タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

サル

プラプラーン・サームヨート~ロッブリーのシンボル ロッブリー日帰り旅[3]

プラカーン廟西側目の前には国鉄線路の踏切があり、
その向こう側には、ロッブリーのシンボルとも言える


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プラプラーン・サームヨート(พระปรางค์สามยอด)が聳えています。

行ってみましょう。


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入口階段を上った左にチケット売り場がありました。

タイ人10バーツ
外国人50バーツ

との料金表示が。

外国人です、と告げると、受付の男性がキョトンとした顔をして、

「タイ人じゃないの? どこの人? なんでタイ語話せるの?」
とまたまたお決まりのパターン(笑)

バンコクでタイ語を学んだことがあるんですと、
これまたいつもの説明をすると興味を持ったようで、
わざわざ小屋から出てきてロッブリーの見どころを
親切にも色々と教えてくれました。

「ミュージアムには行った? 素晴らしいからぜひ行ったほうがいいよ」

そこまで言うなら後で寄ってみますか。


03_03


これが外国人用チケット。

プラプラーン・サームヨート
とは「三頂仏塔」の意味。

案内板によると12世紀、クメール王国最盛期の王ジャヤヴァルマン7世に
よってバイヨン様式で建てられた大乗仏教寺院なのだとか。

大乗仏教とは意外ですね。

で、3つの仏塔の前側に17世紀、アユタヤ王朝のナーラーイ王が
仏堂を後付けで建てたのだそうで。


03_04


確かにこの右側の仏堂の壁は3つの仏塔と石材が違って見えますもんね。


03_05


うわっ、ここにも猿がうじゃうじゃ。


03_06


親猿が子猿の毛づくろいをしています。
かわいいなー。

さすがに学習して、飛びかかられないように間合いを取って観察(笑)

見事なクメール寺院遺跡が目の前にあるというのに、
私の興味はもっぱら猿たちに注がれたのでした。


03_07


南側を眺めたところ。柵上にも猿が。

ちなみに左端がさっきのプラカーン廟

その前のクリーム色の門には「ナーラーイ王陸軍基地」との文字が。
この数百メートル東に基地ができた時に建てられたんでしょう。
1937年との銘板がはめられていました。

目の前を真っ直ぐ南へ行くとロッブリー駅です。


03_08


お、こっちにも親子猿が ^^

ロッブリー
中心部には、主にナーラーイ・マハーラート通り沿いに
4つの大群と4つの小群の計2千匹の猿が生息しているそうです。

そんな中、今年7月にロッブリーの猿保護団体が、
「当局が猿を多数捕獲したために生息数が減った」とマスコミに訴える
出来事がありました。

対して当局は、捕獲したのは苦情が寄せられたケースだけで、
凶暴な性格の50匹程度。ロッブリー動物園に移送して森に放すか協議中、
との説明でした。

でも住民からも目に見えて猿の数が減ったとの声もあり、
ちょっとした疑惑に発展しているようです。


03_09

これだけ数が多いと交通事故に遭ったり、電線を噛んで感電死したり、
犬に襲われて大けがを負ったりする猿も毎年多く出るそうで。

さらに住民の物を盗んだり、体を噛んだりするので
中には頭に来て猿目がけて発砲する人もいるんだとか。

人と猿の共存はなかなか難しいようですね。

猿目当てで訪れる観光客の存在が、なんとか今の状態を
保たせている側面もあるようです。


03_10


こらっ、イタズラが過ぎると捕まっちゃうぞ(笑)


プラプラーン・サームヨート
を後にして、
ナーラーイ・マハーラート通り沿いに西へ歩いてみます。

ところどころで猿を見かけますね。


03_11


あっ、左手にも遺跡が。
遺跡前の路地に入っていきます。

案内板には、プラーンケーク礼拝所(เทวสถานปรางค์แขก)と。
プラーンケークは訳せば「インド人の塔」ってなところでしょうか。

元は10世紀に建てられたバラモン・ヒンドゥー教施設だったのを
17世紀のナーラーイ王時代に修改築されたものだとか。

こんな遺跡が旧市街に点在しているんでしょうね~。

お、頭上の電線に猿が一匹。
少ないけどこの辺にもいるのか。


路地をそのまま南下すると、商店街に。

振り返ってみます。


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町に溶け込んだ遺跡ってものいいもんですね。

ちなみに私の左手には、


03_13


市営生鮮市場が。
路地沿いに長く続く市場で結構賑わっています。

ところで、ミュージアムはどこにあるんだろう。
たぶんそろそろ近いはずなんですが。

時刻は10:48。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:50バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

<参考>
Post Today "ร้องลิงลพบุรีกว่า2พันตัวถูกจับหายปริศนา" 2014年7月14日付
Post Today "ลิงลพบุรีชะตากรรมวันนี้ช่างน่าเศร้า" 2014年7月18日付

つづく

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

プラプラーンサームヨート

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ロッブリーといえば猿だけど… ロッブリー日帰り旅[2]

列車からロッブリー駅のホームに降り立ちました。


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とりあえずホームを列車進行方向へと歩いてみますか。

すると左手に、


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遺跡のミニチュアが。

ロッブリーはクメール遺跡で有名だもんな~なんて思いながら、
視線を上げてみてビックリ。真後ろに本物の遺跡が見えるではないですか!

なんと駅の真ん前にあるのか。
あとで寄ってみましょう。


さらにホームを歩くと、やはり左手に


02_03


バンコク行きロッ・トゥー乗り場があんなところに。
帰りはあれを利用しようかな。


ホーム端近くまで歩きます。


02_04


駅名看板の右にも遺跡が見えますね。
あそこへまずは行ってみましょう。

線路伝いに向かうと、


02_05


思ったより大きな遺跡でした。
案内板には、ワット・ナコーンコーサー(วัดนครโกษา)とあります。


ロッブリーの歴史はかなり長いんですよ。

タイ族がやって来る前の6~11世紀に存在したモン族の
ドヴァーラヴァティー王国がラウォーという名の都市をここに築いていました。

ラウォーはサンスクリットで「水」の意味の「ラワ」に由来との説が有力。
で、ラウォー・ブリー(ラウォーの都)が訛ってロッブリーになったんだとか。

その後11~13世紀は、クメール王国(真臘)が断続的に支配。
アユタヤ時代の17世紀にはナーラーイ王がロッブリーを副都とします。

その後衰退したのち、19世紀に現王朝のラマ4世が
ナーラーイ王時代の王宮跡を整備、20世紀半ばのピブーン政権時代に
都市計画設定・軍隊配置をして町を復興し、現在にいたっています。


前置きが長くなりましたが、このワット・ナコーンコーサー遺跡
そんなロッブリーの長い歴史を反映しているのです。

左のこんもりした遺跡がドヴァーラヴァティー時代、
中央の本堂と右の仏塔がアユタヤ時代、
写真には写っていませんが、さらにクメール時代の仏塔もある
歴史のロマンを感じさせる遺跡となっています。

うーん、ただ曇り空なのが残念!


さらに線路伝いに北へと歩くと、


02_06


ナーラーイ・マハーラート通りのロータリーに出ました。

ロータリーの中央には廟が見えますね。何だろ?


02_07


プラカーン廟(ศาลพระกาฬ)と書いてあります。

案内板を読むと、11~13世紀にクメール様式で建てられた仏塔の基礎部の上に
アユタヤ時代にビシュヌ神を祭る廟を建てたものだそうで。

現在の廟は1933年築のものだとか。

狛犬ならぬ
猿が鎮座していますね ^^
さすが「猿の町」として有名なロッブリーだけのことはあります。

ところでその猿は一向に姿を見かけないんですが…、
と思いつつ右手から裏に回ってみると、


02_08


うはっ、いたいた。猿がいっぱい!

しかもあれがクメール様式で建てられた仏塔の基礎部ですね。

帰ってから調べたところ、元々プラカーン廟の周囲には木が多く茂り、
そこに住む猿が廟のお供え物のフルーツなどを食べにくるようになって
この一帯に住み着き、数が増え、「猿の町」となったんだそうです。


でも今ではお供え物ではなく、


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猿用のエサ場が設けられているのでした。

猿保護のためというより、こうしておかないと
参拝客が猿に襲われるからかも ^_^;)

さらには、


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水飲み場まで。子猿が気持ち良さそうに泳ぎまわっています。
かわいいな~。思わずカメラを向けると…

手前の子猿が飛びかかって来た!!

それを合図にさらに1匹、2匹と私目がけて飛んできてぶら下がります。


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ぎょえ~!!
こら、髪を引っ張るな! イテテテテ…(>_<)

我慢できずに売店のおばちゃんに助けを求めます。

おばちゃんが手にした長い棒をテーブルにバン!と打ちつけると、
猿たちは一目散に逃げていったのでした。

ふぅ~、助かりました。 ありがとうございます m(_ _)m


気を取り直して廟にお参りしておきましょう。
階段を上がると、


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奥に金箔を貼られまくった像が。

元は真っ黒のクメール様式像だったそうなんですよ。
しかも頭と腕がありませんでした。

ある日住民の夢にでてきて、できる限りでいいから頭と腕を探してほしいと
頼んだのだとか。それで住民がアユタヤ様式の頭部をどこからか工面してきて
くっつけた…という言い伝えがあるんだそうで。

腕もヴィシュヌ神らしく4本ありますね。


参拝を済ませ階段を下りると、ちょうど目の前の踏切が閉まって
警告音が鳴り始めたところ。

通過する列車の写真でも撮るとするか。
踏切前まで急いで寄ってカメラを構えて待っていると


02_13


はぁ???

簡素な作業車が、似合わない猛スピードで通過。

思わずズッコケそうになったのでした(笑)





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:50バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

<参考>
จังหวัดลพบุรี "ประวัติจังหวัดลพบุรี"
Wikipedia "ศาลพระกาฬ"

つづく

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

プラカーン廟

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