カンチャナブリー城門を出たところから、
城壁に沿って古い町並みが続いています。
パークプレーク(ปากแพรก)という、1831年にカンチャナブリーの町が
現在地に造営された当初から華僑やベトナム人が移り住んで
できた商店街です。
パークプレークとは「水の流れの分岐点」の意味。
メークローン川を遡ってきたら、ちょうどこのポイントで
クウェー・ヤイ川とクウェー・ノーイ川に分岐するから
そう名付けられたんでしょう。
またの名をバーンヌア(บ้านเหนือ)とも言います。
城内の南側になるのに「北の集落」とはなぜなんでしょうね ^_^;)
さあ、このパークプレーク通りを北西へ歩いてみますか。
沿道にはざっと築90年前後の趣のある建物が並んでいます。
多くは中国とヨーロッパの影響を受けたシノ・ポルトガル様式。
歴史的価値のある建物の前には行政が設置した
黄色い案内板が立ってます。
この建物は1917年築のブンポン邸(บ้านบุญผ่อง)。
ブンポン氏は太平洋戦争中、泰緬鉄道建設用枕木納入の入札で
落札したことをきかっけに日本軍相手に商売をした人物です。
日本軍が必要とする物資の手配を引き受けていたんだとか。
でも捕虜収容所に配達に行った際に連合軍捕虜の扱いの悲惨さを
目にしたブンポン氏は、捕虜に対して融資や必要物資の手配で
密かに協力するようになりました。
なんでも日本軍への物資を詰めた箱や行李に捕虜宛の物や手紙を
うまく隠して渡したんだそうで。
また暗号で捕虜とやり取りをして、連合軍に爆弾投下を
避けるポイントを伝えたりもしていたようで。
その功で、戦後ブンポン氏はオーストラリアとイギリスから
勲章を授与されたんですよ。TVドラマにもなったみたいです。
窓の格子やベランダの欄干の細かい装飾に
当時の商人の粋と繁盛ぶりを感じますね~。
このビルも相当古そうですが、3階の窓が色ガラスに
なっているところがシャレてるではないですか。
案内板を読むと「カンチャナブリー・ホテル」と!
「1937年築で当初の宿賃は2-4バーツ、
20年ほど前に値上げして1人60-70バーツに」
って安っ! 今でも営業してるんですか!
宿泊客は主にカンチャナブリー奥のトーンパープームや
サンクラブリーからの木材商人、会議で来た公務員、
ミャンマー国境付近に住む少数民族と書いてあります。
ディープだなー。
お、英語で「HOTEL ENTRANCE」って確かに書いてあるぞ。
剥げかかってるけど。
店の看板にはタイ語・英語の他に漢字で「北碧旅店」とも。
カンチャナブリーって中国語でそう言うのか。
あ、場所はここです(グーグルマップ)。
向かいのここはフアホン商店(ร้านฮั้วฮง)。
カンチャナブリーホテルと同一オーナーの建物で1919年築。
綺麗に修繕されてますね。
とても全て紹介しきれませんが、
こんな感じでコロニアル風なレトロな建物が
道の両側に多く残っているんですよ。
ん? 右手の中国廟と木造の大きな家屋の間に
なにやら青い看板が掲げられてますね。
生鮮市場!
入口なのか。こりゃ入ってみないと(笑)
奥はそのとおり、賑やかな生鮮市場でした。
突っ切って反対側に出て振り返ります。
活気があっていいですね。
実はパークプレークの商店街を歩いたのには
貸自転車屋を探すという目的もあったんです。
でも結局見つかりませんでした。
自転車を借りたいんですよねー。
どうしようかな。
ふと目に留まったサムロー。
漕ぎ手らしきおじさんが横でピックアップトラックに
荷物を積み込んでいます。
すみません、貸自転車屋が近くにあったら
連れて行ってもらえませんか?
「あるよ。ちょっと待ってね」
サムローに乗って待っていたら、
荷物を積み終えたおじさんがやってきて発進~!
おじさん、酒クサイです。
しまった。不安になってきたぞ -_-;)
思っていたより貸自転車屋は遠く、サムローはズンズン走って行きます。
あのまま歩いて探していたら絶対に発見できなかっただろうな。
「ほら、あそこは連合軍共同墓地だよ」
指を差して教えてくれます。
裏手を通っているわけですね。
しかしあまり酔っぱらってないようでよかった ^_^;)
そうこうしていると、英語の看板が溢れた通りに入って行きました。
こんなところにゲストハウス街があったのか。
「ここだよ」
と右手の店の前で停まります。
ありがとうございました!
運賃50バーツを渡してお別れ~。
MONKEY BAR&RESTAURANT という
バーレストラン兼貸自転車屋でした。
場所はここ。
店の主人に声をかけると、
1日50バーツとのこと。
店先の自転車にチェーンの鍵を付けて貸してくれました。
この自転車で町を巡った後、ちょっと遠出もしますよ~!
<旅費交通費>
サムロー:50バーツ
貸し自転車:50バーツ
ここまでの合計:220バーツ
<参考>
tourmuangkan.com "สถาปัตยกรรมบนถนนสายปากแพรก"
paiduaykan.com "ถนนปากแพรก กาญจนบุรี"
※旅は2016年5月27日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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◇ 入門 ◇
『CD付き らくらく話せる! タイ語レッスン』ナツメ社
◇ 中 級 ◇
『中級タイ語総合読本』白水社
◇ 上 級 ◇
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</
城壁に沿って古い町並みが続いています。
パークプレーク(ปากแพรก)という、1831年にカンチャナブリーの町が
現在地に造営された当初から華僑やベトナム人が移り住んで
できた商店街です。
パークプレークとは「水の流れの分岐点」の意味。
メークローン川を遡ってきたら、ちょうどこのポイントで
クウェー・ヤイ川とクウェー・ノーイ川に分岐するから
そう名付けられたんでしょう。
またの名をバーンヌア(บ้านเหนือ)とも言います。
城内の南側になるのに「北の集落」とはなぜなんでしょうね ^_^;)
さあ、このパークプレーク通りを北西へ歩いてみますか。
沿道にはざっと築90年前後の趣のある建物が並んでいます。
多くは中国とヨーロッパの影響を受けたシノ・ポルトガル様式。
歴史的価値のある建物の前には行政が設置した
黄色い案内板が立ってます。
この建物は1917年築のブンポン邸(บ้านบุญผ่อง)。
ブンポン氏は太平洋戦争中、泰緬鉄道建設用枕木納入の入札で
落札したことをきかっけに日本軍相手に商売をした人物です。
日本軍が必要とする物資の手配を引き受けていたんだとか。
でも捕虜収容所に配達に行った際に連合軍捕虜の扱いの悲惨さを
目にしたブンポン氏は、捕虜に対して融資や必要物資の手配で
密かに協力するようになりました。
なんでも日本軍への物資を詰めた箱や行李に捕虜宛の物や手紙を
うまく隠して渡したんだそうで。
また暗号で捕虜とやり取りをして、連合軍に爆弾投下を
避けるポイントを伝えたりもしていたようで。
その功で、戦後ブンポン氏はオーストラリアとイギリスから
勲章を授与されたんですよ。TVドラマにもなったみたいです。
窓の格子やベランダの欄干の細かい装飾に
当時の商人の粋と繁盛ぶりを感じますね~。
このビルも相当古そうですが、3階の窓が色ガラスに
なっているところがシャレてるではないですか。
案内板を読むと「カンチャナブリー・ホテル」と!
「1937年築で当初の宿賃は2-4バーツ、
20年ほど前に値上げして1人60-70バーツに」
って安っ! 今でも営業してるんですか!
宿泊客は主にカンチャナブリー奥のトーンパープームや
サンクラブリーからの木材商人、会議で来た公務員、
ミャンマー国境付近に住む少数民族と書いてあります。
ディープだなー。
お、英語で「HOTEL ENTRANCE」って確かに書いてあるぞ。
剥げかかってるけど。
店の看板にはタイ語・英語の他に漢字で「北碧旅店」とも。
カンチャナブリーって中国語でそう言うのか。
あ、場所はここです(グーグルマップ)。
向かいのここはフアホン商店(ร้านฮั้วฮง)。
カンチャナブリーホテルと同一オーナーの建物で1919年築。
綺麗に修繕されてますね。
とても全て紹介しきれませんが、
こんな感じでコロニアル風なレトロな建物が
道の両側に多く残っているんですよ。
ん? 右手の中国廟と木造の大きな家屋の間に
なにやら青い看板が掲げられてますね。
生鮮市場!
入口なのか。こりゃ入ってみないと(笑)
奥はそのとおり、賑やかな生鮮市場でした。
突っ切って反対側に出て振り返ります。
活気があっていいですね。
実はパークプレークの商店街を歩いたのには
貸自転車屋を探すという目的もあったんです。
でも結局見つかりませんでした。
自転車を借りたいんですよねー。
どうしようかな。
ふと目に留まったサムロー。
漕ぎ手らしきおじさんが横でピックアップトラックに
荷物を積み込んでいます。
すみません、貸自転車屋が近くにあったら
連れて行ってもらえませんか?
「あるよ。ちょっと待ってね」
サムローに乗って待っていたら、
荷物を積み終えたおじさんがやってきて発進~!
おじさん、酒クサイです。
しまった。不安になってきたぞ -_-;)
思っていたより貸自転車屋は遠く、サムローはズンズン走って行きます。
あのまま歩いて探していたら絶対に発見できなかっただろうな。
「ほら、あそこは連合軍共同墓地だよ」
指を差して教えてくれます。
裏手を通っているわけですね。
しかしあまり酔っぱらってないようでよかった ^_^;)
そうこうしていると、英語の看板が溢れた通りに入って行きました。
こんなところにゲストハウス街があったのか。
「ここだよ」
と右手の店の前で停まります。
ありがとうございました!
運賃50バーツを渡してお別れ~。
MONKEY BAR&RESTAURANT という
バーレストラン兼貸自転車屋でした。
場所はここ。
店の主人に声をかけると、
1日50バーツとのこと。
店先の自転車にチェーンの鍵を付けて貸してくれました。
この自転車で町を巡った後、ちょっと遠出もしますよ~!
<旅費交通費>
サムロー:50バーツ
貸し自転車:50バーツ
ここまでの合計:220バーツ
<参考>
tourmuangkan.com "สถาปัตยกรรมบนถนนสายปากแพรก"
paiduaykan.com "ถนนปากแพรก กาญจนบุรี"
※旅は2016年5月27日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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★★★お薦めのタイ語学習書★★★
◇ 入門 ◇
『CD付き らくらく話せる! タイ語レッスン』ナツメ社
◇ 中 級 ◇
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◇ 上 級 ◇
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</