プラプラデーン市生鮮市場のアーケードを抜けたところには
いかにも古い石造りの門が立っていました。

プレーンファイファー要塞の入り口です。
早速中に入ってみることに!

門をくぐると、ちょっとした広場とその先に高台が見えます。
高台へは坂道が作られています。
その坂を登ってみると・・・
ワンワン!
私を見つけた2匹の犬が一斉に威嚇を始めました。
ま、またかよ・・・(汗)
でも落ち葉を集めて焚き火をしていた方(市の職員?)が
犬を静かにしてくれました。ありがとうございます~。

こんな感じで大砲もそのままで公開されているプレーンファイファー要塞は、
1815年に時の国王ラマ2世の命により築造され、その後ラマ5世期の
1893年に改修を受けています。
ラマ1世~5世期に、西洋列強の攻撃からタイを守るために
チャオプラヤー川河口地域に設けられた24の要塞の一つなのです。
築造にはこのプラプラデーン(当時の地名はクアンカン)に移住してきた
モン族が従事したとか。


市民の憩いの場になっているんでしょうね。
手入れのいき届いた芝生とつつじのような花が奇麗でした。

<交通費>
徒歩なので0バーツ
ここまでの合計:13バーツ
つづく・・・

いかにも古い石造りの門が立っていました。

プレーンファイファー要塞の入り口です。
早速中に入ってみることに!

門をくぐると、ちょっとした広場とその先に高台が見えます。
高台へは坂道が作られています。
その坂を登ってみると・・・
ワンワン!
私を見つけた2匹の犬が一斉に威嚇を始めました。
ま、またかよ・・・(汗)
でも落ち葉を集めて焚き火をしていた方(市の職員?)が
犬を静かにしてくれました。ありがとうございます~。

こんな感じで大砲もそのままで公開されているプレーンファイファー要塞は、
1815年に時の国王ラマ2世の命により築造され、その後ラマ5世期の
1893年に改修を受けています。
ラマ1世~5世期に、西洋列強の攻撃からタイを守るために
チャオプラヤー川河口地域に設けられた24の要塞の一つなのです。
築造にはこのプラプラデーン(当時の地名はクアンカン)に移住してきた
モン族が従事したとか。


市民の憩いの場になっているんでしょうね。
手入れのいき届いた芝生とつつじのような花が奇麗でした。

<交通費>
徒歩なので0バーツ
ここまでの合計:13バーツ
※旅は2008年12月30日(火)に行いました。
つづく・・・
