タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

バーンブアトーン線

バーンブアトーン線跡 パトゥムターニーで夢の跡探し[6]

バーンブアトーン線廃線跡をもう少し辿ってみます。

このまままっすく南へ歩ければいいんですが、
この先は途切れて田んぼになっちゃってます。


なので一旦元のテーッサバーン6通りに出て南へ歩き、
再び右に入れる路地を探すことに。


しばし歩いて路地発見。
でも入口に犬が・・・(汗)

刺激しないようにのっそりと歩き、横を通り過ぎることに成功!


田んぼの中に伸びる農道を廃線跡目指して進みます。


よし、ここだ!


バーンブアトーン線跡


iPhoneを使ってグーグル・マップの航空写真で見ると、ほんとに真っ直ぐですよね。


まずは北側。


バーンブアトーン線跡


そして南側。


バーンブアトーン線跡


しかし何にも無いところに豪快に敷いたもんですねー。
現代でさえ一面の田んぼなんですから、開通当時ってどんなだったんでしょうか?
お客さんもいたのか心配になります。


そうそう、ラヘーン運河市場バーンブアトーン線終着駅の駅前市場として
生まれたそうなので、それを考えるとそこそこお客さんがいたんでしょうね。


このバーンブアトーン線、最初は良かったのですが、車両の老朽化のためでしょうか、
そのうち途中で立ち往生することが頻発し、利用客が離れていったんだそうです。

そこに1937年、車両同士が衝突し運転士が亡くなる事故が発生。
賠償の負担で経営が厳しくなります。

そして1940年、燃料を購入していたシェルやエッソがタイから撤退。
日本軍のタイ進駐は翌年末ですから、なぜこの時期に撤退したのかナゾですが。
同社は燃料を内務省燃料局から買うしかなくなりました。きっと高かったんでしょう。


1942年7月16日、バーンブアトーン線廃止を発表。

線路は直ちに撤去されたようです。

保有車両のうち蒸気機関車は、ウッタラディット県の砂糖工場に売却され、
砂糖キビ運搬用に使われました。

今でも工場敷地内に静態保存されているようですよ。
こちらのサイトにある蒸気機関車の写真のうち、
上のほうがバーンブアトーン線から来た機関車。

ちなみに下のやや大きなほうは、パークナム線で使われていた機関車だそうです。


廃線跡をずっと辿ってみたくもありますが、まぁこの目で見れただけで
取り敢えず満足するとしますか。農道を戻りましょう。

すると農道を向こうから自転車に乗ったおじさんがやって来ます。

ヤバイ。怒られるかな(汗)
歩きながら満面の笑みで目を合わせてみます。

するとおじさんもニコニコ顔で
「何してるんだい?」

写真を撮ってました ^^


そのまますれ違います。
ふぅ~っ。良かった。ちょっと焦りました。


元のテーッサバーン6通りに出て国道346号線のほうへと。

346号線手前にはこんな学校が建っています。


ワット・ブアケーオカセート学校


ワット・ブアケーオカセート学校(ウォーラポンアヌクーン)
とあります。

ウォーラポン・・・バーンブアトーン線創業者の
チャオプラヤー・ウォーラポンピパットの名が冠してあります。

実は、この学校にラヘーン駅で使用していた鐘を
チャオプラヤー・ウォーラポンピパットが寄贈したのだそうです。

噂では、授業のチャイム代わりに今でもその鐘が鳴らされているとか。

しばらく学校の前で待っていて鳴るのを確かめようかとも思いましたが、
不審者扱いされそうなのでやめました(笑)


ラヘーン運河を渡って対岸のワット・ブアケーオカセートへ。


ワット・ブアケーオカセート


なーんと、このお寺の用地はチャオプラヤー・ウォーラポンピパットが
寄進したんだそうです! スケールのでっかい人物だったんですね。


お寺でトイレを借りてからバス停に向かいます。
時刻は13:30。




<交通費>
歩いただけなので: 0バーツ
ここまでのの合計:62バーツ


つづく


※旅は2011年3月29日(火)に行いました。


ラヘーン




夢の跡 パトゥムターニーで夢の跡探し[5]

ラヘーン運河市場で昼食も済ませ、もう十分散策したので
次なる目的地へ向かうことに。

国道346号線の橋の下の木橋をまた渡り、
ラヘーン運河沿いの道に出ます。


テーッサバーン6通り


道路標識には、
テーッサバーン6通り 距離2,000m
と。

この道を南下して行きましょう!


歩きながら右(西)へ入れる路地を探します…。

しかしただでさえ涼しいのに風が結構強くて
鳥肌が立ってしまいます。長袖で来れば良かった(>_<)


お、路地があった!

早速ドキドキしながら入って行くことに。
入口近くにこそ民家が建ってますが道なりに奥へ進むとこんな感じ。


テッサバーン6通りから右の路地に入ったところ


iPhoneの「マップ」で目標地点の位置を確かめながら歩を進めていきます。

さながらドラゴンレーダーでドラゴンボールを探している心持ち(笑)


よしっ、ここだ!
南北に横切る道にぶち当たりました。その先は一面の田んぼ。

その道を取り敢えず北へ歩いていきます。
ほどなく行き止まりに。

そこで振り返って今歩いてきた南側を眺めます。


この道は・・・


私は、ここに来たかったんです!!


えっ!? 何の変哲もないただの未舗装の道じゃん。
とお思いでしょう。

現在地をiPhoneの「マップ」で確認すると・・・


この道は・・・
(赤枠はラヘーン運河市場)


青い点の乗っかってる、ほぼ南北一直線に続く道。
田んぼのど真ん中を貫いていてどう見ても不自然ですよね。


実はこれ、鉄道の線路跡なのです!


1915~42年の間、バーンブアトーン鉄道社によるバーンブアトーン線
ここを走っていました。


創業者は、チャオプラヤー・ウォーラポンンピパットという実業家。

ノンタブリーに住む親戚が頻繁に訪ねて来るものの、いつも時間がかかっていたので、
親戚の不便解消&ついでに儲かるのでは?ということから始めた鉄道なんだそうで。


始発駅はバンコクのトンブリー側。
バーンプラットチャランサニッウォン46を入った奥だったようです。

そこから北上して国鉄線路をバーンバムル駅近くで平面交差して過ぎ、
バーンブアトーンへ。

バーンブアトーンのメインストリート、バーンクルアイ・サイノーイ通りは、
この鉄道の線路跡に敷かれた道路らしいです。


当初はバーンブアトーン止まりでしたが、
1926年にその先へ延伸された終着駅が、ここ、ラヘーン


はい。背後を振り返った先が終着駅でした。


ラヘーン駅跡


鉄門で閉ざされてます。

この先は現在民間企業の資材置き場になってる模様。
もちろん駅舎の面影は跡かたも無く消え去ってますね。


ちなみに当時の写真を数枚、pantip.comのページで見ることができます。


では、もうちょっと線路跡を辿ってみましょう!



<交通費>
歩いただけなので: 0バーツ
ここまでのの合計:62バーツ


つづく


※旅は2011年3月29日(火)に行いました。


ラヘーン




 
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