タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

戦艦トンブリー

サメーサーン島への船乗り場 サタヒープ海軍基地内のビーチへ![5]

サタヒープ海軍基地ゲート前にいよいよ到着!


05_01


時刻は、11:50。

左手には「海軍特殊戦争司令部 作戦部隊」と。


素知らぬ顔をしてゲート通過に挑む勇気がない… _| ̄|○


さらに左へ視線を泳がせると。


05_02


タイ島と海の自然ミュージアムとのゲートが。
そうだ。まずはこっちから見ておきますか ^_^;)

一応この場所をグーグル・ストリートビュー
お知らせしておきます。


ゲートをくぐり、しばらく歩くと


05_03


案内所らしき建物に行き着きました。

入ってみるか。


05_04


エアコンの効いた館内右手すぐに 受付がありました。

サメーサーン島
への渡し船のチケットはここで購入するんです。

そうそう、今まで私はサメーサーン島へはタイ人同伴でない外国人の上陸は
禁止されていると書いてきましたが、なんと私が旅したすぐ後に
規定が変わったようなんですよ。

というのもここのサイトに以前はその旨が強調して書いてあったんですが、
今見ると削除されているんです。
つまり外国人のみでの上陸も解禁されたようで。

ただ、サメーサーン島渡し船の時刻表にだけは最下部に
「タイ人無しでの外国人のサメーサーン島渡航を禁止」と記されています。
多分削除し忘れたんだとは思いますが、
行かれる方は事前に問い合わせておいたほうがいいでしょう。

いずれにしても私の行った時点では外国人だけでの渡航禁止。
でもサメーサーン島まで渡ったら、海軍基地内のビーチも寄った上での
日帰りが厳しくなるのでどのみち行くつもりじゃなかったんですが。


ちなみに裏の山の上にミュージアムの建物が並んでいて
自然に関する展示がされているようです。

それと1941年1月17日にタイがフランスと戦ったチャーン島沖海戦の
ジオラマやパネル展示もあるそうですよ。

チャーン島沖海戦では、日本で製造されたタイ海軍旗艦の
戦艦トンブリー(海軍士官学校に一部が現存)
被弾大破したんでしたね…。


ついでだから受付の女性に、私が目指すビーチまで
歩いて行けるか尋ねてみますか。

「歩いて行くには遠すぎます。2kmありますので。
 でも外国人が入れるか分かりませんけど…」

2kmは日本人には遠くないのだよ、と心の中で呟きつつも
私を一発で外国人と見破った点には素直に感心。


建物を出て海岸へ出てみることに。


05_05


お、橋が伸びてるぞ。
自然と足が向き…


05_06


なるほど。サメーサーン島渡し船の桟橋までつながってるのか。


05_07


左手にはチョン・サメーサーンの集落が広がっています。
先ほど寄ったワット・チョン・サメーサーン
建設中の仏堂も見えてますね。

さらに正面のサメーサーン島のほうに目をやると、


05_08


あっ、あれが渡し船か!

さっきソンテオで一緒だった女の子達も乗ってるのかもしれないな。
100人乗りだから、定員で乗りっぱぐれることはそうはないでしょう。


05_09


サメーサーン島と桟橋。

ところでこの辺りは岩場ですけど海水は綺麗ですね。
俄然期待が増してきたぞ。


桟橋に出たので、陸地へと戻ります。


05_10


左手にレストランらしき建物が見えますよね。
行ってみますか。


05_11


マージョー山倶楽部 との看板が掲げられた
エアコン無しのレストランでした。

海軍特殊戦争司令部による運営です ^_^;)


桟橋を挟んだ反対側には、


05_12


Frog Coffee なるカフェが。

嬉しいことにエアコンが効いてますよ。
入っちゃいましょう~。


05_13


店員の女の子にアイスラテを注文して、
サメーサーン島を眺めながら一息ついたのでした。




<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:140バーツ
※旅は2015年7月26日(日)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

自然ミュージアム

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「ありがとうございます」 ~ パークナム探訪 [最終回]

「パークナム探訪」を早く書き上げないと!(笑)

チャオプラヤー川岸から戦艦トンブリーのほうを振り向くと、
ちょうど海兵さんたちが通り過ぎて行きました。


戦艦トンブリー前を歩く海兵さんたち


整列したまま前を直視して歩いて行きます。

バンコク市内のバス車内でも時々軍人さんと見かけますけど、
みなさん背筋をピシッと伸ばして立ってますよね。


戦艦トンブリーの横には、大砲も展示してありました。


スアソンレップ要塞の大砲?


これまた何の案内板もありませんが、
もしかしたら、かつてここにあったスアソンレップ要塞
使用されていた大砲かもしれませんね。


さて、そろそろ帰ることにしますか。


受付の近くまで戻った時のこと。

私の前を歩く50代くらいの軍人さん(士官学校の先生?)が
右を向いてやおら立ち止まると、深々と頭を下げたのです。


えっ? 何だろう?

頭を下げた先にあるのは・・・


プラドゥーデーンの木


一本の木。


     プラドゥーデーンの木
 海軍中佐 アピチャート・ペンスィートーン
     海軍士官学校司令官
     2007年9月19日 植樹


と書かれています。
海軍士官学校司令官とは、校長に当たるのでしょうか。


私も頭を下げてから、受付に許可証を返しました。


「ありがとうございます。」


!?
受付の女性がニコニコしながら、日本語で確かにそう言ったのです。

日本語話せるんですか?

「以前、上司が日本人だったことがあるんです。」

上司が? 海軍で上司が日本人ってことはあまり考えられないので、
きっと転職してきたのかな? 立場上尋ねても答えにくいでしょうし、
尋ねるべきでないと思ったので、それ以上聞くことは一応自粛しました。

ありがとうございます!

私もそう日本語で答え、海軍士官学校を後にしました。


すぐ横にあるバス停で待っていると、
ほどなく511番のエアコンバスがやってきました。

乗り慣れている番号のバスは、やっぱりホッとしますね。
時刻は15:30。

スクンビット通りをひたすら走った511番バスは、
気付くと延伸工事中のBTS高架橋の下に入り、
しばらくしてオンヌット駅に到着。


BTSオンヌット駅に到着!


今回もここで下車して、この旅は終わりです。

時刻は16:00。


ずっと曇り空だったのが、ちょっと残念でしたが、
グーグルマップで興味を持ったバーン・サークラーも含めて、
予定どおりに回れたので満足でした!


今回も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
近々、先日に行って来た旅も書く予定です。
またお付き合いいただけましたら嬉しいです!!




<交通費>
511番エアコンバス:16バーツ
ここまでの合計:87.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


おわり


海軍士官学校~オンヌット

戦艦トンブリー ~ パークナム探訪 [5]

門番の兵士さんに挨拶をして、海軍博物館を後にしました。
時刻は、15:00ちょうど。

次の目的地は・・・

目の前のスクンビット通りを挟んだ向かいに見えてます(笑)


海軍士官学校


あそこは、海軍士官学校


歩道橋を渡り門の前まで行くと、
やはり門番の兵士2人が寄ってきました。

中のアレを見に行きたいんですが

と指差しながら説明すると、「受付で話してください」と。了解ですー。


門を入ってすぐ左の受付には女性職員が。
また同じことを話すと、
「見て写真を撮るだけですよね?」と確認されました。

はい。私、日本人ですが大丈夫ですか?

一瞬考え込んだ女性は、方々へ電話をして許可を取ってくれました。
「コレを胸に付けてください。どうぞ」

ありがとうございます!
渡された許可証を胸に付け、海軍士官学校の敷地内に足を踏み入れました。


目的のものは、さっきから既に遠くに見えています。
そこを目指して歩を進めて行くと、ほどなく到着!


戦艦トンブリー


戦艦トンブリーです。

またもや一部分だけですが、これだけ大きいと迫力がありますね。


戦艦トンブリー


話の流れでお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、
この戦艦トンブリー戦前の日本製なのです!

神戸の川崎造船所で建造され1937年7月31に進水、就役は翌38年10月5日。

タイ海軍の旗艦だったようです。

しかし41年1月17日、フランスと戦ったチャーン島沖海戦で被弾大破。
軍艦チャーン号が曳航したもののトラート沖で座礁しました。

同年に日本のサルベージ会社の手で引き上げに成功したのですが、
被害が甚大なため修理を諦め、同年9月21日に退役となりました。

その後、係留されたままの状態で、部隊の水上司令部として使用されたのち、
59年6月19日にその役目も終えたとのことです。

なので戦艦としての活躍は、わずか3年弱という悲劇の戦艦なのです。


戦艦トンブリー


その後、艦橋と主砲(?)部分を、ここ海軍士官学校に移したというわけです。


戦艦トンブリー


こうやって見ると、さすがに迫力があります!!




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


つづく


海軍士官学校

 
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