タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

マハーカーン要塞

マハーカーン要塞コミュニティ バンコク首都城壁を探せ! [2]

前回、マハーカーン要塞を見ました。

その要塞から南側に、例のガイドブックのとおり
首都城壁が伸びています。

向こうには、プーカオトーンが。


バンコク首都城壁


城壁は、結構先まで残っていますね。
おおよそ100メートルぐらいでしょうか。


バンコク首都城壁


真ん中に見える壁に空いた出口が気になります(笑)


くぐってみると、


マハーカーン要塞コミュニティ


そこには集落がありました。
マハーカーン要塞コミュニティ、と呼ばれているようです。


実はこの場所、タイの大衆演劇「リケー」発祥の地なのだとか。


リケーって恥ずかしながらまだ観たことがないんですが、
歌あり、コメディありの演劇のようですね。


ルーツはマレーにあり、昔にバンコクへ移住してきたマレー系の人たちが始め、
ラマ5世期に人気が出たようです。


そう言えば、ムスリムの多い地域に必ずある「鳥かご」が
ここにもかかってますね。


話はちょっと脱線しますが、この「リケー」という言葉、
由来がなんとも壮大なんですよ。

大元はなんと、何千年も前のヘブライ語「Zakhur」にあるんだとか。
神を称賛する言葉、という意味のようです。

これが、アラブに伝わり「Zikr」「Zikir」に。
ペルシャ人によってインドに伝わり「Dhikir」に。

さらに、18世紀末まで南タイにあったマレー系のパタニ王国に伝わり
「Dikay」「Jikay」に。

そしてバンコクにやって来て、「Yikay」と呼ばれるようになりました。

1909年、時のラマ6世が「リケー」(Likay)と呼ぶように定めて、
今の呼称でタイ語として落ち着いたんだそうです。


こういう文化・言葉の伝播って、面白いですよね~。


今でもここマハーカーン要塞コミュニティには
アーティストが集まり芸術活動を行っているとか。


そんな物凄い歴史を感じさせるスポットが、さりげなく残っていることにまず感嘆です。

そして、ひょっとしたら住民の芸術を守るという意識が、
ここにだけ城壁が長いままの姿で現在まで残ったことに影響しているかもしれませんね。


つづく


※旅は2009年7月21日(火)に行いました。

バンコク首都城壁を探せ! [1]

かつて、タイ国内の大きめの街は、たいてい城壁で囲まれていたそうですね。
コラートしかり、チェンマイしかり、ペッチャブリーしかり。

首都のバンコクも、もちろんそうでした。

ラマ1世の時代に、ラッタナコーシン島のチャオプラヤー川に面していない
北~北東~東の部分に、全長約7キロの城壁が築かれたそうです。

この城壁内が、元々のバンコク。
江戸の朱引みたいな感じでしょうか。


この城壁ですが、その後、道路や住居の建設のために
ほとんどの部分が破壊されてしまいました。


私が持っているタイで出版されたバンコクのガイドブックには、
今や1か所に残るのみ、と書かれています。


さて、本当にそうなのでしょうか!?


偶然も重なって、その疑問を晴らすことができたので、
今回、バンコク首都城壁について書きたいと思います。


まずは、その本に紹介されていた「唯一」現存するという
城壁の場所へ…。

ちょっと前ですが、昨年7月某日に行ってみました。


そこは、ラチャダムヌーン通りの始点にあります。

パーンファーリーラート橋を渡ると、
まず目に飛び込んでくるのは、


マハーカーン要塞


城壁の端に鎮座する、マハーカーン要塞です。


ラッタナコーシン島のチャオプラヤー川と城壁沿いには14の要塞が築かれました。
ここは、現存する要塞2ヶ所のうちの1つです。

ラマ1世期の1783年に築造。
八角形の形状で、当時のままかは不明ですが大砲も置かれています。


裏手に回ってみましょう。


マハーカーン要塞の裏側


意外。芝生が広がっていました。


パーンファーリーラート橋と聞いて、あれ? と思われた方、
スルドイです。

実はここのすぐ目の前で、赤シャツ派の集会が行われていたんです。

4月14日にここを引き払い、ラーチャプラソン交差点の一か所に
集結するまで、この一帯は赤一色だったんでしょうね。

赤一色と言えば、例の採血された血でスローガンが書かれた垂れ幕が、
ほんの一時期、このマハーカーン要塞に掲げてあったとか…。

そしてこの裏手の芝生も、赤シャツ派が去った後は
ゴミの山と化していたんだそうです。

バンコク都が清掃をおこなったので、今ではこの写真の当時の姿に
戻っているかもしれませんね。


さて、次回こそ「城壁」です!(笑)


つづく


 
※旅は2009年7月21日(火)に行いました。



 
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