タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

クウェー・ヤイ川

取水用引込線跡を探せ! カンチャナブリー市街への旅[3]

一時中断していた「カンチャナブリー市街への旅」を再開します。
のんびりしていたら本当に1年経ってしまいました ^_^;)

読んでいない方のために前回までの記事へのリンクを貼っておきますね。
カンチャナブリー城壁! カンチャナブリー市街への旅[1]
古い町並みパークプレーク カンチャナブリー市街への旅[2]

03_01

自転車を借りた店の前のクウェー川通り
(メーナム・クウェー通り)沿いには
ゲストハウスが並んでいます。

カオサンを静かにした感じですかねー。

夜はまた一変しそうな気がします。


サムローで来た道を自転車を漕いで戻り、

03_02

連合軍共同墓地の角まで来ました。
ここで左折するとすぐの左手に、

03_03

DEATH RAILWAY MUSEUM というところが。
どうせだから入ってみますか。

時刻は、10:15。

上記リンク先では名称が「Thailand-Burma Railway Centre」に
なってるんですよね。
「死の鉄道博物館」と「泰緬鉄道センター」の
どっちが正式名称なんだかわかりません ^_^;)


場所はここです(グーグルマップ)。

受付で入館料140バーツを払おうとすると、
「あなたはタイ語を話すからタイ人料金です」
と言われて20バーツで済んじゃいました。

渡されたチケットは140バーツのもの…。

ま、いっか(笑)


館内は、名称のとおり泰緬鉄道建設に関するパネル展示がメイン。
建設作業で使用した遺物の展示も多少あります。

ただ館内展示は撮影禁止なのが残念。

展示を見ていて、ティモンターという地点には2009年時点で
泰緬鉄道の木橋の残骸が残っているという興味深い事実を
知ったのが収穫ですね。現在はワチラロンコーン・ダムの島に
なっているところにあるのだと思います。

流して見て上の階のカフェまで来ました。
入館チケットと一緒に渡された黄色いチケットをカフェで渡すと
コーヒーを1杯無料でくれるんだそうで。

03_04

ということでホット・コーヒーを頂きました。
が、インスタントでした ^_^;)

他にはメニューにあるとおり食事もできるみたいですよ。


自転車のチェーンの鍵を館内で落として慌てて探し回った後(笑)、
再び自転車ですぐの表通りへ。

03_05

通りの反対側を奥へ行ったところが国鉄カンチャナブリー駅です。

あ、先に次の目的地の入口が見えてますね。

03_06

連合軍共同墓地(ドーンラック)です。
筋として寄っておいた方がいいと思いまして。

場所はここ
時刻は、10:53。

門には「KANCHANABURI WAR CEMETERY」と。

説明板によると、ここには主に日本軍の捕虜として泰緬鉄道建設に
強制的に従事させられ命を落とした
英連邦各国からの5,000人と
オランダ人1,800人が埋葬されているとのこと。


この中には以前訪れたサンクラブリーにあったニーケ駅とチャンガラヤ駅で
疫病で死亡し埋葬されていた300人やタイ各地に点在して埋葬されていた
11人、
インド軍墓地に埋葬されていた人も含まれます。
ここに移されたんだそうで。


さらに終戦時に病院で治療を受けていたもののその後死亡した人800人も。

泰緬鉄道建設は1942~43年だったのに入口の門には
「1939 1945」とあるのは、そのためなんですね。

03_07

綺麗な芝生と勢いよく水を撒いているスプリンクラーが印象的でした。


さて、次に自転車で向かったのは、
グーグルマップの航空写真を拝借して説明すると、

03_09

現在地」のポイント。

さっき自転車を借りたクウェー川通りと、
橋から伸びるスッジャイ通りとの交差点です。

実はここで2016年4月上旬、道路舗装をはがす工事中に、
道路面の30cm下から古い線路が出てきたんです。

長さは10メートルほど。さらに数百メートル離れた場所でも
同様に線路が出てきたんだとか。

地元に50年住む人の話では、昔、蒸気機関車に給水する水を
取水するためにカンチャナブリー駅からクウェー・ヤイ川まで
引込線があったとのこと。

それがいつからあったのか定かではないんですが、
日本軍が泰緬鉄道の蒸気機関車に給水するために
敷いた線路ではないかと話題になっているんです。

だってカンチャナブリーに最初に鉄道を通したのは
日本軍ですからね。泰緬鉄道として。

このニュースを伝えるVoice TVウェブサイトの動画では、

03_08

まさにこの写真の中央に縦に線路が走っているんですよ。

背後がクウェー・ヤイ川を渡る橋の方向になります。
つまり北を見た写真です。

今回のこの旅の一番の目的はこの線路跡を見ることだったんですが、
既に工事は終わってて残念!

しかし元のまま埋め戻されたのか、取り除かれてしまったのかが心配です。
ニュースの中では、戦争中のものだと確認できれば保存も検討したいとの
カンチャナブリー市長のコメントも伝えていますが。

ちなみに2つ前の航空写真で黄色い線を引いたすぐ上を
よく見ていただくと分かると思うんですが、
今でもかつての引込線の跡を辿るように道路があるんですよ。

自転車でずっと辿ってみましたが発見は何もありませんでした。


気持ちを切り替えて先に進みますか(笑)

03_10

そのままスッジャイ橋クウェー・ヤイ川を渡っちゃいます!
時刻は、11:12。

こっちは下流側。
で、上流側をズームで望むと、

03_11

戦場に架ける橋」ことクウェー川鉄橋が見えました。
日本軍は当時「メクロン河永久橋」と呼んでいたみたいですね。

橋を渡り切ると、のどかな田舎の集落の光景が広がっていました。
そんな中をのんびりと自転車を漕いでいきま~す。

03_12

いい感じですね~。


しばらく進むと国道3305号線に出ました。
この通りを左にしばらく進むと、

03_13

右手にかつての泰緬鉄道で現在の国鉄西線(ナムトック線)の線路が現れ、
あ、見えてきました。

03_14

カオプーン駅(ที่หยุดรถเขาปูน)です。

時刻は、11:32。

泰緬鉄道当時、日本軍はこの駅を「カオポン」駅と呼んでいました。

03_15

時刻表を見ると、なんと1日に1往復しか
この駅に停車しないじゃないですか!

うーん、時間からして通学用かな。

駅前唯一の商店でPETボトルの水を購入してから、
この先の踏切前の十字路を左折して道なりに少し走ると、

03_16

右手に緑が綺麗な一角が見えてきました。

03_17

チョンカイ共同墓地(Chungkai War Cemetery)です。

場所はここ
時刻は、11:43。

03_18

連合軍のもう一つの共同墓地で、英連邦1,400人、オランダ300人の捕虜が
埋葬されています。元々ここは1942年に捕虜達自身が設けた埋葬地だったのだとか。

ここで車で来ていた60代イギリス人男性に英語で声をかけられました。
「どこから来たの?」

(ギクッ…) 日本からです。

その返答にも笑顔を変えずに逆に気を遣ってくれたのか
色々と話しかけてきました。これからどこへ行くのかとか。

「私もこれから行くところだよ」

そんなところ良く知っているなあと感心しながら
「Good Luck!」とお互い言い合って別れました。

男性はさすがイギリス人と言うべきか、紳士でした。
私もかくありたいものです。


<旅費交通費>
貸自転車を漕いだだけなので:0バーツ
ここまでの合計:220バーツ

※旅は2016年5月27日(金)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

チョンカイ共同墓地

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クウェー川鉄橋と大どんでん返し 遅ればせながらの泰緬鉄道[3]

クウェー・ヤイ橋駅東側に静態保存されている
蒸気機関車のところに辿り着きました。



03_01


車体には、

NORTH BRITISH LOCOMOTIVE
       1918


との銘板があったのでイギリス製ですね。

その横にはこんなものも展示してあります。


03_02


トラックを改造した機関車というかトロッコというか。
資材運搬用に旧日本軍が使ったんでしょうかね。

ちなみにイギリス製蒸気機関車の正面にはこんな碑が建っています。


03_03


カメラを構えた私が映り込んでいて申し訳ないですが、

軍属・機関士たりし佐々木一三君
に協力してときの鉄道建設関係者
有志並びに一般協力者これを遺す
 1977年2月7日
  旧泰緬鉄道C56形機関車保存会


と書かれています。

そう、ここに保存されている蒸気機関車は
さきほどのイギリス製だけではないのです。

その前方には、


03_04


C56の23号機が!

しかしながら風雨に長年さらされているためか傷みが激しく、


03_05


炭水車は錆びて穴が開いている状態。
屋根付きの場所に保存してもらいたいものですね。


で、この後ろ側がちょうどクウェー・ヤイ橋駅なのです。
ホームへ行ってみると、


03_06


団体さんが手持ち無沙汰げに休憩しています。
上りにせよ下りにせよ次の列車まで数時間あるはずなんだけど、
それまで待ってるつもりなんですかね? -_-;)

などといぶかしく思いつつも切符売場の写真を撮影。


03_07


すると、「列車の乗車に興味がありますか?」と
丁寧な口調で話しかけてくる人あり。
駅員さんではないですか。

え、だってもう行ってしまったんですよね?

「遅れていてあと5分で到着します。」

なんだって!?

カンチャナブリー駅発10:35の列車が遅延でまだ来てないってことか!
なんとラッキーなんだ。これは乗らない手はありません!

はい、乗ります!

駅員さんが切符売場の窓口に座って切符を発行しようとしながら、
「バット・プラチャーチョン(国民身分証)を見せてください」と。

日本人です ^_^;)

「タイ語が上手ですね」と笑顔で言いつつ100バーツ請求されました。
タイ人なら確かタダなんですよね?

きっと、発音が変だなと思いつつも判断がつきかねていたんでしょう(笑)
でも光栄です。


よく見たら窓口横に

257番列車トンブリー―ナムトック
ディレイ30分
到着11:20

と掲示されてるじゃないですか ^_^;)

現在時刻は11:25だぞ。この掲示よりさらに遅れたということか。
いずれにしてもあと5分。それまでに急いで橋を見てきましょう!


土産物店が並ぶ駅のホームを端まで歩くと、


03_08


爆弾のオブジェの先に、かのクウェー川鉄橋が!

下流側の脇から眺めてみます。


03_09


ご存知の方も多いかもしれませんが、この橋は旧日本軍が泰緬鉄道建設の
一環で
捕虜や雇った労働者を使って建設した橋なのです。
完成は1943年5月。泰緬鉄道が全線開通する5ヶ月前のことです。

映画『戦場にかける橋』で一躍有名になったんですよね。

橋両側の柵(トラス)の形状が丸いかまぼこ型の部分がオリジナルの橋で、
中央の台形部分は連合軍の爆撃で破壊され、戦後賠償の一つとして
日本企業により修復された部分だとウィキペディアにありました。

戦時中の航空写真を見ると、この場所の鉄橋のほかに、
やや下流に木製の橋もあったのが分かります。
そちらが鉄橋より先に完成し、爆撃を受けた際にはいち早く復旧させて
なんとか鉄道輸送を維持していたようです。


おっと、急いで戻らないと。


03_10


駅名看板ですが、タイ語だと「クウェー・ヤイ橋」なのに
英語だと「RIVER KWAI BRIDGE」な不思議。

この川はクウェー・ヤイ川なのでタイ語表記の方が正確なんですけどね。
もう一本、クウェー・ノーイ川があり、少し下流でその2本が合流して
メークローン川に名を変えるんです。

で、ややこしいのですが、この鉄橋でクウェー・ヤイ川を渡った
旧泰緬鉄道、
国鉄西線(ナムトック線)クウェー・ノーイ川伝いに
ミャンマー方面へ向かうのです。


売店でペットボトルの水を買い、5バーツの有料トイレを使わせてもらって
出てくると、
ちょうど機関車の警笛の音が聞こえました。来るぞ!


03_11


11:36、ディーゼル機関車に牽引された列車が
結局定時より1時間近く遅れて入線。

さあ、座席確保合戦の開始です!(笑)




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:155バーツ

※旅は2014年3月31日(月)に行いました。


つづく


カンチャナブリー


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