タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ワット・プラーンマニー

旧日本軍第37師団慰霊碑 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[3]

ワット・プラーンマニー、別名ワット・ルアンポー・パークデーン本堂での
参拝を済ませた私は、お参りセット売店のところへ戻ります。

売り子のおばさんはニコニコしながら早速私を案内してくれます。


ここに日本人は来たりしますか?

「沢山来るわよ。日本の軍人だと思う」

まるで自分だけが知っている秘密を明かすんだとでも言いたげな顔つきで
私の目を凝視しながら教えてくれました。

自衛隊に違いない。
自衛隊の人達が連れ立って、今でも慰霊に訪れているんでしょう。


土産物店の連なる道を右にはずれたところで「ここよ」とおばさん。

あ、本当だ!

「これをお供えしてね」と花を差した花瓶を渡してくれました。

ありがとうございます。
花代と案内してくれたお礼も兼ねて100バーツ札を手渡そうとすると
断るではないですか。感謝の気持ちですと伝えてようやく受け取ってもらえました。

「じゃ、私は戻るね。サヨナラ」

さよなら ^^

最後は日本語で嬉しいじゃないですか~。
受け取った花をお供えし手を合わせます。


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ここはというと、


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第三十七師團慰霊碑

白い祠の中に建っています。


なんでこんなところに? と思うかもしれませんね。

太平洋戦争の末期、インドの英印軍に打撃を与えるはずが逆に英印軍の
ビルマ進攻を許し退却することになったインパール作戦の大失敗の後、
日本陸軍はタイで英印軍を迎え撃つ作戦に変更を余儀なくされました。

バンコクでは連合国軍の爆撃が激しくなっていたこともあり、
陸軍は最終決戦の地をこのナコンナーヨックに定めたのです。

理由は、山があるから。
山間部に洞窟を掘るなどして要塞化を図ろうとしました。

タイ国内やビルマに展開していた部隊が続々とナコンナーヨックに集結します。
その中に第37師団もいました。

第37師団はなんと中国の山西省西南部普南からはるばる南進してきたのです。
途中ベトナムでは、フランス領インドシナからフランス軍を駆逐し、
ベトナム、カンボジア、ラオスを独立させる「明号作戦」(1945年3月9日)に参加、
成功に導きます。勇猛な師団だったそうで。

ナコンナーヨック入りした時の兵力は約1万。軍馬を3,100頭携えていました。


しかし英印軍との戦闘になる前に終戦。
この地に駐屯していた各部隊はそのままこの地で抑留されます。

と言っても大多数の兵は塀の中に囚われるでもなく、
畑仕事などをしながらのんびり暮らし、翌46年日本へ復員したのでした。


この碑は、第37師団の戦友会が、命を落とした兵と軍馬を慰霊するために
1989年3月25日に建立されました。

立派な慰霊碑です。
ふとなぜか天井が気になったので見上げると…


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うわぁっ! 思わず声が出てしまいました!


右手に建っている碑誌を文字起こししてみます。
改行位置は原文どおりにましたが、読み易くするため段分けをしてあります。


日本旧陸軍 第三十七師團碑誌

 第三十七師団(冬)は 一九三九年(昭和十四年)三月二十五日
九州で編成 中国山西省普南へ出征して警備に任じ 次いで一九四
四年春 中国縦断の大陸打通作戦に参加して南進した

 すなわち中国運城から南へ征旅一万四百余粁 千山万岳を踏破し
仏印を経てタイに入り一九四五年夏 英印軍との最後の決戦に備え
てこのナコンナヨックに進出した 図らずも同年八月十五日終戦

点を仰いで長恨極まりなく武器を捨ててこの地に駐留し力尽きて倒
れし多くの兵馬をこの地に埋めて 一九四六年 故山に復員した
先の大戦において昔しくも戦没せし殉国の師団将兵七九二〇柱と
師団軍馬四三七六頭の精霊を祭り わずか七歳で消滅した歴戦の師
団と軍旗三旗を偲び 併せて大戦間失われし彼我幾多の犠牲を悼む
と共に 永遠なる平和への思いをこめて この碑を建てる

 このナコンナヨックは 師団終焉の記念すべき地であり 師団が
ここに駐留間 タイ王国官民から賜わりし温かい友情と この碑建
設に尽力下されしナコンナヨック郡役所及びプランマニー寺のご厚
意に対し 深く感謝の意を表する そしてこの碑が 末永く日本と
タイ王国との親善の礎石となることを祈る

  一九八九年三月二十五日(第三十七師団創立五十周年記念日)
               第三十七師團慰霊碑建設奉賛会



師団創立50周年にあわせて建立したんですね。

ちなみに「冬」とは、第37師団の兵団文字符です。

兵団文字符は、師団や独立混成旅団などの大きな部隊に名付けられました。
元々は部隊名を秘匿するためのものだったのが、愛称的に用いられたりもしたようです。

ちなみに第37師団には「冬」兵団のほかに、
大陸打通作戦時に付けられた臨時の略号「光」兵団という呼称もあります。


03_04


慰霊碑の裏面には、

一九八九年(平成元年)三月二十五日 建立
    第三十七師団創立五十周年記念日)
   第三十七師團慰霊碑建設奉賛会
           会長 山中 貞則


とありました。

背後には仏像も鎮座しています。


そうそう、碑誌にある「軍馬」については機会があれば
ちょっと綴りたいと思います。


ワット・プラーンマニーに来た目的を済ますことができたので、
次の目的地に向かうとしますか。

来た時とは違う門から出てみます。
目の前にはだだっ広い無料駐車場を備えた土産物店群がそこかしこに。


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衣服が目立ちますが、わざわざここまで来て買うんですかねぇ?
もうちょっとこの地ならではのものを売ったほうがいいようにも思えるんですけど…。


表の国道3049号線を目指しててくてく歩いているとまたもや牛さん模型が~。


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遠くに山並みも見えて、なんとものどかな景色です。
こっちの参道沿いにも


03_07


入口まで延々と連なっています ^_^;)

途中でこんなものも発見!


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これってシロアリの巣ですよね?
初めて実物を見ましたよ。


入口近くまで歩いてきたところで、でっかい観光バスが通過。


03_09


しかも2台も。
「バスを連ねて参拝に来る」ほどの人気ってにわかに信じられなかったんですが、
この光景を見て信じざるを得ませんでした。凄い人気ですね、ワット・プラーンマニー

寺の門から歩いて5分で国道3049号線に出ました!


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「お帰りの道中どうぞお気を付けて」と。

時刻は、11:36。


次の目的地は、目と鼻の先です(笑)





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:130バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

<参考>
『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年
「長い旅路」『平和の礎』第3巻、独立行政法人平和祈念事業特別基金(PDF)


つづく


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宝くじに超ご利益のある寺へ 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[2]

次の目的地へと向かうために再びナコンナーヨック「病院前」の待合所に。

ワット・プラーンマニーというご利益がとてもあり、
ナコンナーヨックに来たら必ず参拝すべしと言われているお寺に行こうと。

事前にネットで情報収集して分かったのは
「白いミニバスがナコンナーヨックから国道3049号線を走っている」
ということだけ。

具体的にどの辺り発でどこ行きなのかも分かりません。
本当に走っているのかという不安が少々…。


待合所で待っているとすぐに一台のロッ・トゥーが現れました。

「この車ですよ。ワット・ルアンポー・パークデーンに行きます!」
「ありがとうねぇ」

そんな会話を、待っていた男性とおばあさんが交わしているじゃないですか。

ワット・ルアンポー・パークデーンとは、
なんと私が行こうとしているお寺の別名なのです。

渡りに舟! 私も乗り込んじゃいましょう!(笑)


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時刻は、10:56。


窓には、ナコンナーヨック クンダーン・ダム 第1-16運河 と。
なるほど、国道3049号線の奥にあるクンダーン・ダムまで行くのか。


国道305号線ナコンナーヨックから国道3049号線
名を変えた道を北東へと疾走していきます。


すると、途中で右折してあぜ道のような細い路地へと。
なんと、ワット・プラーンマニーの入口前に横付けしてくれました。

前もって運転手に頼んでおけばここまで入ってくれるんですね。
運賃20バーツを運転手に払い、おばあさんの続いて下車します。


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時刻は、11:02。

ロッ・トゥーを見送ります。


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ロッ・トゥーの先に見える白い山門は国道3049号線沿いに建っています。
それよりも、やっと山並みがはっきり見えましたよ!


入口横の道沿いには…


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牛やゾウがズラ~っと。
ぱっと見が本物に見えて一瞬驚きました ^_^;)
きっと檀家さんの寄進なんでしょうね。


さて、ワット・プラーンマニー (วัดพราหมณี) に入りますか。


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参道を進むうちに売店が並び始めました。


02_06


来るまでの沿道でもそうだったんですが、マナオやソムオー(ざぼん)を売る売店が
目につきますね。ナコンナーヨックの特産品なのかな?


しかしお寺にまで銀行のATMがあるのがなんとも… ^_^;)


まっすぐ進んだ右に本堂がありました。
その前にお参りセット売り場が。


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20バーツの1セットを買いつつ、売り子のおばさんにとある場所を尋ねてみました。
ちょっと歩いてみたのですが見当たらなかったもので。

「あとで案内してあげるから、まずはここでお参りを済ませてね」

ありがとうございます。ではちょっとお待ちください~。


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ラマ5世期の創建だそうで、100年余りといったところですか。
有名なお寺のわりに小ぶりな本堂ですね。

実はこのお寺に参拝した人の中に宝くじに当たった人が続出したそうで、
それで土日ともなると観光バスを連ねてご利益にあやかろうとする人たちが
各地からわんさとやって来るんだそうです。

なんと言うか、まぁ、いいんですけど ^_^;)


私は違うことの願掛けをしようと思います。

手前でロウソクと線香に火を付けて差し、祈ってから本堂内に入ります。


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巨大なロウソクに圧倒されつつ、花輪をお供えして奥へ進みます。


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手前のヤマタノオロチのような神様はなんでしょう?
ワット・プラーンマニーのプラーンマニー (พราหมณี) とは
「女性のバラモン」の意だとか。バラモン教の神様なんですかね。

周りにある仏像に金箔を貼ってお供えセット使用完了。


奥の最上段に鎮座している仏像はランサーン様式で、
昔ラオスのビエンチャンからここへ移されたんだとか。

この写真では分からないんですが、上唇が赤い色をしているんですよ。
なんでも色を塗ったわけでもないのに、長い年月を経ても鮮やかな赤色のままだそうで。

ここの別名ワット・ルアンポー・パークデーン=赤口本尊寺は、
この仏像に由来しているんです。


そんな唇の色にちなんでか、


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お供え物にナムデーン (น้ำแดง) と呼ばれる赤い色のジュースが大人気。
中には1ケース丸ごとお供えする人もいるんだそうで。

元々タイではナムデーンを神仏にお供えする風習があるのですが
(どうも昔は自分の血だったのが近代に代用されるようになったようです)、
赤い唇にちなんでなおさらナムデーン人気が高いんでしょうね。

どうかみなさん、宝くじに当たっていますように… ^^


あれ? 私のお供えセットにはナムデーンが無かったぞ。
違うバージョンのお供えセットが売られているのかな。ま、いっか。

さて、いよいよここに来た本来の目的の場所へ!





<交通費>
ロッ・トゥー:20バーツ
ここまでの合計:130バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

<参考>
新聞『コムチャットルック』2012年3月23日付け(タイ語)
↑このページの左上の写真が、仏像の唇の赤い色が分かりやすいと思います。


つづく


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