チェーディーは回廊の壁に囲まれています。
仏堂横の壁に入口が開いてたのでそこから入ってみると、
でっかい!!
見上げると真っ青な空にチェーディーの黄色が映えて綺麗です。
神々しさを感じますね。
元々は、インド・マウリヤ朝のアショーカ王(在位紀元前268年頃~232年頃)が
派遣した仏教使節が建立したとの説があります。
それでインドシナ半島最初(パトム)の仏塔(チェーディー)ということで
ラマ4世(在位1851年~68年)が「プラパトムチェーディー」と命名。
でも、実はそこまで古くはないものの、5世紀には存在したのではないかと
いうのが有力な説だとか。
6世紀からナコーンパトムを中心にモン族国家ドヴァーラヴァティーが栄えます。
が、11世紀にパガン遺跡で有名なビルマのパガン朝に攻められ衰退。
その後入れ替わりで進出してきたクメール人が仏塔をクメール様式に改修するも、
勢力の衰えとともに仏塔も放置されました。
18世紀になり、タイが現王朝の時代になるとナコーンパトムに人が戻ってきて、
ラマ4世が1853年から仏塔を現在の姿に改修を始め、ラマ5世期に完成。
その後2度の大きな修復を経て今に至る。
…のだそうです ^^
さて、チェーディー周縁の歩道に上って回廊を見下ろしてみますか。
観光客がまだ少なく静かです。
時計回りに歩いて南門の正面に出ました。
乗ってきたロッ・トゥーを降りたのは、あの先の門の前だったんですね~。
さらに歩いて行くと、
下には僧坊らしき建物群が出現。
まるでリゾート・ホテルのコテージみたいに見えます。
半周歩いたところで、西門から外へ出ることにしました。
下にはテントが並んでいます。土産物屋を兼ねた市場になっている模様。
でもまだ開店準備中のテントがほとんど。
真西へ歩き門に到着。
門には、
長寿でありますように。ご子孫が繁栄しますように。
ご家族が幸せでありますように。健康でお体が丈夫でありますように。
と。
ありがとうございます ^^
ちょっぴり気分が良くなって門をくぐります。
さて、次は地図を見ていて気になったところへ行ってみますか!
<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:60バーツ
※旅は2011年12月29日に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく
仏堂横の壁に入口が開いてたのでそこから入ってみると、
でっかい!!
見上げると真っ青な空にチェーディーの黄色が映えて綺麗です。
神々しさを感じますね。
元々は、インド・マウリヤ朝のアショーカ王(在位紀元前268年頃~232年頃)が
派遣した仏教使節が建立したとの説があります。
それでインドシナ半島最初(パトム)の仏塔(チェーディー)ということで
ラマ4世(在位1851年~68年)が「プラパトムチェーディー」と命名。
でも、実はそこまで古くはないものの、5世紀には存在したのではないかと
いうのが有力な説だとか。
6世紀からナコーンパトムを中心にモン族国家ドヴァーラヴァティーが栄えます。
が、11世紀にパガン遺跡で有名なビルマのパガン朝に攻められ衰退。
その後入れ替わりで進出してきたクメール人が仏塔をクメール様式に改修するも、
勢力の衰えとともに仏塔も放置されました。
18世紀になり、タイが現王朝の時代になるとナコーンパトムに人が戻ってきて、
ラマ4世が1853年から仏塔を現在の姿に改修を始め、ラマ5世期に完成。
その後2度の大きな修復を経て今に至る。
…のだそうです ^^
さて、チェーディー周縁の歩道に上って回廊を見下ろしてみますか。
観光客がまだ少なく静かです。
時計回りに歩いて南門の正面に出ました。
乗ってきたロッ・トゥーを降りたのは、あの先の門の前だったんですね~。
さらに歩いて行くと、
下には僧坊らしき建物群が出現。
まるでリゾート・ホテルのコテージみたいに見えます。
半周歩いたところで、西門から外へ出ることにしました。
下にはテントが並んでいます。土産物屋を兼ねた市場になっている模様。
でもまだ開店準備中のテントがほとんど。
真西へ歩き門に到着。
門には、
長寿でありますように。ご子孫が繁栄しますように。
ご家族が幸せでありますように。健康でお体が丈夫でありますように。
と。
ありがとうございます ^^
ちょっぴり気分が良くなって門をくぐります。
さて、次は地図を見ていて気になったところへ行ってみますか!
<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:60バーツ
※旅は2011年12月29日に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)
つづく