タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ランティー山

船で泰緬鉄道線路跡へ 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[9]

向こうからやってきた船を操っているのは、あの子供船頭さん!
会えて良かった!!

竹橋まで来て停船しました。

私を覚えてますか?

「覚えてますよ。いつ来たんですか?」

今着いたばかりです。泰緬鉄道の線路跡を見に連れていってくれますか?

「明日でもいいですか? もう暗くなってしまいますんで」


まだ4時なんですけど -_-;)
困ったような顔をしているので、今日は行けない事情がありうそうな雰囲気。

明日はもうバンコクに帰っちゃうんですよ。

「…。ちょっと待っててください」
子供船頭さんは引き返して対岸の水上集落に消えて行きました。

「船が壊れるのが怖いんだな。ははは」

やり取りを聞いていた他の船頭さんたちが笑っています。

なるほど。前回もそうだったけど、遠出するにはあの船じゃダメなのか。
きっと一回り大きな船を借りる必要があるってことですね。


しばらくして戻って来ました。が、さっきと同じ船です。

「代わりに行こうか?」
同業の青年が子供船頭さんに声を掛けました。

「譲るよ」
と仕方がないという顔をして子供船頭さん。

えっ、なんだ。そんなに簡単に諦めちゃうのか。
子供船頭さんに連れていって欲しかったのに。
あっさりしていてちょっぴりガッカリ。


では気持ちを切り替えて青年船頭さんの船にお願いしますか。


09_01


モン橋を出発でーす。
時刻は、16:13。


09_02


子供たちがスワンで遊んでます(笑)
ピースサインまでしてくれてありがとう~。


09_03


他の船の後ろについて進んでいきます。
向かいにはチェーディー・プッタガヤの金色の塔の姿が。


さらに進んでいくと、


09_04


ダム湖に沈んだ旧ワット・ワンウィウェーカーラーム
遠くに見えてきました。
前回訪問時より水位がかなり下がっているのがはっきり分かります。

前回4月1日の際は、


08_04


こんなでしたから。

右の鐘楼跡が上の2段しか見えてなかったのが、
今回は基礎部分まで現れてますもんね。

ワット・ワンウィウェーカーラームの手前で左折して
陸地が狭まっている部分を抜けると、


09_05


眼前にランティー山が姿を現しました。
岩肌に砲撃跡のあるあの山です。


湖面には立ち枯れた木が無数に頭を出していてなんとも殺伐とした光景。

ここで船頭さん右岸に沿ってぐるっと迂回する航路を取り、
ランティー山のすぐそばを通過していきます。

たぶんかつてランティー川が流れていた
水深の深い部分を進んでいるんでしょう。


そしてついに、


09_06


前回も訪れた泰緬鉄道線路跡が目の前に!

「勇気が無いよ」
船頭さんは、立ち枯れた木々を抜けて接岸するのをためらっています。

ここまで来たのに諦められるか。
我ながら意地悪ですが、あえて無言でいると渋々船を進めてくれました。

無事に接岸。 喜び勇んで線路跡に上がります。


09_07


時刻は、16:37。
まずは東のカンチャナブリー方面へと歩いてみますか。


09_08


意図的になのか自然になのか削られて分断されています。
間を左から右へ湖水が勢いよく流れていて、見ていると吸い込まれそう。

4月の際は私が立っている側は水面下でした。
子供船頭さんのお父さんが言っていたように干上がってないのが残念ですが、
それでも前回より水面に出ている部分がずっと増えていますね。

調べたところ、数年に一度、この時期に異常に水位が下がることがあるそうで。
そんな時にまた訪れたいもんです。


じゃぁ戻ってビルマ方面へと歩いてみましょう。


09_09


右に乗って来た船が見えますね。
向かいの山はランティー山


09_10


右へとカーブして湖面に消えていっています。

先端まで行ってみますか。


09_11


北側の対岸に見える岩山のほうへ伸びているのが分かりますね。
あの山は、前回見た砲撃跡のあるもう一つの岩山なんです。


引き返しながら足元を注意深く探すと、


09_12


枕木があった!
どれも朽ちかけていますが、数本発見することができました。


では次に対岸の線路跡へ連れて行ってもらいましょう。





<旅費交通費>
船賃支払いまだなので:0バーツ
ここまでの合計:359バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


サンクラブリー地図140501
 今回訪れた泰緬鉄道線路跡は①の場所です。


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砲撃跡と日本軍財宝伝説 カンチャナブリーの奥へ[14]

子供船頭さんの船でモン橋脇を08:16に出発。

「ガソリンを買うのでちょっと待ってください」
とすぐに右岸へ寄せます。


14_01


子供船頭さんとお父さんは斜面を登って消えて行きました。

坊やと2人で残された私…。

すると坊やが船を足で蹴って岸から離そうと
いたずらをし始めたじゃないですか

コラッ!!

慌てて船を引き寄せ、坊やを抱きかかえていたずらできない場所に移動。


14_02


油断も隙も無いったらありゃしない -_-;)


ふとモン橋のほうを眺めると、


14_03


ほぼ全体が視界に入る絶好のポイントでした。


ようやく2人が帰って来たので、再び船に乗り込みます。

「キミは危ないからもうここまでにしよう」

子供船頭さんが坊やに告げます。

ダダをこねられたら堪らないので、そこですかさず私は財布を開き、
5バーツ硬貨を坊やに。

「コップンカップ」(ありがとうございます)

なんだ、タイ語話せるんじゃん。 じゃあね~。

これで安心して泰緬鉄道の線路跡へ向かえます ^_^;)


ほどなくして右手にあの金色の仏塔、
チェーディー・ブッタカヤーが見えてきました。


14_04


さっきあそこへ行って来たんですよ。

「塔のてっぺんにはプミポン国王から下賜された金の延べ棒500バーツが
 納められているんです。」

1バーツ=15.244gなので、7.6kgほどということですか!


船は左(東)へと進路を変えます。

「そのあたりが元のサンクラブリー郡役所です」

今じゃ、まったく水の底ですか。
このカオレーム・ダムの湖は深いところで水深30mとか。

「あそこに見える木は郡役所前に立っていたんですが、
 ダム湖に沈んだ1984年以降も生き続け、
 ウッタマ僧侶が亡くなったのと同じ日に枯れたんです」

2006年に枯れたってことですか。

うーん。 で、どの木?


14_05


どれだかよく分かりませんでした ^_^;)

かつてのサンクラブリー郡役所は、
ソンカリア川、ビークリー川、ランティー川の3つの川が
合流する場所に建っていました。

そのためこの地は別名サーム・プラソップ(3河川の合流する場所)と
呼ばれていたんだそうな。

で、合流した先は名を変えてクウェー・ノーイ川となっていたんです。


14_06


船はせり出した陸地の間を縫うように分け入っていきます。
かつてのランティー川の流れに沿って遡上している感じですね。


14_07


霧の向こうに山が見えてきました。

ランティー山です。爆弾の穴を見に行きましょう」

爆弾の穴?


14_08


山肌に近付いたところでエンジンを止め、
子供船頭さんがオールを掻き始めました。

「ほら、あそこです」


14_09


あーっ、岩肌に丸く穴が開いています。
戦闘機からの機銃掃射か野戦砲を撃ち込まれたんですかね。

爆弾の穴というから爆弾投下でできた地面の窪みかと思いましたよ。

「水が全て引けば、地面にも爆弾の穴がありますよ」

いずれにしても連合国軍が日本軍を攻撃したものでしょう。


こっちにもありました。


14_10


こんなところでも戦闘があったんですね。


14_11


「この辺りには日本軍の財宝が隠されているんですよ。
 今は水の底ですけど」

えっ!? 振り返るとお父さんも頷いています。


まさかと思ったんですが、帰ってから調べたところ
敗走する日本軍がサンクラブリーに財宝を隠したという伝説が
まことしやかに語られているようなんです。

なんでも1986年頃に日本政府がここから南東へ10kmほどにある
リジア洞窟(ถ้ำลิเจีย)周辺でのタケノコ栽培事業許可をタイ政府に
打診してきたんだとか。

日本政府はタケノコの缶詰を製造し日本へ輸出するためとしていましたが、
掘り出した財宝を密かに缶詰に詰めて日本へ持ち帰るためではとの
噂が立ったんだそうで。

2001年、「信用できる情報」に基づくタイ警察副中佐も参加の
リジア洞窟での捜索作業でなんとアメリカの旧ドル紙幣や金貨など
合計550億ドル相当の財宝が発見されたのです。

その報を聞くや時のタクシン首相も即座にヘリコプターで
現場に駆け付けたりで 大ニュースとなったのですが、
後になって全てニセモノだと判明。

大失態に即刻捜索作業は中止となったのでした。


そんな経緯があっても、今でも財宝の存在を
信じて疑わない人がいるようで。

つい最近も今年2014年4月に隣のトーンパープーム郡山中で
穴を掘って財宝探しをしていた4人が摘発されています。

でもただのデマだとも言い切れない出来事もあったんですよ。

昨年2013年8月にお隣のミャンマーで池の造成工事中に
日本軍が埋めて隠したと思われる金塊が発見されているんです。

日本軍隠し財宝伝説は、サンクラブリーの地で
まだまだ根強く生きていきそうですね。


さぁ、いよいよ泰緬鉄道の線路跡に連れてってもらえることに!

エンジンを再始動しランティー山の断崖から離れていくと、
あれ、エンジンが突然止まりましたよ。


14_12


「ガス欠です。ちょっと待ってください」

なんだ。さっきガソリン買って来た時に給油してなかったのか(笑)



そうそう、各場所の位置をグーグルマップの航空写真を拝借して
説明しておきます。


ランティー山





<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

<参考>
siamgoldsilver.com "ขุมทองโกโบริ สมบัติถ้ำลิเจียสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2 ที่ยังรอการค้นพบ"
『Post Today』2014年4月25日付け記事

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


サンクラブリー


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