タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

バーンポーン

ポーターラーム名物「黒豆腐」 ラーチャブリーへの旅[8]

バーンポーンを11:24に出発したソンテオは、
先ほど立ち寄ったワット・ドーントゥームの前を通過し、
コークモー交差点を右折して国道323号線へ。

さらに右折して国道4号線に入り南へと下って行きます。


途中で集金。20バーツ也。

線路を渡ったなと思ったら左折してごちゃごちゃした市街地を
くねくねと走り抜け、広めな通りで停車。

終点ポーターラームに到着!


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時刻は、12:19。ほぼ1時間ですね。

さーてと。
周囲を見回します。


08_02


左手にはここにも時計塔が。
さらに左にはメークローン川が流れています。後で見に行きましょう。

この町もまたメークローン川伝いに華僑が住み着いて栄えた町っぽいですね。


この写真の右手、東へと続く細い路地に入りますか。


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奥に進むと両側には古い木造家屋が建ち並び、中国廟もあります。
なんでこんな路地に入りこんだかと言うと…


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あったあった! ここだ!

「レック母さん黒豆腐店(元祖)」

そう看板にあります。
ポーターラーム名物なんだそうで。

早速店を覗き込むと、大きな鍋の中にその黒豆腐が~。
写真を撮ってもいいか尋ねると、奥にもっとあるから好きに写真撮っていいよと。

ではお言葉に甘えて ^_^;)


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豆腐を黒いスープで煮込んで味付けしたものが「黒豆腐」(タウフー・ダム)なんですね!
炭火なのがいい感じです ^^


08_06


味がしっかり滲み込んでて、これは美味しそう。

沢山買ってもしょうがないので1切れだけお願いすると
すぐに食べられるように一口サイズに切ってくれた上にビニール袋に入れて、
フォークまで付けてくれました。

35バーツ也。

店には女性が2人。
端でじっと座ったままニコニコしているおばあさんがレック母さんですね。
写真と顔が同じなのですぐに分かりました ^^

お礼を言って店を後にします。


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レック母さん黒豆腐店を振り返りつつ、そのまま路地を
メークローン川から離れる感じで東へと歩きます。


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この失礼ながら今にも崩れそうな商店、2階のベランダ屋根の裏に穴が空いてて
ハトが出入りしてたんですよ。ツバメだったら大儲けできたのに(笑)

ほどなくしてちょっとした広場に出ました。
向かいに建つのは、


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国鉄ポーターラーム駅
予想どおり過ぎるほど小さな駅です。

中に入りましょう~。


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シメシメ。いい具合にベンチがあるではないですか。
早速黒豆腐の味見といきましょう!


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熱くてほくほくで美味しい!
中まで味が滲みてますよ。

この味はなんて表現したらいいものか。
似た味の食べ物が思いつかないですね。

でも中華系の味付けなのは確か。
八角が入ってるのかな? そういう香辛料系の味がしますが、
かと言ってクセがあるわけではなく、誰の口にも合いそうな味です。

バンコクでも売ってくれたらいいのに~。





<交通費>
ソンテオ:20バーツ
ここまでの合計:63.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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バーンポーン名物イェンターフォー屋 ラーチャブリーへの旅[7]

時計塔の交差点に南から向かう通り沿いで立ち寄ったのはこの店。


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「カンヤー」というタイ・スイーツの店です。

店名の下に「タイ・スイーツの伝統を守り続けて50余年」とあるとおり、
バーンポーンの町で有名な老舗のようで。

店に近付いてみますか。


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意外過ぎるほど店は簡素なつくり。
てっきり冷房の効いた店内にスイーツが並んでいるのかと ^_^;)
販売スタイルも昔ながらの伝統を守っているって感じなんですね。

で、どんなものを売ってるのかな?


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そんなに扱っている商品の数も豊富ではないんですよね。
でも、この右側のはタロイモ・チップスじゃないですか!

バンコク・タナーオ通りジェー・ニー・プアック・ヒマ
プアック・ヒマ(雪タロイモ)を彷彿とさせますね。

よしっ、これ買ってみましょう!

帰ってから食べたら、プアック・ヒマよりも素朴な味ですが、
より薄くスライスしてあるので食感が良かったです!


通りを再び歩き、時計塔まで来ました。
ここで左折して西へと伸びる通りを歩いてみます。

左手の木造長屋の一角にありました!

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恐らくバーンポーンの町で一番有名な食堂、
イェンターフォー・ジェー・ムアイです。

その名のとおり、イェンターフォーで有名だとか。
時刻はちょうど11:00。ここでちょっと早めのランチとしましょう!


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有名なわりには店内は結構狭いです。
店を切り盛りする女性二人も仏頂面で、中華系度満点 ^_^;)

じゃ、なんでそんなに有名なのかですが…
来ました、イェンターフォー!

07_06


見てください、この具沢山!
大きな具がゴロゴロと入ってます。これ、全部店の自家製なんだそうで。

その具がどれもいい味なんですよ~。
イェンターフォーのスープもやや濃い目で私にはちょうど良い味。

人気があるだけありますね。確かに美味しい!

オーリアン(タイ式アイスコーヒー)も頼んで、合計45バーツ也。
バーンポーンへ来たら、ぜひ立ち寄られることをオススメします。


さーて、旅を続行するとしますか。

店から再び時計塔まで戻ります。
昼近くになって暑さが増してきましたね…。


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バーンポーンの町を歩いて気付いたことが。
バス、ロッ・トゥー、ソンテオは時計塔周辺に発着場所が集まっているんです。

乗り替えが便利で、旅行者にももちろんいいことですね。

で、そこに集うバスやソンテオがなんともカワイイ!(笑)
一挙公開といきましょう。


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ノーンタークヤー行きソンテオ。
バーンポーンの真西、カンチャナブリー県南部まで行くようで。

ちなみに後ろに見えるのは、ナコーンパトム行きのバス。


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ラーチャブリー行きバス。
派手派手な塗装ですが、フォルムがカワイくないですか?(笑)
次はこれに乗ろうかなぁ。


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ラーチャブリー発、バーンポーン経由、カンチャナブリー行きらしいバス。
どうもラーチャブリー絡みはバスもソンテオも黄色い塗装が目に付きますね。


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カンチャナブリー行きソンテオ。
この写真では不鮮明ですが、前のナンバープレート上に
花束が飾られているんですよ。こんなソンテオは初めて見ました ^^

しかしカンチャナブリーまで約50km。
ソンテオで揺られていくのはちとキツそうですねぇ。


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で、これ。さっき乗ったポーターラーム行きソンテオ。
カワイさに惹かれてしまったので、これに乗ることに決定!

ってのは冗談ですが(笑)、せっかくここまで来たのにラーチャブリーまで
真っ直ぐ行ってしまうのも勿体無いので、途中で寄り道をしようという魂胆です。


乗り込もうとするとおじさんに声をかけられました。
「どこへ行くの?」

ポーターラームです。

「これは途中止まりだから、あっちのに乗りなさい。」

えっ、そうなんだ。

指を差された方を見ると、ちょうど次の便がやって来たところ。


07_13


うわぁ、このいすゞ・エルフ、子どもの頃によく走ってましたよね。
懐かしいなー。

乗り込んでしばらく待ってから発車。
時刻は11:24。






<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:53.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)



つづく


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バーンポーン散策 ラーチャブリーへの旅[6]

バーンポーンのシンボル、時計塔まで歩いてきました。


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交差点の真ん中に立っています。
雰囲気的にここを中心に商業地区が広がっている感じ。

町並みには日本で言うなら昭和50年代っぽい建物が多い気がします ^_^;)


時計塔の交差点を左、東へ曲がって国鉄駅方面へ歩きます。
日差しがジリジリと暑いので、なるべく日陰を選びつつ…。

右手にはこんな建物が。


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きっと元映画館ですよね。今はバイク店になっています。
で、入り口の両側には小規模な服屋などが。
お客さん全くいないけど大丈夫でしょうか…。


道の突き当たりに到達。正面の風景はこんなです。


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木で隠れている上に大きな看板も無いので知らなければ気付かないこと間違いなし。
ここが国鉄バーンポーン駅です。

構内に入るとこんな感じ。


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戦時中は、マレー半島(多くはシンガポール)から大勢の連合国軍捕虜が
列車でこの駅に運ばれてきたんですよね。
まぁ、ホームではなくて引き込み線で降ろされたのかもしれませんが。


バーンポーン駅を出て駅前を眺めます。


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本物と見紛う出来栄えの象の像(ダジャレではなく… -_-;)


来た道を戻らず、左の路地に入ってメークローン川方面へ行ってみましょう~。
川が近付くにつれて、古い建物が目立ち始めます。


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やはり多くの町と同じく、海を渡って来た華僑が川づたいに遡上して、
川べりに定住したことから栄え始めた町なんでしょうかね。


メークローン川に出ました!


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土手が自然のままっぽい感じでいいですね!
戦時中は日本軍が船着き場を建設していたらしいですが、
さすがに跡かたも無くなっている雰囲気。

ちなみにメークローン川は上流でクウェー・ヤイ川と名を変えます。
カンチャナブリーの「戦場にかける橋」はこの川に架かってるんです。


川へと下りる階段を見下ろすと…


06_08


おじいさんは川へ洗濯に ^_^;)


ところでここに来てからなぜか洗剤の臭いがかなりキツく匂うんですが…。


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見渡すと、どうしたことか洗濯物が沢山干されていて…。
写真の箇所だけでなく、あたりに広く干されているんですよ。
うーん、雰囲気ぶち壊しです(笑)

おじいさんのように川で洗濯した人たちが干してるってこと?

まぁなんというか、今でもある意味、生活に根差した川なんですね、
メークローン川って ^_^;)


川沿いをさらに歩くと中国寺院が。


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「富貴亭」と。

ん? 寺院じゃないのかな?
ま、いっか。


その先で急に雰囲気が賑やかになりました。


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ここが市場なのか!
この路地の先と、途中で右に分かれる路地に生鮮食品を扱う露店が並んでいます。
そこそこ活気があって見ていると楽しくなりますね。


市場ゾーンを抜けると路地は通りに突き当たって終わり。
その通りを右、北へと歩きます。


06_12


正面遠くに細い時計塔が見えるのが分かりますか?
またあそこに戻りますか。

でもその前にこの通り沿いに寄りたい店があるんですよ。
どこかなー。





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:53.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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バーンポーン事件の地ワット・ドーントゥーム ラーチャブリーへの旅[5]

まだまだ歩き続けますよ~。


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綺麗に整備された道をひたすら西へ。
8分ほどするとお寺の前に到着しました。


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ワット・ドーントゥーム

ここだここだ!

時刻は、10:04。
ノーンプラードゥック駅から39分歩いたのか~。
我ながら炎天下に無茶やってます(笑)


中に入ってみましょう!


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ワット・ドーン・トゥームの敷地内には学校も併設されていて、
緑の芝が綺麗な校庭が左手に広がっています。

実は、かつてこの校庭とワット・ドーントゥーム周辺には、
泰緬鉄道建設用に日本軍兵舎と捕虜収容所が建っていたんです。
合わせて13棟が建ち並んでいたようで。

1942年6月23日には、マレー半島から鉄道で運ばれてきた
連合国軍捕虜第一陣700名がバーンポーン駅に到着し、
ワット・ドーントゥーム周辺の施設に移されています。

その後どんどん鉄道で到着し、6月30日時点では3,175名だったと
タイ側資料に残されているとか。

最終的に泰緬鉄道建設に送り込まれた連合国軍捕虜の数は6万人余りに
のぼったんですけどね。


そんな中の同年12月18日、ある事件がまさにこのワット・ドーントゥームで起きました。
資料によりディテールが微妙に違うので、おおまかな流れを解説しておきます。


夕方5時頃、ナコーンパトムからワット・ドーントゥーム住職を訪ねてきた
37歳の沙弥(見習い僧)が道端で白人捕虜からタバコをくれるように頼まれます。

沙弥が応じてタバコを捕虜に渡したところ、目撃した日本兵が沙弥の顔面を3発殴り
沙弥は地面に倒れてしまいました。

ワット・ドーントゥームの住職は不在でしたが、寺の講堂に寝泊まりしている
日本軍に雇われたタイ人労働者たちに経緯を話したところ、労働者20名とともに
日本人通訳の元へ抗議に行くことに。

日本人通訳は上官には明日連絡するから今晩はひとまず戻るようにと伝えます。

講堂に戻ると、どうしたことか夜7時過ぎに日本兵がやって来て、
労働者が逃げ惑う中発砲したのです。
タイ人労働者側もスコップやクワで応戦し、双方に死傷者が出る事態に。
日本軍上官とバーンポーン警察署長、郡長が駆けつけてようやく沈静化しました。

しかしです。夜中になって日本軍はバーンポーン警察署に押しかけ、
双方で銃撃戦になります。日本軍は機関銃の掃射までしたんだとか。
これでまた双方に死傷者が出てしまいます。


この事件、そもそもは日本兵が沙弥を殴ったことが発端です。
見習いとはいえ「僧」に手を上げた行為が敬虔な仏教徒の多いタイ人には
仏教への冒涜と映ってしまいました。

さらに顔へのビンタや殴打は、当時の日本とくに軍隊内では日常茶飯事に
行われていたようですが、タイでは顔を殴るなど侮辱もいいところ。

そんな文化への不理解が発端となり、最終的には日タイの外交問題にまで
発展する事件となってしまいました。43年7月の東条英機首相訪タイ時にも
ピブーン首相との間でこの件も話し合われたことでしょう。

タイの軍事裁判でこの沙弥には死刑求刑に対して終身刑の判決が出される結果に。

日本側はタイ側に賠償金を支払わせますが、そのままそっくり寄付として
タイへ戻されることで決着が付けられました。お互いの顔を立てたかたちですね。

その後、タイ駐留日本軍内ではタイの文化・習慣へ理解を深めるための
小冊子が配布されたそうです…。


そんな事件の舞台になったとは信じられないほど
今のワット・ドーントゥームは静寂そのもの。

実は日本軍がいたことを記した碑か何かがあるんじゃないかと思い
境内を探してみたのですが、結局見つからず終いでした。


が、しかし!


帰国後に珍しく日本語でも情報を探していて、
「バンポンの日本人慰霊碑と日本軍の遺品を探して・・・(タイ)」なるサイトを
発見したのですが、それによると日本人慰霊碑が境内に建っているとか!
1991年に建てられた新しい碑らしいですが。

言われてみると確かにこの碑を見かけたんですよ。
私はてっきりお墓かと思って、気味悪がって避けて歩いたんですが…。

この写真では分かりにくいですが、


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本堂の右脇、木の奥に灰色の慰霊碑が確かに建っていました。


さらに、です。併設の学校図書館には、日本軍のヘルメットが保管されているそうで!
知っていればダメモトで見学できないか交渉したものを。

またしても私の詰めの甘さが出てしまいました -_-;)


この時はそんなことなどつゆ知らず、私はワット・ドーントゥームを後にしました。

ワット・ドーントゥームを出たところでバーンポーン行きソンテオを待ちます。
すると、ものの3,4分でやって来ました。なんとラッキー!


05_05


乗り込みます。
時刻は、10:15。

お客さんは3,4人で女性ばかり…。

しばらく走ったところで線路を渡りました。
今のが西線(ナムトック線)ですね。

この路線ですがタイ語のサイトを見る限りでは「西線」が正式名称っぽいですね。
「ナムトック線」は愛称なのかな?


線路を渡ってから道なりに左にカーブしたソンテオは
やや賑やかな町並みのところで停車。どうやら終点みたいです。

下車して運転手さんに運賃10バーツを支払い。
時刻は、10:20。


なんとなく道路を反対側に渡って、バーンポーンの町の中心方向を眺めます。


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左手前方に乗ってきたソンテオが停まってますね。
もっと前方の中央には、町のシンボルになっている時計塔が聳えているのが見えます。

あそこまで歩いて行きましょう!






<交通費>
歩いただけなので:10バーツ
ここまでの合計:53.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

<参考>
『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年
『父が語ったバーンポーン』(タイ語)
「バーンポーン警察と日本軍の抗争」『ラーチャブリー研究』(タイ語)


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