なおも歩くと、アート・ナロン通りに出ました。
ラマ4世通りが北側に逸れる地点から、まっすぐ東へ延びている道です。

振り返ってみると、


パッタナー・コミュニティー
(地図(1)の場所付近)


横断幕には、

パッタナー4-5コミュニティー

と書かれています。
この道の左右の住宅街が4と5なんでしょうね。

ということは、奥の中心部が1~3なのかもしれません。


クロントイ・スラムを抜けたところで、
ここの歴史をちょっと振り返ってみましょう。


クロントイ・スラムは、1950年代から急速に拡大していったようです。

クロントイ港が荷役の日雇い労働者を必要とした状況下で、
干ばつなどで困窮した地方農民が、農業収入より割の良い職を求めて
集まってきたのだそうです。

クロントイ港も、求人はしても日雇い労働者の住居のことまで考えていなかったので、
自然とクロントイ港周辺の空き地に掘っ建て小屋が出現。

最初はほんの数十世帯だったのが、6千世帯以上に膨れ上がりました。

ずっと劣悪な環境だったのが、ドゥアン・プラティープ財団をはじめとする
NGOの努力や、それに動かされた国・都の支援のお陰で、
ようやく見た目には普通の住宅街とさほど遜色ないところまで改善された
ということなのでしょう。


住居の次は、職業の問題かもしれません。

クロントイ・スラム住民の全就業者のうち3割が
クロントイ港の日雇い港湾労働に就いています。

次に多いのが運転手。
トラック、タクシー、トゥクトゥク、バイタクと様々ですが、
男性の2割はこの職業。

求人情報を得る手段は、コミュニティー内のクチコミがメインだそうで、
それではこの現状は変わらないんでしょう。

外の世界の求人情報に接する場が、次は必要なのかもしれない、
と、おこがましくも感じたりしました・・・。


コミュニティー入口とアート・ナロン通りの間には、
線路が走っています。


パッタナー・コミュニティー前の線路
(地図(1)の場所付近)


ずーっと行くと、先ほどのロムクラオ・コミュニティー入口横に
繋がってるんでしょうね。

中西さんのコメントによると、夜間に貨物列車が走っているとか。
見てみたいもんです~。





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 7バーツ

つづく


<参考>
・ドゥアンプラティープ財団『クロントイスラムについて』
・小保内弘子「経済発展とインフォーマルセクター居住家計の経済活動-1990年タイの
 家計調査を基に-」『明治大学短期大学紀要』50号,1991年


※旅は2009年12月28日(月)に行いました。


クロントイ・スラム

※クロントイ・スラムを再訪した「クロントイ・スラムへ」(全6回)も
 あわせてお読みいただけたら嬉しいです。

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