タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

カンチャナブリー県

修復前のモン橋 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[13]

モン橋脇のいかだの宿に泊まった翌日、5月13日(火)は6:00に起床。
早速モン橋を拝みに外へ出てみます。


13_01


前回のように朝霧に包まれていないのがなんとも残念。
前回ほど朝方に湿度を感じなかったのでちょっぴり予想はしていたんですが。
そりゃ毎日霧が出るわけじゃないですもんね。


13_02


水浴びを済ませ、バルコニーでのんびり景色を眺めながら朝食を待ちます。


13_03


6時半過ぎに中学生ぐらいの男の子がバスケットを運んで来ました。
食器に空けて頂くとしますか。


13_04


パトンコーとホットコーヒー。 これだけでもあるだけ嬉しいです ^^


さあ、せっかく早起きしたんだからもう出発しますか。


13_05


去り際に今回泊まったいかだ家屋を眺めておきます。

おじいさんに鍵を返してチェックアウト。
今回はまだモン橋に上がってなかったので寄っておきましょう。


13_06


7時前だというのに、もう人がいますね。


13_07


橋から東側を眺めます。

一番右に見えるいかだ家屋の10棟ほどのかたまりが
今回もお世話になったおじいさんの宿です。


橋を行けるところまで進んでみますか。


13_08


恐る恐る足を前に出し…。

見下ろしてみます。


13_09


背筋がゾッとしますよ。

5回前のエントリーにもちょっと書きましたが、
2013年7月28日の鉄砲水で倒壊したこの箇所は、カンチャナブリー県
入札で発注した業者が納期を過ぎても修復工事に着手しなかったので契約破棄。

代わりに陸軍と地元モン族住民が協力してたった39日間で修復を完了させ、
この10月18日に開通式が執り行われました。

紆余曲折はありましたがモン族住民の手で修復でき、
名実ともに「モン橋」として復活できたので
結果的に良かったんじゃないかなと思います。

現在ではこの倒壊した姿はもう目にすることができませんが、
元どおりモン橋を渡って対岸へ行くことができるようになりました。

竹橋は撤去されちゃったのかな?


私はモン橋を後にして、


13_10


入口で待機中のバイクタクシーに「ロッ・トゥー乗り場へ」と告げ跨ります。
時刻は06:59。

モン橋
の入口は右手。
正面に見えているのはコンクリート橋の入口です。


バイクだとなんと速いことか!
たったの3分で到着。


13_11


昨日下見しておいたテーサバーン1通りのロッ・トゥー乗り場です。
カンチャナブリー行きのロッ・トゥーに乗って途中で降りたいので、
受付で聞いてみます。

チョン・カオカート
(ช่องเขาขาด)へ行けますか?

「行けるよ。あと5分で出発だ」

えっ、食事してから乗りたいんですが…。

「大丈夫大丈夫。便は
沢山出ているからゆっくり食事してきな」

と言われたもののできるだけ早い便に乗りたいので、
並びの食堂に急いで飛び込んで、


13_12


パット・ガパオ(挽肉のバジル炒め)を注文して胃袋に掻き込み、
辛さで汗ダクダクの顔で8分後に受付に戻ると、


13_13


「速いね。もう食べてきたの!?」と。

ロッ・トゥーはまだ出発していませんでした。
予想どおりだ(笑)


次なる目的地は泰緬鉄道史跡のひとつ、ヘルファイア・パス
そのタイ語名称がチョン・カオカート(欠けた山の切り通し)なのです。





<旅費交通費>
バイクタクシー代:15バーツ
ここまでの合計:1,489バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー2

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ



   
あなただけのタイ語家庭教師 (CDブック)

サンクラブリー湖上いかだレストラン 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[12]

食事のできるところへ連れて行ってくれるとの船頭さんの好意に甘えて再び乗船。
モン橋脇の竹橋を離れます。


12_01


エンジンを切ってオールを漕ぎ始める船頭さん。

船はモン橋横のいかだ集落のうち、東寄りの一角に横付けしました。
時刻は、18:18。

「ここですよ」

いかだレストランもあったのか!

「ところで今夜の宿はもう決まっていますか?」

いえ、まだなんです ^_^;)

「僕は宿も経営しています。待っていますので食事後に見てみませんか?
 気に入らなければ断ってももちろん大丈夫ですよ」

なんと控えめな提案。
はい。ではあとで見せてください。


まずはディナーを~。

このいかだレストランは「ペー・ミットサンパン」(แพมิตรสัมพันธ์)という名。

訳すと「友好関係のいかだ」なんですが、
どことどこのことを言わんとしているんでしょうね。
タイ-ミャンマーなのかタイ-モンなのか、はたまた観光客となのか…。


私は運良く湖寄りの席を確保。


12_02


右手にモン橋も見えています。

メニューと睨めっこして注文した料理は…


12_03


左がプラーゴット・ラート・ナンプラー(ปลากดราดน้ำปลา)。

レッドテール・ヘミバグルスという魚のようです。
ギギというナマズの仲間の一種だそうで。
そのナンプラーかけの料理のはずなんですが、揚げてあるんですよね。
もしかしたら間違って注文したかも(笑)


右はヤム・サーウモーン(ยำสาวมอญ)。

「モン族女性の和えもの」という名に惹かれて注文したんですが、
素朴な味でまあまあでした ^_^;)


チョイスした料理のせいか味は特筆すべきほどではありませんでしたが、
そんなことを忘れるくらいに素晴らしいのが、ここからの眺望。


12_04


穏やかなカオレーム湖の湖面と岸辺の緑を眺めながら
優雅に食事を楽しめるんですよ!!

もう心底ここにしばらくいたい!と思ったほど。

景色に大いに癒されながら食事をしていると、こんな瞬間も訪れました。


12_05


夕日が綺麗! こっちは東の空なんですよ。

雲の切れ間から日が差し込んで神秘的な色彩に。
思わず席を立ち、いかだのへりまで出て眺めたほどです。


西の空はというと、


12_06


モン橋の彼方に日が沈もうとしているところのようですね。


それからはもう夜の帳が急速に下りはじめ、


12_07


こんな景色へと相成ったのでありました。

これでレストランのお客さんの喧騒がなければ、どんなに最高なことか!
周りを見渡すとバンコクから来たっぽい身なりの良いタイ人グループばかり。

かなりのんびりしてしまいました。
勘定を済ませ席を立つと、船頭さんが目の前にやって来ました。
ずっと待ってたんですか!? す、すみません・・・。


再び船に乗り込むと船頭さんはオールでさらに東へと進んでいきます。


12_08


いかだ集落の最東端、一番右端が船頭さん経営の宿でした。
船頭さん一家はその裏手のいかだ家屋に住んでいるそうで。

部屋を見せてもらうと…

ベッドではなく木の床にマットを敷いた寝床かぁ。
扇風機が無造作に置かれています。
トイレ&水浴び場はありますね。

それで一泊300バーツだそうです。

飲み物は売ってますか? 喉が渇いたもので。

「えーと、何が欲しいですか。買ってきます」

なんと、船でわざわざ買いに行ってくるとのこと。
うーん、ちょっと不便だなー。しかも床で寝るってのが…。

ごめんなさい。他をあたっていいですか? ^_^;)

「では、さっきのレストランが経営している宿に案内しますね」
とまた船で戻ってくれました。


ペー・ミットサンパン
の人を呼んだところで
「じゃあ僕はこれで」と船頭さん。どうもありがとうございました!


部屋を見せてもらうと入口にはゴミが散乱。
室内は広いもののここも床にマットが敷いてあるタイプでした。
なんとトイレ&水浴びは共同。

さらにレストランに近いのでうるさくて落ち着けません (>_<)
値段を尋ねると400バーツとのこと。

だったら同じ値段の4月に泊まったおじいさんの宿のほうがずっといいや。
ということでここでも断って、おじいさんの宿に再びお世話になることに。


裏から階段を登り陸地へと。 振り返ってみます。


12_09


左から2軒目の、白い灯りが2つ灯っている建物が
いかだレストランの「ペー・ミットサンパン」です。

ここからコンクリートの橋を渡りモン橋のたもとに戻り、
竹橋脇のおじいさんの宿へ。

受付は真っ暗だったものの、歩くミシミシという音で分かったようで
おじいさんが出てきました。

先月も泊まったんですが、部屋は空いてますか?

おじいさんの案内で部屋へ。


12_10


やっぱりこの部屋のほうが何倍もマシだー。
時刻は19:49。

受付で飲み物を買おうとしたところ冷蔵庫に補充したばかりだから
冷えてないとのことなので、サンクラブリー市街地まで買い出しに行くことに。


12_11


陸地の暗い坂道を登り上の一本道をひたすら歩きます。
20分ほどかかったかな? ようやく市街地のセブンイレブンに到着。

おぉっ。


12_12


サンクラブリーで日本語に出会えるとは思ってもみませんでしたよ(笑)

ジュースを2本購入。
帰りはバイクタクシーにモン橋前まで送ってもらったのでした。





<旅費交通費>
宿泊代:400バーツ
バイクタクシー代:15バーツ
ここまでの合計:1,474バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

カンチャナブリー

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ



   
あなただけのタイ語家庭教師 (CDブック)

湖を横切る泰緬鉄道線路跡 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[10]

4月に来た時よりも水面に出現した部分が長くなった
泰緬鉄道線路跡を船で離れます。

そうそう、下のほうに「泰緬鉄道線路推定図」を掲載しておきました。
これは実際に私が見た線路跡に1957年に米軍が作成した地図の情報を
加味しておおよその位置を推定して線を引いてあります。

正確ではない点をご容赦ください。

その図の(1)の線路跡を離れ、
北側の対岸へ向かっている途中で船頭さんが右手を指差しました。

「あそこも線路跡だよ」


10_01


あっ、本当だ!!

なんと、湖を横断するかたちでこんもりとした盛り土の線が
水面に顔を出しているではないですか。図の(2)です。

目で追っていくと、


10_02


あ、途切れた。
船の航行のために崩したっぽいですね。

左端にまた線路跡が見えています。そこへ接岸してもらいましょう。


10_03


写真には写っていませんが、このすぐ左側に水上家屋があるんですよ。
いかだ状なので簡単に移動できるみたいですね。

接岸すると、船頭さんはそこの住人と世間話を始めました。
知り合いなのかな?


振り返ってみるとこんな感じ。


10_04


向こう岸に沿って左から右へさっき見た線路跡(1)が走っています。
中央のこんもりした小山の右端あたりから右へカーブして湖の下へ消えていき、
細長い小島状の(2)を経て、私の立っている(3)に繋がっていたんですね。

これだけでも泰緬鉄道の線路跡をかなり解明した気がして嬉しくなりました ^^

この先はというと、


10_05


再び途切れて、その先は左へとカーブしてまた湖面に消えています。

では、その先へまた連れて行ってもらいましょう。


10_06


再び乗船して岩山の中央あたりへ。


10_07


この辺は水が引いて湖底が広く露わになってますね。
多少ぬかるんでいる中を歩いていきます。

立ち枯れた木が長短無数に突き出していて、
転倒したら怪我しそうですよ。
踏み出す度に踏んづけた短い枯れ木がバキバキと音を立てます。

中央を横切っているのは線路跡ではなく、かつての道路跡のようです。


さらにずんずん進んでいくと、水に進路を阻まれてしまいました。
が、その先を見ると、


10_08


こんもりとした線路跡がありますね。
(3)と(4)の中間付近です。


進めないんじゃ仕方ない。船に戻りますか。
と振り返ると、


10_09


うわぁ、随分と深く分け入ってたんだなー。
こんなところで何かに襲われたら死体も見つからなそうだ -_-;)

カオレーム・ダム
の完成で一帯が湖底に沈んだのはちょうど30年前の1984年。
これらの立ち枯れた木々はその頃からずっとこのままの姿なんでしょうかね。


再び船に乗り、さらに西へと案内されると、


10_10


うお、ここにも線路跡が。
乗り上げて停船。


10_11


左へカーブしてますね。反対の東側はというと、


10_12


岩山の下へと続いています。
たぶん4月に来た時に見たもう一ヶ所の線路跡がこの先の辺りでしょう。
図の(4)にあたります。

では、行けるところまで歩いてみますか!





<旅費交通費>
船賃支払いまだなので:0バーツ
ここまでの合計:359バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


泰緬鉄道線路跡推定図

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ



   
あなただけのタイ語家庭教師 (CDブック)

船で泰緬鉄道線路跡へ 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[9]

向こうからやってきた船を操っているのは、あの子供船頭さん!
会えて良かった!!

竹橋まで来て停船しました。

私を覚えてますか?

「覚えてますよ。いつ来たんですか?」

今着いたばかりです。泰緬鉄道の線路跡を見に連れていってくれますか?

「明日でもいいですか? もう暗くなってしまいますんで」


まだ4時なんですけど -_-;)
困ったような顔をしているので、今日は行けない事情がありうそうな雰囲気。

明日はもうバンコクに帰っちゃうんですよ。

「…。ちょっと待っててください」
子供船頭さんは引き返して対岸の水上集落に消えて行きました。

「船が壊れるのが怖いんだな。ははは」

やり取りを聞いていた他の船頭さんたちが笑っています。

なるほど。前回もそうだったけど、遠出するにはあの船じゃダメなのか。
きっと一回り大きな船を借りる必要があるってことですね。


しばらくして戻って来ました。が、さっきと同じ船です。

「代わりに行こうか?」
同業の青年が子供船頭さんに声を掛けました。

「譲るよ」
と仕方がないという顔をして子供船頭さん。

えっ、なんだ。そんなに簡単に諦めちゃうのか。
子供船頭さんに連れていって欲しかったのに。
あっさりしていてちょっぴりガッカリ。


では気持ちを切り替えて青年船頭さんの船にお願いしますか。


09_01


モン橋を出発でーす。
時刻は、16:13。


09_02


子供たちがスワンで遊んでます(笑)
ピースサインまでしてくれてありがとう~。


09_03


他の船の後ろについて進んでいきます。
向かいにはチェーディー・プッタガヤの金色の塔の姿が。


さらに進んでいくと、


09_04


ダム湖に沈んだ旧ワット・ワンウィウェーカーラーム
遠くに見えてきました。
前回訪問時より水位がかなり下がっているのがはっきり分かります。

前回4月1日の際は、


08_04


こんなでしたから。

右の鐘楼跡が上の2段しか見えてなかったのが、
今回は基礎部分まで現れてますもんね。

ワット・ワンウィウェーカーラームの手前で左折して
陸地が狭まっている部分を抜けると、


09_05


眼前にランティー山が姿を現しました。
岩肌に砲撃跡のあるあの山です。


湖面には立ち枯れた木が無数に頭を出していてなんとも殺伐とした光景。

ここで船頭さん右岸に沿ってぐるっと迂回する航路を取り、
ランティー山のすぐそばを通過していきます。

たぶんかつてランティー川が流れていた
水深の深い部分を進んでいるんでしょう。


そしてついに、


09_06


前回も訪れた泰緬鉄道線路跡が目の前に!

「勇気が無いよ」
船頭さんは、立ち枯れた木々を抜けて接岸するのをためらっています。

ここまで来たのに諦められるか。
我ながら意地悪ですが、あえて無言でいると渋々船を進めてくれました。

無事に接岸。 喜び勇んで線路跡に上がります。


09_07


時刻は、16:37。
まずは東のカンチャナブリー方面へと歩いてみますか。


09_08


意図的になのか自然になのか削られて分断されています。
間を左から右へ湖水が勢いよく流れていて、見ていると吸い込まれそう。

4月の際は私が立っている側は水面下でした。
子供船頭さんのお父さんが言っていたように干上がってないのが残念ですが、
それでも前回より水面に出ている部分がずっと増えていますね。

調べたところ、数年に一度、この時期に異常に水位が下がることがあるそうで。
そんな時にまた訪れたいもんです。


じゃぁ戻ってビルマ方面へと歩いてみましょう。


09_09


右に乗って来た船が見えますね。
向かいの山はランティー山


09_10


右へとカーブして湖面に消えていっています。

先端まで行ってみますか。


09_11


北側の対岸に見える岩山のほうへ伸びているのが分かりますね。
あの山は、前回見た砲撃跡のあるもう一つの岩山なんです。


引き返しながら足元を注意深く探すと、


09_12


枕木があった!
どれも朽ちかけていますが、数本発見することができました。


では次に対岸の線路跡へ連れて行ってもらいましょう。





<旅費交通費>
船賃支払いまだなので:0バーツ
ここまでの合計:359バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


サンクラブリー地図140501
 今回訪れた泰緬鉄道線路跡は①の場所です。


よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ



   
あなただけのタイ語家庭教師 (CDブック)

三仏塔とホウオウボク 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[6]

スリー・パゴダ・パスのタイ側イミグレの横にはこんな表示がありました。


06_02


   サヤーム最果ての地
ダーン・プラチェーディー・サームオン・ルート
  仏暦2459年(西暦1916年)
  座標 MS.345916

サヤームはタイの旧国名。
ダーン・プラチェーディー・サームオンとは
スリー・パゴダ・パスのタイ語名で「三仏塔国境」の意味です。


さて、三仏塔を最後にもう一度見ておきますか。


06_01


軍用車が停まり迷彩服姿の兵士達が歩いている光景が
国境の雰囲気を一層醸し出していますね。
多分国境警備とは無関係の人達ですが。


坂を登り始めると右手にこんなものが。


06_03


      最西端の地
カンチャナブリー県サンクラブリー郡

と。

なんだかオドロオドロしいですね。
ここに座って記念撮影したい気にはなりません(笑)


その先の左手を見て、あっと思いました。


06_04


真っ赤な花が咲き乱れるこの木。

さっき泰面国境平和祈念堂で見かけた故永瀬隆さんの詠んだ歌、

バンコク桜と兵ら唱えし鳳凰樹
その紅いの花は血の色


の鳳凰樹ってこの木なのでは!?


帰国後調べてみたら、そうでした。

日本名はホウオウボク(鳳凰木)。
中国や台湾では鳳凰樹と呼ばれているようです。

タイ語名は、หางนกยูงฝรั่ง(ハーン・ノックユーン・ファラン)。
「西洋孔雀の尾」という意味です。多分シダのような葉と
そこに咲く赤い花が孔雀の尻尾に似ているからなんでしょうね。


06_05


なるほど。「血の色」と形容したのが分かる気がします。

日本兵が「バンコク桜」と呼んだのは咲いている姿よりもむしろ、
この散り方が桜に似ているからなのかもしれませんね。

タイでのホウオウボクの開花時期は4~5月。

幸運にもちょうどその時期に訪れることができたお陰で
永瀬さんがあの歌を詠んだお気持ちが多少なりとも
理解できたような気がします。


その先の右手の路地に入ってみました。


06_06


こんなうら淋しい寺院の横を通り過ぎると、


06_07


兵士の座る詰所とその先に大きなゲートが。
あの先はミャンマー領に違いありません。

私がどうしようか躊躇していると、

「あの門の前までは大丈夫ですよ」

と兵士さん。

ありがとうございます ^_^;)


門の近くまでにじり寄っていきます(笑)


06_08


カンチャナブリー・ナンバーの車やタイ・ミャンマー双方のナンバーのバイクが
ひっきりなしに出入りしています。

あっ、さっき有刺鉄線の先に見えた道はここに繋がっているんですね!
きっと両国の地元民だけが自由に行き来できるんでしょう。

もっと門に寄ってあちらを覗いてみます。


06_11


牛のいるのどかな景色でした ^^


兵士さんにお礼を言って後にします。
どうも私をタイ人だと思っていたみたいで。


詰所のところで右に曲がると、前方にここまで乗って来たバスが
まだ停車しているのが見えました。


06_09


モップでお掃除中。なかなかの重労働ですね。


見どころはこんなもんでしょうかね。
そろそろサンクラブリーへと向かいますか。


目抜き通りの坂を横切り反対側の路地へ入ります。

あったあった。


06_10


サンクラブリー行きのソンテオ乗り場です。
前回乗ってるから安心して利用できます ^^

時刻は、14:28。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:329バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー


よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ



   
あなただけのタイ語家庭教師 (CDブック)
 
旅ごとに見る
このブログ内で検索
アンケートモニター登録
Gポイント
 
タグでまとめて見る
最新コメント
QRコード
QRコード