タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

タイ・ミャンマー国境

タイ・ミャンマー国境の日没 ミャンマー国境、元すず鉱集落イートンへ[7]

イートンのタイ・ミャンマー国境ビュー・ポイント
ヌーン・チャーンスック(เนินช้างศึก)に到着してから
10分近くが経ちました。

チャーターしたソンテオの運転手さんからは「30分」と
言われているので、あと20分ほど。

07_01

国境を監視する国境警備警察の青年と遊んでいた
ソンテオ運転手の子供たちが中から出てきました(笑)

07_02

監視台の横にちょこんと座って、
国境線となっている目の前の稜線を眺めます。

「こっちに来てみなよー」

運転手の子供が呼ぶではないですか。

07_03

「入れるんだよ」

ん?

07_04

シェルターになってるのか。
かつてのピリピリした雰囲気が伝わってきますね。


再び座りなおしてミャンマー側を眺めます。

07_05

山々が幾重にも折り重なって幻想的な光景です。

左手を眺めると、

07_06

タイ国旗があそこでもはためいていますね。
ちょっと行ってみますか。

07_07

タワン・ルアンシー陸軍大将記念碑

と書かれています。

この方はカンチャナブリー県が拠点の第9歩兵師団司令官。
2011年にペッチャブリー県の山間部で起きたヘリコプター墜落事故の
行方不明者捜索に、悪天候の中自らが指揮を執ってヘリコプターで
向かったものの、そのヘリもまた墜落して殉職したのだそうです。

それで陸軍が勇気と栄誉を称えてここに記念碑を建てた、
という経緯が記されていました。


元の場所に戻りますか。

07_08

監視台の
チャーンスック陣地
国境警備警察第135中隊

の文字が夕日に照らされています。

そう、

07_09

もうすぐ日没なんですよ。

07_10

再び監視台横に腰を下ろし、時間まで夕日を眺めていることに。

「ビールいかがですか?」

さっき話しかけてきた20代後半の男性がLEOビールの缶を差し出して
くるではないですか。「横に座って話をしてもいいですか?」とも。

ありがとうございます。どうぞどうぞ。

仮にエークくんとしておきますか。
エークくんは、ここヌーン・チャーンスックに来るのは4回目だそう。
気分転換したくなると800CCのバイクでバンコク近郊から4時間
かけてやって来るのだとか。

たった4時間でここまで来れるとはビックリ。

どうやら今回は好きな女性に振られたのが来た動機のようです ^_^;)
でも今でも仲の良い友達ですよと。

好青年なので、エークくんのことを気になっている女性はきっと
大勢いると思いますよと慰めたら、「はい、もう大勢」と
これっぽっちの謙遜もない返事が返ってきました(笑)

ここイートンは年中多雨の地域なのだそうです。
しかし3,4,5月の間だけは雨が降らないベストシーズンなんだとか。
知らずに3月に来た私はなんとラッキーなんでしょう ^^

雨季には霧が立ち込めて一寸先も見えないほどだそうですよ。

そんなこんなで話をしていたら、
運転手との約束の30分が経ってしまいました。

するとエークくん、僕がお願いしてきてあげますよ、と
運転手のところまで行って夕日が沈むまで待ってもらえるように
話を付けてきてくれました。なんと知り合いなんだそうで。

よくよく話を聞いたら、カンチャナブリー県内のここから
さほど遠くないところ出身なんだとか。それでか。


さあ、いよいよ夕日が沈みそうです。

07_11

缶ビール片手にミャンマー国境の山脈の彼方に沈む夕日を眺める男2人。

こんなベタなシーンを当ブログで演出することになるとは、
考えもしませんでした(笑)

07_12

日が沈みました。
静かです。とにかく静か。

ふと見上げると、

07_13

うわあ、なんて綺麗なんだー。

これ以上運転手を待たせては申し訳ないので、
そろそろ行きますか。

「下で夕食を一緒にしませんか?」

エークくんの誘いに是非!と答え、山頂を後にします。

07_14

ヌーン・チャーンスック、ぜひまた来て今日と同じように
夕日を眺めたいな。

07_15

下山するソンテオの座席からあの空をずっと眺めていました…。



<旅費交通費>
ソンテオのチャーター代まだなので:0バーツ
ここまでの合計:939バーツ

※旅は2017年3月27日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

イートン

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ヌーン・チャーンスック ミャンマー国境、元すず鉱集落イートンへ[6]

タイ・ミャンマー国境の検問から急いで戻ります。

06_01

イートンピロック)の集落入口ゲートまで戻ってきました。
時刻は、17:18。

次に行きたいのは、右の山の山頂なんですよ。
なんとか日没までに間に合いたいのですが。

宿に戻りオーナー女性に相談してみました。
貸し自転車はどこかにありますか?

方々に電話をかけてくれた結果、
バイクしかないとのこと。

私、バイクを運転したことがないんですが、
それでも貸してくれますかね? 無理ですよね… ^_^;)

また何度か電話をしてくれて、
ソンテオをチャーターしてくれました。

しばらくするとインド系っぽい顔つきの男性と
男の子2人がバイクで登場。
この男性がソンテオ運転手みたいです。

1か所案内するのに200バーツとのこと。
OKです。お願いします m(_ _)m

「市場を抜けて橋を渡ったところまで歩いてきて」

わかりました! では出発~。

06_02

宿から左に目抜き通りを進み、

06_03

奥の右手の路地にある市場を突っ切ります。
この市場はまた明日の朝に立ち寄ろうと思うので、
今は素通りです。

その先の池に架かる橋の欄干(?)には、

06_04

こんな木のプレートが無数に結わえつけられています。
観光客が残して行ったんでしょうね。
橋のところでこのプレートを販売しています ^^

橋を渡り切ったところに

06_05

タイ文字とミャンマー文字で
イートン市場 1939年開設
との看板が。スズ鉱の始まりと同時なんですね。

この先にバイクで先回りしていたソンテオ運転手が待っていました。
後をついて行くと、

06_06

なんと、トーンパープーム市場-イートン路線のソンテオを
使い回して案内してくれるようです。

ということは、この運転手も1日4回運行の
いずれかを担当している方なんですね。

17:35に出発したソンテオは山道を登って行きます。

06_07

例え貸し自転車があっても、ちょっとキツかったかも ^_^;)

06_08

お子さんらしき2人の男の子も一緒です(笑)

この山に登ったことある?

「うん、何度もあるよ!」

06_09

見晴らしの良いところに出たと思ったら、

06_10

到着です!
時刻は、17:42。

物々しい監視台とゲートが見えてますね。
あそこまで早速登ってみますか。

06_11

チャーンスック陣地
国境警備警察第135中隊


と書かれています。

ゲートをくぐり到着した頂上には、

06_12

タイ国旗がはためいていました。

ここは「ヌーン・チャーンスック」(เนินช้างศึก)と呼ばれています。

ヌーンは「丘」。
チャーンスックは直訳すれば「闘象」なのですが、
タイのサッカー・ナショナルチームの愛称も「チャーンスック」なので
「タイ」を意味していると捉えていいでしょう。

つまり「ここはタイ領の丘だ」との主張が込められた地名です。

かつてこのタイ・ミャンマー国境の山岳地帯には、
ミャンマー政府に反対する少数民族武装組織が拠点を構えて
ミャンマー政府軍と戦闘を繰り広げていました。

時にはミャンマー政府軍に圧迫された武装組織が
タイ領側に越境して逃れてきて、さらにそれを攻撃するために
ミャンマー政府軍まで越境して砲弾を撃ち込んだりしていました。

この丘にも一時はミャンマー政府軍が陣地を構えていたのだそうです。

以前訪れたラーチャブリー県のタイ・ミャンマー国境
フアイコークムーでは1999年に反政府武装組織が制圧されたので、
恐らくイートンの地でもその前後には同様に制圧が済み、
ミャンマー軍も退却して行ったのでしょう。

そうしてミャンマー軍が去った後、
この丘にタイ国境警備警察が陣地を設けたのでした。

06_13

監視台には、国境警備警察の青年が1人で見張り番をしています。

いつの間にかソンテオ運転手と男の子2人もやってきていました。
男の子たちは監視台の中に入って国境管理警察の青年と遊び始めるし(笑)

06_14

西側のミャンマーの光景は、ここからも山が果てしなく続いています。
地平線の先まで山しか見えない景色を、この人生で目にする機会に
遭遇するとは思いもしませんでしたよ。

中央を左右に走っている稜線がタイ・ミャンマー国境です。
で、稜線を辿って視線を右、つまり北へと移すと…

06_15

この写真の左から中央奥へと続く稜線につながっているのですが、
真ん中あたりの稜線上に、先ほど訪れたヌーン・サオトン(旗柱の丘)
が見えています。

その先に切り通しになった国境検問の位置も
なんとなく確認できますね。

稜線を右のタイ側に下りた、写真の右端あたりに
金色の仏塔が見えるでしょうか?
それを目印に…

06_16

視線をもう少し右に移したのがこの写真。

金色の仏塔が左に位置しています。
中央の家屋の塊が、イートンの集落です。

集落と国境線との距離感を掴んでいただけたでしょうか ^_^;)

こんな感じで丘から四方八方の景色を眺めてぐるぐる歩いていると、
「サワッディークラップ」(こんにちは)と20代後半ぐらいの
タイ人男性が声をかけてきました。一人で来ている様子ですね。

「こんにちは」
と笑顔で答えます。

丘の上にいる野犬を見て
「うああ、こんなに大きくなったのか。以前は小さかったのに」
と私に敢えて聞こえるように言うではないですか。

えっと、会話にのってあげたほうがいいんだろうか。
もう少し様子を見てみよっかな ^_^;)



<旅費交通費>
ソンテオのチャーター代まだなので:0バーツ
ここまでの合計:939バーツ

<参考>
lovethailand.org "เนินช้างศึก"

※旅は2017年3月27日(月)に行いました。



元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

イートン

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国境の丘ヌーンサオトン ミャンマー国境、元すず鉱集落イートンへ[5]

イートン(ピロック)の宿に荷物を置き、
タイ・ミャンマー国境を目指して早速歩き始めました。

時刻は、16:39。

05_01

イートン集落の入口です。
こんな木製のゲートが建ってるんですよ。

ここイートンは、スズ鉱山としてかつて賑わった集落です。

ビルマを1886年に完全に併合したイギリスは、
武器製造用にスズを現地調達していました。

そんなスズ需要の拡大を受けてビルマ人がスズ鉱を求めて
山深く入って行くようになります。


1938年、けもの道を伝って現在のイートンの地に辿り着いた
タイ側の猟師が、
国境を越境して鉱物を掘削しているビルマ人を目撃。
山を下りて当局に通告します。


当局はそこで部隊を編成しビルマ人を追い出し調査したところ、
この地には、スズとタングステン鉱の豊富な埋蔵量があることが判明。

1939年から農業省金属局管理の下で鉱山運営が正式に開始されました。

当時トーンパープームから徒歩で3日もかかった山奥の地にも関わらず、
最盛期には50前後の鉱山と数千人の住人で活気があったようです。
映画館までありました。

しかしスズ生産国で組織されたスズ生産国同盟による価格管理が破綻し、
世界市場のスズ価格が暴落した1985年の「スズ危機」をきっかけに、
この地のスズ鉱も相次いで閉山。ついに全て廃鉱になってしまいました。

鉱夫も去り、百軒前後の静かな今の集落の姿となったのです。


イートン入口ゲート左の看板には、

05_02

上段はミャンマー文字に似せたタイ文字で、
下段はミャンマー文字で地名が書かれています。

⇑ダウェー市 114マイル
⇑ガムボック郡 52マイル
⇑ミャンマー連邦 2km


では矢印のとおり、この坂を登って行きますか!

登って行くと右手にはヘリポートを兼ねたキャンプ場があり、
その左手に

05_03

ワット・ムアンレー・ピロック(วัดเหมืองแร่ปิล็อก)が。
訳すと、ピロック鉱山寺ですね。


さらに進むと、あれ?

05_04

ゲートがあるぞ。
国境管理警察の「ヒンゴーン検問」でした。

現れた青年警官にこの先まで行っていいか尋ねると、
「行っていいです。でも6時までに下りてきてください」
と。

了解です!

05_05

先で道が右へ折れているんですが、左手が開けてますね。
何かありそうだなと思いつつ到着すると、

05_06

なんだここは?
逆光で見えづらいので右手の丘に少し登って撮影すると、

05_07

タイ-ミャンマー永久友好協力地点
とタイ語・ミャンマー語で書かれた碑と警備の詰所があります。

反対側の丘は竹柵で仕切られた上に家屋も見えますね。
ってことはこの碑と竹柵の向こうがミャンマーってことかな。

05_08

詰所を良く見たら中にはちゃんと見張り番の人がいました。
この詰所はタイとミャンマーのどっち側なんだろう?

で、ここは何なのかですが、

05_09

 注意
高圧ガス管


と書かれています。

実は地面の下1.5mにはミャンマーのアンダマン海にある
ヤダナ・ガス田からの天然ガスパイプラインが通っているんです。

ここでタイ・ミャンマー国境を越えて、
ラーチャブリー県のピクントーン発電所まで繋がっています。

どうやら2013年頃に完成したらしいこのプロジェクトには、
三菱商事も関わっているようですよ。


右手の丘を階段で上ると頂上には、

05_10

タイ国旗とミャンマー国旗がはためいているのでありました。
ここはヌーン・サオトン(เนินเสาธง)。
訳すと文字通りの「旗柱の丘」。

グーグルマップを見ると、国境線は両国の国旗の間ではなく、
このすぐ左手を通っているようです。

で、そのミャンマー側の風景を眺めると、

05_12

地平線の彼方まで山、山、山!
怖いぐらいです。

あっちもよくこんなところまで道を敷いたもんですね~。

05_11

目をちょっと下にやると、緑一面の中に
天然ガスパイプライン関係と思われる道路と施設だけが
視認できました。


丘を下りてさらに先まで歩いてみます。

05_13

どこまで行けるかな。

するとたった3分で、

05_14

行き止まりです。
タイ国旗が掲げられた施設と土嚢の間には、

05_15

おお、国境ゲートか!

詰所には、
友好ルート検問(จุดเฝ้าตรวจ ช่องทางมิตรภาพ)と。

05_16

切り通しの向こうはミャンマーです。

越えてみたい衝動に駆られますが、この国境検問は
地元の人でも通れないんだそうです。

たぶん天然ガスパイプライン関係者のみが通行できる
作業用の国境なんでしょう。


時刻は、17:07。

実はもう1か所、国境の眺望ポイントがあるんですよ。
日暮れまでに間に合うかな。急いで戻るぞ。


<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:939バーツ

<参考>
ศูนย์การเรียนรู้อุตสาหกรรมเหมืองแร่ "ปิล็อก"
ปตท."โครงการท่อส่งก๊าซธรรมชาติจากแหล่งพม่า ไปยัง สถานีควบคุมความดันก๊าซฯ"
(PDF)
『中長期的に見た錫の需給動向-2(需要編) 』独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構
『三菱商事、ミャンマーのガス田プロジェクトに資本参画』財経新聞,2013年12月23日付

※旅は2017年3月27日(月)に行いました。

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イートン

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ミャンマー軍陣地が! ラーチャブリーの国境へ![8]

フアイ・コークムー・ビューポイントからミャンマー側を眺めると、

08_01


煙が立ち上ってます。

案内板によると現在この辺りに一般人は居住していないとのことですが、
少数民族が戻って来たんでしょうかね。それとも農作業か何かか…。



「ミャンマーの陣地だ」


隊員さんがふいに背後から声をかけてきました。
振り向くと南の方角に顔を向けています。


ん?

08_02


どこどこ?

デジカメでズームしてみましょう。


08_03


あっ!!

山頂の木々の間に黄色い土が見えています。整地されているっぽいですね。
ミャンマー側も陣地を築いていたのか。

人の姿は確認できませんが、それでも背筋がゾクゾクします。
隊員さんは涼しい顔をしてますけどね(笑)


しかしチャーターした車の主が国境警備警察の隊員さんでラッキーでしたよ。
そうでなければ、あそこにミャンマー軍の陣地があるなんて気付かなかったでしょうから。


タイ・ミャンマー国境はこのフアイ・コークムーの箇所だけ
くさび形にミャンマー領に食い込んでいるんです。
なのでタイが陣地を築くのに最適な場所だったんでしょうね。

観光地として一般人が立ち入りできるようになったのは2006年のこと。
地元タナーウシー郡役所と国境警備警察第137中隊が協力して実現したんだとか。



タイ・ミャンマー国境の景色をもう十分目に焼き付けたので、戻るとしますか。


08_04


途中、上半身裸のおっちゃんのいる小屋のところで、
隊員さんが「ほら、これがトーチョードーだ」と。


08_05


国境警備警察第137中隊の活動を紹介するパネルが小屋の壁面に貼られていて
その中の隊員の写真の部分を指差しました。

司令官が中隊本部を訪れた際の写真のようですね。


隊員さんはおっちゃんとまた話し出しています。

「あっちに空港があるよ!」
男の子が私を誘ったのでついて行ってみることに。


途中、道の脇にこんなものが。


08_06


ジャックフルーツってこんなふうに幹の途中からゴロゴロと実るんですね~。
面白いもんです。


お、どうやらあそこのようですね、男の子の言う「空港」って。


08_07


これは、やっぱり…


08_08


ヘリポートですね。そうだと思いましたよ ^^

そこからはタイ側の景色が見下ろせます。


08_09


スアンプンの郡役所があるのは、中央やや左寄りの白く見える辺りかな?





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:417バーツ

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つづく


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ミャンマー国境フアイ・コークムー ラーチャブリーの国境へ![7]

タイ・ミャンマー国境のフアイ・コークムー・ビューポイントに到着しました!

国境警備警察の隊員さんは車を端に寄せて停車。

時刻は、14:24。
クルア・ガリアンを出て34分でした。
23kmほどの道のりだったようです。


車を降りてまず目に付いたのは、


07_01


売店のようですね。しーんと静まりかえっていて人の気配が無いですが。
お、売店脇に発見。


07_02


間違いなくフアイ・コークムーです ^_^;)
横面には、

ラーチャブリー
  84
 バンコク


と。84はラーチャブリー市街地からの距離かな?
グーグルマップによれば、バンコクからは180kmらしいので。


で、売店の右横には、


07_03


西側を向いたちょっとした展望台が。
どこからがミャンマーなの?と男の子に聞いてみると、


07_04


「そこ」
と、ちょっと下を指差すではないですか。

本当にすぐ目の前がミャンマー領ってことか。
確かにグーグルマップでも尾根の稜線のほんのちょっと西側に国境線が走っています。


「あっちのほうがよく見えるよ」
そう言って男の子が歩いて行くのでついていくことに。


07_05


ガイド、ありがとうございます ^^


少し先に小屋が建っていて、上半身裸の酒好きそうなおっちゃんが涼んでいます。
男の子を見かけて声をかけたものの、恥ずかしいからか無視。

「なんだよ。サワッディーしてくれないのかい」
おっちゃんが笑ってます。

遅れて歩いて来た隊員さんが親しげにおっちゃんと話し始めました。
後で尋ねたところ、おっちゃんも国境警備警察隊員なんだそうで。
まさか、ここに常駐してるってことかな? そりゃ大変そうです。


コンクリート舗装された細い登り道を歩いて行くと、


07_06


ワンちゃんがどこからともなく現れてついてきてるし(笑)


竹林の間をずんずん進んで行くと、


07_07


あそこがてっぺんのようですね。
よいしょっと。


07_08


着いたー!!


07_09


        サイアム国境
   フアイ・コークムー・ビューポイント
ラーチャブリー県スアンプン郡タナーウシー村


と書かれた看板にタイ国旗がはためいています。


07_10


向こうに見える山々は全てミャンマー領
ついに国境まで来たという実感が湧いてちょっと感動です。

案内板によると、このフアイ・コークムーの地には1996年から
国境警備警察第137中隊が陣地を設営し、国境監視にあたってきたんだとか。

この一帯にはかつてカレン族、ポー・カレン族などといった少数民族が
居住するとともに、ミャンマー軍政に反対する勢力も逃げ込んでいました。

ミャンマー軍の攻撃に遭い分散したカレン民族同盟(KNU)の一派で
1999年にバンコクのミャンマー大使館で、翌2000年にはラーチャブリー病院で
人質取て立てこもり事件を起こした「ゴッド・アーミー」もこの辺りに潜伏したり、
スアンプンにあったミャンマー政府の抑圧から逃げてきた人達の
収容センターに身を寄せたりしていたんだそうで(01年にタイ側へ投降済み)。

当時はミャンマー側からのみならずタイ側からの発砲もあるきな臭い地域でしたが、
99年にミャンマー軍が掃討作戦を行い制圧してからこの地は平穏になったようです。
その代わり居住者は、タイ国境警備警察隊員以外いなくなってしまいましたが。


07_11


土嚢で築かれた塹壕が、そんな緊迫した時代の面影を今に伝えています。





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:417バーツ

※旅は2013年5月3日(金)に行いました。
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<参考>
フアイ・コークムー・ビューポイントに立つ案内板の文面
Wikipedia「ゴッド・アーミーによるミャンマー大使館及びラーチャブリー病院占拠事件」
(タイ語)

つづく


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