サンクラブリー生鮮市場前から乗ったソンテオは、
途中で検問を通った後、右へ逸れて停車。
なかなか味のあるガソリン・スタンドですね(笑)
給油を済ませて再出発。
人家をほとんど見かけない景色の中をひたすら北へと走っていきます。
しばらく走ると左手の景色が開け、向こうに連なる山々が見えてきました。
この辺は向こうの山々はもちろん、道路の左手すぐももうミャンマー領のようで。
ぐいっと左へ曲がったソンテオは真っ直ぐな坂を下りていきます。
そろそろ終点かな。
と思っていると、右に逸れ路地に入り木の下に停車。
運賃は30バーツでした。運転手に渡します。
時刻は、11:58。
サンクラブリーから40分もかかったようには感じませんでしたけどね。
さっきの下り坂に戻って、道なりに歩いて下っていきます。
朝の涼しさが嘘のように暑い!!
早くも朦朧としてきましたよ -_-;)
坂を下り切った目の前に、とうとう現れました。
三つの仏塔。
この地、スリー・パゴダ・パス、タイ名チェーディー・サームオン、
日本名三仏塔峠の名の由来となった仏塔です。
今の姿になったのは1929年ですが、
それ以前にも3つの仏塔はあったようで。
三つの仏塔を前に、果てまで来たんだという感慨がひとしおです。
この地は山地を越える峠道として昔から交通の要衝でした。
3世紀にインド人がはるばる現在のタイの地まで
仏教を伝えにやってきた時もここを通ったと推定されているとか。
さらには14~18世紀のアユタヤ王朝期には、
ビルマ軍がたびたびここを通ってアユタヤに侵攻しています。
逆にアユタヤ軍もここを通ってビルマを攻めたんですが。
そして1943年10月に開通した泰緬鉄道もここを通っていたんです。
バイクが横切っているまさにその場所を左右にまっすぐ走っていました。
1990年頃にはモン族の軍がここのミャンマー側地域を制圧しましたが、
その後再びミャンマー軍が平定し、停戦協定を結んだモン族の軍は
活動をしていません。
3つの仏塔の背後にはコの字型に取り囲むように
土産物店街が連なっています。
左からずーっと見て歩いてみますか。
ちょうど強烈な日差しを避けられますし ^_^;)
ご当地Tシャツもあるのですが、多く目につく商品と言えば…
宝飾品。とくに宝石を使ったものが。
ミャンマーって良質なルビーの産地でしたよね。それでかな?
他にもコテコテの土産物店や中国茶屋、
食堂などがある並びを抜けたところには、
イミグレが突然出現。
よし、ミャンマーへちょこっと行ってみますか。
用意していた顔写真を確認しつつ窓口に近付くと、すーっと窓が開きました。
中にいる女性係官にパスポートを出して
ミャンマーに行きたい旨を告げます。
「ここは暫定国境なので、タイ人しかミャンマーに行けません。
恒久国境のバーン・ナムプローンへ行ってください」
とにこやかに拒否られてしまいました。
外国人はここを通れないとはまったく知りませんでしたよ!
大いにガッカリです…。
バーン・ナムプローンとは2013年6月12日に開いたばかりの
同じくカンチャナブリー県にあるタイ・ミャンマー国境。
詳しくは分かりませんが、バーン・ナムプローン国境が
新たに開いた代わりに、スリー・パゴダ・パス
(チェーディー・サームオン、三仏塔峠)の国境は
外国人には閉ざされたのかもしれませんね。
イミグレの向こう左手はもう、
ミャンマー国境なのでした。
時刻は、12:14。
この時はとにかく暑くて細かいことに気が回らなかったんですが、
帰国後によくよくこの写真を見てみると、何やら気になるものが。
国境の道に並行して右手の緑の土手の上に見えるもの、
あれって線路ですよねぇ?
なんという不覚。
どのみちサンクラブリーへの再訪を誓っていたので、
その際にスリー・パゴダ・パスにもまた足を伸ばすことにしましょう (T_T)
<旅費交通費>
ソンテオ:30バーツ
ここまでの合計:1,605バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
Wikipedia "ด่านเจดีย์สามองค์"
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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途中で検問を通った後、右へ逸れて停車。
なかなか味のあるガソリン・スタンドですね(笑)
給油を済ませて再出発。
人家をほとんど見かけない景色の中をひたすら北へと走っていきます。
しばらく走ると左手の景色が開け、向こうに連なる山々が見えてきました。
この辺は向こうの山々はもちろん、道路の左手すぐももうミャンマー領のようで。
ぐいっと左へ曲がったソンテオは真っ直ぐな坂を下りていきます。
そろそろ終点かな。
と思っていると、右に逸れ路地に入り木の下に停車。
運賃は30バーツでした。運転手に渡します。
時刻は、11:58。
サンクラブリーから40分もかかったようには感じませんでしたけどね。
さっきの下り坂に戻って、道なりに歩いて下っていきます。
朝の涼しさが嘘のように暑い!!
早くも朦朧としてきましたよ -_-;)
坂を下り切った目の前に、とうとう現れました。
三つの仏塔。
この地、スリー・パゴダ・パス、タイ名チェーディー・サームオン、
日本名三仏塔峠の名の由来となった仏塔です。
今の姿になったのは1929年ですが、
それ以前にも3つの仏塔はあったようで。
三つの仏塔を前に、果てまで来たんだという感慨がひとしおです。
この地は山地を越える峠道として昔から交通の要衝でした。
3世紀にインド人がはるばる現在のタイの地まで
仏教を伝えにやってきた時もここを通ったと推定されているとか。
さらには14~18世紀のアユタヤ王朝期には、
ビルマ軍がたびたびここを通ってアユタヤに侵攻しています。
逆にアユタヤ軍もここを通ってビルマを攻めたんですが。
そして1943年10月に開通した泰緬鉄道もここを通っていたんです。
バイクが横切っているまさにその場所を左右にまっすぐ走っていました。
1990年頃にはモン族の軍がここのミャンマー側地域を制圧しましたが、
その後再びミャンマー軍が平定し、停戦協定を結んだモン族の軍は
活動をしていません。
3つの仏塔の背後にはコの字型に取り囲むように
土産物店街が連なっています。
左からずーっと見て歩いてみますか。
ちょうど強烈な日差しを避けられますし ^_^;)
ご当地Tシャツもあるのですが、多く目につく商品と言えば…
宝飾品。とくに宝石を使ったものが。
ミャンマーって良質なルビーの産地でしたよね。それでかな?
他にもコテコテの土産物店や中国茶屋、
食堂などがある並びを抜けたところには、
イミグレが突然出現。
よし、ミャンマーへちょこっと行ってみますか。
用意していた顔写真を確認しつつ窓口に近付くと、すーっと窓が開きました。
中にいる女性係官にパスポートを出して
ミャンマーに行きたい旨を告げます。
「ここは暫定国境なので、タイ人しかミャンマーに行けません。
恒久国境のバーン・ナムプローンへ行ってください」
とにこやかに拒否られてしまいました。
外国人はここを通れないとはまったく知りませんでしたよ!
大いにガッカリです…。
バーン・ナムプローンとは2013年6月12日に開いたばかりの
同じくカンチャナブリー県にあるタイ・ミャンマー国境。
詳しくは分かりませんが、バーン・ナムプローン国境が
新たに開いた代わりに、スリー・パゴダ・パス
(チェーディー・サームオン、三仏塔峠)の国境は
外国人には閉ざされたのかもしれませんね。
イミグレの向こう左手はもう、
ミャンマー国境なのでした。
時刻は、12:14。
この時はとにかく暑くて細かいことに気が回らなかったんですが、
帰国後によくよくこの写真を見てみると、何やら気になるものが。
国境の道に並行して右手の緑の土手の上に見えるもの、
あれって線路ですよねぇ?
なんという不覚。
どのみちサンクラブリーへの再訪を誓っていたので、
その際にスリー・パゴダ・パスにもまた足を伸ばすことにしましょう (T_T)
<旅費交通費>
ソンテオ:30バーツ
ここまでの合計:1,605バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
Wikipedia "ด่านเจดีย์สามองค์"
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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初めて そこへ行ったのが2006年11月でした。
たしか400バーツだか払って ミャンマー側の村へ入りました。
その後 再び2010年8月、スリーパゴダパスやサンクラブリの街(初めて)へ行きました。
その月、カンチャナブリからラチャブリ県内の温泉等へ行き、戻りは 国境沿いに カンチャナブリ郡内のバンカオ目指して戻りました。
そのバーン・ナムプローンがあることを 今日読んで知りましたが 同じタンボン内の様です。
航空(衛星)写真を見ると道路がミャンマー側とつながっている様ですが、それらいし表示は分からなく、やっと納得できました。
カンチャナブリ(市)から北西に323号を走ると、ここの3512線は AH123とも表示されています。
今日読んで 納得できました、ありがとうございます。