タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

タラートプルー

再びタラートプルー駅 バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅[12]

揚げ麺店のミークロープ・サマイ・ロー5が休みと言うことに肩を落としつつ、
取り敢えずもう一度、国鉄タラート・プルー駅に戻ることに。


すると、ラチャダーピセーク通りの高架橋下に市場があるじゃないですか。

もう昼時なのであらかた店終いしてもぬけの殻状態でしたが、
南端の一角の屋台街は営業中で、高校生たちがワイワイと食事中でした。


ラチャダーピセーク市場


ラチャダーピセーク市場と看板に書いてあります。


20世紀も半ば近くになって道路が開通し、陸地に上がったタラート・プルーの
中心地がこの、現在ラチャダーピセーク通りが通っている場所だったそうです。

シンボル的な映画館の入った建物があったのですが、
通りを敷くために取り壊されたんだとか。


ここは眺めるだけにしといて、トゥートタイ通りから
国鉄タラート・プルー駅に入ってみます!


国鉄タラート・プルー駅


この駅舎、開通当時のままなのかもしれませんね。


ちなみに駅前には、様々な行き先のソンテオが並んで客待ちしています。


国鉄タラート・プルー駅


駅舎内は、なんともレトロ。

『クーカム』(メナムの残照)の小堀大尉が軍服姿でツカツカと音を立てて
登場しそうな雰囲気です。


ホームへ出て西側を眺めます。


国鉄タラート・プルー駅


駅舎の先には物売りの屋台、そして西端は食事の屋台街になっています。

よし、もういっちょここで食事しますか!(笑)


時刻は、11:45。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ラチャダー市場~国鉄タラート・プルー駅



古い屋並みが続く路地 バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅[11]

バンコク・ヤイ運河沿いの細い路地をそのまま進むと
これまた細い運河を渡る小さな橋にでくわしました。


細い運河を渡ります


この路地沿いには、古い木造家屋が沢山残っていて
このタラート・プルーの歴史を感じさせます。

タラート・プルーとは「キンマ市場」の意味。


18世紀末にチャックリー王朝ができ、対岸の新たな商業地サンペンが
栄え始めると、この地の華僑の一部がサンペンへ移住したと以前書きました。

それと入れ替わりでこの地へやって来たのがムスリムの人たち。

彼らは空いた土地でキンマの栽培を始めたのです。


当時のタイでは、ビンロウジを、赤く染めた石灰を塗ったキンマの葉で包み
噛むことが、貴賎を問わず広くなされていた習慣でした。

この習慣は「キン・マーク」(ビンロウジを食べる)と言います。

常習性のあるこの嗜好は、インド洋沿岸から南洋諸島にまでいたる広範な地域で
古くからなされていたようです。

そう言えば、映画『ナーンナーク』でもマークがナークの口に
これを入れてあげるシーンがありましたよね。


しかしキンマークは、口の中が真っ赤に、そして歯が真っ黒になるとか。

ラマ5世が欧州への行幸に際し、自らと随行員の歯を削って白くした
というんですから、本当に社会の隅々まで広まっていた習慣なんですね。


で、ムスリムはその材料の一つ、キンマの葉を栽培して売り始めたのです。

そこに元々この地に住む華僑の知恵が加わります。
キンマの栽培に肥料を使用したのです。

商業目的での大規模な肥料の使用は、なんとタイ初の出来事でした。

タイ語で肥料を意味する「プイ」は、「肥」の潮州語音から来ているんだそうで、
もしかしたら「プイ」はここ、タラート・プルーから広まった語彙だったのかも。


まもなく、この地産のキンマの葉は上質だと評判になり
水上マーケットの賑わいがかつて以上となったのです。


以来、ここは「タラート・プルー」と呼ばれるようになりました。



この目の前の細い運河も、かつては農園から採取したキンマの葉を
舟でバンコク・ヤイ運河の水上マーケットに運ぶために利用されたんでしょうね。


路地沿いの木造家屋はもうちょっと時代が下った時期に建てられたんでしょうけど、
それでも50年以上は経ってそうな風格です。


タラート・プルーの木造家屋


どの家もさりげなく手の込んだ装飾がなされているんですよね。
この家も2階の欄干(?)が素晴らしいです。


タラート・プルーの木造家屋


路地を抜け、ラチャダーピセーク通りの高架橋沿いの道に出ました。

この付近に行ってみたい店があるんですよ~。
右に曲がり、運河に突き当るところまで歩きます。


あの店です!


ミークロープ・サマイ・ロー5


ミークロープ・サマイ・ロー5

「ラマ5世時代のミークロープ」という、揚げ麺(たぶん)のお店です。
かつては目の前のバンコク・ヤイ運河で舟で商いをしていたんだとか。

今では陸に上がってますが、とても歴史のある店のようです。

というワケで楽しみにしていたのですが・・・


休みじゃないですか!(T T)


月曜日というのは、飲食店では休みにするところが多いんですかねぇ。
うーん、とても残念。

いつかまた来ることにしましょう!



時刻は、11:35。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ミークロープ・サマイ・ロー5



タークシン王の右腕武将を祀る寺 バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅[10]

ワット・クラーン市場のソイを出て、元のトゥートタイ通りを
西へ少し歩くと、また寺が見えてきました。

ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーンです。

路地を奥へ進むと、堂々とした本堂が建ってます。


ワット・ラーチャクル


比較的新しめに感じますね。


この寺は、タークシン王の右腕として活躍した武将、
プラヤー・ピチャイ・ダープハックが祀られています。


寺で見た案内板によると、1741年、現ウッタラディット県ピチャイ郡生まれ。

ムエタイと剣術に優れた彼はタークシン王に取り立てられ、20歳の時、
ビルマから国を奪還する闘いで活躍します。

順調に昇進した彼は、出身地ピチャイを統治する任に。

その期間、ビルマと2度交戦したのですが、2度目の際に
白兵戦のさなか彼は2本の剣を手に、剣が折れるほど果敢に戦ったのだとか。

「ダープ・ハック」(剣が折れる)は、その戦いぶりを称えて付けられた名なのです。


トンブリー王朝が終焉を迎えた時、彼はタークシン王の後を追って
1782年、40歳でこの世を去りました。


プラヤー・ピチャイ・ダープハックが祀られた仏塔は
綺麗に管理され、参拝者の姿も。お供え物が置かれています。


あとこの寺の見どころと言えば、これ。


プーカオ・モー


プーカオ・モー(モー山)。

海で採取した岩で作られた山です。中国の影響を受けているとのこと。
モー山という名も中国語から来てるんでしょうかね。


実はもう一つ、珍しい見どころがあったのですが、
うっかり見忘れてしまいました!

それは、寝釈迦像。

そんなの珍しくないじゃん、とお思いでしょうが、
ここのは変わってるんです。


なんと、仰向けに寝た寝釈迦像なのです!


あー、なんという不覚! いつもながら詰めの甘い自分に
自己嫌悪です・・・(汗)


この時はそんなポカにつゆにも気付かず、寺を後にしたのでした・・・。


寺の敷地から伸びる細い路地を発見した私は入って行ってみることに。

早速こんな店を発見。


籐・竹細工の道具店


籐や竹を編んで作った道具を売っています。

かつてこれらはラーチャブリー県の特産品で、
運河を伝ってここタラート・プルーまで運ばれて売られていました。

さすがに現在は陸路で輸送されているんでしょうけど、
今でもところどころでこの手の道具を売る店が残っています。

タラート・プルーの歴史を感じさせる商品ですね。


路地は一層細くなり右に曲がります。


タラートプルーの路地裏の一風景


人さまの家に入りこんだワケじゃないですよ(笑)
路地沿いにはこんな生活感を感じる光景も広がっていました。


ここには穏やかな生活があるんだろうな~。

この路地を歩いて、なんだかちょっぴり幸せを分けてもらったような気分になりました。





時刻は、11:30。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーン



ワット・クラーン市場 バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅[9]

そのままワット・クラーン市場に足を踏み入れます!


「ちょっと、写真撮って何すんの?」

あ、いや、その・・・(汗)

入口にいたおばちゃんにすごまれちゃいました。
すごむつもりは無いかもしれませんが、
市場なもんで、ついついキツい口調になっちゃうのかも。


ここはニコニコ愛想を振りまいてやり過ごし(笑)
市場内部を歩いてみます。


ワット・クラーン市場の内部


昼近くになってしまったので、大方片づけを始めちゃってます。
が、活気がある市場ということは伝わってきますね。

運河側には食堂が並んでいますが、ちょっと入る勇気が(汗)


運河と反対側から外へ出てみます。


ワット・クラーン市場付近


右側がワット・クラーン市場のコンクリート製の建物。
入口上部に「ワット・クラーン市場 2511年」とありました。
西暦に直すと1968年に建てられたんですね。


そこだけでなく、この一帯の商店街全てが、多分「ワット・クラーン市場」なんでしょう。

ちなみに、この左手にワット・チャンターラームという小さな寺があります。
別名ワット・クラーン(中央寺)。

ワット・インターラーム
ワット・チャンターラーム
ワット・ラーチャクル

と、この辺りには3つの寺が並んでいて、真ん中なのでワット・クラーン。
その寺の前にあるから、この市場名になったんですね。


路地を西に進むと行き止まりっぽかったので左折。


ワット・クラーン市場の菓子問屋ゾーン


両側には菓子問屋がずらーっと並んでいました。
パック詰めになった色んな種類のお菓子が山積みになってたりぶら下がってたり。
いかにも市場って雰囲気でいいですね~。


おっと、ここにもネコが(笑)


ワット・クラーン市場のネコ


真っ直ぐ進むと、元のトゥートタイ通りに出ました。
西へと戻ってみますか。



時刻は、11:25。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ワット・クラーン市場



鄭皇廟 バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅[8]

タークシン王の亡骸が安置された金色の塔の近くに、「鄭皇廟」
漢字で書かれた建物がありました。


タークシン王の中国名は「鄭昭」。
タークシン王が祀られた廟です。


中に入ってみると、中央に仏像が沢山並んでいて
中国系の人が参拝しています。


左奥にはラマ5世の写真が、そして右奥にタークシン王の像が祀られていました。


鄭皇廟


私も手を合わせお参りをすませると、
外に出てバンコク・ヤイ運河沿いに西へと伸びる路地を歩くことに。


バンコク・ヤイ運河沿いの路地を歩く


歴史を感じさせる建物がいきなり建っています!
タラート・プルーに活気があった頃に建てられたんでしょうね。
いい雰囲気です。

その建物を過ぎた辺りから路地の両側がゴチャゴチャし出しました。
昔もここから西へずっと店が並んでいたんでしょうね。


しかしこの辺り、やたらとネコが多いんですけど。
ほら、また目があった(笑)


タラート・プルーにはなぜかネコが多い!



細い運河を小さな橋で渡ると、路地は・・・


ワット・クラーン市場へ


そのまま生鮮市場に吸い込まれます。
タラート・ワット・クラーン(ワット・クラーン市場)のようです。


このまま進んでみましょう!


時刻は、11:15。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ワット・インターラーム~ワットクラーン市場



 
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