チェンマイ門から北方へ進んでぶつかったY字路を右へと進みます。
この辺は緑も多いし静かでいいなー。
こんなところに長期滞在してみたいもんだ。
なんて感じていたら左手に、
ゲストハウスが。同じことを考える旅行者が多いんでしょうね。
欧米人宿泊客が多そうな感じ。
そんな路地を抜けて東西に走る道路に出ました。
東へ向かいましょう。
英語看板密度がさらにUP。
欧米人旅行者の姿が絶えず目に入るように。
そして、
東のお堀端の通りに出ました。
ここから北上しますか。
昔はこの並木のところに城壁があったんですよね。
城壁もチェンマイ門と同じく、マンラーイ王のチェンマイ遷都
(ランナー王国成立)の1296年に建設。
お堀を掘削した残土を盛り両側を煉瓦で挟んで築いたんだそうで。
1769年、ビルマ占領下を脱したチェンマイの初代カーウィラ王が
城壁を再建。2代目の王治世下1818年に再び修復を受けます。
が、その後20世紀初頭にはタイに編入され
城壁の役割が終わったこともあり、崩れるにまかせた放置状態に。
あまりの荒れ具合に、チェンマイ市が1957年から順次城壁を取り壊し、
道路へと変えられてしまったのでした。
なんともったいないことをとも思えますが、
無残に崩れて草ボ-ボーの城壁をそのままにしておくわけにはいかず、
かといって修復には取り壊しよりずっと費用がかかるでしょうから、
致し方なかったんでしょうね。
そんな元は城壁のあったお堀端の道路沿いを歩いていくと、
コテコテの外国人旅行者向け飲食店が出現。
英語が通じるから安心できるのかなぁ ^_^;)
さらに進むと、
復元された城壁が見えてきました。
その先には、
ターペー門が!
時刻は、15:31。
チェンマイ門から12分でした。
このターペー門、1985年にチェンマイ市と芸術局により
再建されたものなんだそうな。なんでも1879年に撮影された写真や
古い記録を元に昔の姿を忠実に再現したんだとか。
タイ語版ウィキペディアの「ターペー門」には、1965年撮影の写真が
掲載されていますが、門の間の幅が今よりずっと広いのが分かります。
ということは、65年当時の門は後世に造られたものだったんですね。
それを壊してさらに昔の姿に戻したというわけか。
そうそう、この門は元々チアンルアック門という名だったんです。
古語で「船の町」という意味。
ターペー門は、この城壁のさらに外側にあった土塁の門の名でした。
のちに外側の土塁が取り壊された際に同時にターペー門も取り払われます。
すると民衆は内側のチアンルアック門を代わりにターペー門と
呼ぶようになったんだとか。
ターペーとは「いかだの船着場」の意味。
いずれにしてもこの東側地区は水運による商業で
栄えていたことがわかるネーミングですよね。
ごたくはこれぐらいにして(笑)、
歩き疲れたので一息つきましょう。
ターペー門を背に西を向くと道路の両側角にカフェが
向かい合って立っています。
左はタイのカフェ・チェーン、ブラック・キャニオン。右は、
The Coffee Club。
よし、こっちにしよっと。
外の席に着席するやスタッフの男性がメニューをさっと持って来ました。
気持ちいいですね~。
アイスティー・ラテを注文。
140バーツとはなかなか強気なお値段です ^_^;)
やって来ましたよ。
ターペー門を眺めながらしばしノンビリしたのでした。
この後はチェンマイ名物のナイトバザールを見物しようかと。
まだ早過ぎますが、とりあえず向かいますか。
カフェを後にします。
時刻は16:13。
ターペー門を通り、
東側に出ます。
そのまま東へターペー通りを歩いていくと、
トルッチーン(中国正月)のお供え物が通りに出ています。
赤い服を着た女性が線香をあげていました。
チェンマイ・ナイトバザールの通りにもうすぐ着いちゃいますが、
17時頃かららしいんですよね。まだ早いぞ。どうしよう…。
<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:2,288バーツ
※旅は2015年2月18日(水)に行いました。
<参考>
Wikipedia "กำแพงเมืองเชียงใหม่"
muslimchiangmai.net "ประเด็นการศึกษากรณีกำแพงประตูเมืองเชียงใหม่"
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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『タイ語上級講座 読解と作文』めこん
この辺は緑も多いし静かでいいなー。
こんなところに長期滞在してみたいもんだ。
なんて感じていたら左手に、
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そんな路地を抜けて東西に走る道路に出ました。
東へ向かいましょう。
英語看板密度がさらにUP。
欧米人旅行者の姿が絶えず目に入るように。
そして、
東のお堀端の通りに出ました。
ここから北上しますか。
昔はこの並木のところに城壁があったんですよね。
城壁もチェンマイ門と同じく、マンラーイ王のチェンマイ遷都
(ランナー王国成立)の1296年に建設。
お堀を掘削した残土を盛り両側を煉瓦で挟んで築いたんだそうで。
1769年、ビルマ占領下を脱したチェンマイの初代カーウィラ王が
城壁を再建。2代目の王治世下1818年に再び修復を受けます。
が、その後20世紀初頭にはタイに編入され
城壁の役割が終わったこともあり、崩れるにまかせた放置状態に。
あまりの荒れ具合に、チェンマイ市が1957年から順次城壁を取り壊し、
道路へと変えられてしまったのでした。
なんともったいないことをとも思えますが、
無残に崩れて草ボ-ボーの城壁をそのままにしておくわけにはいかず、
かといって修復には取り壊しよりずっと費用がかかるでしょうから、
致し方なかったんでしょうね。
そんな元は城壁のあったお堀端の道路沿いを歩いていくと、
コテコテの外国人旅行者向け飲食店が出現。
英語が通じるから安心できるのかなぁ ^_^;)
さらに進むと、
復元された城壁が見えてきました。
その先には、
ターペー門が!
時刻は、15:31。
チェンマイ門から12分でした。
このターペー門、1985年にチェンマイ市と芸術局により
再建されたものなんだそうな。なんでも1879年に撮影された写真や
古い記録を元に昔の姿を忠実に再現したんだとか。
タイ語版ウィキペディアの「ターペー門」には、1965年撮影の写真が
掲載されていますが、門の間の幅が今よりずっと広いのが分かります。
ということは、65年当時の門は後世に造られたものだったんですね。
それを壊してさらに昔の姿に戻したというわけか。
そうそう、この門は元々チアンルアック門という名だったんです。
古語で「船の町」という意味。
ターペー門は、この城壁のさらに外側にあった土塁の門の名でした。
のちに外側の土塁が取り壊された際に同時にターペー門も取り払われます。
すると民衆は内側のチアンルアック門を代わりにターペー門と
呼ぶようになったんだとか。
ターペーとは「いかだの船着場」の意味。
いずれにしてもこの東側地区は水運による商業で
栄えていたことがわかるネーミングですよね。
ごたくはこれぐらいにして(笑)、
歩き疲れたので一息つきましょう。
ターペー門を背に西を向くと道路の両側角にカフェが
向かい合って立っています。
左はタイのカフェ・チェーン、ブラック・キャニオン。右は、
The Coffee Club。
よし、こっちにしよっと。
外の席に着席するやスタッフの男性がメニューをさっと持って来ました。
気持ちいいですね~。
アイスティー・ラテを注文。
140バーツとはなかなか強気なお値段です ^_^;)
やって来ましたよ。
ターペー門を眺めながらしばしノンビリしたのでした。
この後はチェンマイ名物のナイトバザールを見物しようかと。
まだ早過ぎますが、とりあえず向かいますか。
カフェを後にします。
時刻は16:13。
ターペー門を通り、
東側に出ます。
そのまま東へターペー通りを歩いていくと、
トルッチーン(中国正月)のお供え物が通りに出ています。
赤い服を着た女性が線香をあげていました。
チェンマイ・ナイトバザールの通りにもうすぐ着いちゃいますが、
17時頃かららしいんですよね。まだ早いぞ。どうしよう…。
<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:2,288バーツ
※旅は2015年2月18日(水)に行いました。
<参考>
Wikipedia "กำแพงเมืองเชียงใหม่"
muslimchiangmai.net "ประเด็นการศึกษากรณีกำแพงประตูเมืองเชียงใหม่"
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