「ファーチョムクルーン」の横から海沿いの道で
空軍施設ゾーンとロームムアック山麓へ行ってみることにしましょう。
右手はこのとおりビーチなんですが、
このあたりで海水浴をしている人影は皆無ですね。
禁止なのかな?
ふとその近くに看板が建っているのが目に留まりました。
奇跡の双頭ヤシの木
へ?
あー、確かに上の方で2本に分かれてるけど、
これって珍しいことなんですか? まあいいか ^_^;)
さらに自転車を漕いで行くと前方に
検問が出現。
ほう、空軍管理地域内なのにさらに検問があるのか。
「国民身分証」と検問の若い憲兵さん。
外国人です。
「パスポート」
はい、これです。
受け取って預かりながら
「何をしに行きますか?」と。
景色を見に行きます。
で通してくれました。
かなり走ったところで大声で呼ばれた気がしたんですが、
戻るのが面倒なので聞こえないふり~(笑)
たぶん通行許可証兼引換証を渡し忘れたんでしょう。
滑走路の端をかすめつつ海岸沿いをひたすら漕いで行くと
↑歴史公園
との看板が見えたのでそちらへ進んでみますか。
すると、
写真で見たことがあるぞ。
見事な巨大石版の彫刻ですね!
場所はここ(グーグルマップ)
1941年12月8日未明の日本軍奇襲上陸時の様子が刻まれています。
左端から
・タイ国旗を掲げたタイ軍
・旭日旗を掲げて上陸する日本軍
・タイ国旗を振り機関銃で迎撃するタイ軍
・飛行機へと走るタイ空軍パイロット
・左をタイ軍、右をタイ人住民に挟まれた日本軍
が描写されています。
石板モニュメントの手前には、タイ語・英語・日本語併記の
説明板もありました。日本語は、
石浮き掘り絵。この第5航空団歴史庭園における石彫り浮き絵は、仏歴
84年12月8日の英雄の勇敢な行為を思い出すために、60トンの緑砂岩を用いて
作られたものである。表の絵には、日本軍による上陸との対戦を表す。裏の絵
には。停戦条約の締結を表す。
(原文ママ)
誤字があったりでこなれていない日本語ですが、
意味は通じますね。
しかしこの時しっかり読まなかった私は、裏面に
停戦調印式の模様が描写されていることに気付かなかったんです。
またしても詰めの甘さが出てしまいました -_-;)
近くには、
「1941年12月8日の英雄碑」も。
足元にあるのはサーフボードに見えて首をかしげたんですが、
たぶん飛行機のプロペラを模したんだと思います。
ちなみに左手奥の木造建物は、第5航空隊の歴史を
展示したミュージアムとなっています。
でも開館は週末のみ。今日は見学できません…。
さらにその背後に聳える山が、タイ軍が住民とともに
最後までねばって籠城したカオ・ロームムアック(ロームムアック山)。
英雄碑の男性の向かわんとする先には、
トーテムポール状の「犠牲者氏名碑」が建っていました。
恐らくタイ側で死亡した42名の名が刻んであるんでしょう。
この碑のすぐ先はもう、
海岸です。
カオ・ロームムアックは陸繋島になっていて、
繋がった砂州の部分に滑走路や空軍施設があります。
で、アーウマナーウ(マナオ湾・マナオビーチ)はその砂州の南側の海岸。
目の前の海岸は砂州の反対側、つまりプラジュアップ側の海岸になります。
1941年12月8日に、二手に分かれた日本軍が
ここからも上陸したに違いありません。
<旅費交通費>
貸自転車代まだなので:0バーツ
ここまでの合計:1,753バーツ
※旅は2016年5月24日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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◇ 中 級 ◇
『中級タイ語総合読本』白水社
◇ 上 級 ◇
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</
空軍施設ゾーンとロームムアック山麓へ行ってみることにしましょう。
右手はこのとおりビーチなんですが、
このあたりで海水浴をしている人影は皆無ですね。
禁止なのかな?
ふとその近くに看板が建っているのが目に留まりました。
奇跡の双頭ヤシの木
へ?
あー、確かに上の方で2本に分かれてるけど、
これって珍しいことなんですか? まあいいか ^_^;)
さらに自転車を漕いで行くと前方に
検問が出現。
ほう、空軍管理地域内なのにさらに検問があるのか。
「国民身分証」と検問の若い憲兵さん。
外国人です。
「パスポート」
はい、これです。
受け取って預かりながら
「何をしに行きますか?」と。
景色を見に行きます。
で通してくれました。
かなり走ったところで大声で呼ばれた気がしたんですが、
戻るのが面倒なので聞こえないふり~(笑)
たぶん通行許可証兼引換証を渡し忘れたんでしょう。
滑走路の端をかすめつつ海岸沿いをひたすら漕いで行くと
↑歴史公園
との看板が見えたのでそちらへ進んでみますか。
すると、
写真で見たことがあるぞ。
見事な巨大石版の彫刻ですね!
場所はここ(グーグルマップ)
1941年12月8日未明の日本軍奇襲上陸時の様子が刻まれています。
左端から
・タイ国旗を掲げたタイ軍
・旭日旗を掲げて上陸する日本軍
・タイ国旗を振り機関銃で迎撃するタイ軍
・飛行機へと走るタイ空軍パイロット
・左をタイ軍、右をタイ人住民に挟まれた日本軍
が描写されています。
石板モニュメントの手前には、タイ語・英語・日本語併記の
説明板もありました。日本語は、
石浮き掘り絵。この第5航空団歴史庭園における石彫り浮き絵は、仏歴
84年12月8日の英雄の勇敢な行為を思い出すために、60トンの緑砂岩を用いて
作られたものである。表の絵には、日本軍による上陸との対戦を表す。裏の絵
には。停戦条約の締結を表す。
(原文ママ)
誤字があったりでこなれていない日本語ですが、
意味は通じますね。
しかしこの時しっかり読まなかった私は、裏面に
停戦調印式の模様が描写されていることに気付かなかったんです。
またしても詰めの甘さが出てしまいました -_-;)
近くには、
「1941年12月8日の英雄碑」も。
足元にあるのはサーフボードに見えて首をかしげたんですが、
たぶん飛行機のプロペラを模したんだと思います。
ちなみに左手奥の木造建物は、第5航空隊の歴史を
展示したミュージアムとなっています。
でも開館は週末のみ。今日は見学できません…。
さらにその背後に聳える山が、タイ軍が住民とともに
最後までねばって籠城したカオ・ロームムアック(ロームムアック山)。
英雄碑の男性の向かわんとする先には、
トーテムポール状の「犠牲者氏名碑」が建っていました。
恐らくタイ側で死亡した42名の名が刻んであるんでしょう。
この碑のすぐ先はもう、
海岸です。
カオ・ロームムアックは陸繋島になっていて、
繋がった砂州の部分に滑走路や空軍施設があります。
で、アーウマナーウ(マナオ湾・マナオビーチ)はその砂州の南側の海岸。
目の前の海岸は砂州の反対側、つまりプラジュアップ側の海岸になります。
1941年12月8日に、二手に分かれた日本軍が
ここからも上陸したに違いありません。
<旅費交通費>
貸自転車代まだなので:0バーツ
ここまでの合計:1,753バーツ
※旅は2016年5月24日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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