モン橋横の竹橋を渡りつつ、
エンジン音を轟かせている船のほうを ふと眺めます。
日は昇っているものの、朝霧のせいでぼんやりと。
これまた幻想的な風景ですね。
でも、
さきほどよりは、霧が多少晴れたように思います。
対岸に辿り着くと、
なんとまあ。
バイクが無ければ、まるで江戸時代な光景ですよ。
バイクタクシーの兄ちゃんに声をかけ、行き先を告げます。
えーと、ワット…
「ワット・ワンウィウェーカーラーム」
そうそう、そこです。
名前が長くて覚えられませんでした ^_^;)
「20バーツ」
OKです。跨ろうとすると、
「お供えの花はいかがですか? どうせあちらで買うことですし」
と花売りの女性。
あれ、いつの間に ^_^;)
10バーツ渡して、花束を受け取ります。
ちなみにこちら岸へ渡って来た途端、
ほっぺたにタナカを塗った人だらけなんですよね。
女性の腰巻きスカート率も高しです。
こちらがミャンマーからやって来たモン族の集落なんだそうで。
ではお寺に向けて出発!
時刻は、07:23。
緩やかな坂を上ったり下りたりしつつ、
5分でワット・ワンウィウェーカーラームに到着。
入口を入って左手には立派な建物が。
プラサート・カーオヨート(九塔)というようで。
見上げると、
あ、昨日、ダム湖に沈んだ元のワット・ワンウィウェーカーラームに
飾ってあった写真と同じお坊さんだ。ということは、ウッタマ僧侶ですね。
「ウッタマ僧侶の棺はこの中に安置されています」
あ、そうなんですか。
でも朝早過ぎてまだ開いていないのが残念。
ウッタマ僧侶は、ミャンマー生まれ。
出家後苦労の末ミャンマー仏教界最高位の試験に合格すると、
さらに経験を積むためにミャンマー各地やタイのチェンマイにまでも
足を伸ばし、積極的に巡礼をしたのだとか。
1949年、台風によって故郷が壊滅的な被害を受けてしまいます。
さらに政府軍と反政府勢力の戦闘拡大に嫌気がさしたウッタマ僧侶は
トーンパープームの地から再びタイへと足を踏み入れます。
招聘を受けるなどして、トーンパープームのあの山上の寺ワット・ターカヌンや、
サムットサーコーン県のワット・バーンプラーなどで出家したのち、
ラーチャブリー県ポーターラームのワット・コで出家中の1951年、
ある知らせを受けたのです。
故郷から大勢のモン族の人々が川伝いに国境を越えサンクラブリーに
避難してきている。ウッタマ僧侶の招聘を望んでいる、と。
ワット・コでの出家を終えたウッタマ僧侶はサンクラブリーに向かいます。
これがサンクラブリーのモン族集落の始まりとなったのでした。
その後、ウッタマ僧侶が中心となり、モン族とカレン族の協力で
1956年に建てられたのが、今はダム湖に沈んでいる
元のワット・ワンウィウェーカーラーム。
丘の上の現在のワット・ワンウィウェーカーラームは、
ダム湖ができた1984年以降に建てられたものです。
そうそう、この建物ですが塔が3つしかないのになぜ
プラサート・カーオヨート(九塔)という名なのかと思ったら、
ウッタマ僧侶の棺に9つの塔状の装飾が施してあるからなんだそうで。
ウッタマ僧侶は2006年、97歳で逝去。
プラサート・カーオヨートは、その後建てられたのでしょうね。
いずれにしても入って見れないのが残念です。
2階はミュージアムになっているんだとか。
「ウィハーンは開いてますよ」とバイタクの兄ちゃん。
あ、ほんとだ。ちょっと行って来ます。
入口右手のウィハーン・ヒンオーン(大理石仏堂)内部は
ひんやりした空気が漂っています。
名のとおり中央には、ひと塊の大理石から彫られた仏像が。
なんでもウッタマ僧侶がミャンマーのマンダレーの彫刻師に
彫らせたものなんだとか。
完成後、ミャンマー宗教局の許可取得や、9トンの重さのある仏像の運搬に
てこずって、やっとの思いでこの先の国境から搬入したんだそうです。
仏像の前には一対の象牙が。珍しいんじゃないですか?
さて、ここの境内は見終えたので、次なるスポットへ。
チェーディー・プッタカヤーにも行ってもらえますか?
「いいですよ」
再びバイクに跨り、緩い坂を下りて行きます。
すがすがしくて気持ちいいもんですね~。
ちなみに左手は学校。
ものの1,2分で到着しました!
時刻は、07:40。
チェーディー・プッタカヤー(ブッタガヤ仏塔)です!
<旅費交通費>
バイクタクシー代未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:915バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
MonStudies.com "หลวงพ่ออุตตมะ"(タイ語)
Wikipedia "พระราชอุดมมงคล (เอหม่อง อุตฺตมรมฺโภ)"(タイ語)
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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エンジン音を轟かせている船のほうを ふと眺めます。
日は昇っているものの、朝霧のせいでぼんやりと。
これまた幻想的な風景ですね。
でも、
さきほどよりは、霧が多少晴れたように思います。
対岸に辿り着くと、
なんとまあ。
バイクが無ければ、まるで江戸時代な光景ですよ。
バイクタクシーの兄ちゃんに声をかけ、行き先を告げます。
えーと、ワット…
「ワット・ワンウィウェーカーラーム」
そうそう、そこです。
名前が長くて覚えられませんでした ^_^;)
「20バーツ」
OKです。跨ろうとすると、
「お供えの花はいかがですか? どうせあちらで買うことですし」
と花売りの女性。
あれ、いつの間に ^_^;)
10バーツ渡して、花束を受け取ります。
ちなみにこちら岸へ渡って来た途端、
ほっぺたにタナカを塗った人だらけなんですよね。
女性の腰巻きスカート率も高しです。
こちらがミャンマーからやって来たモン族の集落なんだそうで。
ではお寺に向けて出発!
時刻は、07:23。
緩やかな坂を上ったり下りたりしつつ、
5分でワット・ワンウィウェーカーラームに到着。
入口を入って左手には立派な建物が。
プラサート・カーオヨート(九塔)というようで。
見上げると、
あ、昨日、ダム湖に沈んだ元のワット・ワンウィウェーカーラームに
飾ってあった写真と同じお坊さんだ。ということは、ウッタマ僧侶ですね。
「ウッタマ僧侶の棺はこの中に安置されています」
あ、そうなんですか。
でも朝早過ぎてまだ開いていないのが残念。
ウッタマ僧侶は、ミャンマー生まれ。
出家後苦労の末ミャンマー仏教界最高位の試験に合格すると、
さらに経験を積むためにミャンマー各地やタイのチェンマイにまでも
足を伸ばし、積極的に巡礼をしたのだとか。
1949年、台風によって故郷が壊滅的な被害を受けてしまいます。
さらに政府軍と反政府勢力の戦闘拡大に嫌気がさしたウッタマ僧侶は
トーンパープームの地から再びタイへと足を踏み入れます。
招聘を受けるなどして、トーンパープームのあの山上の寺ワット・ターカヌンや、
サムットサーコーン県のワット・バーンプラーなどで出家したのち、
ラーチャブリー県ポーターラームのワット・コで出家中の1951年、
ある知らせを受けたのです。
故郷から大勢のモン族の人々が川伝いに国境を越えサンクラブリーに
避難してきている。ウッタマ僧侶の招聘を望んでいる、と。
ワット・コでの出家を終えたウッタマ僧侶はサンクラブリーに向かいます。
これがサンクラブリーのモン族集落の始まりとなったのでした。
その後、ウッタマ僧侶が中心となり、モン族とカレン族の協力で
1956年に建てられたのが、今はダム湖に沈んでいる
元のワット・ワンウィウェーカーラーム。
丘の上の現在のワット・ワンウィウェーカーラームは、
ダム湖ができた1984年以降に建てられたものです。
そうそう、この建物ですが塔が3つしかないのになぜ
プラサート・カーオヨート(九塔)という名なのかと思ったら、
ウッタマ僧侶の棺に9つの塔状の装飾が施してあるからなんだそうで。
ウッタマ僧侶は2006年、97歳で逝去。
プラサート・カーオヨートは、その後建てられたのでしょうね。
いずれにしても入って見れないのが残念です。
2階はミュージアムになっているんだとか。
「ウィハーンは開いてますよ」とバイタクの兄ちゃん。
あ、ほんとだ。ちょっと行って来ます。
入口右手のウィハーン・ヒンオーン(大理石仏堂)内部は
ひんやりした空気が漂っています。
名のとおり中央には、ひと塊の大理石から彫られた仏像が。
なんでもウッタマ僧侶がミャンマーのマンダレーの彫刻師に
彫らせたものなんだとか。
完成後、ミャンマー宗教局の許可取得や、9トンの重さのある仏像の運搬に
てこずって、やっとの思いでこの先の国境から搬入したんだそうです。
仏像の前には一対の象牙が。珍しいんじゃないですか?
さて、ここの境内は見終えたので、次なるスポットへ。
チェーディー・プッタカヤーにも行ってもらえますか?
「いいですよ」
再びバイクに跨り、緩い坂を下りて行きます。
すがすがしくて気持ちいいもんですね~。
ちなみに左手は学校。
ものの1,2分で到着しました!
時刻は、07:40。
チェーディー・プッタカヤー(ブッタガヤ仏塔)です!
<旅費交通費>
バイクタクシー代未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:915バーツ
※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
<参考>
MonStudies.com "หลวงพ่ออุตตมะ"(タイ語)
Wikipedia "พระราชอุดมมงคล (เอหม่อง อุตฺตมรมฺโภ)"(タイ語)
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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ブログを書く励みになります m(_ _)m
ここへ行ったのは一度です。
カンチャナブリ市を越えて走るとワクワクします。
以前より読ませていただいており、楽しみにしています。