タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

タナーオ通り

雪タロイモ タナーオ通り探訪[最終回]

カオニアオ・ムーンの有名店、ゴー・パーニットのほぼ向かいにこんな店が。


05_01


この角の店、カフェなんですよ。ちょうど一息つきたかったこともあって、
レトロな雰囲気に引き寄せられて入ってみました。

奥にあるカウンターでまずオーダーします。
20代後半(?)の女性にホット・コーヒーを注文。

席について待ちます。


05_02


レトロな内装の店内にアンティーク・グッズが並んでいて、
エアコンは無いけどなかなかいい雰囲気。

店名はチカッチャー

女性がコーヒーを運んで来てくれました。


05_03


中国茶付きとは嬉しいじゃないですか~。

しばし外の景色や店内のインテリアを眺めながら、コーヒーでゆっくりしました。
私が見た限り、ここはタナーオ通りで唯一のカフェでは?

さて会計をと思い、カウンターまで。
ホットコーヒー、いくらだと思いますか?
25バーツですよ。なんと安い!

「日本人ですか?」と店の女性。

はい。

すると、「ありがとうございます」と日本語が返ってくるじゃないですか。

えっ、日本語話せるんですか?

「大学の専攻が観光学だったので、日本語も学んだんです。でもかなり忘れました。」

そうだったんですか。こんなところで日本語を聞いてビックリしましたよ ^_^;)
仏頂面が多いタナーオ通りの店の中で、笑顔の見れてほっとリラックスできる
貴重なお店ですよ~。


さて、再び北へと歩いて行きましょう。

しばらく歩くと左手に古い門が。さっきも気付いたんですが、後回しにしていました(笑)


05_04


説明を読むと、サッパサートスパキット宮殿門と。
かつてここにあった王族の方の御所(1901年建築)の門だったようです。
門だけが残ったんですね。

で、その王族の方とはラマ5世のシンガポール・欧州訪問に随行した
プラチャオボーロムウィントゥー・プラオンチャオトーンテームタワンヤウォン・
クロムルアンサッパサートスパキット
という方なのだそうです。

なんでもその欧州訪問(1897年)の際に映画の撮影・映写機材一式を購入し、
ラマ5世の欧州訪問の様子を撮影したんだそうで、それがすなわちタイ人が映った
歴史上最初の動画なんだとか。

帰国後も映画関連の事業を行ったことから、この方は「タイ映画の父」と
呼ばれているんだそうな。


といった歴史が刻まれた門のほぼ正面には、こんな店が。


05_05


ジェー・ニー・プアック・ヒマ

訳せば、ニー姉さん 雪タロイモ
雪タロイモとはいかに?


店頭には2種類の商品が並んでます。


05_06


薄くスライスしたタロイモがチップスになってるんですね。

もう一つは、


05_07


こっちはホクホクに温かいタロイモ揚げ。

そうか、タロイモに絡めてある白い砂糖を雪に見立ててのネーミングなのかな?

仏頂面の店員のおばさん(もしやニー姉さん?)に値段を尋ねると、
どちらも50バーツと。じゃ、両方頂きますか。

宿に帰って食べたところ、どちらも適度な甘さに微妙な塩味が加わって美味しい!
とくに温かいほうのプアック・ヒマは、


05_08


こんな感じなんですが、ぜひ温かいうちに食べてみて欲しいですね。
味では、タナーオ通りで一番オススメの店です!


で、あとはコークウア交差点まで戻って、タナーオ通り探訪は終了。
さすがラマ3世期(?)以来の長い歴史のある通りだけあって、
有名店・人気店が凝縮してますね。

でも持ち帰り専門店が多いので、カフェのチカッチャーみたいに
くつろげる店がもっと増えるとより歩き易くなると思います。
これからに期待しましょう。


ということで、今回もこれにて終了です。
お付き合いくださいましてありがとうございました!


次回は、今まで避けてきたとある有名観光地(の端っこ)への旅を
お届けしたいと思います!



おわり

※旅は2013年1月14日(月)に行いました。



05_map


カオニアオ・マムアンの有名店 タナーオ通り探訪[4]

タナーオ通りに再び戻り南へさらに歩くと大きな交差点に出ました。


04_01


バムルンムアン通りとの交差点で、看板にはシーカック・サオチンチャーと。
シーカックはどうやら「四角」の潮州語読みから来たようです。

人力車全盛だった時代、人力車夫は中国から渡ってきた人達が多かったようで、
交差点をシーカックと呼んだことから、この周辺の交差点の多くはシーカック○○と
いう名になったんだとか。

ところでこの交差点、丸いんですよ。角が円弧の形に添ってえぐられてて
その形に商店も建てられています。かつてはなかなかモダンな街並みだったんでしょうね。


さて、タナーオ通りを北へ戻ることにします。


04_02


戻ってすぐの右手に漢字の看板が。


04_03


○○法律簿記事務所と。
日本語と同じ言い方をするんですね。面白いです。

その先には、


04_04


ジョーク(お粥)屋が。

ここは手持ちのグルメ・ガイドに載ってるので有名店かと思いきや
ネットで探しても見つからないんですよね。うーん、どういうことだ?

ま、いっか ^_^;)


前方にマンゴーが並んでいるのが見えてきました。


04_05


ゴー・パーニットというカオニアオ・ムーンの有名店です。

カオニアオ・ムーンとは、カオニアオ・マムアンのもののように
ココナッツ味のする甘いカオニアオのこと。

ここのカオニアオ・ムーンはTVや新聞で度々取り上げられるほど
美味しくて人気があるんだとか。


ん? もしや店先の歩道にならんだマンゴーはこの店が売ってるんじゃなくて、
ここにカオニアオ・ムーンを買いに来た客が合わせて買っていくと見込んで
店を出している屋台なのかな? 頭いいな ^_^;)


いずれにしてももう食事をした私はさすがに食べられないのでパスして、
代わりにもう一つの人気商品を買うことにしました。


04_06


ショーウィンドウの中に並んでいるコレは、トッフィー。

キャラメルとの違いがイマイチ分からないんですが、
トッフィーは硬めってことなんですかね?

50バーツのサイズのものを頼みます。
仏頂面のおばちゃんが、豆を入れるかと聞いてきたので、はいと答えておきました。
ナッツ入りとナッツ無しの2バージョンがあるみたいですね。

ビニール袋に入れようとしていたので、とっさにこっちの紙袋でお願いしますと。


04_07


カワイイと思いませんか?
店名 ก.พานิช (ゴー・パーニット)の「ก」(ゴー)の文字がデザインされてるんですよ。
実はトッフィーよりもこの袋が欲しかった私でした(笑)

あ、トッフィーも後日食べたらココナッツ風味で美味しかったですよ。


で、この店の隣は、


04_08


仏像屋さん…。


ん、向かいに雰囲気の良さげな店があるじゃないですか。
さっきは気に留めずに通り過ぎてしまいました。

ちょっと行ってみますか。



つづく

※旅は2013年1月14日(月)に行いました。



04_map


ガイヤーンとクイチャーイ タナーオ通り探訪[2]

サーンジャッポースアを出て再びタナーオ通りを右側に沿って
歩いて行こうとすると、すぐのところにこんな店が。


02_01


ガイヤーン・ボーラーン

と看板にあります。訳せば「古式ガイヤーン(ローストチキン)」。

古式のガイヤーンって一体? と興味を抱いたのが最期、
吸い込まれるように店内に入ってしまいました(笑)

ここで朝食としましょう ^_^;)


02_02


席について見まわすと、ウッディーな内装でなかなかいい感じ…なんですが、
店を訪れた芸能人の写真がこれでもかというくらいに掲げてあって、
店の人気ぶりを垣間見せています。美味しいってことかなぁ?

時刻は09:05。
帰ってからネットで情報をチェックしたらオープンは09:00だそうで、
なんと、開店したばかりに飛び込んだんですね。

それでも私以外に2人連れのお客さんもいました。


店員の若い女性にガイヤーンとカオニャオ(もち米)を注文。
受け答えがイサーン訛り、というかイサーン語。

奥の厨房のおじさんとの会話もイサーン語が聞こえてきます。
この店の公用語はイサーン語かぁ。
ガイヤーンのみならず、本格的なイサーン料理が楽しめそうですね。


注文したガイヤーンは、どうやら表の店先から持ってくる様子。
出刃包丁で切っているのが見えます。


02_03


いよいよ来ました!


02_04


ほぉ、ワイルド系が来るかと思いきや、
意外にもややジューシーなガイヤーンではないですか。

私は肉汁が抜け落ちたパサパサなワイルド系よりも
肉汁たっぷりなジューシー系ガイヤーンのほうが好き。

一番好きなガイヤーンはS&Pのもの、
と言うとみんなに異端視されるんですが(笑)

そんな私の(多分異端派の)評価基準で言うと、
ここのガイヤーンはまずまずと言うのが正直なところ。

でもバンコクのこんな旧市街にいながらイサーン語が飛び交う中で
食べられるなんていいじゃないですか。


勢い良く平らげて、トイレを借りてから店を出ます。
さらにタナーオ通りの右側を歩き始めると、食堂が軒を連ねる一角が。
タームサン(なんでも作ってくれる)の店かな?

そこを過ぎるとこんな店が。


02_05


クイチャーイ・クンメー

うげっ、私の大の苦手なクイチャーイじゃないですか。
でも可愛らしい内装で興味を惹きます。ここも自家製ですし。

看板には「皮が薄くやわらか、具がたっぷり、蒸してアツアツ」と。
食べてみたい気になってしまいます(笑)

後で知ったんですが、この店、なんとサイアム・パラゴンとエンポリアムにも
支店を出しているんだそうで。ってことは美味しいんでしょうね。
私のクイチャーイ観を変えてくれるかも。そのうちチャレンジしてみますか。

でも今日は、パス(笑)


しかしちょっと歩いただけで、何店もの有名店に遭遇できるなんて、
タナーオ通りは侮れませんねぇ。まだまだありそうですよ!


つづく

※旅は2013年1月14日(月)に行いました。


02_map



タナーオ通り探訪[1]

さてさて、今回のシリーズは趣向を変えてみます。
バス旅ではなく、一つの通りを探訪してみようかと。


というワケで2013年1月14日(月)の9時前に向かったのは、
バンコク旧市街のタナーオ通り


どこかと言うと、王宮に向かうラチャダムヌーン・クラーン通りってありますよね?
あの通りの民主記念塔を過ぎて最初にある交差点の通りがタナーオ通りです。


01_01


ここがその、コークウア交差点
王宮方面に向かって立っています。
右へ行けばカオサン通りなのですが、今回は左側だけ歩いてみることに!

ちなみにコークウアとは牛舎の意味。
昔この地には南アジア系ヒンズー教徒の牛舎が建っていたんだそうで。


では、左折してタナーオ通りに足を踏み入れてみましょう。
タクシーで通ったことはあるんですが、歩くのは初めてです!


01_02


歴史を感じさせる長屋商店街が両側に並んでいます。
どうやらシルバーを扱う店が多い感じ。
でもまだ朝早くてどの店も開店前…。


さらに歩くと左側にはワット・マハンノッパーラームという寺院が。
ラマ3世期(1824~1851年)創建とか。

その向かいに可愛らしいネーミングの店が。


01_03


パオパオサラパオ
強引に訳せば、まんまん中華まん、かな?(笑)

その名のとおり、自家製中華まん屋さん。結構評判の店のようです。

豚挽肉のオーソドックスなものからクリーム、タロイモ、黒胡麻など
色んな味のものもあるようで興味はそそられるんですが、
まずは座って食べたいので残念ながらパス。

さらに歩いて行くと、急に賑やかに。
何やらお供えグッズを売る店が並び始めました。
この先に中国廟がある雰囲気です。


01_04


黄色い看板には「参拝の仕方教えます」と。
ただ入ってお参りするだけじゃダメなんですね…。
あ、中国廟だ。全体が入るようにタナーオ通りの反対側から撮影すると、


01_05


こんな感じ。

この時はまったく前提知識が無かったんですが、帰ってから調べるとここは、
「サーンジャオ・ポースア」と言うのだそうです。訳せば「虎廟」。

中国語では「玄天上帝廟」と言うのだそう。

ここもさきほどの寺院と同様にラマ3世期に建てられた潮州人廟なんだとか。
でも当初はもう少し南のバムルンムアン通り沿いにあったのが、
ラマ5世期に道路拡張でこの地に移転してきたんだそうで。

玄天上帝、ジャオポースア(虎)、関羽、媽祖(天上聖母)が祀られています。


どうせだから入ってみますか。


01_06


当然ですが漢字が溢れてますな…。

内部でも大きなろうそくやら何やらを売っていますね。
左手は線香の煙が立ち込めてかなりケムいです。

奥にその、4つのご本尊があるんでしょうね。


01_07


入ってみます。


「写真撮影禁止」

右に座っているおじいさんからそう注意されました。
この中はダメなんですね。す、すみません ^_^;)


なんで「虎」廟なのかですが、こんな言い伝えがあるのだそうです。


昔々、ワット・マハンノッパーラームの裏にまだ大きな森が広がっていた頃、
この森には虎が生息していました。そして周辺に住むのは貧しい人たちばかり。

その中にある母子がいました。

ある日、息子の男性は森へ食べ物を獲りに入って、大きな虎に遭遇、
虎に傷を負わせるものの、自らも片腕を食いちぎられます。
命からがら沼に逃げ込んで虎を巻き、なんとか家に辿り着きます。

でも症状が悪化しその後亡くなってしまいました。

悲しんだ母は郡役所に虎退治を願い出て、副郡長率いる虎退治隊が森に入り、
紆余曲折の末、虎を生け捕りに。

虎を郡役所に連行して裁判が行われ、虎に死刑判決が。
それを聞いた虎は刑に従いますと素直にひれ伏し身を預けたのです。

その様子を見ていた郡長・副郡長や母を含めたみなは涙を流し、
虎を許すことにしました。
ただし死んだ息子の代わりに母の子どもになることを命じられます。

虎は孝行を尽くします。
森に入って獲物を捕えては母に食べさせ、余った物は売ったので、
以前より暮らしが楽になりました。

そんな生活が7年続き、母は亡くなります。

火葬の最中、悲しんだ虎は火の周囲を何度も走り周り泣き叫びます。
そしてついには火中に飛び込んで死んでしまいました。


住民が虎の孝行を称えて廟を建てたのが、
サーンジャオポースアの始まりだと言われています。


虎は今でもカオヤイなど一部にごく少数生息していますし、
かつては全土の森にいたようです。
本当にこの辺りにも昔は虎がいたのかもしれません。

この廟は、子宝祈願で有名なんだとか。
あと、ここの護符を家や職場に貼ると厄除けのご利益絶大だそうですよ。


つづく

※旅は2013年1月14日(月)に行いました。


<参考>
『ジャオポースアの歴史』(タイ語)


01_map


 
旅ごとに見る
このブログ内で検索
アンケートモニター登録
Gポイント
 
タグでまとめて見る
最新コメント
QRコード
QRコード