タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ロッブリー県

レストラン「マットミー」へ行ったものの ロッブリー日帰り旅[最終回]

晴れてきて日差しのきつくなった路地を歩いていくと、
右手に平屋建ての店舗が見えてきました。


08_01


看板には「マットミー」(มัดหมี่)と。
ここだここだ。やっと着いたぞ~。

ガラスの引き戸をスーっと開けて覗きこむとお客さん無し。
お店やってますか?

「まだやってますよ」

良かった。冷房の効いた店内に着席。


08_02


地方のお店にしては小奇麗な内装ですよね。

感じの良いお兄さんがメニューを持ってきてくれました。


08_03


店名の下には「タイ料理(プアン)」と書かれています。
プアンって何だろ?

帰ってから調べたところ、タイ・プアン族という少数民族のことでした。

ラオスの、古代の石壺がごろごろと転がっているシェンクアン高原に
元々はいた人達だそうで。かつてはプアン国という王国もあったんだとか。
今では散り散りになって様々なところに移り住んでいるそうです。

そしてここロッブリーの特産品の一つに、
ロッブリー・マットミーというタイ・プアン族による織物があり、
店名の由来となっているようで。

つまり、そのタイ・プアン族料理の店ってことなんですね。
この時は知る由もなく… ^_^;)


メニューを見て2品と水を注文。


08_04


さっきから気になっていたんですが、テーブルには
カノム・トゥアイが置いてあるんですよ。

これは無料で自由に食べていいそうです。
なんと良心的な店なんだ!

お兄ちゃんが水を持ってきてくれたので飲みつつ待っていることに。
ん、やたら喉が渇くな。自分でもビックリするぐらいにぐびぐびと
冷たい水を飲んでしまいます。

そう言えば以前にもこんなことがあったぞ。

そうだ。ナコン・ナーヨックの旅から帰って来た時だ。
水を勢いよく飲んだ後、寒気がしてトイレで吐いたんだったな。
頭痛とダルさでやっとの思いで宿に帰りバタンキューしたんだった。

いや~な予感は、的中。
寒気がし出しました。

いくらエアコンが効いているとはいえ、
震えるほど寒いのは、やはり異常です。

そこで注文した2品が登場。


08_05


うぐぅ。食べたいのに食欲が湧かない!

頑張って口に運ぶものの、各料理一口で精一杯な状況。
美味しいのに。美味しいのに食べられない!!

わかったぞ、この症状。


熱中症だ
 _| ̄|○


そうか、ナコン・ナーヨックの時も熱中症だったのか。

頭の冷静さと裏腹に、体調は急速に悪化。
寒気が耐えられないほどに。

ちょうど女性グループがやってきて個室に通され、
くだんの兄ちゃんも注文聞きで個室に行ったっきりで戻ってきません。
うがー、早く来てくれ~。

ようやく兄ちゃん登場。

ほとんど手を付けていない料理を目の前に
バツ悪くお勘定を頼みます。

そうだ。最後の力を振り絞り、カノム・トゥアイも一つ味見。
くそー、もっと食べたいよーーー。

せっかく美味しく作ってくれたのにすみません!
心の中で呟いて、ふらふらしながら店を出ます。

暑いはずの外気がちょうど良い具合。
いや、まだ多少寒気がしています。

あ、2品の名前メモるの忘れた。
とてもそれどころじゃない -_-;)


亡霊のようにヨロヨロちんたら歩いて
ナーラーイ・マハーラート通りに出ました。

ソンテオに乗ると風が寒い!
ブルブル震える羽目に。

線路を越えたところで下車し、
朝到着した時に目ぼしを付けておいたロッ・トゥー乗り場へ直行。

チケットを購入して待合室のベンチに崩れ落ちました…。


気が付くと時計は15:35。30分ほど爆睡していたようです。
お陰で体調が多少回復したような。

というか、ロッ・トゥーまだなの?(笑)

乗り場に着いたのが15時ぐらいのはず。
ようやく15:46に出発です。


08_06


途中で乗り降りがありながら、最終的にはこんなにガラガラに。


08_07


そして終点、戦勝記念塔に帰って来れました。
時刻は、17:54。


08_08


呆然とロッ・トゥーを見送ります。
でもこの頃には体調がかなり回復してました。


今回の失敗の原因は、曇り空だったので安心して水分補給もせずに
歩き回ったことでしょうね。多少湿度が高めだったのも影響したかと。

ナコン・ナーヨックから帰ってきた時も雨上がりの曇天下、
約束に間に合うように走りづめ走ったのがいけなかったのか。


不本意な終わり方をしたロッブリーの旅となってしまいました。

とくにマットミーの店員さんには、料理にほとんど手を付けなかったことで
不快な思いをさせてしまったことでしょう。
いつか、お詫びを兼ねてもう一度再訪したいものです。


みなさんも、熱中症にはくれぐれもお気を付けを!




<旅費交通費>
ソンテオ:8バーツ
ロッ・トゥー:120バーツ
ここまでの合計:186バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

<参考>
"ประวัติศาสตร์เมืองพวน"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


おわり

マットミー

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ソンテオで人気レストランへ ロッブリー日帰り旅[7]

ロッブリー駅の正面を過ぎ、さらに国鉄線路沿いに歩いていくと、
またここにやって来ました。


07_01


ワット・ナコーンコーサー
最初に訪れた遺跡です。

背後にプラプラーン・サームヨートも見えてますね。

線路上に下り踏切に出たところで、またもや列車が。


07_02


時刻表に無いから回送列車?
それよりも、線路はプラプラーン・サームヨート
こんなに近くを通ってるんですよ。

あ、ここの踏切も棒が下りてくるタイプでした。


右手のプラカーン廟が真ん中にあるロータリー脇に立ち
ソンテオを待ちます。

ロッブリー
で人気のレストランへ向かおうと思いまして。
ここから東の方にあり、徒歩では無理なのでソンテオのお世話になろうと。

ナーラーイ・マハーラート通り
は真っ直ぐだから、
ここに来る路線ならどれでも目的地方面へ向かうだろうと読みつつ…。


07_03


お、来たぞ。エイヤっと乗ってしまいましょう!
時刻は、13:42。

ちなみに後で調べたところ、運転席上に掲げられた行き先の
ドンチャンパー(ดงจำปา)には、バイク用のレース場があるようで。

そんなソンテオに揺られてナーラーイ・マハーラート通り
真東に進んでいきます。

大学が見えた後、低層のトゥックテオ(長屋ビル)商店街が
通りの両側に続いている光景を眺めていると、
大きなロータリーに入りました。


07_04


スリヨータイ・ロータリー(วงเวียนศรีสุริโยทัย)と言うんだとか。
ピブーン政権時代の1938年完成。
同じくピブーン政権下で完成したバンコクの戦勝記念塔が41年なので、
こっちのようがやや古いんですね。

17世紀のナーラーイ王治世後、ずっと廃れていたロッブリーの町が
ピブーン首相がぶち上げた都市計画と陸軍基地設置のお陰で
復興したのだろうことが伝わってきます。

ちなみに地元民はスリヨータイ・ロータリーというよりも、
サケーオ・ロータリー(วงเวียนสระแก้ว)と読ぶことが多いんだそうで。

このロータリーの周辺がロッブリーの町の中心部のようです。
ロッブリー・バスターミナルもロータリー南西の一角にあることを
帰ってから知りました ^_^;)


そして川を渡ったところでブザーを押して下車。


07_05


運賃8バーツを運転手に支払います。
時刻は、13:50。

この先もトゥックテオ商店街がビッシリ続いてますね~。
でも降りた正面は、


07_06


第13軍管区の基地でした。
いい目印になりそう。でももう来ることは無いかな ^_^;)

反対側へ渡り、川沿いに出ます。


07_07


調べたんですがついぞこの川の名前が分からず。
どうも運河のようです。

そんな川沿いに日陰の多い遊歩道を見つけ、
とぼとぼ南へと歩いて行きます。

今頃になって晴れ間が出て暑くなってきたので助かりましたよ。
頭痛が相変わらず治らない上にバテてきました。あとちょっとだー。


07_08


こらっ、通れないじゃないか!(笑)
でも気持ちいいだろうな~。


次の橋のところで左折。


07_09


住宅街なんですがところどころに商店も見かけるんですよね。
表通りからちょっと奥まっているのに意外。
結構栄えてるんですね、ロッブリー市街。


07_10


お、目的地のレストランの看板出現。
マットミー」(มัดหมี่)という名の店なんです。

この交差点を右だな…。


07_11


あら、暑い中ご苦労さまです。バテないように気を付けてくださ~い。
…って人のこと言えないか。 もうすぐのはず。がんばるぞ。


しかしこの後、思わぬ事態に見舞われるのでした…。





<旅費交通費>
ソンテオ:8バーツ
ここまでの合計:58バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

<参考>
Wikipedia "จังหวัดลพบุรี"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

マットミー

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ロッブリー城壁の勝利門 ロッブリー日帰り旅[6]

ロッブリー駅から道なりに南へと歩き出します。


06_01


この辺りは住宅街のただの路地ですね~。

緩い下り坂を進んでいくと前方に見えてきましたよ。


06_02


ロッブリー城壁の門!

崩れた「跡」なのかと思いきや、
完璧な姿で残っていて、こりゃオドロキです!


06_03


プラトゥー・チャイ(ประตูชัย)との案内板が立っていました。
訳せば、「勝利門」。

17世紀のナーラーイ王時代の姿ではなく、
19世紀半ばのラマ4世による修復後の姿だとは思いますが、
ここまで昔の姿で残っている城壁門って珍しいですよね。

有名な門としてはチェンマイのターペー門がありますが、
規模はこれよりも小ぶりで上の部分が無い形状です。

またナコンラチャシマーにもいくつか立派な門がありますが、
残念ながらどれも綺麗に修復され過ぎている感が。

なので、かつての面影を良く残したままの
規模の大きな門って貴重だと思います。

もしかしてロッブリーだけですかね?

ロッブリーには実はもう1か所、門が残っているようです。
残念ながら今回は訪れませんでしたが。


06_04


門の入口には、こんな神棚(?)が。
ナムデーン(赤いジュース)が置かれているのが、 なんともタイらしいです。


06_05


お、ここにも。
違う神様なんでしょうね。

真ん中に埋め込まれた木の柱には、かつて扉が取り付けられていたのかも。


門をくぐって外側に出てみました。


06_06


すぐのところに住居が建っているのが、なんとも ^^


06_07


昔は兵士が立って守っていたんでしょうね。
ついついそんな光景を想像してしまいます。


さて、城壁内へ戻って壁沿いの道を右へと歩いてみますか。


06_08


土盛りの上に崩れかけたレンガの壁が少し見えますね。
元々こういう作りなのか、基礎部分が崩れてこうなったのか、
イマイチよく分かりません ^_^;)


06_09


壁が途切れた先は、国鉄の踏切でした。

ちょうど列車がやって来る警報音が鳴り始め、
遮断機が下りてきました。人力で横に引っ張る車輪付きの柵じゃなくて、
驚いたことに日本と同じく棒が倒れて下りてくるタイプです。

タイにもあるのか。初めて見たかも(笑)


06_10


貨物列車だ。
写真を撮っていたら踏切待ちの人達にジロジロ見られてしまいました。
列車の写真を撮る人がそんなに珍しいのかなぁ。

踏切を渡り、線路沿いに左へ続く道を歩いていきます。

曇り空なのでいい気になって闊歩してましたが、
そろそろバテ始めましたよ。


06_11


ロッブリー駅のホームが見えてきました。
背後にはワット・バンダイヒンの姿も。

その左のものって、もしや蒸気機関車時代の給水塔?


06_12


ロッブリー駅舎です。
これまた背後にワット・プラシーラッタナ・マハータートの主仏塔が
頭を覗かせています。

さてと、ナーラーイ・マハーラート通りに出て、
ソンテオに乗ってみますよ~。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:50バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

勝利門

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ワット・プラシーラッタナ・マハータート ロッブリー日帰り旅[5]

なかなか充実していたプラナーラーイ宮殿(ナーラーイ王国立博物館)を出て、
目の前一帯の商店街を歩いてみました。

でも、目ぼしい店は一つも無く… -_-;)

いったん宮殿正門前に戻って白壁沿いに南へと歩きはじめると、
東のほうに建物越しに仏塔遺跡が聳えているのが見えるではないですか。

よし、あれを目指して歩いていくとしましょう。
路地に入り東へ進んでいくと、


05_01


おぉ、ここだな。

角の食堂が流す大音響の音楽にゲンナリしながら
敷地に足を踏み入れます。


05_02


見えていたのはあの仏塔だ。

ここは、ワット・プラシーラッタナ・マハータート(วัดพระศรีรัตนมหาธาตุ)
という、かつてのロッブリーのメイン寺院として建てられたものだと、
案内板の説明にあります。


05_03


200m四方の広大な敷地内に壁に囲まれて、
様々な時代の建造物が30あまり建ち並んでいる景色は壮観。
12~13世紀初頭からアユタヤ時代、
そして19世紀のラマ4世期までのものがあるんだそうで。


05_04


この最も高い仏塔(主仏塔)は、12~13世紀初頭のもの。
クメール様式の影響を受けつつもアユタヤ初期につながる
新たな様式が見られるのだとか。

つまり、タイ様式が見て取れる現存最古の仏塔なんだそうです。

そんな仏塔に奇しくも出会えるとは!

ちなみに右に見える建物は、17世紀にナーラーイ王が建てた仏堂跡。

こんな立派で広大な遺跡なのに、見学者は、私一人だけ。
ありがとうございます。贅沢なひと時を過ごせました ^_^;)


外へ出て敷地沿いに東側へ回ると、


05_05


どうやらこっちが正しい入口のようですね。

ナーラーイ王が建てた仏堂跡の背後に、あの仏塔が見えています。

で、この反対側はというと、


05_06


ロッブリー駅なのでありました。

駅のホームにある遺跡模型の背後に見えた仏塔は、
あの主仏塔だったのか。

駅舎がプラプラーン・サームヨートを模してあるのがいいですね ^^


駅舎に向かって右手には、


05_07


蒸気機関車が佇んでいました。
残念ながら日本製ではなく、イギリス製なんですけどね。

おや、蒸気機関車の後ろにもなにやら遺跡があるではないですか。
向かおうとすると、


05_08


左手にホームに隣接した食堂発見。

ちょうどお昼時なので、軽く腹に流し込んでおきましょう。
実は歩いているうちにちょっと頭痛がするようになったので、
休憩もしたかったんですよね。

時刻は、12:55。


05_09


ありきたりですが、ガパオ(挽肉のバジル炒めご飯)を(笑)

一服しがてら、せっかく来たのだからガパオで済ますんじゃなくて、
ロッブリーの美味しい店でも食べようとiPhoneで検索。

見つけました。ちょっと遠いけどなんとかなるかな。
その前にもう一か所だけ見ておきたいところが。

向かおうと店を出たところで列車が到着したので
引き寄せられるようにホームへ。


05_11


バンコクのフアランポーン駅10:50発の列車かな?

ちなみにさっき目指しかけた遺跡は、


05_10


こんな感じでホームからも見えました。

17世紀のナーラーイ王時代に建てられた寺院で
ワット・バンダイヒン(วัดบันไดหิน)と案内板にあります。

訳せば「石階段寺」。
きっと元の名が不明なんでしょう ^_^;)





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:50バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ワットプラシーラッタナマハータート

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プラナーラーイ宮殿(ナーラーイ王国立博物館) ロッブリー日帰り旅[4]

市場の路地から広い通りに出てみると、
白い城壁らしきものが続いているではないですか。


04_01


まるで王宮みたいですね。
ん、もしやナーラーイ王が造営したとか?
事前に下調べしていないとこんなもんです ^_^;)


04_02


ここが入口のようで。

SOMDET PHRA NARAI NATIONAL MUSEUM
とあるので、
プラプラーン・サームヨート係員オススメのミュージアムとは、
ここのことっぽいですね。入ってみましょう。

右手の受付で拝観料を支払います。
タイ人10バーツ、外国人30バーツ…。
観光地は仕方ないですね ^_^;)

入口そばに立つ案内板を読むと…

アユタヤ王朝第27代のナーラーイ王(在位1656-88年)が
フランス&イタリア人技師に共同でロッブリーに王宮を造営させ
1666年に完成したとあります。

それがここなんですね。

ナーラーイ王の死後、荒廃した王宮を1856年にラマ4世が修復し、
プラナーラーイ・ラーチャニウェート」(พระนารายณ์ราชนิเวศน์ )と
名付けたんだとか。

ラーチャニウェートとは都以外の地の宮殿のこと。
なのでプラナーラーイ宮殿ってなところでしょう。


04_03


貯水池や倉庫の跡を左に見ながら、真っ直ぐ整備された歩道を歩いていくと、


04_04


もう一つの門が。

その奥に見える仏堂風の建物内からまずは見学するようです。
サンダルを脱いで階段を上がると目に入ったのは、


04_05


ナーラーイ王の像でした。

アユタヤ王朝の中でもとくに外国との貿易に力を入れた
ナーラーイ王時代にちなみ、この館内には王治世の
外国との関係についての展示がなされているようで。


04_06


例えばこれは、フランスのルイ14世使節がアユタヤでナーラーイ王に
謁見した際の絵。当時のフランス人による線描画を元に描き直したものだとか。

逆にナーラーイ王もフランスに使節を派遣しています。

なんでもオランダ東インド会社が貿易を独占しようと、
チャオプラヤー川河口を封鎖して脅しにかかった事件があったそうな。

結局オランダの企みは失敗。でもオランダの報復を危惧したナーラーイ王は
フランスに近付いたということなんだそうです。

ロッブリー
に副都を築いたのも、有事の際に都の機能を移すためという
理由もあったようで。


さて、外国との関係と言えば、我が日本も。


04_07


これは、ナーラーイ王治世の1681年にアユタヤのワット・ヨム壁画に描かれた
日本人義勇軍の姿。原画は1893年に保存のために剥がされたものの、
その甲斐空しくのちに完全に崩れてしまい現存せず。

山田長政没後51年経っていますが、日本人はまだアユタヤの国政で
ある程度の役割を担っていたと、この絵の解説にありました。

ナーラーイ王即位に際して争いがあったのですが、動員された
外国人部隊のうち日本人はペルシャ人に次ぐ規模の人数だったとか。

中央に掲げられた日の丸に身が引きしまる思いです。

ナーラーイ王治世で日本人以外の外国人も国政に重用されました。
その中で、もっとも有名なのがギリシャ人のフォールコンです。

ジャワのイギリス東インド会社で働いたのち、アユタヤの大蔵省商品大蔵局で
職を得ます。そこは貿易を担う部署。有能だったことからナーラーイ王の寵愛を
受け、見る見るうちに大蔵省の長に出世。

大きな権力を背景に親仏政策を取ったことから
旧勢力の中国人商人達から妬まれ、
ナーラーイ王が晩年臥している機に乗じ、
アユタヤをフランスに売る売国奴として処刑されてしまいました。

1687年、40歳の若さででした。

ちなみにフランス使節のナーラーイ王謁見の絵で、
左下にひれ伏しているのが、フォールコンです。

驚いたことに、ここにはそのフォールコンの遺品が展示されていたんですよ。


04_08


フォールコン居館跡で見つかった什器との説明です。

私はフォールコンは知っていたので、
遺品を期せずして見ることができ、思わず感動。


フォールコンの妻がまた興味深いんです。Marie Guimarという名
(タイ名はターオ・トーンキープマー ท้าวทองกีบม้า)なんですが、
なんと日本人・ベンガル人・ポルトガル人混血の人物でした。

タイ・スイーツのフォイトーントーンヨートは、
フォールコン死後、彼女がアユタヤ宮廷に作り方を伝えたものなのです。

フォイトーンは、日本の鶏卵素麺(けいらんそうめん)に瓜二つ。
平戸出身日本人である祖父から教わったのかもしれませんね。

と言うのも、福岡の元祖鶏卵素麺松屋さんも、
「初代当主、松屋利右衛門は長崎の出島を訪れた際、
鶏卵素麺の製法を伝授されたと言われて」いるとのことなのです。

17世紀後半と長崎という共通点。2つの繋がりが濃厚です。


なんだかロッブリーの旅というより歴史の旅ですね、今回は(笑)


さらに進むと、あっ、この帽子!


04_09


入口像もフランス使節謁見の絵もそうですが、
ナーラーイ王は決まってこの帽子を被っているので気になってたんですよ。

ナーラーイ王期に官僚が被ったもので、プロシアの帽子デザインの
影響を受けたと推定されているとのこと。
帽子の縁の装飾によって階位が分かるようになっていたそうです。


ひととおり見て、次は隣の2階建ての建物に移ります。

1階は、アユタヤ時代より前のドヴァーラヴァティー時代や
クメール時代(ロッブリー時代とも言います)の出土品の展示。


04_10


いつの間にやら猫ちゃんがまとわりついて離れません(笑)


04_11


これは7~8世紀に南インドのパッラヴァ・グランタ文字で刻まれた
パーリ語碑文だとか。うーん、読めたら面白いだろうなー。

仏像や碑文の出土品が無造作に展示されているのを眺めつつ、
次は2階へ。王宮を修復したラマ4世ゆかりの品の展示スペースでした。


そしてさらに隣にはこんな遺跡が。


04_12


ナーラーイ王滞在時に、外国使節の謁見に使用していた建物だとか。


これでひととおり見学し終えたはず。
確かにここは見ごたえがありました。
歴史好きの人だったら楽しめること間違いなしです。


04_13


1688年にナーラーイ王が崩御した地でもあるプラナーラーイ宮殿
そろそろ後にするとしますか。

時刻は、12:05。1時間10分もいたんですね。

入口へ向かって戻ります。
次は商店街でも歩いてみるかな。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:50バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

<参考>
「パイパイマーマー(31) 港市国家アユッタヤーはだれが支えたのか?-「外来人国家」-」,赤木攻,『タイ国情報』2010年7月号,日本タイ協会,2010年
Wikipedia "พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติ สมเด็จพระนารายณ์"
ウィキペディア "ターオ・トーンキープマー"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


プラナーラーイ宮殿

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