「クロントイ・スラムへ」を再開します!

大人気の食堂「ジェー・ジョン」で食事を終え、
トイレを借りるために一旦ロータスに立ち寄った私は、
再びジェー・ジョンの前に戻ってきました。


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うおー。相変わらずの行列ですね。
1時間後のお昼時にはどうなっちゃうんでしょうか。

さて、ジェージョンの目の前の道を左、つまり東へと歩いていってみます。


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時刻は11:00ちょうど。

左側は長屋ビルが連なっているんですが、
右側は相当粗末な木造家屋がゴチャゴチャっと続いています。
半ばスラムですね。

ちなみにこの真っ直ぐな道は、タノン・ターン・ロッファイ・サーイガオ
訳すと「廃線通り」。

その名のとおり、かつてここには鉄道が通っていました。
しかも国鉄のフアランポーンアユタヤ間開通よりも早い、
タイ初の鉄道路線だったんですよ。

開業は、1893年4月11日。
新橋~横浜間鉄道開業の21年後のこと。

フアランポーン駅
向かいからパークナムウィブーンシー船着場
プラサムット・チェーディーへの渡し船)前までの21.3kmを
約1時間で結ぶ路線で、パークナム線と呼ばれていました。

デンマーク人がオーナーの民間鉄道会社で当初は
ドイツ製の蒸気機関車が客車を牽いていましたが、のちに電化。
日本車両製の電車が4両編成で走っていたそうですよ。

50年間の事業権が切れた後は国鉄の所有に。

かつて外航船は水深の浅いチャオプラヤー川を遡上できず
河口に停泊したので、船員のバンコク間の往復などでそれなりの
需要があったようです。

でも戦後のチャオプラヤー川浚渫とクロントイ港開港の影響か、
乗客数が減り、ついに1960年1月1日、時のサリット首相の命令で廃止に。

フアランポーン駅
付近の線路跡は並行する運河とともに
ラマ4世通りの拡幅用地と相成ったのでありました。

で、ラマ4世通りから分岐した先は、このとおり廃線通りとなり、
巨大なゾウの像で有名なエラワン・ミュージアム付近まで続いています。


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ケムいなと思ったら、先でおばちゃんがガイヤーンを焼いていました(笑)
しかし思ったより長い道で、歩き始めたことを後悔し始めましたよ。


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右手に高速道路が迫ってきました。直下はドブの運河のはず。
この辺の屋並みはまったくもってスラムですね。

なんて思っていると目の前に、


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引越しは日通!?

日本語のままじゃないですか!


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NIPPON EXPRESSとの看板が掲げられています。
日本通運さんの営業所はこんなところにあるのか。
そうか。クロントイ港至近ですもんね。


そのすぐ先の左手には、


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大きなお屋敷が。

廃線通り
を挟んだ左右の屋並みのマリアナ海溝級なギャップに
映画『ブレードランナー』の世界をつい思い出してしまいました -_-;)


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ずっと交わる道が無かったのですが、
ようやく遠く先に交差点が見えてきましたよ。

ちなみに左手の白いビルは、私立のバンコク大学です。


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ようやく交差点に出たー!
時刻は11:23。

ジェー・ジョン前
から20分あまり歩いたのか。

しかし行き来する車は、トレーラーばかり!

交差点に出て右を見た光景なんですが、
あの正面にあるクロントイ港のゲートから
トレーラーがひっきりなしに出入りしています。


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この辺の空気悪そうだな ^_^;)

あ、そうだ。ちょうどいいや。
炎天下歩いて疲れたので、バンコク大学で一服しますか。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:14.5バーツ

※旅は2014年9月19日(金)に行いました。

<参考>
Wikipedia "ทางรถไฟสายปากน้ำ"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

クロントイ

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