バーンブアトーン線廃線跡をもう少し辿ってみます。
このまままっすく南へ歩ければいいんですが、
この先は途切れて田んぼになっちゃってます。
なので一旦元のテーッサバーン6通りに出て南へ歩き、
再び右に入れる路地を探すことに。
しばし歩いて路地発見。
でも入口に犬が・・・(汗)
刺激しないようにのっそりと歩き、横を通り過ぎることに成功!
田んぼの中に伸びる農道を廃線跡目指して進みます。
よし、ここだ!
iPhoneを使ってグーグル・マップの航空写真で見ると、ほんとに真っ直ぐですよね。
まずは北側。
そして南側。
しかし何にも無いところに豪快に敷いたもんですねー。
現代でさえ一面の田んぼなんですから、開通当時ってどんなだったんでしょうか?
お客さんもいたのか心配になります。
そうそう、ラヘーン運河市場はバーンブアトーン線終着駅の駅前市場として
生まれたそうなので、それを考えるとそこそこお客さんがいたんでしょうね。
このバーンブアトーン線、最初は良かったのですが、車両の老朽化のためでしょうか、
そのうち途中で立ち往生することが頻発し、利用客が離れていったんだそうです。
そこに1937年、車両同士が衝突し運転士が亡くなる事故が発生。
賠償の負担で経営が厳しくなります。
そして1940年、燃料を購入していたシェルやエッソがタイから撤退。
日本軍のタイ進駐は翌年末ですから、なぜこの時期に撤退したのかナゾですが。
同社は燃料を内務省燃料局から買うしかなくなりました。きっと高かったんでしょう。
1942年7月16日、バーンブアトーン線廃止を発表。
線路は直ちに撤去されたようです。
保有車両のうち蒸気機関車は、ウッタラディット県の砂糖工場に売却され、
砂糖キビ運搬用に使われました。
今でも工場敷地内に静態保存されているようですよ。
こちらのサイトにある蒸気機関車の写真のうち、
上のほうがバーンブアトーン線から来た機関車。
ちなみに下のやや大きなほうは、パークナム線で使われていた機関車だそうです。
廃線跡をずっと辿ってみたくもありますが、まぁこの目で見れただけで
取り敢えず満足するとしますか。農道を戻りましょう。
すると農道を向こうから自転車に乗ったおじさんがやって来ます。
ヤバイ。怒られるかな(汗)
歩きながら満面の笑みで目を合わせてみます。
するとおじさんもニコニコ顔で
「何してるんだい?」
写真を撮ってました ^^
そのまますれ違います。
ふぅ~っ。良かった。ちょっと焦りました。
元のテーッサバーン6通りに出て国道346号線のほうへと。
346号線手前にはこんな学校が建っています。
ワット・ブアケーオカセート学校(ウォーラポンアヌクーン)
とあります。
ウォーラポン・・・バーンブアトーン線創業者の
チャオプラヤー・ウォーラポンピパットの名が冠してあります。
実は、この学校にラヘーン駅で使用していた鐘を
チャオプラヤー・ウォーラポンピパットが寄贈したのだそうです。
噂では、授業のチャイム代わりに今でもその鐘が鳴らされているとか。
しばらく学校の前で待っていて鳴るのを確かめようかとも思いましたが、
不審者扱いされそうなのでやめました(笑)
ラヘーン運河を渡って対岸のワット・ブアケーオカセートへ。
なーんと、このお寺の用地はチャオプラヤー・ウォーラポンピパットが
寄進したんだそうです! スケールのでっかい人物だったんですね。
お寺でトイレを借りてからバス停に向かいます。
時刻は13:30。
<交通費>
歩いただけなので: 0バーツ
ここまでのの合計:62バーツ
つづく
このまままっすく南へ歩ければいいんですが、
この先は途切れて田んぼになっちゃってます。
なので一旦元のテーッサバーン6通りに出て南へ歩き、
再び右に入れる路地を探すことに。
しばし歩いて路地発見。
でも入口に犬が・・・(汗)
刺激しないようにのっそりと歩き、横を通り過ぎることに成功!
田んぼの中に伸びる農道を廃線跡目指して進みます。
よし、ここだ!
iPhoneを使ってグーグル・マップの航空写真で見ると、ほんとに真っ直ぐですよね。
まずは北側。
そして南側。
しかし何にも無いところに豪快に敷いたもんですねー。
現代でさえ一面の田んぼなんですから、開通当時ってどんなだったんでしょうか?
お客さんもいたのか心配になります。
そうそう、ラヘーン運河市場はバーンブアトーン線終着駅の駅前市場として
生まれたそうなので、それを考えるとそこそこお客さんがいたんでしょうね。
このバーンブアトーン線、最初は良かったのですが、車両の老朽化のためでしょうか、
そのうち途中で立ち往生することが頻発し、利用客が離れていったんだそうです。
そこに1937年、車両同士が衝突し運転士が亡くなる事故が発生。
賠償の負担で経営が厳しくなります。
そして1940年、燃料を購入していたシェルやエッソがタイから撤退。
日本軍のタイ進駐は翌年末ですから、なぜこの時期に撤退したのかナゾですが。
同社は燃料を内務省燃料局から買うしかなくなりました。きっと高かったんでしょう。
1942年7月16日、バーンブアトーン線廃止を発表。
線路は直ちに撤去されたようです。
保有車両のうち蒸気機関車は、ウッタラディット県の砂糖工場に売却され、
砂糖キビ運搬用に使われました。
今でも工場敷地内に静態保存されているようですよ。
こちらのサイトにある蒸気機関車の写真のうち、
上のほうがバーンブアトーン線から来た機関車。
ちなみに下のやや大きなほうは、パークナム線で使われていた機関車だそうです。
廃線跡をずっと辿ってみたくもありますが、まぁこの目で見れただけで
取り敢えず満足するとしますか。農道を戻りましょう。
すると農道を向こうから自転車に乗ったおじさんがやって来ます。
ヤバイ。怒られるかな(汗)
歩きながら満面の笑みで目を合わせてみます。
するとおじさんもニコニコ顔で
「何してるんだい?」
写真を撮ってました ^^
そのまますれ違います。
ふぅ~っ。良かった。ちょっと焦りました。
元のテーッサバーン6通りに出て国道346号線のほうへと。
346号線手前にはこんな学校が建っています。
ワット・ブアケーオカセート学校(ウォーラポンアヌクーン)
とあります。
ウォーラポン・・・バーンブアトーン線創業者の
チャオプラヤー・ウォーラポンピパットの名が冠してあります。
実は、この学校にラヘーン駅で使用していた鐘を
チャオプラヤー・ウォーラポンピパットが寄贈したのだそうです。
噂では、授業のチャイム代わりに今でもその鐘が鳴らされているとか。
しばらく学校の前で待っていて鳴るのを確かめようかとも思いましたが、
不審者扱いされそうなのでやめました(笑)
ラヘーン運河を渡って対岸のワット・ブアケーオカセートへ。
なーんと、このお寺の用地はチャオプラヤー・ウォーラポンピパットが
寄進したんだそうです! スケールのでっかい人物だったんですね。
お寺でトイレを借りてからバス停に向かいます。
時刻は13:30。
<交通費>
歩いただけなので: 0バーツ
ここまでのの合計:62バーツ
つづく
※旅は2011年3月29日(火)に行いました。