船着き場からターチーン川沿いに右へと歩くと中国廟の先に
白い壁が見えて来ました。間からは大砲が覗いています。


ウィチアンチョーコット要塞


ウィチアンチョーコット要塞です。


強烈な日差しで白い壁が眩しくてたまりません… (>_<)


ラマ3世期の1828年に築造された要塞です。

当時、タイの属国だったラオス・ヴィエンチャンの王が反乱を起こし
サラブリーやナコーンラーチャシーマーへ攻め入る事件が発生。

ラマ3世が迎撃してヴィエンチャン王は敗走したのですが、
ベトナムに支援を求めたのでした。ベトナムと言えばインドシナで
タイと覇権を争うライバル。ただラマ2世期のような勢いはもう無くなっていました。

そこでこの機会にまずは防御を固め、その後ベトナムに奪われた
クメールの領地奪還に乗り出そうとしたのです。

その防御策の一環で沿岸の町6か所に築かれた要塞のうちの
1か所が、ここウィチアンチョーコット要塞

地理的に対ビルマ用かと思っていましたが違ったんですね。


ウィチアンチョーコット要塞


こんな感じで白壁の間から等間隔で大砲がターチーン川へ向けて
その砲口を向けています。


しかし大事な史跡なのに、真裏には無造作に車が駐車してあったりで、
もうちょっとしっかり管理したほうがいいんじゃないかと思うんですが…(汗)


などと考えながら大砲が向いていた先のターチーン川
もう一度眺めてみます。


ターチーン川を行く漁船


ちょうど漁船が大勢の漁師さんたちを乗せて海へと向かって行くところでした。
こんな昼近くの時間でも出漁するんですね。


要塞のすぐ横にはラック・ムアン(国柱)が。


ラック・ムアン・サムット・サーコーン


大理石で装飾されたちょっとした塔の上にあるんですが、
強烈な日差しのお陰で床面がむちゃくちゃ熱くなってて
裸足で昇るのにヤケドするかと思いましたよ(>_<)

ちなみに今の国柱廟は、1987年に建てられたんだとか。

とてもご利益があるんだそうで、かつてここの建て替えで行政側と
ご利益が失われるのを心配した町民&漁民との間でひと悶着あったんだそうです…。


さて、散策を続けますか。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 38バーツ


つづく


※旅は2010年9月20日(月)に行いました。



マハーチャイ