旧泰緬鉄道の現国鉄西線(ナムトック線)について旅行記を
書いているこのタイミングで、泰緬鉄道と関係のある豪・英合作映画
『レイルウェイ 運命の旅路』がちょうど公開とのこと。
書いているこのタイミングで、泰緬鉄道と関係のある豪・英合作映画
『レイルウェイ 運命の旅路』がちょうど公開とのこと。
これも何かの縁、私は公開初日の4月19日(土)に早速観てきました。
ネタバレの無いように慎重に感想を述べさせていただきますと、
生き残った捕虜も、捕虜を酷使した側の日本兵も戦後
ずっと苦しんできたことに気付かされる映画です。
ずっと苦しんできたことに気付かされる映画です。
その苦しみはあの時あの場にいた人にしか理解できないんでしょう。
でもこの映画は、泰緬鉄道を取り上げた既存の他の何よりも
その苦しみの理解へと私たちを近づけてくれると思います。
泰緬鉄道建設現場や捕虜拷問の描写は、日本軍の野蛮さを
殊更に誇張するわけでもなく、間違いなくこういう状況だったのだろうと
納得のいくものなので、そういう意味では日本人が観ても不快な思いを
することは無いのではないかと。
殊更に誇張するわけでもなく、間違いなくこういう状況だったのだろうと
納得のいくものなので、そういう意味では日本人が観ても不快な思いを
することは無いのではないかと。
映画での描写にしても実際の永瀬隆氏との対面にしても、
制作国がイギリス・オーストラリアで捕虜がイギリス人であったからこそ
こういう映画、こういう結末になったんでしょう。
制作国がイギリス・オーストラリアで捕虜がイギリス人であったからこそ
こういう映画、こういう結末になったんでしょう。
今のご時世、文明国・大人の対応に学ぶべきことは多いと思います。
結末のお陰か、重いテーマにも関わらず観終えてずっしりと気が重くなるなんて
ことはありませんでした。タイ好きのみなさんなら観て損の無い映画ですよ。
ことはありませんでした。タイ好きのみなさんなら観て損の無い映画ですよ。
ちなみにシンガポールからタイへの捕虜輸送列車を牽引する機関車として
登場するC56 15号機は、トンブリー機関区で動態保存されているものです。
登場するC56 15号機は、トンブリー機関区で動態保存されているものです。
2008年4月28日の
「トンブリー路線バスの旅(13) SL大集合@トンブリー機関区」で
「トンブリー路線バスの旅(13) SL大集合@トンブリー機関区」で
この日記にも登場しています。
というワケで、映画によってまた見方の変わった旧泰緬鉄道、
現国鉄西線(ナムトック線)の旅へと戻ることにします ^^
タム・クラセー停留所を出発した列車は10分足らずで次の駅に停車。
ワンポー駅(วังโพ)です。
時刻は、13:29。
戦時中は、三角方向転換線、機関庫、給水塔がある重要な駅だったようです。
戦後すぐの1945年9月時点で毎日上下1列車ずつ運行されていましたが、
いずれもこのワンポー駅で一晩停車して翌朝先へ進んでいたんだとか。
この待避線は、当時の名残なんでしょうね。
戦後も1946年10月に引き揚げるまで、泰緬鉄道に従事する日本兵が
9千人近く残っていました。ここワンポーにも385人が残留していたんだとか。
ワンポー駅を出発すると、車窓は険しい景色に。
ジャングルですよ、もう。
眼下には蛇行するクウェー・ノーイ川が見えます。
おっと、短い切り通しが再び出現です。
そして通過。
手を伸ばせば、間違いなく届きます…。
ふとクウェー・ノーイ川対岸の山に目をやると、
立派な寺院の姿が。
あんなところによく建てたもんですね。
しばらくすると、また平原の風景に。
日本のよりも赤々とした色の赤土の畑が続きます。
そして林の中をのんびり抜けて山へと向かっていくと、
ん? 待避線に列車が。
車内アナウンスなんて無いので自分で判断するしかないのですが、
どうやら終点ナムトック駅に到着したようですよ。
時刻は、14:05。
<旅費交通費>
列車に乗っていただけなので:0バーツ
ここまでの合計:255バーツ
※旅は2014年3月31日(月)に行いました。
<参考>
『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治、同文舘、1994年
つづく
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