タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

泰緬鉄道

カオプーン洞窟(カオプーン鍾乳洞) カンチャナブリー市街への旅[5]

カオプーン洞窟にいよいよ入ります!

05_01

入口の階段を下りていきましょう。
時刻は、12:23。

洞窟に入ると、いきなり広間があり、

05_02

涅槃仏が。
静かに参拝している人が何人もいます。

そして既にもうここから鍾乳石が姿を見せていますね。

ここのタイ語名称タム・カオプーン(ถ้ำเขาปูน)を直訳すれば、
カオプーン洞窟で、日本語の観光案内にもそう表記されていますが、
これが日本だったら「カオプーン鍾乳洞って呼ぶんじゃないかと。

まあ、細かいことはいいんですけど。

カオプーン洞窟には9つの広間があるんだとか。
で、この広間は「涅槃仏の間」(ห้องพระพุทธไสยาสน์)。

タイでは生まれた曜日ごとに仏像のかたちが決まっていて、
ラマ5世の誕生曜日の火曜日は、涅槃仏。

それもあってラマ5世は、1870年にワット・タムカオプーン
ここカオプーン洞窟に行幸されたようです。

05_03

一角にラマ5世の像と肖像画が飾ってありました。


先へ進んでいきましょう。

05_04

おぉ、予想以上に川口探検隊感があってワクワクしてきました。
身体を横向きにしたりかがんだりしないと通れない箇所があるんですよ。

立派な石柱や、天井からぶら下がった
仙人の髭のような
木の根の太い束などを見ながらなおも進んでいくと、

05_05

一段と大きな広間に出ました。
鍾乳石が見事ですね~。

05_06

一角には仏像も。

05_07

実はこの洞窟は太平洋戦争中、日本軍の倉庫として使われていたと
数多くの日本語ソースでは解説されています。
ただ出典元の一次資料が見つからなくて、何の倉庫だったのか
不明なんですよね。


さらにタイ語ソースではどれも日本軍が病院として使っていた
日本語ソースと異なる解説をしている点も興味深いです。

あるタイ語ソースではこの狭い階段を上った先の広間が病院として
使われていたとしているんですが、こんな暗い場所を病院にするかな?
というのが正直な感想です(今は電灯が付いていますが)。

チョンカイのキャンプには日本軍宿舎と捕虜収容所のほかに
病院もあったんですよ。だから近い場所にあえてさらに病院を
設けるってのも不自然ですし。

個人的には、日本軍が何らかの倉庫として使っていた説のほうが
説得力があるように思えますね。


そんないわくのある広間の横を階段で上って行くと、

05_08

出口だ!

金属の階段を登り切り地上に戻ってきました。
時刻は、12:40。

17分間の地底探検でした。

出口は入口と離れた場所のようです。
道なりに進んでいこうとすると、すぐの左手に

05_09

日本軍の捕虜収容施設を連想させる建物が。

看板に「第二次世界大戦博物館」と。
あー、やっぱり。

05_10

長い建物内には、泰緬鉄道関連の写真が展示されていました。

05_11

この写真には、
ラーチャブリー県のバーンポーン駅に列車で連行されてきた戦争捕虜
との説明があります。

帽子のかたちからして昭南島(シンガポール)から連れて来られた
オーストラリア軍の兵士達のようですね。

蒸気機関車のプレートをよく見ると、C56 23 と。
あ、この車輌見たことがあるぞ!

クウェー・ヤイ橋駅クウェー川鉄橋駅)前にC56 23号機が静態保存
されているんです。

05_12

ほぉ、泰緬鉄道建設にはゾウも使われてたんですか。
主な仕事はジャングルから木材を引っ張ってくることだった
と解説にあります。

そんな写真を一枚一枚見ているうちに出口に到着。

05_13

そこからこんな緩やかな下りの小路を進んでいくと、
ようやく洞窟入場受付がある広場に戻ってきました。

喉が渇いたので屋台でナム・マナオ(ライムジュース)を買ってから、
再び自転車に跨り、境内のさらに奥へと走って行くと、

05_14

見晴らしの良さそうなポイントが。

05_15

クウェー・ノーイ川が目の前で大きく蛇行している雄大な景色が
広がっていました。
右手が上流ですね。

ん? ということは…と視線を下げると、やはりあった!

見にくいですが左下の小屋の右手に元の泰緬鉄道
現在の国鉄西線ナムトック線)の線路が左右に走っているのが
少し見えているのがわかりますか?

ここから左を向くと、

05_16

こっちのほうが中央から右下へ真っ直ぐ線路が伸びているのが
はっきりとわかりますね。
隠れていますが、この左手があのチョンカイの切り通しになります。

さーて、昼を回っていることだし、
カンチャナブリー市街に戻ってランチとしますか!


<旅費交通費>
歩き&貸自転車を漕いだだけなので:0バーツ
ここまでの合計:220バーツ

<参考>
『カオプーン洞窟』タイ国政府観光庁
『タイにおける曜日毎の色と仏像』外務省
สำนักพุทธศาสนาจังหวัดกาญจนบุรี "วัดถ้ำเขาปูน"

※旅は2016年5月27日(金)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

カオプーン洞窟

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 入門 ◇
    
『CD付き らくらく話せる! タイ語レッスン』ナツメ社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</

チョンカイの切り通し カンチャナブリー市街への旅[4]

チョンカイ共同墓地から踏切のある交差点まで戻ってきました。

04_01

かつて泰緬鉄道だった国鉄西線ナムトック線)の線路伝いに
左の砂利道へ進んでみますか。

04_02

ありゃ、線路がどんどん高いところへ行ってしまいましたよ。
適当なところで自転車を停めて、仕方なく盛り土部分をよじ登ります。

04_03

左手にはクウェー・ノーイ川の川面が見えてますね。
それよりも前方をご覧ください。

04_04

チョンカイの切り通しChungkai Cutting)です。

時刻は、12:03。
場所は、ここ(グーグルマップ)。

さっき訪れたチョンカイ共同墓地一帯には1942年9月中旬に
日本軍によってキャンプが設けられ、すぐに捕虜と労働者を使って
この切り通しを切削する工事が始まりました。

04_05

泰緬鉄道の線路を通すため4メートル幅に岩山を削る工事は
1943年2月には完工したようですが、人手による掘削ですからね。
過酷な作業だったことでしょう。

04_06

チョンカイの切り通しを抜けて、反対側からも眺めてみました。

ヘルファイアパスのほうが無謀ぶりが甚だしいですが、
ここも相当なもの。

以前列車でここを通過したことがありましたが、
やはり直に訪れて眺めると迫力が違います。

さて戻りますか。

04_07

この盛り土部分もチョンカイのキャンプが作業を担当したんだそうで。

あ、右に下りる階段があるじゃないですか。
さっきは苦労してよじ登ったのに -_-;)

04_08

下は「クルア・クンオイ」(ครัวคุณอ้อย)という
レストランの敷地でした。

どうやらクウェー・ノーイ川の景色を楽しみながら
食事ができる店のようですよ。


自転車に再び跨り、さっき水を買ったカオプーン駅前の売店まで
戻ってきました。

04_09

この写真だと見えにくいですが、線路を越えた向こうの山の上に
金色の仏塔が建っているんです。

04_10

ズームしてみました。

次はあそこ、ワット・タムカオプーンに向かいましょう。

踏切を渡りほどなくすると上り坂に。

04_11

さすがに自転車を下りて押しながら登ります。

すると通り過ぎる対向車がクラクションを鳴らしました。
あ、さっきのイギリス人男性だ。
ワット・カオプーンに行くと言っていたので、
見学を終えて戻ってきたところなんでしょうね。


ここって沿道の茂みにおびただしい数の祠が不法投棄されて
いるんですよ。夜通ったらさぞかし怖いだろうな…。

04_12

5分ほどでお寺の入口に到着。

時刻は、12:16。
場所は、ここです。

本堂も仏塔も素通りして向かった先には、

04_13

←洞窟見学入口
 THIS WAY GO TO CAVE


との看板がありました。

このワット・タムカオプーンには
なんと鍾乳洞があるんですよ。
それを見に来たのでした。

受付で入場料20バーツを支払い、
入口へと向かいます。

04_14

チケットとともにタイ語・英語併記の
パンフレットもくれました。

それによるとここワット・タムカオプーンの歴史は長いものの
最も古い確かな記録は1870年に時の国王ラマ5世が船でここまで
行幸されたという記述だとか。

ちなみにワット・タムカオプーンの「カオプーン」は
「石灰岩の山」の意味で、この山の名称にもなっています。

「タム」は「洞窟」の意味。

なので訳せば、カオプーン洞窟寺、って感じですかね。


しばらく緩やかな上りの通路を歩いてきましたが、

04_15

ようやくあの右手が鍾乳洞の入口のようです。

川口探検隊世代としては、気持ちが高揚せずにはいられません(笑)


<旅費交通費>
貸自転車を漕いだだけなので:0バーツ
ここまでの合計:220バーツ

<参考>
『泰緬鉄道―機密文書が明かすアジア太平洋戦争』吉川利治著、同文舘、1994年

far-eastern-heroes.org.uk "Tarsao and Chungkai"

※旅は2016年5月27日(金)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


ワットタムカオプーン

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 入門 ◇
    
『CD付き らくらく話せる! タイ語レッスン』ナツメ社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</

古い町並みパークプレーク カンチャナブリー市街への旅[2]

カンチャナブリー城門を出たところから、
城壁に沿って古い町並みが続いています。

02_01

パークプレーク(ปากแพรก)という、1831年にカンチャナブリーの町が
現在地に造営された当初から華僑やベトナム人が移り住んで
できた商店街です。

パークプレークとは「水の流れの分岐点」の意味。

メークローン川を遡ってきたら、ちょうどこのポイントで
クウェー・ヤイ川クウェー・ノーイ川に分岐するから
そう名付けられたんでしょう。

またの名をバーンヌア(บ้านเหนือ)とも言います。
城内の南側になるのに「北の集落」とはなぜなんでしょうね ^_^;)

さあ、このパークプレーク通りを北西へ歩いてみますか。

02_02

沿道にはざっと築90年前後の趣のある建物が並んでいます。
多くは中国とヨーロッパの影響を受けたシノ・ポルトガル様式。

歴史的価値のある建物の前には行政が設置した
黄色い案内板が立ってます。

02_16

この建物は1917年築のブンポン邸(บ้านบุญผ่อง)。

ブンポン氏は太平洋戦争中、泰緬鉄道建設用枕木納入の入札で
落札したことをきかっけに日本軍相手に商売をした人物です。
日本軍が必要とする物資の手配を引き受けていたんだとか。

でも捕虜収容所に配達に行った際に連合軍捕虜の扱いの悲惨さを
目にしたブンポン氏は、捕虜に対して融資や必要物資の手配で
密かに協力するようになりました。

なんでも日本軍への物資を詰めた箱や行李に捕虜宛の物や手紙を
うまく隠して渡したんだそうで。

また暗号で捕虜とやり取りをして、連合軍に爆弾投下を
避けるポイントを伝えたりもしていたようで。

その功で、戦後ブンポン氏はオーストラリアとイギリスから
勲章を授与されたんですよ。TVドラマにもなったみたいです。

02_03

窓の格子やベランダの欄干の細かい装飾に
当時の商人の粋と繁盛ぶりを感じますね~。

02_04

このビルも相当古そうですが、3階の窓が色ガラスに
なっているところがシャレてるではないですか。

案内板を読むと「カンチャナブリー・ホテル」と!

「1937年築で当初の宿賃は2-4バーツ、
 20年ほど前に値上げして1人60-70バーツに」

って安っ! 今でも営業してるんですか!

宿泊客は主にカンチャナブリー奥のトーンパープームや
サンクラブリーからの木材商人、会議で来た公務員、
ミャンマー国境付近に住む少数民族と書いてあります。

ディープだなー。

02_05

お、英語で「HOTEL ENTRANCE」って確かに書いてあるぞ。
剥げかかってるけど。

店の看板にはタイ語・英語の他に漢字で「北碧旅店」とも。
カンチャナブリーって中国語でそう言うのか。

あ、場所はここです(グーグルマップ)。

02_06

向かいのここはフアホン商店(ร้านฮั้วฮง)。
カンチャナブリーホテルと同一オーナーの建物で1919年築。
綺麗に修繕されてますね。

とても全て紹介しきれませんが、
こんな感じでコロニアル風なレトロな建物が
道の両側に多く残っているんですよ。

02_07

ん? 右手の中国廟と木造の大きな家屋の間に
なにやら青い看板が掲げられてますね。

02_08

生鮮市場!
入口なのか。こりゃ入ってみないと(笑)

02_09

奥はそのとおり、賑やかな生鮮市場でした。

02_10

突っ切って反対側に出て振り返ります。
活気があっていいですね。

実はパークプレークの商店街を歩いたのには
貸自転車屋を探すという目的もあったんです。
でも結局見つかりませんでした。

自転車を借りたいんですよねー。
どうしようかな。

02_11

ふと目に留まったサムロー。

漕ぎ手らしきおじさんが横でピックアップトラックに
荷物を積み込んでいます。

すみません、貸自転車屋が近くにあったら
連れて行ってもらえませんか?

「あるよ。ちょっと待ってね」

サムローに乗って待っていたら、
荷物を積み終えたおじさんがやってきて発進~!

02_12

おじさん、酒クサイです。
しまった。不安になってきたぞ -_-;)

思っていたより貸自転車屋は遠く、サムローはズンズン走って行きます。
あのまま歩いて探していたら絶対に発見できなかっただろうな。

02_13

「ほら、あそこは連合軍共同墓地だよ」

指を差して教えてくれます。
裏手を通っているわけですね。

しかしあまり酔っぱらってないようでよかった ^_^;)


そうこうしていると、英語の看板が溢れた通りに入って行きました。
こんなところにゲストハウス街があったのか。

「ここだよ」

と右手の店の前で停まります。

02_14

ありがとうございました!
運賃50バーツを渡してお別れ~。

02_15

MONKEY BAR&RESTAURANT という
バーレストラン兼貸自転車屋でした。

場所はここ

店の主人に声をかけると、
1日50バーツとのこと。

店先の自転車にチェーンの鍵を付けて貸してくれました。

この自転車で町を巡った後、ちょっと遠出もしますよ~!



<旅費交通費>
サムロー:50バーツ
貸し自転車:50バーツ
ここまでの合計:220バーツ

<参考>
tourmuangkan.com "สถาปัตยกรรมบนถนนสายปากแพรก"
paiduaykan.com "ถนนปากแพรก กาญจนบุรี"

※旅は2016年5月27日(金)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

モンキーバー

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 入門 ◇
    
『CD付き らくらく話せる! タイ語レッスン』ナツメ社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</

ラーチャブリー国立博物館 ラーチャブリーと水瓶の旅[6]

ラーチャブリー名物水瓶ケーキ(ケーク・オーン)の店
「バーン・カノム」で教えてもらった系列のベトナムコーヒー店
「アーティー・コーピー」への行き方のとおりに歩いて行きます。

メークローン川沿いのコイキー市場より西側にあるそうで、
川に出て左へと進んでいくと左手に

06_01

あ、そうか。
ラーチャブリー国立博物館があったんだっけ。

以前来た時にはあいにくの閉館日で入れなかったんですよ。
せっかくなので入ってみますか。

06_02

この建物、元々はかつて置かれていたラーチャブリー省の省庁舎として
ラマ6世時代の1922年に建てられたものなんだそうで。
1983年から博物館として使われています。

どうりで戦争ものの映画に登場する昔の役所っぽい建物だなと
思ったんですよね ^^


入口で入館料を支払います。
「20バーツ」とのことなので何の疑いもなく払ったら、
後でウェブサイトで確認したところ「外国人100バーツ」との記載が。

後の祭り。ま、いっか。

荷物は持ち込み不可なので、すぐの部屋にカバンを預け、
預かり札を受け取ります。カメラはOKだそうで持っていくことに。

中庭を囲んだ「口」状の建物に従って時計回りに回って行きますか。

ラーチャブリーの地理を概説する部屋の次は、

06_03

先史時代のコーナー。

出土した2~3千年前の土器や装身具の展示と
人骨発掘のパネル展示がされています。
そんな昔から人が居住してたんですね。

次の部屋は3~4世紀の「扶南」の次に栄えた
6~11世紀のドヴァーラヴァティー朝時代。

06_04

ドヴァーラヴァティー文化を感じる出土品が展示されています。

私が行きたいと思っているクーブア遺跡もそうですが、
ラーチャブリー県内にはこの時代の遺跡や遺物が出土した場所が
数多くあるということを展示から知りました。

06_05

次は11~13世紀のクメール朝時代の部屋!

が、期待ほどは展示品が多くなかったです。

こんな手に触れられるかたちで無造作に展示されているのが
タイらしくていいですね ^^

でも興味深い事実をパネル展示から知りました。

06_06

航空写真に写っている縦長の遺構、
実はクメール統治時代の都市を囲む堀と土塁の跡なのです。

クメール朝のジャヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)が
アンコール遺跡の一つプリヤ・カーンに遺した碑文に記された
「ジャヤラーチャブリー」という都市がここだと推定されています。

曲がりくねりつつもほぼ「L]字なのがメークローン川で、
この博物館の位置はちょうどその曲がる角あたり。

なんだ、歩いて行ける距離じゃないですか!
今度ラーチャブリーに来たら見に行ってみま~す。

中庭に面した回廊に出ると、

06_07

ん? クーブア遺跡の模型かな、たぶん。

次のスコータイ朝&アユタヤ朝時代の部屋には、
スコータイ朝ラムカムヘン王時代の
かのラムカムヘン王碑文(1283~92年頃と推定)にも
ラーチャブリーの名が刻まれているとの説明がありました。

またナコンサワン県で出土した同時代の碑文にも
やはりラーチャブリーの名が見られるんだとか。
結構歴史があるんですねぇ。

トンブリー朝時代の部屋の次は、
現王朝のラタナコーシン朝時代の部屋。

06_08

このパネルにまたもや狂喜!

なんと城壁の写真じゃないですか!
ってことは、城市だった時代の城壁が現存しているってこと!?

城壁マニアの私としては見逃すわけにいきません!(笑)
今日必ずこの目で見てやるぞ。

06_09

そしてチュラロンコン橋を訪れた時に説明しましたが、
メークローン川に架かる国鉄南線鉄橋の開通式(1901年)に
ラマ5世が行幸された時の写真です。

上から2列目の左から2枚目に当時のチュラロンコン橋が映っています。

06_16

これは、「省の剣」なのだそうですよ。

なんでもラーチャブリー省が置かれていた時代の
1916年にラマ6世が行幸された折、下賜されたのだとか。

各省に剣があったんでしょう。
でも地方自治の省制はこのラマ6世時代に廃止されちゃったんですけどね。


次の部屋は、ラーチャブリー県内のエスニック・グループ展示でした。

パネルによると、ラーチャブリーは国境県でもあることから
エスニック・グループのるつぼとなったんだそうです。

県内には、タイ系、中華系、黒タイ族、ベトナム系、モン族(モーン)、
カレン族、ビエンチャン・ラオ系、元クメール・ラオ系の8種族が
居住しているんだとか。

06_10

各種族の来歴や文化の展示があるんですが、
これはそのうち「黒タイ族」の展示。

ラオスにかつてあったルアンパバーン王国とベトナムとの中間あたりに
元々は居住していたのが、度重なる戦争を避け難民として散り々に。

タイ領内に流入したグループは、時のトンブリー朝タークシン王により
ラーチャブリー南隣のペッチャブリー県に住まわされます。
が、その後も次々と流入してきてペッチャブリー県を溢れ出た黒タイ族の
一部がラーチャブリー県内に移り住んだのが始まりとのこと。

元クメール・ラオ系も、かつての戦争では侵略地の住民を自国にごそっと
強制移住させるのが常だったんですが、クメールとラオの間を強制移住で
行ったり来たりした末にタイに連れて来られた人達の末裔のようです。
それで3つの言語がごっちゃになった特異な言語を話しているんだとか。

どの種族も数奇な運命を辿ってラーチャブリーに居住するように
なったんですね。

06_11

このガラス板には、見づらくてすみませんが、
ラーチャブリー県の「県の標語」(カム・クワン)が刻まれています。
韻を無視してざっくりと訳すと、

ポーターラームの美人 バーンポーンの麗人
竜柄水瓶の中心市街 影絵のワット・カノーン
目を見張る美しい洞窟に ダムヌーン水上マーケット
億のコウモリに夢中になり 良魚イーソップの住む処

てな感じです。

おっ、竜柄水瓶は、やはり県の誇りなんですね!

ちなみにイーソップは、タイガーバルブっていう
コイの仲間の魚のようです。


続く文化遺産の部屋には、

06_12

籐製品が展示されています。

そういえば2010年の「バンコクヤイ運河にトンブリー王朝を感じる旅」
で訪れた
バンコクのタラート・プルーで触れたことがありましたね。

タラート・プルーがかつて水上マーケットとして栄えていた頃、
ラーチャブリーから特産品の籐製品が舟で運河づたいに
タラート・プルーまで運ばれ売られていたんです。

メークローン川→ダムヌーンサドゥアック運河→ターチーン川
→パーシーチャルーン運河→バンコクヤイ運河
…というルートに違いありません。

06_13

竜柄水瓶だっ!!

これらが昔ラーチャブリーで生産されていた本物の竜柄水瓶なんですね。
実物を初めて見ることができて、思わず感動です(笑)

前々回にラーチャブリーの竜柄水瓶の歴史を解説しましたが、
パネル展示によると最盛期には水瓶工場が50か所もあったんだとか。

あと中国から渡ってきた焼き物職人が1933年にラーチャブリー
初めて開いた焼き物工場は名称を「タオセンリー」といったそうです。


「現在のラーチャブリー」の部屋は県内産業の紹介なのですが、

06_14

このパネルの中央の写真は、バーンポーンのバス車体工場ですね。

2009年に当ブログで触れたことがあるんですが、
太平洋戦争中、県内のバーンポーンには泰緬鉄道建設の基地として
日本軍が駐留していたことから、軍用車両の修理技術が雇われていたタイ人に
伝承されたのが元で、戦後に国内最大の車体工場集積地となったんです。

タイのテレビ番組バーンポーンの車体工場オーナーが
その旨を語ってくれている部分があるので貼っておきますね。
タイ語ですけど02:17あたりです。


一周して見尽くしました。

いやぁ、ラーチャブリー国立博物館は、軽い気持ちで立ち寄ってみたら
予想外に面白かったですね。大いに勉強になりましたし!

06_15

中庭を囲む回廊になっている造りが、コロニアル風というか
レトロかつ優雅な雰囲気を醸し出していていいですね~。

入口に戻り、カバンを返してもらいつつ、
男性スタッフに尋ねてみました。

ラーチャブリー城壁ってどこにあるんですか?

「基地の中ですよ。県柱廟の近くです。」


よっしゃ、行くぞ!!

でもその前にアーティー・コーピーに寄らねば ^_^;)


<情報>
ラーチャブリー国立博物館(พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติราชบุรี)
場所:グーグルマップ
休館日:月・火曜日、公休日
開館時間:9:00-16:00
入館料:タイ人 20バーツ、外国人 100バーツ


<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:105バーツ

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。

つづく



元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

国立博物館

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ




★★★お薦めのタイ語学習書★★★

     ◇ 入門 ◇
    
『CD付き らくらく話せる! タイ語レッスン』ナツメ社

      ◇ 中 級 ◇
    
『中級タイ語総合読本』白水社

      ◇ 上 級 ◇
    
『タイ語上級講座 読解と作文』めこん</

カンチャナブリー経由でバンコクへ 泰緬鉄道跡を再び辿る旅[最終回]

では戻りますか~。

ミュージアムまで戻るルートは2つ。
来る時に使った旧ルートの「登山道」と新ルートの「板張り遊歩道」。

普通に考えたら後者のほうが楽に決まっているんですが、
新ルート入口までまた戻るのがおっくうなんですよね。
いや、実はヘルファイア・パスをまた通りたくないってこともありまして…。


18_01


そんなワケで、ヘルファイア・パス入口左に聳えるこの急階段を登り
再び旧ルートで引き返すことに。

時刻は、11:00ちょうど。


18_02


黙々と急な登り下りをこなし、15分ほどで
ヘルファイア・パス・メモリアル・ミュージアムに戻ることができました。

あぢー。
エアコンの効いた館内でしばし涼ませていただきます… ^_^;)


さて、表の国道323号線まで出なければ。


18_03


グラウンドですかね? 広大な芝生のゾーンを「コ」の字に迂回して回らないと、
向こうに見える入口に辿り着けないのです。


門番の兵士さんに会釈をしてから外に出ます。


18_04


時刻は、11:34。

向こうがカンチャナブリー方面。
先にあるあずま屋でバスを待ちますか。
4,50分に一本はあるんじゃないですかね。


18_05


あずま屋付近から振り返った風景です。
左に見えるのが、開発軍司令部開発軍局農業・協同組合部隊の入口。

到着したあずま屋内には若い男女の先客が。
邪魔しちゃってすみませんね ^_^;)


結局25分ほどでバスが登場。


18_06


おっ、なんとエアコン車じゃないですか!
これはラッキー。時刻は12:00ちょうど。

乗り込むと車掌さんに最前列右側に座るように言われました。
車内はほぼ満席。あやうく立ち乗りになるところでしたよ。

席からの眺めは


18_07


こんな感じ。特等席ですね(笑)

エアコンが効いていて快適だと時間も短く感じます。
1時間40分ほどで終点カンチャナブリー・バスターミナルに到着。


18_08


時刻は、13:41。


18_09


日陰を求めてターミナルの建物内へ。

とにかく腹減った!

でも周辺には食堂がほとんどないんですよね。
奇妙なバスターミナルです。

仕方ないので前回も入ったあの店へ。


18_10


10バーツのカオマンガイ屋さん ^^

どうも営業は14時までらしく、片付け始めていたところを
また用意をし直して出してくれました。ありがとうございます~。


18_11


前回も思いましたが、これで10バーツだなんてお得感満点ですよ~。


ササッと食事を済ませ、バンコク戦勝記念塔行きロッ・トゥー乗り場へ向かいます。
いくつかある業者のうち、最もサービスの良いマンゴーン・ツアーへ


18_12


バスターミナルの裏手にあります。

これまたエアコンの効いた待合室で運賃を支払い。
前回は無かったチケットを渡されました。
しかも運賃は120バーツなのにチケットには130バーツとの表示が。

まぁいいか(笑)

バスターミナル入口両側にも戦勝記念塔行きロッ・トゥー乗り場がありますが、
外でひたすら待たされるんですよ。 ここは待合室に無料トイレもあるし、
飲み物やスナック菓子も売っているのでオススメです!


しばし待った後、車まで案内されました。


18_13


これかー。

14:23発車。


爆睡しているうちにナコーンパトムを通過しつつバンコクへ入ったロッ・トゥーは、
戦勝記念塔手前のラーチャウィティー通りで渋滞に巻き込まれてしまいました。

するとここで降りるという人が。

このまま乗っていると戦勝記念塔のロータリーをぐるっと回ってから
ソイ・ラーンナムに入り、センチュリーの裏手で終点になるんです。
まだまだ時間がかかりそうなので、私も降りることに。


18_14


時刻は、17:09。
カンチャナブリーから2時間46分でした、

これにて今回の旅も終了です。


前回のカンチャナブリー&サンクラブリー方面の旅で
見逃したり周り切れなかったりした場所を訪れた旅でした。

その多くが泰緬鉄道の線路跡だったんですが、
これでもまだ取りこぼしがあるんです。

いつかまたそんな場所を訪ねにカンチャナブリーの奥地へと
足を伸ばしたいと思います。


さて次回のシリーズは…、1日旅もいよいよ飛行機に進出です(笑)
お楽しみに!




<旅費交通費>
カンチャナブリーまでのバス:65バーツ
戦勝記念塔までのロッ・トゥー:120バーツ
ここまでの合計:1,849バーツ

※旅は2014年5月12日(月)~13日(火)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


おわり

カンチャナブリー2

よろしければ下記バナーのクリックをお願いいたします。
ブログを書く励みになります m(_ _)m

タイ・ブログランキング  にほんブログ村 旅行ブログ タイ旅行へ



   
あなただけのタイ語家庭教師 (CDブック)
 
旅ごとに見る
このブログ内で検索
アンケートモニター登録
Gポイント
 
タグでまとめて見る
最新コメント
QRコード
QRコード