タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

プラジュン要塞

軍艦メークローン号~チャオプラヤー川河口への旅[9]

独立と自由のラマ5世像を後にして、とぼとぼと歩いて行くと、
駐車場には多くの車が。

人っ子一人いないのに、なぜ??

いぶかしく思いつつも
次の目的地に到着しました!


軍艦メークローン号博物館


軍艦メークローン号博物館

と看板にあります。

1996年に退役するまで、実に60年の長きに渡り
タイ海軍で活躍した軍艦です。

左舷に回ってみましょう。


メークローン号を左舷側から


正確に言うと、海防艦という種類の艦とのこと。


船首のガルーダ(?)


船首には、これは「ガルーダ」でしょうか。
タイ軍艦らしさが漂っています。


さて、いよいよ艦に上がってみます!

階段を上り甲板を船首のほうへ進みます。
で、振り返ってみると、


メークローン号の雄姿


おぉー!

この光景を目にした瞬間、心の中では無意識のうちに
「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲が流れ始めました。


実はそれもそのはず。

この船、日本製なのです!

浦賀船渠で造られ、三井物産経由でタイ側へ納入されました。
1937(昭和12)年のことです。そう、戦前の日本製です!

戦前の日本で建造された軍艦は、現在の日本では目にすることができません。

しかし、はるばる海を越えたタイの地で、
こんなに素晴らしい状態で保存されているんです!

改めてメークローン号の雄姿を眺めてみます。
なんとも感慨深いものがあるではないですか。


メークローン号の雄姿


そしてメークローン号の主砲が向く先は・・・


メークローン号主砲の向く先は・・・


チャオプラヤー川河口です。


113年前に2隻のフランス軍艦が遡上してきた
まさにその先に目を光らせているかのようです。


戦時中にタイ湾の哨戒に当たっていたこの艦は、戦後は海軍練習艦となり、
多くの士官候補生が代々乗り組んだのだそうです。

保存状態が素晴らしいのは、
ひとえにタイ海軍軍人にとって思い出の艦だからでしょう。


甲板上には、メークローン号の歴史を説明したパネル展示もありました。
その中には、日本語の説明文も。タイ人が書いたようです。
日本へ留学した海軍士官が書いたのかもしれませんね。

艦を下り、船尾に回ってみます。


メークローン号の船尾


船尾の光景もまた格好いいではないですか!


なんというか、こんな果ての果てで日本の面影に出会えて
嬉しく、そしてなぜか心強さを授けられたような気がしました。

感謝の気持ちでいっぱいです。


ところで・・・
さすがに空腹が限界です。

先ほどの甲板上で主砲を眺めた際に、
その右側後方に赤い屋根の建物が見えていました。
あそこはレストランらしいのです。

早速行ってみましょう!!



<交通費>
徒歩なので:0バーツ
ここまでの合計:108.5バーツ


※旅は2008年12月30日(火)に行いました。


つづく・・・


<参考文献>
『タイ国情報』第42巻第6号、日本タイ協会、2008年


軍艦メークローン号

プラジュン要塞~チャオプラヤー川河口への旅[8]

強烈な日差しを遮るものがまったくない中を歩いて
「独立と自由のラマ5世像」の前まで来ました。

独立と自由のラマ5世像


早速上ってみます!


見上げてみたラマ5世像


チュラロンコン大学と同じマーク(?)が。
ラマ5世=チュラロンコン大王ですから当然と言えば当然ですが、
ちょっと嬉しくなりました。

そして、像の後ろ側へ回って下を見下ろすと・・・ありました!


プラジュン要塞

この一帯の地名の由来となった「ポム・プラジュン」です!

正式名称は、「ポム・プラジュンジョームクラオ」
ポムは「要塞」。
プラジュンジョームクラオは、ラマ5世のもう一つのお名前。

なので、意味的には「ラマ5世要塞」となります。
でもここでは、通称に合わせて「プラジュン要塞」と呼ぶことにします。


早速下に降りて向かってみます!


プラジュン要塞入口


入口の石碑には、築造工事の遅れを見たラマ5世が
王庫の国王財産から資金を提供して
工事を急がせたということが刻まれています。


1893年完成という、この要塞の入口をくぐると、


プラジュン要塞に入ってみると意外な景色が


そこには、まるでスペインのアルハンブラ宮殿にでも
迷い込んだかのような光景が!!
(あ、行ったことないですけど。想像です 汗)

さらに進んでみます。
この先には狭いトンネルが伸びていて、


トンネルを抜けると…


暗いトンネルを抜けると…


大砲が!!


ジャーン!
巨大な大砲が現れました!!

プレーンファイファー要塞の大砲とは比べ物になりません!

イギリス製のアームストロング砲というんだそうです。
当時最新式でタイに輸入された10門のうち7門が
ここ、プラジュン要塞に配備されたんだとか。


アームストロング砲


この大砲、実は実戦で使われた歴史があるのです。
時は要塞の完成と同年の1893年7月13日夕刻。

チャオプラヤー川を遡上しようとしたフランス軍艦2隻との間で
砲撃をし合いました。プラジュン要塞は全門で総攻撃をかけて
フランス軍艦に損害を与えたのです。

しかし遡上を食い止めることはできず…。
いわゆる「パークナム事件」です。
タイでは「ラッタナコーシン暦112年危機」と呼ばれています。

この結果、タイは多くの領土をフランスに割譲することになります。
しかしその代りに独立と自由は守ったのです。

ラマ5世像の名の由来は、そこから来ているのでしょう。


そんな歴史的な活躍をした大砲の横のはしごを昇って
外に出てみます。


大砲はこんなトーチカ内にあります


こんなトーチカの中に大砲は収められているんですね。


歴史的価値のある要塞を興奮とともに十分に満喫できました。
個人的なことですが、パークナム事件は私の修士論文でもちょっと触れたので、
この地に来ることができ、とても感慨深いです。


さて、次に進みましょう。
もう一度ラマ5世像に上って確認します。


次に向かう場所は、あそこです!


次はあそこ!!



<交通費>
徒歩なので:0バーツ
ここまでの合計:108.5バーツ


※旅は2008年12月30日(火)に行いました。


つづく・・・


ラマ5世像とプラジュン要塞

プラサムット・ジェーディー~チャオプラヤー川河口への旅[7]

まずは取り敢えず、ここプラサムット・ジェーディーの見物でもしますか。
せっかく来たことですし。

バスを降りた目の前には
ワット・プラサムット・ジェーディーが。

その敷地の一番端のほうに、
この地名の由来となったジェーディー(仏塔)の
プラサムット・ジェーディーが建っていました。


プラサムット・ジェーディー


サムット・プラーカーンの町を建設したラマ2世が、1819年にこの地へ行幸された際、
チャオプラヤー川の小島にジェーディーの建立を指示したことが始まり。
「プラサムット・ジェーディー」と名付けたのも、ラマ2世です。

その後ラマ3世が完成させ、
1859年にラマ5世が元のジェーディーを覆うかたちで
高く作り直して現在の姿になったのだとか。

サムット・プラーカーン県の県章は、このジェーディーになっています。

・・・と、帰ってから知りました(笑)


プラサムット・ジェーシーのすぐ横はチャオプラヤー川


時代が下って、小島は陸地につながりましたが、
今でもジェーディーの横にはチャオプラヤー川の流れがあります。


しかし日差しが強いです!
首がジリジリと焼かれているのが分かるほど。
先を急ぎますか。

ここでもポム・プラジュン行きの20番バスは見当たらず。
ならソンテオはどうか、とちょっと探したものの見つかりません。

時刻は12:10。さすがに腹減りました…。

一応スックサワット通りまで戻ってみようかと、
20番バスに乗り、ジェーディー三叉路で下車。

そこでもやはりソンテオも見当たりません。
こうなれば最後の手段。
客待ちで停まっていたトゥクトゥクを使うことに。

ポム・プラジュンに行けますか?

「観光?」

はい。いくらですか?

「60」

12:20に乗車したトゥクトゥクは、
ほぼまっすぐなスックサワット通りを疾走!


トゥクトゥクで「ポム・プラジュン」へ!


しばらく行くと、いきなり検問が出現。
そこから先は、なんと海軍の管理するゾーンなのです。

一応パスポートを持参したのですが、トゥクトゥクは速度を緩めただけでそのまま通過。
でも外へ出る乗用車が、トランクを開けてチェックされているのが見えました。

運転手がなぜ「観光?」と尋ねてきたかというと、
観光か海軍施設に用事があるかで行き先が違うからなんでしょうね。

ということで、無事に海軍の管理ゾーンに入ったトゥクトゥクは、
何度か道を曲がった後、おもむろに停車。

「ローハー」

ポツリとそれだけ言って、運転手さんは右手を伸ばし指差しました。
その先には銅像が見えます。

ローハー?

あ、ロー5 → ラッチャカーン・ティー・5
ラマ5世か!

60バーツを払い、トゥクトゥクが去って行きます。

鳥のさえずりしか聞こえない静寂と強烈な日差しの中、
ポツンと一人残された現実に、正直多少の不安が襲いました。

まあ、なんとかなるだろう!

気を取り直し、早速見物を始めることに。


「ローハー」こと独立と平和のラマ5世像の前

看板のタイ語は、日本語にあえて訳すなら
「独立と自由のラマ5世像」って感じでしょうか。

像のところまで歩いてみましょう!
時刻は12:35。



<交通費>
20番エアコンバス:11バーツ
トゥクトゥク   :60バーツ
ここまでの合計  :108.5バーツ


※旅は2008年12月30日(火)に行いました。


つづく・・・



プラサムット・ジェーディー~ポム・プラジュン

 
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