タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ピモンラート

さよならバーンカーイ3 バーンブアトーン再び![16]

Ban Kluai - Sai Noi通り沿いに出たところのサーラー(あずま屋)で
待っていると、やってきたのはソンテオでした。

ロッ・トゥーとで先に来たほうに乗ろうと決めていたので、
ソンテオに迷わず乗車!

さようなら、バーンカーイ3
たぶんまた来ます~。

時刻は14:02。


このソンテオはサイノーイバーンブアトーン市場を結ぶ路線。

ちなみにロッ・トゥーは、バーンブアトーン4という、
Ban Kluai - Sai Noi通り途中の南側に広がる巨大ムーバーン(住宅街)
PATAピンクラオを結んでいるみたいです。

車窓がすぐに賑やかになってきました。
商店が立ち並んでます。なんだ、賑やかな所まであとちょっとだったんだ。

などと思っていたら、左折して大通りに出て停車。


カーンチャナーピセーク通りに出たソンテオ


あれ!? もうカーンチャナーピセーク通りなんだ!!
ということは、バーンカーイ3って、この大通りを折れてわりとすぐなんですね。


ここで運賃徴収。
10バーツなり。


出発したソンテオは、カーンチャナーピセーク通りのアンダーパスをUターンして、
反対側の路地に入ります。くねくね走るもんだから方向感覚を失っていると、
最後に左折して停車。そこでみんな下車します。

おぉ、終点のバーンブアトーン市場か!


バーンブアトーン市場に着いたソンテオ


時刻は14:15。

ソンテオを見送り、ひとまず表通りに出てみました。
すると・・・なんだアレは!?


バーンブアトーンのシンボル?


そこには、ニョッキリと聳え立つタワーが。

前回来た時には気付きませんでしたが、以前からあったんでしょうか???
バーンブアトーンのシンボルなんでしょうねきっと…。


さて、せっかくだからバーンブアトーン市場の中を歩いてみますか。


右側の一角がバーンブアトーン市場


右側の一帯すべてがバーンブアトーン市場のようです。





<交通費>
ソンテオ:10バーツ
ここまでの合計:167バーツ


※旅は2009年10月31日(土)に行いました。


つづく


バーンカーイ3~バーンブアトーン市場



ピモンラート水上マーケット見つからず バーンブアトーン再び![15]

プラピモンラーチャー運河沿いの遊歩道が行き止まりだったので、
少々戻り、「モスク入り口」との看板が立ったソイを曲がってみました。


すると、前に立ちはだかる犬。

げっ…。まぁ、普通に歩いて過ぎれば噛まれることはないだろう。
そう思って近づくと、


「メエェェェ~」


えっ、イヌじゃなかったの? ヤギっすか!?



犬、じゃなくてヤギ!


噛むどころか、そそくさと脇へ逃げて行きました・・・。
その先へ目をやると何頭もいるではないですか。

ヤギが放し飼いとは、なんともまー。


そのすぐ先にモスクがありました。


モスク


左に建っているのがそうです。
なんだか「モスク」からイメージするのとはかけはなれた
意外な外観ですよね。


強い日差しを真正面から受けながらソイを歩き、
またもやBan Kluai - Sai noi通りに出ます。

空腹と疲労で足取りが重くなってきました。
すると、ガソリンスタンドに併設されたクイッティアオ屋を発見!

もうここしかないでしょう。
椅子に腰を下ろすと、ちょうど13:00。

ごくフツーの味のクイッティアオでしたが、一気に平らげました(笑)
少し元気になったところで、お店の女性に尋ねてみることに。

ピモンラート水上マーケットってどこにあるんですか?

「看板は見たことあるけど・・・。ねぇ! ピモンラート水上マーケットはどこ?」

女性はガソリンスタンドのおばちゃんに大声で尋ねます。

「? 聞いたことないね。水上マーケットはサイノーイの1か所だけだよ」

あちゃー。
地元民でも知らない水上マーケットって一体何なんだ!?


仕方無い。
店を後にして、もう一度運河に出てみることにしました。
今度は下流の東側を歩いてみよう…。

ピモンラート町役場のあるソイを入り、役場を過ぎて
再びプラピモンラーチャー運河に出ます。


プラピモンラーチャー運河


しばらく運河沿いを歩いてみましたが・・・
やっぱりピモンラート水上マーケットは、ありません(T T)

おかしいなー。いったいどこにあるんだ~!!


諦めます。

またテキトーにソイに入って、通りまで出ました。

角にあるサーラー(あずま屋)でひと休み。


Ban Kluai - Sai Noi通り沿いのサーラー


ゴォーンというお寺の鐘の音が聞こえてきました。
きっとあの中国寺院でしょう。

さて、ソンテオにしろロットゥーにしろ、
今度来たほうに乗ろう。

そう心に決めて待っていると、ほどなくしてやって来ました…。





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:157バーツ


※旅は2009年10月31日(土)に行いました。


つづく


モスク~ピモンラート町役場~サーラー



バーン・カーイ3を歩く バーンブアトーン再び![13]

ようやく辿り着いたバーン・カーイ3の看板を
まじまじと眺めます。


バーン・カーイ3の看板


かつてこの地にあり、終戦直後に約1年間日本人を収容した
バーンブアトーン収容所について書かれた本は、
研究書も含めてあまり多くないようです。

タイの東京堂書店発行の『瀬戸正夫の人生(上)・(下)』瀬戸正夫著に
バーンブアトーン収容所での生活が記されていますが、ほぼ絶版状態。
私も辛うじて下巻を入手できただけです。


あとは、どこで読んだのか失念しましたが、
女優の浅丘ルリ子さんが「バーンバトーン」に子どもの頃いたと
答えている記事を読んだことがあります。

時期・期間から考えてもこの収容所にいらっしゃったことは間違いないでしょう。

その浅丘ルリ子さんの半生を綴った本、

 

 『RURIKO』 林真理子、角川書店 税込1,575円

には、満州での生活には紙幅を割いているのに、
なぜかタイ滞在時の記述はほんの数ページ。

バーンブアトーン収容所については勿論、タイから引き揚げる際の描写も一切なく、
いきなり東京に飛んでいます。


研究書では、早稲田大学アジア太平洋研究センター発行の
『アジア太平洋討究』創刊号(2000年)に掲載された、
「日タイ関係 1945-1952年 -在タイ日本人及び在タイ日本資産の戦後処理を中心に-」
村嶋英治、という論文が、経緯を詳細に掘り起こしています。


タイ語書籍では、
『タイ・日交流120年:東アジアと東南アジア(1887-2007)』との
日本語の副題のついたこの本掲載の論文の一つで、収容所のことが
当時の写真付きで触れられています。

その写真の一つに、ドラム缶を大きくしたような給水塔のまわりで
人々が作業している当時の様子の写真があります。

そしてその注釈には、
「現在も残るバーンブアトーン収容所のものは、古い給水塔」と。

本当に残っているんでしょうか?
現在の写真があわせて掲載されているワケでもないので、
どうも信憑性がありません。

ただ、もし残っていたらなぁ、という淡い期待を抱いて
ここに来たのは事実なんですが・・・。

歩きがてらあたりを見回しつつ捜してみますか。


ピモンラート2の売店の兄ちゃんによると、
バーン・カーイ3は広くてムーバーン(住宅街)がいくつもあるとのこと。

どこからどこまでがバーン・カーイ3か分かりませんが、
恐らく100mほど西にある先ほどの中国寺院の建ってるところも
バーン・カーイ3なんでしょう。


看板の向かいのソイを北上してプラピモンラーチャー運河まで
出てみることにしました。


バーンカーイ3の看板向かいのソイ


辺りには人家やムーバーンがところどころある以外は、
ほとんどが草地・藪・林です。


藪・・・


この背の高い藪を見て、遺構探しの期待は、
早くもしぼんでしまいました(汗)

例え何か残っていても、こんな藪の中から見つけ出すのは
至難の業です。気の遠くなるような広さですし・・・。


ソイを奥まで進んで振り返ってみました。


バーン・カーイ3付近


日差しを遮るものがないので、暑いです(汗)


奥にあった人家の表札を見ると、
明らかにムスリムな名前が書かれていました。

やっぱりこの辺りにはイスラム教徒が多いようですね。


ようやく、プラピモンラーチャー運河に出ました。


プラピモンラーチャー運河


うわ~っ!!
なんてのどかで素晴らしい景色なんだー!!


取り敢えずピモンラート町役場方面を目指して、
運河沿いの遊歩道をてくてくと歩き始めました。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:157バーツ


※旅は2009年10月31日(土)に行いました。


つづく


バーンカーイ3看板~プラピモンラーチャー運河



バーン・カーイ3到達! バーンブアトーン再び![12]

「次はどこだ?」

中国寺院の前でトゥクトゥクのエンジンをふかしながら
パナマ帽が仏頂面で聞いてきました。

セブンイレブンの前で降ります。


「さっきのセブンイレブンか!?」

パナマ帽は、ちょっと驚いた顔をしてミラー越しにこちらを見ると、
すぐに察したのか、また仏頂面に戻ってトゥクトゥクを走らせました。


もうこの人に頼っていたのでは、残念ながら目的地に辿り着けません。
さっきの売店の兄ちゃんのところへ戻ろう。
そう決心したのでした・・・。


セブンイレブン前到着。


いくらですか?

「40バーツ」

ありがとうございました!
さっさと20バーツ札2枚を渡して、セブンイレブンの中へと。

取り敢えずスナック菓子を買って外に出ると、
パナマ帽のトゥクトゥクは去った後でした。

よかった~。うまく巻けたぞ。
根はいい人なんだと思います。すみませんねぇ。


道を渡ってさっきの売店の兄ちゃんのところへ。

すみません! もう一度助けてください!!
モーターサイに乗って、バーン・カーイ3へ行きたいんですが。


兄ちゃんはモーターサイの親分格らしき人に道を説明してくれました。
なんとモーターサイ運転手たちは、誰一人として「バーン・カーイ3」
という地名を知らなかったんです。

実は話を省略しましたが、道中数か所でバーン・カーイ3
バーンブアトーン収容所のことを尋ねたのですが、知っている人は無し。
唯一知っていたのが、この売店の兄ちゃんなのです。


モーターサイの親分は納得した様子。横で聞いていた一番若そうな子分格に、

「分かったか? 行けるか?」

と尋ねると、子分くんは頷いてバイクに跨るよう私に促しました。


再度兄ちゃんにお礼を言って、いざスタート!!


子分くんは優しそうな青年。
モーターサイに乗り慣れてない私に、
片手で自分の腰に掴まるようにと言ってくれました。


先ほどの中国寺院を過ぎてすぐ、子分くんは道脇の看板を覗きこみ

「あれだよ」

と。

あーっ 本当だ!!!!


看板脇に止めてくれたバイクを降り、代金20バーツを渡します。

ここには、ロッ・トゥーかソンテオの路線がありますか?

「ロッ・トゥーはPATAピンクラオまで、
 ソンテオはバーンブアトーンの市場まで行ってるよ。」

ありがとうございます! これで帰りも安心です!!


モーターサイを見送った私は、早速デジカメを取り出し
その青い看板を夢中で撮影しました。


バーン・カーイ3の看板


 バーン・カーイ3
 ムー4 ピモンラート町 バーンブアトーン郡 ノンタブリー県



はっきりと書かれています。

バーン・カーイ3とは、「第3キャンプ集落」の意味。

終戦直後に日本人が収容されていたバーンブアトーン収容所は、
第1~3のキャンプに分かれていました。
そのうちの「第3キャンプ」があったのが、この地に間違いありません。


ようやく辿り着いたなぁ。
どうなることかと思ったけど、なんとか到達できて本当に良かった・・・。





<交通費>
トゥクトゥク:40バーツ
モーターサイ:20バーツ
ここまでの合計:157バーツ


※旅は2009年10月31日(土)に行いました。


つづく



ピモンラート2~バーン・カーイ3



なぜか中国寺院へ バーンブアトーン再び![11]

トゥクトゥク運転手、名付けて「パナマ帽」は、
ここがピモンラートだ。ほら、目的地に着いたぞ、とでも言いたげな顔。

60バーツを払うと、

「写真撮るなら撮ってな。オレは飲み物買ってくる」

と向かいのセブンイレブン(こんなド田舎にもあってビックリ)に
消えて行きました。

センブンイレブンの横には、ピモンラート1との大きな看板のあるソイが。


ピモンラート1


奥はきっとムーバーンになってるんでしょう。


私も喉が渇いたので、目の前の売店でミネラル・ウォーターを購入。
ついでにお店の兄ちゃんに聞いてみました。

「バーン・カーイ3? あぁ、正式な住所ではなく地元住民が呼んでいる通称だよ。
 でもこの先に青い看板が立ってたなぁ。」

あ、そこでいいです!


「モーターサイに説明してあげようか。」

そう言って向かいのモーターサイの詰め所を指差しました。

いえ、トゥクトゥクで来てるんです。

「なら運転手に説明してあげるよ。でも今では日本人収容所の建物や遺構は
 何も残っていない。全て壊されて整地されてるよ。」

あー、やっぱりそうなんだ。
でも看板が見れれば十分です!


そうこうしているうちにパナマ帽が戻ってきました。M150片手に(笑)

早速店の兄ちゃんが道を説明し始めてくれました。

「この先、ピモンラート郡役所のソイを過ぎてしばらく行くと
 中国寺院がある。バーン・カーイ3は・・・」

するとパナマ帽は、話を遮って
「彼はバーン・カーイ3だのピモンラート水上マーケットだのに
 行きたいって言うんだ。そんな水上マーケット無いって言ってるのに。」

「ピモンラート水上マーケット? それならさらに先へ行って・・・」

「あー分かった分かった。とにかくピモンラート郡役所まで行って
 また聞いてみるさ。」


はぁ!? この兄ちゃんが親切に道案内してくれてるのに何だよ~。
話を遮らずにもっとちゃんと聞いとけば二度手間にならないのに!

他の人に私が道を尋ねたということが、きっとパナマ帽のプライドを傷つけて
しまったんでしょうね。でもやっぱり目的地到達が最優先なのですよぉ。

説明をほとんど聞く耳持たずで、そのまま出発してしまいました・・・。


しばらくして「ピモンラート郡役所」の看板があるソイに到着。
入り口の警察署(?)でパナマ帽は尋ねます。

「中国寺院はどこ?」

あれ???? 勝手に行き先を変更してる~!(笑)

道案内どおりにしばらく進んで、その中国寺院に到着。

「着いたぞ。写真撮るか?」


せっかく来たんだし、取り敢えず撮っとくか。
はぁ~・・・(汗)


ピモンラートの中国寺院


徳濟宮

門にはそう書かれてます。


「次はどこだ?」


だーかーらー(汗)

これじゃぁ辿り着けないぞ~!!





<交通費>
トゥクトゥク:60バーツ
ここまでの合計:97バーツ


※旅は2009年10月31日(土)に行いました。


つづく


ピモンラート2~中国寺院



 
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