タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

2014年07月

カンチャナブリーでロットゥー乗り継ぎ カンチャナブリーの奥へ[最終回]

スリー・パゴダ・パスを12:36に出発した
カンチャナブリー行きのロッ・トゥーは、12:45に検問で停車。

パスポートを出すと、「日本人は(チェックの)必要無し」と言われてパス。

さらに12:50にも検問。ドアを開け「男性2人」と言っただけでここもパス。

お坊さんと日本人じゃ、疑わしい点が無いってことですかね?
あと1,2ヶ所検問がありましたが、停車せずにスルー。


で、まずはサンクラブリーに到着。
時刻は、13:00。

ここでお坊さん、
トーンパープームですよね? 乗り換えてください。同じくすぐ出ますから」
とスタッフに言われ下車していきました。

それと入れ替わりにここからのお客さんがどどっと乗車。
13:10出発。


すると間もなく前方にサンクラブリーカンチャナブリー行きの
ローカルバスの姿が。


20_01


みるみる近付いて…


20_02


あっさりと追い抜きました。

こりゃ、バスとロッ・トゥーで所要時間がかなり違いそう。
カンチャナブリーに着いたら時間を比較してみましょう。


最大の難所をあっけなく越えると、


20_03


ランティー川に架かる橋に差し掛かります。

正面が砲撃跡のあるランティー山ですね。
ということはその手前左側のあたりが泰緬鉄道の線路跡か…。

などと眺めているとあっと言う間に渡り切ってしまいました。


トーンパープーム
には寄らずカンチャナブリー直行のようです。
サンクラブリー始発のロッ・トゥーはトーンパープーム経由ってことのようで。


14:30、検問で停車。全員が身分証のチェックを受けます。

最後部座席の若い女性が
「どこに行くの? バンコク? お父さんは知ってるの?」
と尋ねられてました ^_^;)


さらに15:15と、


20_04


15:20にもここの検問で全員チェック。

多くの検問があるのは陸軍と警察が
それぞれ設けているのもあるんでしょうね。

さらに警察は地方警察、入国管理警察、国境警察の
いずれもが出しているのかも。


サイヨーク・ノイ
ナムトック駅の間で給油休憩。


20_05


売店でジュースを買って腹の足しに。
15:29再出発。

それから1時間弱で、ようやくカンチャナブリー・バスターミナル到着です!


20_06


時刻は、16:18。

昨日乗ろうとしたカンチャナブリーサンクラブリー経由
スリー・パゴダ・パス行きロッ・トゥーの乗り場横にある路地が終点でした。

所要時間は、
サンクラブリー13:10発→カンチャナブリー16:18着なので、3時間8分。

昨日のローカルバスは、
カンチャナブリー10:18発→ヒンダート12:39着、
ヒンダート14:25発→サンクラブリー18:06着なので、計6時間2分。

なんと倍の差!!

というワケで、カンチャナブリーサンクラブリー間を移動する際には、
ロッ・トゥーを断然オススメいたします。安全性はバスが上でしょうけど ^_^;)


下車すると、戦勝記念塔行きロッ・トゥーの呼び込み男性が。
ついて行くと路地横すぐの待合所に案内されました。


20_07


マンゴーン・トーン(金竜)とはいかめつい会社名ですね(笑)
しかしこんな場所にも戦勝記念塔行きの乗り場があったとは
気付きませんでした。

待合所内の受付で運賃130バーツを支払います。
チケットは無いので呼ばれたらそのまま乗車してくださいとのこと。

エアコンが効いているし、ジュースやスナック菓子も売っているので快適。
ここ、オススメです。

なんのことはない。
すぐに呼ばれて待合所前に停車している車両に乗るように言われます。


20_08


乗客は私含めて5人。
16:32出発です。

あ、食事するの忘れた! (T_T)


バーンポーン
方面ではなく、国道324号線で北東に進み、
Uターンして停車。時刻は17:00。


20_09


こんなところにも乗り場があるんだ。
パノム・トゥアン
(พนมทวน)というところのようです。

すぐに出発し、346号線を進んだ後、
カセサート大学カンペンセーン・キャンパスの交差点で右折し、
国道321号線マーライメーン通りを南下。

ここからはスパンブリーの帰りに通ったことがあります。
国鉄南線を渡り、シンラパーコーン大学サナームチャン・キャンパス横を左折。
国道4号線に出てかっ飛ばします。

その頃には夜の帳が下り始め…


20_20


戦勝記念塔、というかセンチュリーの裏手に停車した時には、
真っ暗になっていました。

時刻は、19:30。

ミャンマー国境のスリー・パゴダ・パスから
ほぼ丸々7時間かかったんですね ^_^;)

やっぱり遠いなー。


これにて、今回の旅も完結です。

必然的に泰緬鉄道や旧日本軍の足跡を中心に巡る旅となりましたが、
1泊旅であったこともあり、このシリーズ中もっとも刺激的な旅だったように
思います。

後日再訪した模様もそのうち綴りますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
そして今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました!


次回は、バーンケー方面のミニ・トリップの模様をお届けします!





<旅費交通費>
ロッ・トゥー:130バーツ
ここまでの合計:1,920バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。 

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


おわり


カンチャナブリー帰り

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ロットゥーでスリー・パゴダ・パス出発 カンチャナブリーの奥へ[19]

スリー・パゴダ・パス(チェーディー・サームオン、三仏塔峠)の
国境の道の横には、こんな碑が。


19_01


The Republic of the Union of Myanmar

この碑から向こうはもうミャンマー領だということですね。

碑の真後ろに泰緬鉄道の線路が残ってるんですよー。
この時は気付かなくて非常に残念。
写真にもわかりにくもののわずかに線路が写ってます -_-;)

と言うことは今私が立って写真を撮っているまさにこの場所も
かつては線路が通っていたということか。


しかし、とにかく暑い!!

おまけに腹が減ったので、戻りつつ食堂を探すことにしますか。
なにしろ早朝にいかだの宿で出されたパトンコーを食べたっきりなので。


19_02


さっき来た坂を登りつつ、途中で左の路地に入ってみました。
何やらありそうな雰囲気です。

売店の並ぶ路地を進みさらに左へ曲がると、


19_03


なんと、こんなところに不釣り合いなスーパーが。

ちなみにこの路地、先で未舗装になってますがそのまま直進したら
ミャンマーに密入国できちゃいそうな雰囲気ですね(笑)

で、このスーパーですが面白いんですよ。


19_04


土禁のスーパーって人生で初めて遭遇しました(笑)


路地を引き返します。

正面には営業の終わった木造の市場があるんですが、
その前の木の下には、


19_05


なぜか若者がたむろってます。
しかも男性は80年代のヤンキーみたいな金髪の髪型にビシっときめ、
女性は揃いも揃って綺麗な巻きスカートでおめかし。

ここは若者の出会いの場ってことなんでしょうかね。

市場の前が、ですか。なんとも微笑ましい光景です ^^


結局この辺りには目ぼしい食堂が無かったので、
再び坂に出て登ることに。


19_06


あぢぃーーーー。


ソンテオで来る際に、ロッ・トゥー乗り場らしき場所を見かけたんですよ。
たぶんカンチャナブリー行きでしょう。
その乗り場がずっと先の右手に見えています。

とりあえず確認がてらあそこまで行きますか。


汗ダラダラで到着。
時刻は、12:28。


19_07


受付に座っている髪をポマードで固めたインド系ミャンマー人らしき男性に
尋ねると、カンチャナブリーまで185バーツとのこと。

代金を払いつつ聞いてみます。何時に出発ですか?

「何だって? ミャンマー語はできる? タイ語苦手なんだよ」

何言ってるんですか。私よりずっと綺麗なタイ語ですけど。
リスニング力がイマイチなのかな。何度も説明してやっと通じたようで。

「午後1時」

じゃ、お腹が空いたので向かいの食堂で食事してきていいですか?

「行って来な。12時45分に出るから急いでな」

今さっき1時と言ったじゃないか!(笑)


なんだか不遜な態度というか遠慮が全くなくズケズケと言う
タイ人と正反対のキャラが新鮮で面白いです(笑)


急いで向かいの食堂に飛び込みます。


19_08


すると、「呼んでますよ」と食事中の兄ちゃんが
乗り場を指差して私に言います。

なんだ? 仕方なく乗り場に戻ると、呼んでいたくだんの受付の男性、

「今出発するから早く乗れ」

で、でもお腹が空いてるんですが。

カンチャナブリーで食べろ!」


あーもう笑えてきた(笑)
じゃぁせめて隣の売店で飲み物だけ買わせてください。

「急げ!」

ラジャー ^_^;)

おばあさんからコーラとスナック菓子を速攻で買って
ロッ・トゥーに乗り込みます。


19_09


乗客は、私とお坊さんの2人だけ。
サンクラブリーで大勢乗って来るんでしょうかね?

本当にすぐ出発しました。
時刻は、12:36。





<旅費交通費>
ロッ・トゥー:185バーツ
ここまでの合計:1,790バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


三仏塔峠


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スリー・パゴダ・パス(三仏塔峠) カンチャナブリーの奥へ[18]

サンクラブリー生鮮市場前から乗ったソンテオは、
途中で検問を通った後、右へ逸れて停車。


18_01


なかなか味のあるガソリン・スタンドですね(笑)

給油を済ませて再出発。


18_02


人家をほとんど見かけない景色の中をひたすら北へと走っていきます。


しばらく走ると左手の景色が開け、向こうに連なる山々が見えてきました。
この辺は向こうの山々はもちろん、道路の左手すぐももうミャンマー領のようで。


ぐいっと左へ曲がったソンテオは真っ直ぐな坂を下りていきます。


18_03


そろそろ終点かな。
と思っていると、右に逸れ路地に入り木の下に停車。


18_04


運賃は30バーツでした。運転手に渡します。
時刻は、11:58。
サンクラブリーから40分もかかったようには感じませんでしたけどね。


さっきの下り坂に戻って、道なりに歩いて下っていきます。


18_05


朝の涼しさが嘘のように暑い!!
早くも朦朧としてきましたよ -_-;)


坂を下り切った目の前に、とうとう現れました。


18_06


三つの仏塔。

この地、スリー・パゴダ・パス、タイ名チェーディー・サームオン
日本名三仏塔峠の名の由来となった仏塔です。

今の姿になったのは1929年ですが、
それ以前にも3つの仏塔はあったようで。


三つの仏塔を前に、果てまで来たんだという感慨がひとしおです。


この地は山地を越える峠道として昔から交通の要衝でした。
3世紀にインド人がはるばる現在のタイの地まで
仏教を伝えにやってきた時もここを通ったと推定されているとか。

さらには14~18世紀のアユタヤ王朝期には、
ビルマ軍がたびたびここを通ってアユタヤに侵攻しています。
逆にアユタヤ軍もここを通ってビルマを攻めたんですが。

そして1943年10月に開通した泰緬鉄道もここを通っていたんです。
バイクが横切っているまさにその場所を左右にまっすぐ走っていました。

1990年頃にはモン族の軍がここのミャンマー側地域を制圧しましたが、
その後再びミャンマー軍が平定し、停戦協定を結んだモン族の軍は
活動をしていません。


18_07


3つの仏塔の背後にはコの字型に取り囲むように
土産物店街が連なっています。

左からずーっと見て歩いてみますか。
ちょうど強烈な日差しを避けられますし ^_^;)


18_08


ご当地Tシャツもあるのですが、多く目につく商品と言えば…


18_09


宝飾品。とくに宝石を使ったものが。
ミャンマーって良質なルビーの産地でしたよね。それでかな?

他にもコテコテの土産物店や中国茶屋、
食堂などがある並びを抜けたところには、


18_10


イミグレが突然出現。

よし、ミャンマーへちょこっと行ってみますか。
用意していた顔写真を確認しつつ窓口に近付くと、すーっと窓が開きました。

中にいる女性係官にパスポートを出して
ミャンマーに行きたい旨を告げます。

「ここは暫定国境なので、タイ人しかミャンマーに行けません。
 恒久国境のバーン・ナムプローンへ行ってください」

とにこやかに拒否られてしまいました。

外国人はここを通れないとはまったく知りませんでしたよ!
大いにガッカリです…。


バーン・ナムプローン
とは2013年6月12日に開いたばかりの
同じくカンチャナブリー県にあるタイ・ミャンマー国境。

詳しくは分かりませんが、バーン・ナムプローン国境
新たに開いた代わりに、スリー・パゴダ・パス
(チェーディー・サームオン、三仏塔峠)
の国境は
外国人には閉ざされたのかもしれませんね。


イミグレの向こう左手はもう、


18_11


ミャンマー国境なのでした。
時刻は、12:14。

この時はとにかく暑くて細かいことに気が回らなかったんですが、
帰国後によくよくこの写真を見てみると、何やら気になるものが。

国境の道に並行して右手の緑の土手の上に見えるもの、
あれって線路ですよねぇ?

なんという不覚。

どのみちサンクラブリーへの再訪を誓っていたので、
その際にスリー・パゴダ・パスにもまた足を伸ばすことにしましょう (T_T)





<旅費交通費>
ソンテオ:30バーツ
ここまでの合計:1,605バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

<参考>
Wikipedia "ด่านเจดีย์สามองค์"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


三仏塔峠


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サンクラブリーを後に カンチャナブリーの奥へ[17]

モン橋が近付いてきました。


17_01


子供船頭さんともお別れかと思っていたら…


17_02


竹橋に船が通過できるように一ヶ所設けられた橋状の部分へ突進。


17_03


くぐり抜けました! モン橋の反対側にも連れてってくれるんですね。


17_04


西側から見るモン橋は逆光気味もあって
倒壊したシルエットがくっきりと浮かんでいます。

「水位が一番低い時期には泰緬鉄道の線路跡が全部現れますよ」

と子供船頭さん。
本当かなー。半分疑いつつもその時期を尋ねると

「4月下旬から5月だ」

とお父さんが代わりに答えてくれました。
全部は大袈裟にしても、今日見たよりもっと多くの部分が見られそうですね。

その時期に私は必ずまた来ますよ!

と即座に答えた私でした ^_^;)


船は再び竹橋の下をくぐって竹橋に横付けに。
楽しかったひと時もいよいよ終わりです。
時刻は、10:36。

ありがとうございました、と船賃を払おうとして
500バーツ札以上しか持っていないことを思い出しました。

「大丈夫です。おじいさんのところでくずしてもらいます」

と子供船頭さんは私と一緒にいかだの宿まで同行。


17_05


右に見えるいかだ家屋がそこ。
私が宿泊しているところです ^_^;)

宿主のおじいさんにくずしてもらい、400バーツが返って来ました。

じゃぁ、次に来る時にまた会いましょう。

「来たら名刺のところに電話をください」

と名刺を私に手渡すと子供船頭さんは帰っていきました。


さて、自分の部屋に戻り荷物をまとめて
チェックアウトすることにしますか。

湖上に渡された通路を歩きはじめると、
おじいさんの居宅兼宿の受付兼売店の壁に


17_06


アウンサン・スーチーさん発見。

モン族のみなさんは、タイに住みつつも
心はミャンマーに向いているんでしょうか。


17_07


紙無しのタイ式トイレとTV無しにはトホホな思いをしましたが
400バーツにしてはなかなか良い宿でした。

受付に戻っておじいさんに鍵を返します。

「おや、もうチェックアウトかね?」

はい。ありがとうございました!


陸地の斜面を登ります。
左がモン橋ですが、右には町中心部に出るコンクリート製の橋が。


17_08


工事中ですが、渡ってみますか。


17_09


途中からお別れがてらモン橋の姿を目に焼き付けます。


対岸へ渡り急坂を登り切ると


17_10


道路に出ました。延々と歩きます。さすがに暑くなってきましたね。

これからミャンマー国境のチェーディー・サームオンに行きたいんです。
英語ではスリー・パゴダ・パス、日本語では三仏塔峠と呼ばれるそこまでは
ソンテオが出ているらしいのですが、乗り場が分かりません。

サンクラブリー競技場
横を通り、サンクラブリー通り側から
ソイ・テーサバーン1に入ります。宿を出てから25分ほど経過。


17_11


左手にはサンクラブリー生鮮市場が。

すると前方から


17_12


緑色のソンテオがゆっくりと向かって来るではないですか。
運転手にチェーディー・サームオンに行くか尋ねると頷きます。

良かった! 乗り込みます。
時刻は、11:17。

どうやらサンクラブリー・バスターミナル発着のようですね。




<旅費交通費>
船賃:600バーツ
ここまでの合計:1,575バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


三仏塔峠


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反対側にも砲撃跡と泰緬鉄道線路跡が カンチャナブリーの奥へ[16]

泰緬鉄道の線路跡を離れると、


16_01


この辺りは水深が浅いのか、立ち枯れた木々が
湖面から突き出ているのが多く目につきます。


お、近付いてきました。


16_02


ランティー川に架かる橋に。
昨日ヒンダート温泉から乗ったバスが渡ったのをよく覚えています。

橋の近くにも湖上集落があるんですね。


Uターンして反対側の陸地伝いに船は進みます。


16_03


シラサギみたいな鳥が時折枯れ木の上で休んでいます。

なぜか気になって船の進むすぐ先の湖面に目をやると
何かが横切っているではないですか。

よ~く見ると、長い体をうねらせています。…ヘビだ!!
ヘビが湖面を泳いでる!!

子供船頭さんに告げると、船を操るお父さんに向かって
「ヘビが泳いでたってさー!」と大声でわざわざ知らせています。

「父はヘビが大嫌いなんですよ」

嬉々として話す子供船頭さんの顔を見て、
大人顔負けのしっかり屋さんだけどやはり子供なんだなと
微笑ましく思った私でした ^_^;)

「歳を聞いてもいいですか?」と子供船頭さん。

うげっ。正直に答えると、

「お父さん! この人お父さんと同い年だって!」

うひゃーーーーー。


船は対岸の岩山に近付きます。


16_04


「あそこだよ。砲撃跡」

とさっきまで私とまったく言葉を交わさなかったお父さんが
解説をし出しました。同い年と知って扱いが変わったのかな? ^_^;)

それよりもどこ、砲撃跡は?


16_05


指差してくれるんですが、うーん、よくわかりません。
あれかなぁ。まぁ、砲撃跡があるっていうんだからあるんでしょう。
それでヨシとしますか。


お父さんはそのまま船を岩山近くに寄せていきます。

「そこにも泰緬鉄道の線路跡があるよ」

と船を止めました。


16_06


「こっちは2つの盛り土の間の溝に線路が通っていたんだ」

そうかなー。私には盛り土2つは本線と待避線に思えるんですが、
いずれにしてもここが泰緬鉄道の線路跡に間違い無さそうです。

線路はさっき見たところの先で直角に右へ曲がり、
さらに直角に左へと曲がってここに至っていたようです。

実はこのかつての谷間、現在の湖底にはニーケという駅がありました。

ランティー川
を渡った先に存在していたようなので、
もしかしたらこの場所がニーケ駅だったのかもしれません。

数本の待避線に、三角方向転換線、給水塔、機関庫があり、
さらに兵站も置かれ、戦後も1946年10月の引き揚げまで
このニーケ駅に連合国軍の下、日本兵が361人配備されていました。

戦後すぐに泰緬鉄道はこのニーケ駅を境にして
ビルマ側と遮断されたんだそうで。

きっと全線の中でも重要な位置づけの駅だったんでしょうね。

実はそのニーケ駅の写真が残されているんです。


neekey_st
(出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)


駅名板はカタカナでも書かれていたんですね。

ちなみに12km余り先の次のソンクライ駅はビルマ国境にありました。


16_07


線路跡はまたもやこの先で湖に沈んでしまっています。


ありがとうございました。
お父さんにお礼を行って、船に戻ります。
時刻は、10:07。


岩山から離れ西へ向かう船から、線路が伸びていたであろう方向を
眺めてみます。


16_08


泰緬鉄道は岩山に沿って回り込み、
 あの奥へと伸びてミャンマーまで行っていたんだ」

とお父さん。

地形から考えても間違い無いでしょう。


16_09


船は再び狭くなっている部分を抜け帰途に。

…かと思いきや。


16_10


「ここまだ見てませんよね?」と子供船頭さん。

確かカレン族の寺だったとの説明だったような気がします。
今は陸地に移転してるものの、船でないと行けない場所だと言っていたような。

泰緬鉄道
線路跡を見れた余韻にまだ浸っていたので
よく覚えてないんです。すみません m(_ _)m


船は再び走り出し、金色のチェーディー・プッタカヤーの前を通過すると、


16_11


モン橋が彼方に見えてきました!


「ミャンマーまで船で行けるんですよ」と子供船頭さん。

本当ですか! またの機会にお願いしてみたいですね。

「この船もミャンマー製です。30年経ってますけど」

どうりで時々溜まった水をコップで掻き出していたワケだ(笑)


「水位が高い時期には船でターク県まで行けます」

そんな旅も面白いでしょうね~。




グーグルマップ
の航空写真を拝借した各場所の説明に
対岸の砲撃跡と泰緬鉄道線路跡も追加しておきました。


泰緬鉄道線路跡2





<旅費交通費>
船賃未払いなので:0バーツ
ここまでの合計:975バーツ

※旅は2014年4月1日(火)~2日(水)に行いました。

<参考>
『泰緬鉄道―機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著,同文舘,1994

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


サンクラブリー


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