泰緬鉄道の線路跡を離れると、
この辺りは水深が浅いのか、立ち枯れた木々が
湖面から突き出ているのが多く目につきます。
お、近付いてきました。
ランティー川に架かる橋に。
昨日ヒンダート温泉から乗ったバスが渡ったのをよく覚えています。
橋の近くにも湖上集落があるんですね。
Uターンして反対側の陸地伝いに船は進みます。
シラサギみたいな鳥が時折枯れ木の上で休んでいます。
なぜか気になって船の進むすぐ先の湖面に目をやると
何かが横切っているではないですか。
よ~く見ると、長い体をうねらせています。…ヘビだ!!
ヘビが湖面を泳いでる!!
子供船頭さんに告げると、船を操るお父さんに向かって
「ヘビが泳いでたってさー!」と大声でわざわざ知らせています。
「父はヘビが大嫌いなんですよ」
嬉々として話す子供船頭さんの顔を見て、
大人顔負けのしっかり屋さんだけどやはり子供なんだなと
微笑ましく思った私でした ^_^;)
「歳を聞いてもいいですか?」と子供船頭さん。
うげっ。正直に答えると、
「お父さん! この人お父さんと同い年だって!」
うひゃーーーーー。
船は対岸の岩山に近付きます。
「あそこだよ。砲撃跡」
とさっきまで私とまったく言葉を交わさなかったお父さんが
解説をし出しました。同い年と知って扱いが変わったのかな? ^_^;)
それよりもどこ、砲撃跡は?
指差してくれるんですが、うーん、よくわかりません。
あれかなぁ。まぁ、砲撃跡があるっていうんだからあるんでしょう。
それでヨシとしますか。
お父さんはそのまま船を岩山近くに寄せていきます。
「そこにも泰緬鉄道の線路跡があるよ」
と船を止めました。
「こっちは2つの盛り土の間の溝に線路が通っていたんだ」
そうかなー。私には盛り土2つは本線と待避線に思えるんですが、
いずれにしてもここが泰緬鉄道の線路跡に間違い無さそうです。
線路はさっき見たところの先で直角に右へ曲がり、
さらに直角に左へと曲がってここに至っていたようです。
実はこのかつての谷間、現在の湖底にはニーケという駅がありました。
ランティー川を渡った先に存在していたようなので、
もしかしたらこの場所がニーケ駅だったのかもしれません。
数本の待避線に、三角方向転換線、給水塔、機関庫があり、
さらに兵站も置かれ、戦後も1946年10月の引き揚げまで
このニーケ駅に連合国軍の下、日本兵が361人配備されていました。
戦後すぐに泰緬鉄道はこのニーケ駅を境にして
ビルマ側と遮断されたんだそうで。
きっと全線の中でも重要な位置づけの駅だったんでしょうね。
実はそのニーケ駅の写真が残されているんです。
(出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)
駅名板はカタカナでも書かれていたんですね。
ちなみに12km余り先の次のソンクライ駅はビルマ国境にありました。
線路跡はまたもやこの先で湖に沈んでしまっています。
ありがとうございました。
お父さんにお礼を行って、船に戻ります。
時刻は、10:07。
岩山から離れ西へ向かう船から、線路が伸びていたであろう方向を
眺めてみます。
「泰緬鉄道は岩山に沿って回り込み、
あの奥へと伸びてミャンマーまで行っていたんだ」
とお父さん。
地形から考えても間違い無いでしょう。
船は再び狭くなっている部分を抜け帰途に。
…かと思いきや。
「ここまだ見てませんよね?」と子供船頭さん。
確かカレン族の寺だったとの説明だったような気がします。
今は陸地に移転してるものの、船でないと行けない場所だと言っていたような。
泰緬鉄道線路跡を見れた余韻にまだ浸っていたので
よく覚えてないんです。すみません m(_ _)m
船は再び走り出し、金色のチェーディー・プッタカヤーの前を通過すると、
モン橋が彼方に見えてきました!
「ミャンマーまで船で行けるんですよ」と子供船頭さん。
本当ですか! またの機会にお願いしてみたいですね。
「この船もミャンマー製です。30年経ってますけど」
どうりで時々溜まった水をコップで掻き出していたワケだ(笑)
「水位が高い時期には船でターク県まで行けます」
そんな旅も面白いでしょうね~。
グーグルマップの航空写真を拝借した各場所の説明に
対岸の砲撃跡と泰緬鉄道線路跡も追加しておきました。
<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
『泰緬鉄道―機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著,同文舘,1994
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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この辺りは水深が浅いのか、立ち枯れた木々が
湖面から突き出ているのが多く目につきます。
お、近付いてきました。
ランティー川に架かる橋に。
昨日ヒンダート温泉から乗ったバスが渡ったのをよく覚えています。
橋の近くにも湖上集落があるんですね。
Uターンして反対側の陸地伝いに船は進みます。
シラサギみたいな鳥が時折枯れ木の上で休んでいます。
なぜか気になって船の進むすぐ先の湖面に目をやると
何かが横切っているではないですか。
よ~く見ると、長い体をうねらせています。…ヘビだ!!
ヘビが湖面を泳いでる!!
子供船頭さんに告げると、船を操るお父さんに向かって
「ヘビが泳いでたってさー!」と大声でわざわざ知らせています。
「父はヘビが大嫌いなんですよ」
嬉々として話す子供船頭さんの顔を見て、
大人顔負けのしっかり屋さんだけどやはり子供なんだなと
微笑ましく思った私でした ^_^;)
「歳を聞いてもいいですか?」と子供船頭さん。
うげっ。正直に答えると、
「お父さん! この人お父さんと同い年だって!」
うひゃーーーーー。
船は対岸の岩山に近付きます。
「あそこだよ。砲撃跡」
とさっきまで私とまったく言葉を交わさなかったお父さんが
解説をし出しました。同い年と知って扱いが変わったのかな? ^_^;)
それよりもどこ、砲撃跡は?
指差してくれるんですが、うーん、よくわかりません。
あれかなぁ。まぁ、砲撃跡があるっていうんだからあるんでしょう。
それでヨシとしますか。
お父さんはそのまま船を岩山近くに寄せていきます。
「そこにも泰緬鉄道の線路跡があるよ」
と船を止めました。
「こっちは2つの盛り土の間の溝に線路が通っていたんだ」
そうかなー。私には盛り土2つは本線と待避線に思えるんですが、
いずれにしてもここが泰緬鉄道の線路跡に間違い無さそうです。
線路はさっき見たところの先で直角に右へ曲がり、
さらに直角に左へと曲がってここに至っていたようです。
実はこのかつての谷間、現在の湖底にはニーケという駅がありました。
ランティー川を渡った先に存在していたようなので、
もしかしたらこの場所がニーケ駅だったのかもしれません。
数本の待避線に、三角方向転換線、給水塔、機関庫があり、
さらに兵站も置かれ、戦後も1946年10月の引き揚げまで
このニーケ駅に連合国軍の下、日本兵が361人配備されていました。
戦後すぐに泰緬鉄道はこのニーケ駅を境にして
ビルマ側と遮断されたんだそうで。
きっと全線の中でも重要な位置づけの駅だったんでしょうね。
実はそのニーケ駅の写真が残されているんです。
(出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)
駅名板はカタカナでも書かれていたんですね。
ちなみに12km余り先の次のソンクライ駅はビルマ国境にありました。
線路跡はまたもやこの先で湖に沈んでしまっています。
ありがとうございました。
お父さんにお礼を行って、船に戻ります。
時刻は、10:07。
岩山から離れ西へ向かう船から、線路が伸びていたであろう方向を
眺めてみます。
「泰緬鉄道は岩山に沿って回り込み、
あの奥へと伸びてミャンマーまで行っていたんだ」
とお父さん。
地形から考えても間違い無いでしょう。
船は再び狭くなっている部分を抜け帰途に。
…かと思いきや。
「ここまだ見てませんよね?」と子供船頭さん。
確かカレン族の寺だったとの説明だったような気がします。
今は陸地に移転してるものの、船でないと行けない場所だと言っていたような。
泰緬鉄道線路跡を見れた余韻にまだ浸っていたので
よく覚えてないんです。すみません m(_ _)m
船は再び走り出し、金色のチェーディー・プッタカヤーの前を通過すると、
モン橋が彼方に見えてきました!
「ミャンマーまで船で行けるんですよ」と子供船頭さん。
本当ですか! またの機会にお願いしてみたいですね。
「この船もミャンマー製です。30年経ってますけど」
どうりで時々溜まった水をコップで掻き出していたワケだ(笑)
「水位が高い時期には船でターク県まで行けます」
そんな旅も面白いでしょうね~。
グーグルマップの航空写真を拝借した各場所の説明に
対岸の砲撃跡と泰緬鉄道線路跡も追加しておきました。
<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
『泰緬鉄道―機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著,同文舘,1994
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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ニーケ駅の駅名の下に何桁かの数字が見えるのですが、あれは単なる隣の駅までの距離なんでしょうかね。
また、こども船頭さんの仰る「水位が高い時期は舟でターク県まで行けます」とはターク県のどの辺りを指すのでしょうか?
もしよかったら、掻き出し用ポンプ持参でレポしてくださるととっても嬉しいです。
ps ミャンマー密入国レポも楽しみです。