ヘルファイア・パスの切り通しから先の泰緬鉄道線路跡を
さらにカンチャナブリー方面へ向けて歩いていきます。


17_01


この辺りでは砂利の姿が消え、枕木のみが残っていますね。

切り通しから9分経過。
先のほうで木立がなくなり明るくなっているなと思ったら、


17_02


ありゃ。
舗装道路に出ちゃいました。

この道路建設で線路跡が破壊されてしまったのか。
うーむ、残念。

でも道路の先には残っているはず。
そう思い、舗装道路を登りながら右手の茂みの中を覗き込みます。


左カーブのところで下に平坦な部分を発見。


17_03


分け入ってみましょう。


17_04


線路跡なのか違うのか、判断がつきませんねぇ。

もう少し先に進めばはっきりするのかもしれませんが、
茂みに阻まれてこれ以上の前進は無理。


タイ国内の泰緬鉄道線路跡を全線辿ってみたいなどと漠然と夢見ていましたが
こういう光景を見ると現実的には不可能だと思い知らされますね。
サンクラブリーだって茂みに遮られて先へ進めませんでしたし。

つい最近、イギリス人男性2人が募金活動のため泰緬鉄道跡を
スリー・パゴダ・パスからカンチャナブリーの連合国軍共同墓地まで280km
歩いたというニュース(『タイラット』2014年11月6日付け)があり驚きましたが、
よくよく記事を読んでみると、国道323号線を歩いただけのようです。

やっぱり無理なんでしょうね。


諦めて戻るとしますか。

歩いて来た線路跡を逆に辿り、


17_05


ヘルファイア・パスも逆方向から通り過ぎます。

そう言えばこの切り通しを含めたヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム
旅行クチコミサイト「TripAdvisor」によってタイ国内のベスト・ミュージアムに
選ばれたんだとか。(『TAT News』2014年9月29日付け


そんなヘルファイア・パスを抜けた真正面にこんな碑が。


17_06


BURMA -THAILAND RAILWAY
       1942-1945
   IN REMEMBRANCE OF
ALL THOSE WHO SUFFERED
   AND ALL WHO DIED

とあります。タイ語でも同じ内容が。

私が気になるのは、碑の背後なのです。

この先、ビルマ方面にも泰緬鉄道の線路は伸びていたはず。
あっちにも跡は残っているのでしょうか?

行ってみましょう!


ちょっとした谷間になっている先まで行って振り返るとこんな感じ。


17_07


中央奥がヘルファイア・パス
その手前にさっきの碑の裏側が見えてますね。

崖の石積みは、ヘルファイア・パスを掘削した際に出た石を
積み上げたものなのかも。これまた大変な作業だったことでしょう。

ここにはタム・クラセー桟道橋のような木橋が架けられていたのかな?


先のビルマ方面はというと、


17_08


こっちにも枕木が残っているではないですか。

さらに歩いていくと、


17_09


WALKING TRAIL →

との看板が。

あ、そう言えばミュージアムで貰ったパンフレット
トレイル・コースがなんとかと書いてあったな。

取り出してみると、この先4km地点まで線路跡が遊歩道として
整備されているようです。
でも終点手前の「コンプレッサー・カッティング」までで往復3時間とは。

現在時刻は10:57。時間的には行けなくはないけど、
水や食べ物を持参してないのでちょっと心配なんですよね。

ちょこっと先に進んでみたのですが、


17_10


遊歩道が崖下に続いているのを見て、
きっとこの先もアップダウンが激しいんだろうなと思ったら
行く気が完全に萎えてしまいました。軟弱ですみません -_-;)

でもこの先もパンフレットによれば、7メートルの土手、三層構脚橋(って何?)、
ヒントックの切り通し、ダブルトラック(引き込み線?)、ヒントック駅、
バックオブカード橋跡地、コンプレッサーの切り通しといった見どころが
あるそうなので ぜひいつか再チャレンジしたいですね。


さあ、帰るとしますか。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:1,664バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

カンチャナブリー2

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