ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアム
(HELLFIRE PASS MEMORIAL MUSEUM)
に到着です。時刻は、09:47。
開発軍司令部開発軍局農業・協同組合部隊の入口から歩いて9分でした。
ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムは、
オーストラリア退役軍人省が運営する泰緬鉄道建設に関する
資料展示をおこなう施設です。 入ってみましょう。
入口で靴を脱ぐのがタイ・スタイルですね。
エアコンの効いた快適な館内は、すぐの左手に受付が。
入館料は無料の上、英語、オランダ語、タイ語、日本語のパンフレットを
無料配布しています。 日本語のを一部頂きますか。
ちなみに上記豪退役軍人省サイトから同じものをPDFで入手できますよ。
順路に沿って歩いていきます。
パネル展示があったり、
ヘルファイア・パス周辺のジオラマがあったり、
泰緬鉄道建設で当時使われていた道具が展示されています。
奥にはミニシアターあり、ドキュメンタリー映画を上映中。
この写真の説明には、「1943年、タイ・コンコイターを通過する一番列車」と。
コンコイターはサンクラブリーにあったニーケ駅から
カンチャナブリー側へ19kmほどのところにあった駅です。
サンクラブリーとトーンパープームの中間地点あたりですね。
それよりも写真に写っている蒸気機関車C56 31号機は、
現存しているんですよ。それも日本で見ることができるんです。
場所は、東京九段の靖国神社内にある遊就館。
(2012年1月撮影)
1979年に現在大井川鉄道で現役活躍中のC56 44号機とともに
タイから里帰りを果たしたんです。
話をヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムに戻しましょう。
これは1945年、ビルマ国内泰緬鉄道終点のタンビュザヤ付近で
空爆を受けた線路とのこと。
爆撃を受ける度に修復していたんですから気が遠くなる作業ですね。
展示を一とおり淡々と見て回って来ましたが、
お客さんは欧米人9割、タイ人1割といったところ。
日本人は見かけませんでした。
裏手には展望台が。
あの先の鬱蒼としたジャングルの中に、
ヘルファイア・パスがあるはずです。
いよいよ向かってみますか。
でもその前にトイレを拝借 ^_^;)
出てくると受付横にグッズ販売コーナーがあるのに気付きました。
ロゴ入りシャツ&キャップや泰緬鉄道に関する英語書籍、
ポストカードなどが売られています。
そもそもなぜタイ国内でオーストラリア政府がミュージアムを
運営しているかというと、戦争捕虜として日本軍により泰緬鉄道建設に
従事させられた元オーストラリア軍兵士が、40年後にタイを再訪し
ジャングルに埋もれたヘルファイア・パスを探し出したことが発端。
オーストラリア政府に対してこれを史跡として保存するよう提案したのが
受け容れられ、1987年に正式開館。
現在のミュージアムは1998年4月にできたのだそうです。
募金箱があったのでパンフレットを頂いたこともあり、
僅かながら入れておきました。
サンダルを履き直し、建物横から裏手に下る遊歩道へと。
いざ、ヘルファイア・パスへ!
時刻は、10:12。
<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:1,664バーツ
※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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(HELLFIRE PASS MEMORIAL MUSEUM)
に到着です。時刻は、09:47。
開発軍司令部開発軍局農業・協同組合部隊の入口から歩いて9分でした。
ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムは、
オーストラリア退役軍人省が運営する泰緬鉄道建設に関する
資料展示をおこなう施設です。 入ってみましょう。
入口で靴を脱ぐのがタイ・スタイルですね。
エアコンの効いた快適な館内は、すぐの左手に受付が。
入館料は無料の上、英語、オランダ語、タイ語、日本語のパンフレットを
無料配布しています。 日本語のを一部頂きますか。
ちなみに上記豪退役軍人省サイトから同じものをPDFで入手できますよ。
順路に沿って歩いていきます。
パネル展示があったり、
ヘルファイア・パス周辺のジオラマがあったり、
泰緬鉄道建設で当時使われていた道具が展示されています。
奥にはミニシアターあり、ドキュメンタリー映画を上映中。
この写真の説明には、「1943年、タイ・コンコイターを通過する一番列車」と。
コンコイターはサンクラブリーにあったニーケ駅から
カンチャナブリー側へ19kmほどのところにあった駅です。
サンクラブリーとトーンパープームの中間地点あたりですね。
タイ側とビルマ側双方から建設が進められた泰緬鉄道は、
コンコイターで繋がったため、43年10月25日にそこで開通式が催されたんです。
その時の様子でしょう。
それよりも写真に写っている蒸気機関車C56 31号機は、
現存しているんですよ。それも日本で見ることができるんです。
場所は、東京九段の靖国神社内にある遊就館。
(2012年1月撮影)
1979年に現在大井川鉄道で現役活躍中のC56 44号機とともに
タイから里帰りを果たしたんです。
話をヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムに戻しましょう。
これは1945年、ビルマ国内泰緬鉄道終点のタンビュザヤ付近で
空爆を受けた線路とのこと。
爆撃を受ける度に修復していたんですから気が遠くなる作業ですね。
展示を一とおり淡々と見て回って来ましたが、
お客さんは欧米人9割、タイ人1割といったところ。
日本人は見かけませんでした。
裏手には展望台が。
あの先の鬱蒼としたジャングルの中に、
ヘルファイア・パスがあるはずです。
いよいよ向かってみますか。
でもその前にトイレを拝借 ^_^;)
出てくると受付横にグッズ販売コーナーがあるのに気付きました。
ロゴ入りシャツ&キャップや泰緬鉄道に関する英語書籍、
ポストカードなどが売られています。
そもそもなぜタイ国内でオーストラリア政府がミュージアムを
運営しているかというと、戦争捕虜として日本軍により泰緬鉄道建設に
従事させられた元オーストラリア軍兵士が、40年後にタイを再訪し
ジャングルに埋もれたヘルファイア・パスを探し出したことが発端。
オーストラリア政府に対してこれを史跡として保存するよう提案したのが
受け容れられ、1987年に正式開館。
現在のミュージアムは1998年4月にできたのだそうです。
募金箱があったのでパンフレットを頂いたこともあり、
僅かながら入れておきました。
サンダルを履き直し、建物横から裏手に下る遊歩道へと。
いざ、ヘルファイア・パスへ!
時刻は、10:12。
<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:1,664バーツ
※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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