かつて、タイ国内の大きめの街は、たいてい城壁で囲まれていたそうですね。
コラートしかり、チェンマイしかり、ペッチャブリーしかり。

首都のバンコクも、もちろんそうでした。

ラマ1世の時代に、ラッタナコーシン島のチャオプラヤー川に面していない
北~北東~東の部分に、全長約7キロの城壁が築かれたそうです。

この城壁内が、元々のバンコク。
江戸の朱引みたいな感じでしょうか。


この城壁ですが、その後、道路や住居の建設のために
ほとんどの部分が破壊されてしまいました。


私が持っているタイで出版されたバンコクのガイドブックには、
今や1か所に残るのみ、と書かれています。


さて、本当にそうなのでしょうか!?


偶然も重なって、その疑問を晴らすことができたので、
今回、バンコク首都城壁について書きたいと思います。


まずは、その本に紹介されていた「唯一」現存するという
城壁の場所へ…。

ちょっと前ですが、昨年7月某日に行ってみました。


そこは、ラチャダムヌーン通りの始点にあります。

パーンファーリーラート橋を渡ると、
まず目に飛び込んでくるのは、


マハーカーン要塞


城壁の端に鎮座する、マハーカーン要塞です。


ラッタナコーシン島のチャオプラヤー川と城壁沿いには14の要塞が築かれました。
ここは、現存する要塞2ヶ所のうちの1つです。

ラマ1世期の1783年に築造。
八角形の形状で、当時のままかは不明ですが大砲も置かれています。


裏手に回ってみましょう。


マハーカーン要塞の裏側


意外。芝生が広がっていました。


パーンファーリーラート橋と聞いて、あれ? と思われた方、
スルドイです。

実はここのすぐ目の前で、赤シャツ派の集会が行われていたんです。

4月14日にここを引き払い、ラーチャプラソン交差点の一か所に
集結するまで、この一帯は赤一色だったんでしょうね。

赤一色と言えば、例の採血された血でスローガンが書かれた垂れ幕が、
ほんの一時期、このマハーカーン要塞に掲げてあったとか…。

そしてこの裏手の芝生も、赤シャツ派が去った後は
ゴミの山と化していたんだそうです。

バンコク都が清掃をおこなったので、今ではこの写真の当時の姿に
戻っているかもしれませんね。


さて、次回こそ「城壁」です!(笑)


つづく


 
※旅は2009年7月21日(火)に行いました。