降り立ったのは、ノーンプラードゥック駅。
今回の旅の最初の目的地です。
正式名は、ノーンプラードゥック分岐点。
英語でも「NONG PLADUK JUNCTION」と書かれています。
ノーンプラードゥック駅、と言われてもピンと来ないかもしれませんね。
旧日本軍が建設した泰緬鉄道はご存知かと思います。
その始発駅が、ここなのです。
ノーンプラードゥック駅自体も日本軍が新たに設置した駅。
日本軍の手でこの駅に泰緬鉄道の0キロ・ポストが打ち込まれたのが
1942年7月5日ですので、その前に駅は開業していたんでしょうね。
泰緬鉄道の開通は翌43年10月25日でした。
戦後の1963年6月にはこの駅を起点とするスパンブリー線も運行を開始したので、
現在では、泰緬鉄道の一部を引き継いだ西線(ナムトック線)とスパンブリー線
2路線の起点駅になっています。
それを示す看板も駅ホームに立っていました。
さーて、線路北側に建つ駅舎を抜けて外に出てみると・・・
見事になんにもなーい!
事前に知ってたとは言え、残念感満点なのは否めません ^_^;)
駅前には小さなよろず屋が一軒。
あとは民家が数軒立ち並ぶのみです。
少し歩いたところから駅舎を望むと、
中央から左に見えるクリーム色の建物が駅舎なんですが、
大木数本の緑に覆われて、知らなければここに駅があるなんて気付かないほど。
日本軍がいた当時はこちら側ではなく、線路の南側のやや西寄りに
日本軍の兵舎と捕虜収容施設が立ち並んでいたようです。
『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年
に当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)が
掲載されています。
それとグーグルマップの航空写真を比較してみると、当時の日本軍施設は
跡かたも無く消え、現在では田んぼになっているのが分かります(矢印の一帯)。
施設の姿は完全に無くなっていますが、日本軍の残した物は
ほんの僅かながら駅近くに残っているようで。
ノーンプラードゥック駅前に住む、当時日本軍施設で働いていたタイ人のインタビュー記事
(タイ語)によれば、日の丸の国旗が残っているみたいですね。
あと他のサイトで見たんですが、この方の家には他にも
日本語の書かれたコンクリート柱片も残っているようです。
この方の話によればノーンプラードゥックの日本軍施設は連合国軍機の爆撃に
何度も遭ったもののほとんど命中しなかったんだとか。
でも一度、待避線に停められた貨車を病院として使用していたところに
爆弾が命中して多くの看護婦が亡くなったそうです…。
私は日本軍の面影を残す物に触れることはできませんでしたが、
ここに来たということだけで、もう十分。
さて、何も無いところに長居するのもなんなので、先に進みましょう。
次に来る列車は、恐らく間もなく到着の西線ナムトック行きなのですが、
私は南線バーンポーン方面へ行きたいんですよね。
そうすると、次の列車は11:05。
ただ待って時間を潰すんなら歩いちゃえ(笑)
線路に並行して伸びる道をひたすら西へと歩くことに。
ゴールデン・シャワーの並木がなんとも綺麗!
などと感動していたら、道はこの先未舗装に…。
このはるか先まで埃っぽい道が続く光景に、早々とウンザリしてしまいました。
強烈な日差しが刺さる首の後ろがヒリヒリしますし。
なんだこの木の折れ方は? 強い嵐でも来たんですかね。
殺伐とした風景に花を添えています -_-;)
<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:43.5バーツ
※シリラート病院―トンブリー駅のソンテオ運賃は7バーツだと
バンコクバスマニアさんから教えていただきました。ありがとうございました。
訂正した金額で合計交通費を計算し直してあります。
※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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今回の旅の最初の目的地です。
正式名は、ノーンプラードゥック分岐点。
英語でも「NONG PLADUK JUNCTION」と書かれています。
ノーンプラードゥック駅、と言われてもピンと来ないかもしれませんね。
旧日本軍が建設した泰緬鉄道はご存知かと思います。
その始発駅が、ここなのです。
ノーンプラードゥック駅自体も日本軍が新たに設置した駅。
日本軍の手でこの駅に泰緬鉄道の0キロ・ポストが打ち込まれたのが
1942年7月5日ですので、その前に駅は開業していたんでしょうね。
泰緬鉄道の開通は翌43年10月25日でした。
戦後の1963年6月にはこの駅を起点とするスパンブリー線も運行を開始したので、
現在では、泰緬鉄道の一部を引き継いだ西線(ナムトック線)とスパンブリー線
2路線の起点駅になっています。
それを示す看板も駅ホームに立っていました。
さーて、線路北側に建つ駅舎を抜けて外に出てみると・・・
見事になんにもなーい!
事前に知ってたとは言え、残念感満点なのは否めません ^_^;)
駅前には小さなよろず屋が一軒。
あとは民家が数軒立ち並ぶのみです。
少し歩いたところから駅舎を望むと、
中央から左に見えるクリーム色の建物が駅舎なんですが、
大木数本の緑に覆われて、知らなければここに駅があるなんて気付かないほど。
日本軍がいた当時はこちら側ではなく、線路の南側のやや西寄りに
日本軍の兵舎と捕虜収容施設が立ち並んでいたようです。
『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年
に当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)が
掲載されています。
それとグーグルマップの航空写真を比較してみると、当時の日本軍施設は
跡かたも無く消え、現在では田んぼになっているのが分かります(矢印の一帯)。
施設の姿は完全に無くなっていますが、日本軍の残した物は
ほんの僅かながら駅近くに残っているようで。
ノーンプラードゥック駅前に住む、当時日本軍施設で働いていたタイ人のインタビュー記事
(タイ語)によれば、日の丸の国旗が残っているみたいですね。
あと他のサイトで見たんですが、この方の家には他にも
日本語の書かれたコンクリート柱片も残っているようです。
この方の話によればノーンプラードゥックの日本軍施設は連合国軍機の爆撃に
何度も遭ったもののほとんど命中しなかったんだとか。
でも一度、待避線に停められた貨車を病院として使用していたところに
爆弾が命中して多くの看護婦が亡くなったそうです…。
私は日本軍の面影を残す物に触れることはできませんでしたが、
ここに来たということだけで、もう十分。
さて、何も無いところに長居するのもなんなので、先に進みましょう。
次に来る列車は、恐らく間もなく到着の西線ナムトック行きなのですが、
私は南線バーンポーン方面へ行きたいんですよね。
そうすると、次の列車は11:05。
ただ待って時間を潰すんなら歩いちゃえ(笑)
線路に並行して伸びる道をひたすら西へと歩くことに。
ゴールデン・シャワーの並木がなんとも綺麗!
などと感動していたら、道はこの先未舗装に…。
このはるか先まで埃っぽい道が続く光景に、早々とウンザリしてしまいました。
強烈な日差しが刺さる首の後ろがヒリヒリしますし。
なんだこの木の折れ方は? 強い嵐でも来たんですかね。
殺伐とした風景に花を添えています -_-;)
<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:43.5バーツ
※シリラート病院―トンブリー駅のソンテオ運賃は7バーツだと
バンコクバスマニアさんから教えていただきました。ありがとうございました。
訂正した金額で合計交通費を計算し直してあります。
※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
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