タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

2014年07月

ダム湖に沈む泰緬鉄道線路跡 カンチャナブリーの奥へ[15]

給油を終えた船は再び走りはじめました。

ほどなくして、
「あそこです」と子供船頭さん。


15_01


ん? あ、それがそうなの?

船が近付いて行くと、


15_02


間違いない! これだ!
泰緬鉄道の線路跡ですよ!

再びエンジンを止め、子供船頭さんがオールを漕いで船を横付け。

上陸します。


15_03


この盛り土の具合、まさしく線路跡ですよね。

カオレーム・ダム
の水の中へと消えていっている方向に歩いて行きます。


15_04


向きとしてはビルマ方面。

泰緬鉄道
が運行していた頃は、もちろんこの先も陸上でした。

1984年にカオレーム・ダムができたために、
サンクラブリーの町とともに湖底に沈んでしまったのです。

線路跡の先に見える山は、先ほど砲撃跡を見たランティー山です。
でも線路は、この後まっすぐランティー山には向かわずに
右へとほぼ直角にカーブしていたようで。


では、逆方向、つまりカンチャナブリー方面へと
泰緬鉄道線路跡を辿れるだけ辿ってみますか。


15_05


お父さんと一緒に線路跡に上がっていた子供船頭さんも
私についてきました。


15_06


ここから線路跡は陸上へ。

時期によってダム湖の水位がかなり上下するようです。
緑に見える部分は雨季真っ盛りには水の中だったのでは?


15_07


その先は、野焼きでもしたかなような黒い地面の上に
線路跡が伸びています。

さらに進むと、森に突入。


15_08


切り通しになった間を線路跡が続いているのですが、
倒れかかった細い竹や木々、雑草が再三行く手を塞いで苦労します。

そしてとうとう、


15_09


どう考えても、素手ではもう前進不可能。

倒れた木々の間から覗くと、切り通しはまだまだ続いていました。


竹や草を刈って歩きやすく整備すれば、貴重な観光資源になるじゃないですか!
なんとももったいない!!

引き返しながらそう子供船頭さんに言うと、

「さっきニシキヘビがいたので小走りで逃げてきました」

そういうことは早く言ってくれ~!!


泰緬鉄道
建設当時、ジャングルの中での作業は、マラリアや
ちょっとした切り傷から菌が入ることにより肉を腐らせる熱帯性潰瘍などの
疫病に苦しめられたそうです。

ジャングル自体の状態は70年前と変わらないと思われるので、
今でもそんな疫病への罹患やヘビやヒルに噛まれる危険性は
同じなんでしょうね。

観光資源化への整備といっても、
そうたやすいことではないのかもしれません。


15_10


建設工事中はもちろん、開通後も列車転覆で死者を出し続けた泰緬鉄道ですが、
今こうやって眺めると、穏やかな風景で平和そのものです。


注意深く足元を見ていたんですが、鉄の線路はもちろん、
枕木も線路を止める釘もまったく見当たりませんでした。

たまに巻き貝の貝殻を見かけたぐらいです。


15_11


しゃがみこみ、煙草の煙をくゆらせているお父さんの元へ戻って来ました。

今回サンクラブリーまで来た最大の目的だった
ダム湖に沈む泰緬鉄道の線路跡を見ることを達成できて大満足です。

もう結構です。行きましょう。
船に乗り込みます。

時刻は、09:39。


少なくとも、貴重な歴史遺産を後世までしっかり残して欲しいですね。

「それは難しいかもしれませんよ。波が少しずつ線路跡を削っているので」
と、指差す子供船頭さん。


15_12


あ、本当だ。

すぐに消滅ということはないだろうけど、
100年後には残ってないかもしれませんね。


15_13


泰緬鉄道の線路跡を離れます。

次はランティー川に架かる橋経由で、
湖の反対側にもある砲撃跡に連れて行ってくれるんだそうで。

もう全ておまかせです ^_^;)



グーグルマップ
の航空写真を拝借した各場所の説明に
泰緬鉄道線路跡も追加しておきました。

サンクラブリーのダム湖





<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

<参考>
『泰緬鉄道―機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著,同文舘,1994

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


サンクラブリー


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砲撃跡と日本軍財宝伝説 カンチャナブリーの奥へ[14]

子供船頭さんの船でモン橋脇を08:16に出発。

「ガソリンを買うのでちょっと待ってください」
とすぐに右岸へ寄せます。


14_01


子供船頭さんとお父さんは斜面を登って消えて行きました。

坊やと2人で残された私…。

すると坊やが船を足で蹴って岸から離そうと
いたずらをし始めたじゃないですか

コラッ!!

慌てて船を引き寄せ、坊やを抱きかかえていたずらできない場所に移動。


14_02


油断も隙も無いったらありゃしない -_-;)


ふとモン橋のほうを眺めると、


14_03


ほぼ全体が視界に入る絶好のポイントでした。


ようやく2人が帰って来たので、再び船に乗り込みます。

「キミは危ないからもうここまでにしよう」

子供船頭さんが坊やに告げます。

ダダをこねられたら堪らないので、そこですかさず私は財布を開き、
5バーツ硬貨を坊やに。

「コップンカップ」(ありがとうございます)

なんだ、タイ語話せるんじゃん。 じゃあね~。

これで安心して泰緬鉄道の線路跡へ向かえます ^_^;)


ほどなくして右手にあの金色の仏塔、
チェーディー・ブッタカヤーが見えてきました。


14_04


さっきあそこへ行って来たんですよ。

「塔のてっぺんにはプミポン国王から下賜された金の延べ棒500バーツが
 納められているんです。」

1バーツ=15.244gなので、7.6kgほどということですか!


船は左(東)へと進路を変えます。

「そのあたりが元のサンクラブリー郡役所です」

今じゃ、まったく水の底ですか。
このカオレーム・ダムの湖は深いところで水深30mとか。

「あそこに見える木は郡役所前に立っていたんですが、
 ダム湖に沈んだ1984年以降も生き続け、
 ウッタマ僧侶が亡くなったのと同じ日に枯れたんです」

2006年に枯れたってことですか。

うーん。 で、どの木?


14_05


どれだかよく分かりませんでした ^_^;)

かつてのサンクラブリー郡役所は、
ソンカリア川、ビークリー川、ランティー川の3つの川が
合流する場所に建っていました。

そのためこの地は別名サーム・プラソップ(3河川の合流する場所)と
呼ばれていたんだそうな。

で、合流した先は名を変えてクウェー・ノーイ川となっていたんです。


14_06


船はせり出した陸地の間を縫うように分け入っていきます。
かつてのランティー川の流れに沿って遡上している感じですね。


14_07


霧の向こうに山が見えてきました。

ランティー山です。爆弾の穴を見に行きましょう」

爆弾の穴?


14_08


山肌に近付いたところでエンジンを止め、
子供船頭さんがオールを掻き始めました。

「ほら、あそこです」


14_09


あーっ、岩肌に丸く穴が開いています。
戦闘機からの機銃掃射か野戦砲を撃ち込まれたんですかね。

爆弾の穴というから爆弾投下でできた地面の窪みかと思いましたよ。

「水が全て引けば、地面にも爆弾の穴がありますよ」

いずれにしても連合国軍が日本軍を攻撃したものでしょう。


こっちにもありました。


14_10


こんなところでも戦闘があったんですね。


14_11


「この辺りには日本軍の財宝が隠されているんですよ。
 今は水の底ですけど」

えっ!? 振り返るとお父さんも頷いています。


まさかと思ったんですが、帰ってから調べたところ
敗走する日本軍がサンクラブリーに財宝を隠したという伝説が
まことしやかに語られているようなんです。

なんでも1986年頃に日本政府がここから南東へ10kmほどにある
リジア洞窟(ถ้ำลิเจีย)周辺でのタケノコ栽培事業許可をタイ政府に
打診してきたんだとか。

日本政府はタケノコの缶詰を製造し日本へ輸出するためとしていましたが、
掘り出した財宝を密かに缶詰に詰めて日本へ持ち帰るためではとの
噂が立ったんだそうで。

2001年、「信用できる情報」に基づくタイ警察副中佐も参加の
リジア洞窟での捜索作業でなんとアメリカの旧ドル紙幣や金貨など
合計550億ドル相当の財宝が発見されたのです。

その報を聞くや時のタクシン首相も即座にヘリコプターで
現場に駆け付けたりで 大ニュースとなったのですが、
後になって全てニセモノだと判明。

大失態に即刻捜索作業は中止となったのでした。


そんな経緯があっても、今でも財宝の存在を
信じて疑わない人がいるようで。

つい最近も今年2014年4月に隣のトーンパープーム郡山中で
穴を掘って財宝探しをしていた4人が摘発されています。

でもただのデマだとも言い切れない出来事もあったんですよ。

昨年2013年8月にお隣のミャンマーで池の造成工事中に
日本軍が埋めて隠したと思われる金塊が発見されているんです。

日本軍隠し財宝伝説は、サンクラブリーの地で
まだまだ根強く生きていきそうですね。


さぁ、いよいよ泰緬鉄道の線路跡に連れてってもらえることに!

エンジンを再始動しランティー山の断崖から離れていくと、
あれ、エンジンが突然止まりましたよ。


14_12


「ガス欠です。ちょっと待ってください」

なんだ。さっきガソリン買って来た時に給油してなかったのか(笑)



そうそう、各場所の位置をグーグルマップの航空写真を拝借して
説明しておきます。


ランティー山





<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

<参考>
siamgoldsilver.com "ขุมทองโกโบริ สมบัติถ้ำลิเจียสมัยสงครามโลกครั้งที่ 2 ที่ยังรอการค้นพบ"
『Post Today』2014年4月25日付け記事

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


サンクラブリー


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金色に輝くブッタガヤ仏塔 カンチャナブリーの奥へ[13]

このチェーディー・プッタカヤー(ブッタガヤ仏塔)は、
800m離れているものの、 実はさっきの
ワット・ワンウィウェーカーラームの一部なんですよ。


13_01


ダム湖に近い場所を選んで建てたんですかね。

では階段を上ってみますか。


13_02


上り切ったところには仏像が。


13_03


背後には「チェーディー・プッタカヤー」とタイ語表記。
下のビルマ風文字はモン語なんでしょうね。

内部に入る入口と、塔へと上る階段が見えます。
まずは内部に入ってみましょう。


13_04


三方がこんな感じにガラーンとしていて、
どの方角にも中央付近に仏像があり参拝する人の姿が見られます。


一周したので、階段で上へと出てみます。


13_05


うわあ。
金色に輝いて素晴らしいですね!

いたるところに小さな仏像が置かれているのが見えますか?

子供船頭さんが昨日言っていたとおり、
元のワット・ワンウィウェーカーラーム本堂の壁から
はずして持ってきたものが飾られたんでしょうね。


13_06


あの一体が、なんとなく気になった私でした。


チェーディー・プッタカヤー
を見終えたので、
再びバイクタクシーに跨ります。

さっき来る道すがら、途中で市場が目に入ったんですよ。
そこにも寄ってもらうことにしました。

これまたほんの1,2分で到着。
時刻は、07:53。


13_07


木造の建屋にはワット・ワン市場と書かれています。
ワット・ワンはワット・ワンウィウェーカーラームの略称ですね。

さらその下には 「ウッタマ僧侶により開設」とも。

内部を歩いてみると、品揃えはごく普通の市場なのですが、
他と違う点は、


13_08


巻きスカートの女性比率が高いこと。
実はバイクタクシーに乗車中も巻きスカートの女性を多く見かけたんですよ。
モン族の伝統が今でも守られているということなんでしょうね。

では、モン橋まで戻りますか。


13_09


モン族の集落を通り、モン橋に到着。
時刻は08:00。 

当初は20バーツとのことでしたが、
予定変更で3ヶ所も回ってもらったので、60バーツだそうで。
1ヶ所につき20バーツってことかな。

「船で湖に沈んだお寺を見に行きませんか?」

とバイタクの兄ちゃん。なんと、船頭さんにもなるんですか。

いえ、昨日見たので結構ですと答えると、ずんなりと諦めちゃいました。
そんな観光客ズレしていないところがいいですよね ^^


さてと、と辺りを見回すとこんなモノ発見。


13_10


物見やぐらのような木造の展望台。

これは上ってみない手はないですよね(笑)


13_11


うおーーーー。
絶景ポイントでした。上ってよかった!


下りようとすると、あれ?


13_12


子供が ^_^;)

展望台にいる私の姿を見つけて寄ってきたようです。
なんだかゴニョゴニョ話しかけてくるんですが、
幼児言葉なのかモン語なのか聴き取れないんですよー。

おかねちょーだい、とでも言ってるのかな。
ずーっとついて来るし -_-;)


13_13


モン橋の下には粗末な露店が並んでいました。

そのうち一店を覗くと、


13_14


おぉ、興味深いものが並んでますよ~。

左から「カレン語初級」、「タイ-モン 2言語会話」、「タイ-ビルマ 2言語会話」。

欲しいっ!
買おうと財布を開いてみたら、なんと500バーツ札しかない!
500バーツでお釣りありますか? 無いですよねぇ。すみません。

ということでゲットできず。一生の不覚 -_-;)

ちなみにお店の女の子はモン族じゃなくてタイ人だと言ってました。
タイ人もいるんですね。


さて、宿にいったん戻るかなー。

モン橋
脇の竹橋を歩いて行きます。すると、


13_15


あれ、さっきのバイタク兄ちゃんじゃないですか。
何をしてるんですか?

「魚を釣ってるんですよ」

タナカを塗った顔でにこにこしながら答えてくれます。
いったいこの人の本業は何なんだろう?(笑)

ちなみに写真のとおり、坊やはまだついてきています。
う~ん、どうしよう。


ふと前方を見つめると、例の子供船頭さんが大人と2人で
竹橋にしゃがみこんでこちらを見ているではないですか。

歩いて行くと、「父です」と。

「今から行けますよ」

確かに霧もかなり晴れましたし、それもそうですね。
でも朝方断られたのは、もしかしたらお父さんを待っていたのかも。

私の希望する行き先に子供船頭さんは行ったことがないとの
ことだったので、お父さんの助太刀が必要なんでしょう。

「いくらと言ったんだ?」
「500」
「600にしとけ!」

と親子で相談しているのが聞こえてきます。
私がいないところでしたほうがいいんじゃないでしょうか -_-;)

でも不思議なんですが、モン族なのに親子の会話はタイ語なんですね。
まぁ細かいことは気にしないことにしましょう。

というワケで600バーツで(笑)、
急遽今から船旅に出ることになりました。


行き先は、ダム湖に沈んだ泰緬鉄道の線路跡です!


時刻は、08:16。


13_16


おい、なんでおまえも乗るんだ!(笑)





<旅費交通費>
バイクタクシー:60バーツ
ここまでの合計:975バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。
 
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


サンクラブリー


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ワット・ワンウィウェーカーラーム カンチャナブリーの奥へ[12]

モン橋横の竹橋を渡りつつ、
エンジン音を轟かせている船のほうを ふと眺めます。


12_01


日は昇っているものの、朝霧のせいでぼんやりと。
これまた幻想的な風景ですね。

でも、


12_02


さきほどよりは、霧が多少晴れたように思います。


対岸に辿り着くと、


12_03


なんとまあ。
バイクが無ければ、まるで江戸時代な光景ですよ。

バイクタクシーの兄ちゃんに声をかけ、行き先を告げます。
えーと、ワット…

「ワット・ワンウィウェーカーラーム」

そうそう、そこです。
名前が長くて覚えられませんでした ^_^;)

「20バーツ」

OKです。跨ろうとすると、
「お供えの花はいかがですか? どうせあちらで買うことですし」
と花売りの女性。


12_04


あれ、いつの間に ^_^;)
10バーツ渡して、花束を受け取ります。

ちなみにこちら岸へ渡って来た途端、
ほっぺたにタナカを塗った人だらけなんですよね。
女性の腰巻きスカート率も高しです。

こちらがミャンマーからやって来たモン族の集落なんだそうで。

ではお寺に向けて出発!
時刻は、07:23。

緩やかな坂を上ったり下りたりしつつ、
5分でワット・ワンウィウェーカーラームに到着。


12_05


入口を入って左手には立派な建物が。
プラサート・カーオヨート(九塔)というようで。

見上げると、


12_06


あ、昨日、ダム湖に沈んだ元のワット・ワンウィウェーカーラーム
飾ってあった写真と同じお坊さんだ。ということは、ウッタマ僧侶ですね。

「ウッタマ僧侶の棺はこの中に安置されています」

あ、そうなんですか。
でも朝早過ぎてまだ開いていないのが残念。

ウッタマ僧侶は、ミャンマー生まれ。
出家後苦労の末ミャンマー仏教界最高位の試験に合格すると、
さらに経験を積むためにミャンマー各地やタイのチェンマイにまでも
足を伸ばし、積極的に巡礼をしたのだとか。

1949年、台風によって故郷が壊滅的な被害を受けてしまいます。
さらに政府軍と反政府勢力の戦闘拡大に嫌気がさしたウッタマ僧侶は
トーンパープームの地から再びタイへと足を踏み入れます。

招聘を受けるなどして、トーンパープームのあの山上の寺ワット・ターカヌンや、
サムットサーコーン県のワット・バーンプラーなどで出家したのち、
ラーチャブリー県ポーターラームのワット・コで出家中の1951年、
ある知らせを受けたのです。

故郷から大勢のモン族の人々が川伝いに国境を越えサンクラブリー
避難してきている。ウッタマ僧侶の招聘を望んでいる、と。

ワット・コでの出家を終えたウッタマ僧侶はサンクラブリーに向かいます。
これがサンクラブリーのモン族集落の始まりとなったのでした。

その後、ウッタマ僧侶が中心となり、モン族とカレン族の協力で
1956年に建てられたのが、今はダム湖に沈んでいる
元のワット・ワンウィウェーカーラーム


丘の上の現在のワット・ワンウィウェーカーラームは、
ダム湖ができた1984年以降に建てられたものです。


そうそう、この建物ですが塔が3つしかないのになぜ
プラサート・カーオヨート(九塔)という名なのかと思ったら、
ウッタマ僧侶の棺に9つの塔状の装飾が施してあるからなんだそうで。

ウッタマ僧侶は2006年、97歳で逝去。
プラサート・カーオヨートは、その後建てられたのでしょうね。

いずれにしても入って見れないのが残念です。
2階はミュージアムになっているんだとか。


「ウィハーンは開いてますよ」とバイタクの兄ちゃん。

あ、ほんとだ。ちょっと行って来ます。

入口右手のウィハーン・ヒンオーン(大理石仏堂)内部は
ひんやりした空気が漂っています。


12_07


名のとおり中央には、ひと塊の大理石から彫られた仏像が。

なんでもウッタマ僧侶がミャンマーのマンダレーの彫刻師に
彫らせたものなんだとか。

完成後、ミャンマー宗教局の許可取得や、9トンの重さのある仏像の運搬に
てこずって、やっとの思いでこの先の国境から搬入したんだそうです。

仏像の前には一対の象牙が。珍しいんじゃないですか?


さて、ここの境内は見終えたので、次なるスポットへ。

チェーディー・プッタカヤー
にも行ってもらえますか?

「いいですよ」

再びバイクに跨り、緩い坂を下りて行きます。


12_08


すがすがしくて気持ちいいもんですね~。
ちなみに左手は学校。


ものの1,2分で到着しました!
時刻は、07:40。


12_09


チェーディー・プッタカヤー(ブッタガヤ仏塔)です!





<旅費交通費>
バイクタクシー代未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:915バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

<参考>
MonStudies.com "หลวงพ่ออุตตมะ"(タイ語)
Wikipedia "พระราชอุดมมงคล (เอหม่อง อุตฺตมรมฺโภ)"(タイ語)
 
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


サンクラブリー


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