門番の兵士さんに挨拶をして、海軍博物館を後にしました。
時刻は、15:00ちょうど。
次の目的地は・・・
目の前のスクンビット通りを挟んだ向かいに見えてます(笑)
あそこは、海軍士官学校。
歩道橋を渡り門の前まで行くと、
やはり門番の兵士2人が寄ってきました。
中のアレを見に行きたいんですが
と指差しながら説明すると、「受付で話してください」と。了解ですー。
門を入ってすぐ左の受付には女性職員が。
また同じことを話すと、
「見て写真を撮るだけですよね?」と確認されました。
はい。私、日本人ですが大丈夫ですか?
一瞬考え込んだ女性は、方々へ電話をして許可を取ってくれました。
「コレを胸に付けてください。どうぞ」
ありがとうございます!
渡された許可証を胸に付け、海軍士官学校の敷地内に足を踏み入れました。
目的のものは、さっきから既に遠くに見えています。
そこを目指して歩を進めて行くと、ほどなく到着!
戦艦トンブリーです。
またもや一部分だけですが、これだけ大きいと迫力がありますね。
話の流れでお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、
この戦艦トンブリーも戦前の日本製なのです!
神戸の川崎造船所で建造され1937年7月31に進水、就役は翌38年10月5日。
タイ海軍の旗艦だったようです。
しかし41年1月17日、フランスと戦ったチャーン島沖海戦で被弾大破。
軍艦チャーン号が曳航したもののトラート沖で座礁しました。
同年に日本のサルベージ会社の手で引き上げに成功したのですが、
被害が甚大なため修理を諦め、同年9月21日に退役となりました。
その後、係留されたままの状態で、部隊の水上司令部として使用されたのち、
59年6月19日にその役目も終えたとのことです。
なので戦艦としての活躍は、わずか3年弱という悲劇の戦艦なのです。
その後、艦橋と主砲(?)部分を、ここ海軍士官学校に移したというわけです。
こうやって見ると、さすがに迫力があります!!
<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ
つづく
時刻は、15:00ちょうど。
次の目的地は・・・
目の前のスクンビット通りを挟んだ向かいに見えてます(笑)
あそこは、海軍士官学校。
歩道橋を渡り門の前まで行くと、
やはり門番の兵士2人が寄ってきました。
中のアレを見に行きたいんですが
と指差しながら説明すると、「受付で話してください」と。了解ですー。
門を入ってすぐ左の受付には女性職員が。
また同じことを話すと、
「見て写真を撮るだけですよね?」と確認されました。
はい。私、日本人ですが大丈夫ですか?
一瞬考え込んだ女性は、方々へ電話をして許可を取ってくれました。
「コレを胸に付けてください。どうぞ」
ありがとうございます!
渡された許可証を胸に付け、海軍士官学校の敷地内に足を踏み入れました。
目的のものは、さっきから既に遠くに見えています。
そこを目指して歩を進めて行くと、ほどなく到着!
戦艦トンブリーです。
またもや一部分だけですが、これだけ大きいと迫力がありますね。
話の流れでお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、
この戦艦トンブリーも戦前の日本製なのです!
神戸の川崎造船所で建造され1937年7月31に進水、就役は翌38年10月5日。
タイ海軍の旗艦だったようです。
しかし41年1月17日、フランスと戦ったチャーン島沖海戦で被弾大破。
軍艦チャーン号が曳航したもののトラート沖で座礁しました。
同年に日本のサルベージ会社の手で引き上げに成功したのですが、
被害が甚大なため修理を諦め、同年9月21日に退役となりました。
その後、係留されたままの状態で、部隊の水上司令部として使用されたのち、
59年6月19日にその役目も終えたとのことです。
なので戦艦としての活躍は、わずか3年弱という悲劇の戦艦なのです。
その後、艦橋と主砲(?)部分を、ここ海軍士官学校に移したというわけです。
こうやって見ると、さすがに迫力があります!!
<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ
※旅は2009年7月22日(水)に行いました。
つづく