タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

泰緬鉄道

北へと続く泰緬鉄道線路跡 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[11]

ふたたび現れた泰緬鉄道線路跡に上陸し、東へと歩いていってみます。
下の方の「泰緬鉄道線路推定図」の(4)の場所になります。


10_12


すると、


11_01


左にももう一本の線路跡が。あちらは退避線かな。

しばらく二本のこんもりした盛り土が並行して続いていたんですが、


11_02


この辺りは不鮮明ではっきり分からないものの、
どうやらこの先で交わっているようですね。

さらに歩いていくんですが、


11_03


段々と線路跡がはっきりしなくなった上に
立ち枯れた木々の茂みが鬱蒼とし出したので諦めることに ^_^;)

引き返しましょう。


11_04


ここから見ると二本の線路跡がよく分かりますね。

あれ、ちょっと待ってくださいよ。
ここって4月1日に訪れた際


16_07


ここ(写真再掲)とほぼ同じ場所に違いありません!

実は今回こそニーケ駅の場所を特定してやるぞと意気込んでいたのですが、
これといった手掛かりが掴めませんでした。

でも待避線があり、ほぼ直線の線路がしばらく続くこの辺りが
ニーケ駅のあった場所の候補として濃厚なように思います。

ニーケ駅
の写真も再掲しておきましょう。


neekey_st
(出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)

駅名板から、右がビルマ方面、左がカンチャナブリー方面だと分かります。
後ろに広がっている森が今は湖の中心の辺りということになりますね。


さらに歩いて戻ると、


11_05


ようやく船が見えてきました。


11_06


左へ湾曲している線路跡を伝って船に乗り込み再び出発。

西へと進路をとっていると、

「今、線路跡の上を通ったよ」
と船頭さん。

えっ、濁っていて全然見えませんでした。


北西へと向きを変えた時、ズズズズと今度は線路跡に乗り上げてしまいました。
船頭さんは苦笑しながらオールで押して脱出。


そして…、


11_07


なんと!
こんなところにも線路跡があったのか!!

図の(5)です。


待っててくださいね。ちょっと歩いてきます!


11_08


歩きつつ振り返ってみました。

前方はというと、


11_09


ここから線路はほぼ真北に延びビルマへと繋がっていたようです。

またもや行けるところまで行ってやると思ったのも束の間。


11_10


こんな草原になってしまい、どこが線路跡なのか判別が付かない状態に。
たぶん真っ直ぐ続いているのだとは思いますが。

それよりも足元が見えないのでヘビが心配なんですよ。
4月に来た時は2匹も見かけたのでかなり心配症になってます ^_^;)

ここまででもう十分でしょう。
戻りますか。


11_11


これにてサンクラブリーでの泰緬鉄道線路跡探しは終了です。
船頭さんありがとうございました。

船に乗り込んでモン橋へ。


11_12


16分でモン橋へ帰って来ました。
時刻は、18:12。

子供たちがまだスワンで遊んでいるし!(笑)

船頭さんにお礼を言いつつ船賃を渡します。

実は600バーツで話がついていたんですが、
危険を冒して線路跡に近付いてくれたり、
何も言わなくても行ける限りの線路跡に全て連れて行ってくれたので
感謝の気持ちを込めて700バーツを手渡しました。

ついでに聞いておきますか。

この辺りに食事のできる店はありますか?

「ありますよ。連れていくので船に乗ってください」

へ? 船で行くの?





<旅費交通費>
船賃:700バーツ
ここまでの合計:1,059バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


泰緬鉄道線路跡推定図

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湖を横切る泰緬鉄道線路跡 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[10]

4月に来た時よりも水面に出現した部分が長くなった
泰緬鉄道線路跡を船で離れます。

そうそう、下のほうに「泰緬鉄道線路推定図」を掲載しておきました。
これは実際に私が見た線路跡に1957年に米軍が作成した地図の情報を
加味しておおよその位置を推定して線を引いてあります。

正確ではない点をご容赦ください。

その図の(1)の線路跡を離れ、
北側の対岸へ向かっている途中で船頭さんが右手を指差しました。

「あそこも線路跡だよ」


10_01


あっ、本当だ!!

なんと、湖を横断するかたちでこんもりとした盛り土の線が
水面に顔を出しているではないですか。図の(2)です。

目で追っていくと、


10_02


あ、途切れた。
船の航行のために崩したっぽいですね。

左端にまた線路跡が見えています。そこへ接岸してもらいましょう。


10_03


写真には写っていませんが、このすぐ左側に水上家屋があるんですよ。
いかだ状なので簡単に移動できるみたいですね。

接岸すると、船頭さんはそこの住人と世間話を始めました。
知り合いなのかな?


振り返ってみるとこんな感じ。


10_04


向こう岸に沿って左から右へさっき見た線路跡(1)が走っています。
中央のこんもりした小山の右端あたりから右へカーブして湖の下へ消えていき、
細長い小島状の(2)を経て、私の立っている(3)に繋がっていたんですね。

これだけでも泰緬鉄道の線路跡をかなり解明した気がして嬉しくなりました ^^

この先はというと、


10_05


再び途切れて、その先は左へとカーブしてまた湖面に消えています。

では、その先へまた連れて行ってもらいましょう。


10_06


再び乗船して岩山の中央あたりへ。


10_07


この辺は水が引いて湖底が広く露わになってますね。
多少ぬかるんでいる中を歩いていきます。

立ち枯れた木が長短無数に突き出していて、
転倒したら怪我しそうですよ。
踏み出す度に踏んづけた短い枯れ木がバキバキと音を立てます。

中央を横切っているのは線路跡ではなく、かつての道路跡のようです。


さらにずんずん進んでいくと、水に進路を阻まれてしまいました。
が、その先を見ると、


10_08


こんもりとした線路跡がありますね。
(3)と(4)の中間付近です。


進めないんじゃ仕方ない。船に戻りますか。
と振り返ると、


10_09


うわぁ、随分と深く分け入ってたんだなー。
こんなところで何かに襲われたら死体も見つからなそうだ -_-;)

カオレーム・ダム
の完成で一帯が湖底に沈んだのはちょうど30年前の1984年。
これらの立ち枯れた木々はその頃からずっとこのままの姿なんでしょうかね。


再び船に乗り、さらに西へと案内されると、


10_10


うお、ここにも線路跡が。
乗り上げて停船。


10_11


左へカーブしてますね。反対の東側はというと、


10_12


岩山の下へと続いています。
たぶん4月に来た時に見たもう一ヶ所の線路跡がこの先の辺りでしょう。
図の(4)にあたります。

では、行けるところまで歩いてみますか!





<旅費交通費>
船賃支払いまだなので:0バーツ
ここまでの合計:359バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


泰緬鉄道線路跡推定図

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船で泰緬鉄道線路跡へ 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[9]

向こうからやってきた船を操っているのは、あの子供船頭さん!
会えて良かった!!

竹橋まで来て停船しました。

私を覚えてますか?

「覚えてますよ。いつ来たんですか?」

今着いたばかりです。泰緬鉄道の線路跡を見に連れていってくれますか?

「明日でもいいですか? もう暗くなってしまいますんで」


まだ4時なんですけど -_-;)
困ったような顔をしているので、今日は行けない事情がありうそうな雰囲気。

明日はもうバンコクに帰っちゃうんですよ。

「…。ちょっと待っててください」
子供船頭さんは引き返して対岸の水上集落に消えて行きました。

「船が壊れるのが怖いんだな。ははは」

やり取りを聞いていた他の船頭さんたちが笑っています。

なるほど。前回もそうだったけど、遠出するにはあの船じゃダメなのか。
きっと一回り大きな船を借りる必要があるってことですね。


しばらくして戻って来ました。が、さっきと同じ船です。

「代わりに行こうか?」
同業の青年が子供船頭さんに声を掛けました。

「譲るよ」
と仕方がないという顔をして子供船頭さん。

えっ、なんだ。そんなに簡単に諦めちゃうのか。
子供船頭さんに連れていって欲しかったのに。
あっさりしていてちょっぴりガッカリ。


では気持ちを切り替えて青年船頭さんの船にお願いしますか。


09_01


モン橋を出発でーす。
時刻は、16:13。


09_02


子供たちがスワンで遊んでます(笑)
ピースサインまでしてくれてありがとう~。


09_03


他の船の後ろについて進んでいきます。
向かいにはチェーディー・プッタガヤの金色の塔の姿が。


さらに進んでいくと、


09_04


ダム湖に沈んだ旧ワット・ワンウィウェーカーラーム
遠くに見えてきました。
前回訪問時より水位がかなり下がっているのがはっきり分かります。

前回4月1日の際は、


08_04


こんなでしたから。

右の鐘楼跡が上の2段しか見えてなかったのが、
今回は基礎部分まで現れてますもんね。

ワット・ワンウィウェーカーラームの手前で左折して
陸地が狭まっている部分を抜けると、


09_05


眼前にランティー山が姿を現しました。
岩肌に砲撃跡のあるあの山です。


湖面には立ち枯れた木が無数に頭を出していてなんとも殺伐とした光景。

ここで船頭さん右岸に沿ってぐるっと迂回する航路を取り、
ランティー山のすぐそばを通過していきます。

たぶんかつてランティー川が流れていた
水深の深い部分を進んでいるんでしょう。


そしてついに、


09_06


前回も訪れた泰緬鉄道線路跡が目の前に!

「勇気が無いよ」
船頭さんは、立ち枯れた木々を抜けて接岸するのをためらっています。

ここまで来たのに諦められるか。
我ながら意地悪ですが、あえて無言でいると渋々船を進めてくれました。

無事に接岸。 喜び勇んで線路跡に上がります。


09_07


時刻は、16:37。
まずは東のカンチャナブリー方面へと歩いてみますか。


09_08


意図的になのか自然になのか削られて分断されています。
間を左から右へ湖水が勢いよく流れていて、見ていると吸い込まれそう。

4月の際は私が立っている側は水面下でした。
子供船頭さんのお父さんが言っていたように干上がってないのが残念ですが、
それでも前回より水面に出ている部分がずっと増えていますね。

調べたところ、数年に一度、この時期に異常に水位が下がることがあるそうで。
そんな時にまた訪れたいもんです。


じゃぁ戻ってビルマ方面へと歩いてみましょう。


09_09


右に乗って来た船が見えますね。
向かいの山はランティー山


09_10


右へとカーブして湖面に消えていっています。

先端まで行ってみますか。


09_11


北側の対岸に見える岩山のほうへ伸びているのが分かりますね。
あの山は、前回見た砲撃跡のあるもう一つの岩山なんです。


引き返しながら足元を注意深く探すと、


09_12


枕木があった!
どれも朽ちかけていますが、数本発見することができました。


では次に対岸の線路跡へ連れて行ってもらいましょう。





<旅費交通費>
船賃支払いまだなので:0バーツ
ここまでの合計:359バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

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つづく


サンクラブリー地図140501
 今回訪れた泰緬鉄道線路跡は①の場所です。


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泰面国境平和祈念堂とミャンマー側線路跡 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[5]

あやうくミャンマーに密入国(笑)するところだったのを慌てて引き返します。

広い駐車場の左手には実は陸軍の施設が。


05_01


第9歩兵師団 第106スラシー市民活動実行隊

と書かれているのが見えます。民間人で編成された部隊なんでしょうか。
さっきの迷彩服姿の若者たちもここと関係がありそうですね。


で、その陸軍施設の前から駐車場を見渡すと、


05_02


白のホンダ・インサイトとその後ろに赤いピックアップが
停まっているのがわかりますか?
ちょうど2台を結んだ線上に泰緬鉄道の線路が走っていたんです。

赤いピックアップの向こうに見える寺院風建物に行ってみましょう。

線路跡を辿ることを優先したのですが、
実はさっきから気になっていたんです。

なぜかと言うと、


05_03


タイと日本の国旗が壁に。

線路が保存されている部分の真横に建っていることも何かあるなと。


05_04


THE BORDER PIECE TEMPLE THAI-JAPAN 25 APRIL 2002

とあります。ピンときました。
きっとここは…。


入ったすぐ右手にこんな石碑が建っています。


05_05


泰面国境平和祈念堂 第二星露院

というのが日本語の正式名称のようですね。

世話人に思ったとおり故永瀬隆さんのお名前が。

永瀬さんは旧日本陸軍英語通訳として泰緬鉄道建設に関わり、
戦後は泰緬鉄道建設従事で死亡した連合国軍捕虜やアジア人労働者の慰霊に
尽力なさった方です。

今年4月に公開された映画『レイルウェイ 運命の旅路』では
真田広之さんが永瀬さんを演じています。

1986年出版の永瀬さん著書『戦場にかける橋のウソと真実』には、
クウェー川鉄橋近くに1985年に建てた「クワイ河平和寺院」についての
記述はありますが、こちらは出版後なのでもちろん触れられていません。

でもきっとこちらも永瀬さんが中心となって建てられたのでしょう。


05_06


上部には、
ศาลาสันติภาพ ไทย-ญี่ปุ่น と。
「タイ-日本平和堂」って感じでしょうか。

小さいながらも立派なお堂の中に入って仏像に手を合わせ、
左を見ると2枚の板が。


05_07


そのうち左には、

雨季の夜の雨降りしぶくカオレム湖
湖底の兵ら思うは何か

バンコク桜と兵ら唱えし鳳凰樹
その紅いの花は血の色

奉納二首 元陸軍通訳 永瀬 隆

とあります。

カオレム湖とはサンクラブリーのあのモン橋が架かり、
泰緬鉄道のニーケ駅を含む線路跡が沈んでいるダム湖、カオレーム湖です。

死んでいかれた方々のことが片時も頭から離れなかったのでは。
そんなことが感じられる歌に思えました。


お堂の外に出ます。


05_08


今度は泰緬鉄道線路のミャンマー側への延長線へ歩いていってみますか。
前回帰ってから写真を見て気付いた線路跡らしきものを確認したいのです。

向こうにミャンマー国旗がはためいていますね。


05_09


ゲートの前まできました。

この右手ですよ。
「The Republic of the Union of Myanmar」の看板の裏です。
ドキドキ。


05_10


あった!!

やっぱりこっちにもあったんだ泰緬鉄道の線路!!


05_11


しっかり残ってますよ!


05_12


横に下りてどこまで続いているのか目で追います。


05_13


2つめのゲートの向こうまで残っているようですね。

「こちらへ来てください」

ふいに背後からタイ語で声をかけられました。
呼んだのは写真の外、左手にある事務所前にいる係官。

言葉どおり前まで行くと、

「タイ人ですか?」

いえ、日本人です。

「外国人は入れませんよ」

どこまでだったら行けますか?

「あそこまでです」と指差したのは、
さっきの「The Republic of the Union of Myanmar」の看板の線。

えっ、すみません!!

厳密に言うと今度こそ本当にミャンマーに不法入国してしまいました。
慌てて戻ったのは言うまでもありません -_-;)
ここへ行かれるみなさん、どうぞお気を付けを…。





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:329バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー


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スリー・パゴダ・パス終点着 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[4]

サンクラブリーを12:59に出発したバスは一路終点スリー・パゴダ・パスへ。

間もなく三差路で左折したところにある検問で停車。
乗り込んできた係官が乗客から100バーツを徴収し始めたじゃないですか。
何の代金だ?

私はというと日本のパスポートを見せたら
何も言わずに通り過ぎていったのでした。うーん、ナゾですね。


バスが走り出すと、車掌さんが説明をし出しました。
悲しいかなイマイチ聴き取れなかったのですが、
どうやらミャンマー国籍の人へビザ手続き代行を持ちかけているようで。

○○の費用が100バーツで、△△の費用が300バーツ、
国境に行っても費用は変わらないから、このすぐ先の
サンクラブリー入国管理事務所でやった方が楽と言っています。

そしてそのサンクラブリー入国管理事務所前で停車。
時刻は、13:10。

車掌さんが各人から受け取ったお金を挟んだパスポートの束を手に
下車して入管事務所へと消えていきました。

様子をまじまじと見ていたのですが、乗客のほとんどはミャンマー国籍の模様。
乗客同士もこの時になって初めて私と同様に気付いたようで、
近くの席の同胞同士で会話の花があちらこちらで咲き始めたのでした(笑)

なるほど、このバスはミャンマー人のビザランご用達路線なんですね。


しばらくして車掌さんが戻って来て発車。
かと思いきやまた検問で停車ですー。


04_01


 国境治安維持検問
   停止/検査
ナムクルーク合同検問

と。


再び走り出したバスの車窓左手には、


04_02


ミャンマー領内の山々が見えてきました。
というか、その手前ももうミャンマーなんですけどね。


04_03


そして大きく左へカーブして道幅の広い下り坂を進み、
左折して路地に入りこんだところでバスは停車。


04_04


終点スリー・パゴダ・パスに到着です!
時刻は、13:41。

バンコクのモーチット・バスターミナルを06:02に出発してから、
実に7時間39分かかってようやくですよ。
成田-バンコクの飛行機より長いとは ^_^;)

ミャンマー人は待機していたバイクタクシーであっという間に消えていきました。

左の平屋が事務所のようで一服している車掌さんに
スリー・パゴダ・パスモーチット行きの出発時刻を尋ねると、
7時と9時だ、との返事でした。

つまりもう今日はバスで帰れないと。
元々とんぼ返りするつもりは無かったのでいいんですが。

車掌さんも長旅お疲れさまでした~。


さて、目抜き通りの坂に戻りますか。


04_05


通りに出るまでの路地は、こんな100年前のような屋並み。


04_06


坂に出ました!
バスはこの坂を下ってきたのです。

周囲は右も左もミャンマー領。
この坂の一帯だけタイ領がミャンマー領に不自然に食い込んでいるんです。


では、坂を下っていきましょう~。


04_07


もう白い仏塔が見えてますね。

ずんずん歩いてスリー・パゴダ・パスの由来となった三つの仏塔に到着!
あれれ?


04_08


その前を迷彩服姿の若い兵士さんたちが横切っていくではないですか。
和気あいあいとした雰囲気なので社会科見学みたいな感じなのかな?

兵士さんたちが歩いてきた方向へ目をやろうと左を向いた時です。
後方にあるものに目が釘付けに。


04_09


あそこに横たわっているものは…、間違いないぞ。


04_10


泰緬鉄道の線路じゃないですか!!

なぜ前回気付かなかったんでしょうか。
暑さで朦朧としていたとはいえ、なんとマヌケなことを。

しかしこんなところにも残っていたとは!!

看板も立っています。


04_11


この線路の手前の延長線がビルマのタンビュザヤ方面、
奥がタイのカンチャナブリー方面です。

よしっ、カンチャナブリー方面へ跡を辿ってみましょう!

この先は未舗装の駐車場。盛り土跡がかすかに残る線路跡が続いています。
でも早晩判別不可能なほどに消え去ってしまうことでしょう。

歩いていく途中で振り返ってみると、


04_12


こんな感じ。
注意深く歩かないと見失ってしまいます。

行ける所まで歩いていくぞと意気揚々に進んでいくと、


04_13


不意に足元に有刺鉄線が現れたじゃないですか。

こんなもんで邪魔するなよー。

なんとかして跨いで行けないものかとあたりを見回して
事情がようやく呑み込めました。


04_14


向こうの看板にビルマ文字が躍っています。
有刺鉄線の向こう側はミャンマー領なのか!

危ない危ない。密入国するところでした。


国境ってこんなもんでいいんですか? ^_^;)






<旅費交通費>
バスに乗っていた&歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:329バーツ

※旅は2014年5月12日(月)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


カンチャナブリー


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