ワット・クラーン市場のソイを出て、元のトゥートタイ通りを
西へ少し歩くと、また寺が見えてきました。

ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーンです。

路地を奥へ進むと、堂々とした本堂が建ってます。


ワット・ラーチャクル


比較的新しめに感じますね。


この寺は、タークシン王の右腕として活躍した武将、
プラヤー・ピチャイ・ダープハックが祀られています。


寺で見た案内板によると、1741年、現ウッタラディット県ピチャイ郡生まれ。

ムエタイと剣術に優れた彼はタークシン王に取り立てられ、20歳の時、
ビルマから国を奪還する闘いで活躍します。

順調に昇進した彼は、出身地ピチャイを統治する任に。

その期間、ビルマと2度交戦したのですが、2度目の際に
白兵戦のさなか彼は2本の剣を手に、剣が折れるほど果敢に戦ったのだとか。

「ダープ・ハック」(剣が折れる)は、その戦いぶりを称えて付けられた名なのです。


トンブリー王朝が終焉を迎えた時、彼はタークシン王の後を追って
1782年、40歳でこの世を去りました。


プラヤー・ピチャイ・ダープハックが祀られた仏塔は
綺麗に管理され、参拝者の姿も。お供え物が置かれています。


あとこの寺の見どころと言えば、これ。


プーカオ・モー


プーカオ・モー(モー山)。

海で採取した岩で作られた山です。中国の影響を受けているとのこと。
モー山という名も中国語から来てるんでしょうかね。


実はもう一つ、珍しい見どころがあったのですが、
うっかり見忘れてしまいました!

それは、寝釈迦像。

そんなの珍しくないじゃん、とお思いでしょうが、
ここのは変わってるんです。


なんと、仰向けに寝た寝釈迦像なのです!


あー、なんという不覚! いつもながら詰めの甘い自分に
自己嫌悪です・・・(汗)


この時はそんなポカにつゆにも気付かず、寺を後にしたのでした・・・。


寺の敷地から伸びる細い路地を発見した私は入って行ってみることに。

早速こんな店を発見。


籐・竹細工の道具店


籐や竹を編んで作った道具を売っています。

かつてこれらはラーチャブリー県の特産品で、
運河を伝ってここタラート・プルーまで運ばれて売られていました。

さすがに現在は陸路で輸送されているんでしょうけど、
今でもところどころでこの手の道具を売る店が残っています。

タラート・プルーの歴史を感じさせる商品ですね。


路地は一層細くなり右に曲がります。


タラートプルーの路地裏の一風景


人さまの家に入りこんだワケじゃないですよ(笑)
路地沿いにはこんな生活感を感じる光景も広がっていました。


ここには穏やかな生活があるんだろうな~。

この路地を歩いて、なんだかちょっぴり幸せを分けてもらったような気分になりました。





時刻は、11:30。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ワット・ラーチャクル・ウォーラウィハーン