スパンブリー県ドーン・チェーディーのナレースワン大王騎象像
土台部分には、タイ文字で何やら書かれています。
読むと、ナレースワン大王の生い立ちから始まり、ビルマからの独立宣言、
王位継承、そしてこの地でのビルマ王子との象戦での勝利。
それらの英雄的偉業を讃えてこの碑を建てたとの内容でした。
1959年の像除幕式には現国王夫妻がいらっしゃったそうです。
ちなみに前回、ナレースワン大王が手にしている武器を槍と書きましたが、
薙刀(なぎなた)ですよね。失礼しました ^_^;)
さてさて、ここでまたちょっと歴史の話になります。
アユタヤ王朝年代記(中国や日本の正史に当たる歴史書)には
数種の異本があるのですが、多くの本に、象戦勝利の後
ナレースワン大王は戦いのあった「トゥラパンクル」の地に
仏塔を建てたと記されているんです。
明治時代に当たるラマ5世期に、同名の地があるカンチャナブリー県に対して
仏塔遺跡を探すように命が下りますが、あるのは住民が建てた新しめの小さな
仏塔ばかり。
時は下ってラマ6世期の1913年、ある異本が象戦の地を「ノーン・サーラーイ」と
記していることから、県内に同名の地があるスパンブリー県知事が同地を調査。
すると住民から「森の中に仏塔がある」と知らされます。
ドーンチェーディー(仏塔の高台)と地元では呼ばれ、
古くからの言い伝えでは王が葬られているという報告が寄せられました。
そこで調査団が森に分け入り、発見に至ったのです。
断定した決め手は、
1.同地はビルマ軍がアユタヤ攻撃に進軍した経路上にある。
2.一辺20mの大きさは、地元民が建てた仏塔とは考えられない。
3.同地周辺には寺院遺跡が皆無で、この仏塔があるのみ。
4.アユタヤ軍陣地のあったノーン・サーラーイから
280mしか離れておらず、銃声が聞こえる距離にあった。
5.近隣の畑で古い大砲が発見された。
ということだそうです。
その仏塔が、1956年に建てられた奥に聳える白い仏塔の内部に
保存されているのです。期待に胸が高まるじゃぁないですか。
おっと、親子のネコちゃんが戯れているのを尻目に
奥へと歩いていきます。
白い仏塔の入口へ辿り着きました。
左に見えているゴツゴツした枝の木は、菩提樹。
1957年にインドからわざわざ運んできたんだとか。
拝観料無料の仏塔内に足を踏み入れます。
真正面にあるのがそうか!?
ナレースワン大王像の背後にあるのは、
やっぱりそうでした。
1592年にアユタヤ軍対ビルマ軍の象戦が繰り広げられ、
ナレースワン大王が一騎打ちの末、ビルマのマンサームキアット王子を
倒した地に、ナレースワン大王が建てた仏塔跡が目の前に!
仏塔跡の周囲にはナレースワン大王の生涯が
順を追って時計回りに説明されています。
が、私はうっかり逆に歩いてしまいました ^_^;)
なので最初に出くわしたのは、
1913年の仏塔跡発見の様子を伝えるジオラマでした。
そして次はクライマックス、
1592年の象戦の絵巻。
大王の薙刀はビルマ王子の右肩に振り下ろされ、
王子は象の首の上で息絶えたのでした。
言い伝えにある仏塔に葬られた王とは、
ビルマの王子なのかもしれませんね。
続いて、こんなのもありました。
象戦のジオラマ! なかなかの迫力ですよ。
映画と同じで、3人一組で騎象していますね。
首に跨る人が戦う役、尻にぶら下がる人が象を操る役。
じゃあ鞍に座っている人は何の役目なんでしょう?
迫力ある構図を探して四苦八苦するものの、
これで精一杯でした ^_^;)
より迫力を感じたい方のために、タイ映画『King Naresuan 5 ~象戦~』の
トレイラー(YouTube)へのリンクを再度貼っておきますね。
<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:150バーツ
※旅は2014年9月18日(木)に行いました。
<参考>
ドーン・チェーディー仏塔内の説明書き
"นายรอบรู้ สุพรรณบุรี",สำนักพิมพ์สารคดี,2012年
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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土台部分には、タイ文字で何やら書かれています。
読むと、ナレースワン大王の生い立ちから始まり、ビルマからの独立宣言、
王位継承、そしてこの地でのビルマ王子との象戦での勝利。
それらの英雄的偉業を讃えてこの碑を建てたとの内容でした。
1959年の像除幕式には現国王夫妻がいらっしゃったそうです。
ちなみに前回、ナレースワン大王が手にしている武器を槍と書きましたが、
薙刀(なぎなた)ですよね。失礼しました ^_^;)
さてさて、ここでまたちょっと歴史の話になります。
アユタヤ王朝年代記(中国や日本の正史に当たる歴史書)には
数種の異本があるのですが、多くの本に、象戦勝利の後
ナレースワン大王は戦いのあった「トゥラパンクル」の地に
仏塔を建てたと記されているんです。
明治時代に当たるラマ5世期に、同名の地があるカンチャナブリー県に対して
仏塔遺跡を探すように命が下りますが、あるのは住民が建てた新しめの小さな
仏塔ばかり。
時は下ってラマ6世期の1913年、ある異本が象戦の地を「ノーン・サーラーイ」と
記していることから、県内に同名の地があるスパンブリー県知事が同地を調査。
すると住民から「森の中に仏塔がある」と知らされます。
ドーンチェーディー(仏塔の高台)と地元では呼ばれ、
古くからの言い伝えでは王が葬られているという報告が寄せられました。
そこで調査団が森に分け入り、発見に至ったのです。
断定した決め手は、
1.同地はビルマ軍がアユタヤ攻撃に進軍した経路上にある。
2.一辺20mの大きさは、地元民が建てた仏塔とは考えられない。
3.同地周辺には寺院遺跡が皆無で、この仏塔があるのみ。
4.アユタヤ軍陣地のあったノーン・サーラーイから
280mしか離れておらず、銃声が聞こえる距離にあった。
5.近隣の畑で古い大砲が発見された。
ということだそうです。
その仏塔が、1956年に建てられた奥に聳える白い仏塔の内部に
保存されているのです。期待に胸が高まるじゃぁないですか。
おっと、親子のネコちゃんが戯れているのを尻目に
奥へと歩いていきます。
白い仏塔の入口へ辿り着きました。
左に見えているゴツゴツした枝の木は、菩提樹。
1957年にインドからわざわざ運んできたんだとか。
拝観料無料の仏塔内に足を踏み入れます。
真正面にあるのがそうか!?
ナレースワン大王像の背後にあるのは、
やっぱりそうでした。
1592年にアユタヤ軍対ビルマ軍の象戦が繰り広げられ、
ナレースワン大王が一騎打ちの末、ビルマのマンサームキアット王子を
倒した地に、ナレースワン大王が建てた仏塔跡が目の前に!
仏塔跡の周囲にはナレースワン大王の生涯が
順を追って時計回りに説明されています。
が、私はうっかり逆に歩いてしまいました ^_^;)
なので最初に出くわしたのは、
1913年の仏塔跡発見の様子を伝えるジオラマでした。
そして次はクライマックス、
1592年の象戦の絵巻。
大王の薙刀はビルマ王子の右肩に振り下ろされ、
王子は象の首の上で息絶えたのでした。
言い伝えにある仏塔に葬られた王とは、
ビルマの王子なのかもしれませんね。
続いて、こんなのもありました。
象戦のジオラマ! なかなかの迫力ですよ。
映画と同じで、3人一組で騎象していますね。
首に跨る人が戦う役、尻にぶら下がる人が象を操る役。
じゃあ鞍に座っている人は何の役目なんでしょう?
迫力ある構図を探して四苦八苦するものの、
これで精一杯でした ^_^;)
より迫力を感じたい方のために、タイ映画『King Naresuan 5 ~象戦~』の
トレイラー(YouTube)へのリンクを再度貼っておきますね。
<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:150バーツ
※旅は2014年9月18日(木)に行いました。
<参考>
ドーン・チェーディー仏塔内の説明書き
"นายรอบรู้ สุพรรณบุรี",สำนักพิมพ์สารคดี,2012年
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