タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

プラカーン廟

サラブリー行きバスで山越え ロッブリー・ナーラーイ王祭りとヒマワリの旅[11]

ここワンムアンは、もうサラブリー県。
バス停前から交差点を眺めてみます。


11_01


T字路の左がバスで走ってきたパーサック・ダムロッブリー方面。
右へ行くと東隣のナコンラチャシマー県方面。
で背後へ行くとサラブリー県の中心部です。


右手の一角が市場のようで。 入っていきますか。


11_02


意外と活気のある市場ですね。

恐らくサラブリー・ロッブリー・ナコンラチャシマーを結ぶ
交通の要衝として栄えてきた町だったんでしょう。


11_03


中国廟があるってことは、
中国から渡ってきた人々が開いた町ということか。

でも奇妙なのは、廟の名が「サーン・ジャオポー・プラカーン
(プラカーン廟)であること。

ロッブリー
の猿が最も多く集まる地、プラカーン廟と同名じゃないですか。
あそこのご本尊は、クメール時代のビシュヌ神と思われる元は真っ黒な像。
カーンとは「黒い」の意味のパーリ語で、伽羅も同語源です。

ふつう華僑って媽祖や関帝などの廟を建てるのに、不思議ですね。


11_05


ぐるっと回って通りに出ました。
東のナコンラチャシマー方面には町の立派なゲートが。

さすがワンムアン(=紫宮)、紫色ですねー。

そういう名の宮殿でもあったのかと思い、
町のウェブサイトも含め調べてみたのですが、
情報が全く見つかりませんでした。


屋台でソーセージの串焼きを買いつつ、
バス停に戻って頬張りながら待っていると、

11_08


バンコク-パーサック・ダム-ワンムアンと書かれた
ロッ・トゥーがやって来て、乗客を降ろしました。

そんな路線もあるのか。
あとで調べたらソイ・ランナームのソイ1から出ていると判明


驚いたことに16:00の定刻ちょうどに


11_09


サラブリー行きバス登場。
外観は随分と綺麗ですね。

乗車すると早速車掌が集金にやってきます。
サラブリーまで40バーツ也。


そして乗客5名だけで16:03発車。

ワンムアン
の町を抜けると、景色はなだらかな丘陵地に。


11_10


この通り沿いも11~12月にはヒマワリの名所と化すのです。
きっとこの辺りもヒマワリ畑が広がっているんでしょうね。


気付くと勾配がきつくなってきていました。

昔から山を越えてサラブリーロッブリーを結ぶ
重要なルートだったような気がします。


11_11


ふと現れた平地の風景が、まるで日本の地方みたい。


11_12


山が両側から迫って来て、一層険しい道になりました。


11_13


一瞬カンチャナブリー県のサンクラブリー手前で見た
峠越えの風景とオーバーラップしましたよ ^_^;)




<旅費交通費>
サラブリー行きバス:40バーツ
ここまでの合計:216バーツ

※旅は2015年2月21日(土)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ロッブリー~サラブリー

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ロッブリーバスターミナル ロッブリー・ナーラーイ王祭りとヒマワリの旅[5]

ナーラーイマハーラート通りでやってきたソンテオに乗車しました。
時刻は、09:59。

前回ロッブリーに来た時にレストラン「マットミー」へ
行くのに乗ったのと同じ路線です。

いよいよヒマワリ畑へ行くために、
ロッブリー・バスターミナルへ向かおうと。


発車するとすぐに左手に、


05_01


クメール遺跡、プラプラーン・サームヨートが。
今回は車窓から眺めるだけにしておきます。

しかしサルの数が半端ないですね!


05_02


国鉄の線路を渡って停車。

向こうに見えるのは、サル密度最高の危険地帯、
プラカーン廟です。前回、私も襲われたなー(笑)


通りを真っ直ぐ東進したソンテオを、
歩道橋が見えたところで下車。


05_03


時刻は、10:04。

目の前に停まったバスに何気なく目を向けたら、


05_04


ミシュランマン・デコバス!!(笑)

よーく見ると屋根にまでいるじゃないですか!
自由でいいですね~。

ロッブリー
市街から13km北方の
コークガティアムというところまで行くようで。

クラクションをけたたましく鳴らして
お客さんの呼び込みをしてます。

あ、私は乗りませんって ^_^;)


反対側へ渡るために歩道橋に上りましょう。


05_05


歩道橋上から東を見ると、シースリヨータイ・ロータリーがどーんと。
地元の人はサゲーオ・ロータリーという通称で呼んでいるようですが。

ピブーン政権時の1938年にロッブリーの都市計画整備の一環で完成。
…って前回も書きましたね。


反対の西側、つまり今来た方角は、


05_06


ナーラーイ・マハーラート通りがずどーんと続いています。

向こうの両側に見える緑は陸軍基地と大学かな?
さっきいた旧市街はその向こうにあります。

ところで左手脇からロッ・トゥーが頭を出してますね。
あそこがバスターミナルっぽいな。

と思い向かったところ様子が変なのです。
ロッ・トゥーしかいないので、ロッ・トゥー専用のターミナルのようで。


ロータリー方向へ歩き、右手の路地を覗くと、


05_07


うん、あっちのような気がする。
向かいましょう。


すると、奥左手に


05_08


あった。
ロッブリー・バスターミナルです。

早速入ってみると、


05_09


思ったより栄えてるじゃないですか。

これから乗るバスは、えーと…


05_10


一番奥の左に停まってました。
ロッブリーワンムアン(วังม่วง)行き。

県が2月いっぱい残しているヒマワリ畑は、
ここから20kmほど東にあるのです。

駅前からソンテオをチャーターしていくのが普通なんですが、
それじゃつまらないですよね。ネットで情報収集したところ、
このワンムアン行きのバスが近くを通ることが判明。

ただ、下車後4km歩かないといけませんが…。

ベンチにいた運転手さんに一応確認してみますか。
バーン・ノーンタム学校のソイ入口を通りますか?

「何しに行くの?」

ヒマワリ畑に行きたいんです。

「花はもう無いよ。あるのは茎だけだって」

そういう答えが返ってくると思ったんですよねー。

でも下手に余所者が知ったかぶりして
県が残しているんですよなどと説明して
気分を害されるのがイヤなんですよ。

なので、一応ダメモトで見に行きたいので、と答えると、

「でも役所が残してるって…」

と売店のおばちゃんが遠慮がちに加わってきました。
おばちゃん、あなたは正しいです!




<旅費交通費>
ソンテオ:8バーツ
ここまでの合計:128バーツ

※旅は2015年2月21日(土)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

ロッブリー市街

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ロッブリーといえば猿だけど… ロッブリー日帰り旅[2]

列車からロッブリー駅のホームに降り立ちました。


02_01


とりあえずホームを列車進行方向へと歩いてみますか。

すると左手に、


02_02


遺跡のミニチュアが。

ロッブリーはクメール遺跡で有名だもんな~なんて思いながら、
視線を上げてみてビックリ。真後ろに本物の遺跡が見えるではないですか!

なんと駅の真ん前にあるのか。
あとで寄ってみましょう。


さらにホームを歩くと、やはり左手に


02_03


バンコク行きロッ・トゥー乗り場があんなところに。
帰りはあれを利用しようかな。


ホーム端近くまで歩きます。


02_04


駅名看板の右にも遺跡が見えますね。
あそこへまずは行ってみましょう。

線路伝いに向かうと、


02_05


思ったより大きな遺跡でした。
案内板には、ワット・ナコーンコーサー(วัดนครโกษา)とあります。


ロッブリーの歴史はかなり長いんですよ。

タイ族がやって来る前の6~11世紀に存在したモン族の
ドヴァーラヴァティー王国がラウォーという名の都市をここに築いていました。

ラウォーはサンスクリットで「水」の意味の「ラワ」に由来との説が有力。
で、ラウォー・ブリー(ラウォーの都)が訛ってロッブリーになったんだとか。

その後11~13世紀は、クメール王国(真臘)が断続的に支配。
アユタヤ時代の17世紀にはナーラーイ王がロッブリーを副都とします。

その後衰退したのち、19世紀に現王朝のラマ4世が
ナーラーイ王時代の王宮跡を整備、20世紀半ばのピブーン政権時代に
都市計画設定・軍隊配置をして町を復興し、現在にいたっています。


前置きが長くなりましたが、このワット・ナコーンコーサー遺跡
そんなロッブリーの長い歴史を反映しているのです。

左のこんもりした遺跡がドヴァーラヴァティー時代、
中央の本堂と右の仏塔がアユタヤ時代、
写真には写っていませんが、さらにクメール時代の仏塔もある
歴史のロマンを感じさせる遺跡となっています。

うーん、ただ曇り空なのが残念!


さらに線路伝いに北へと歩くと、


02_06


ナーラーイ・マハーラート通りのロータリーに出ました。

ロータリーの中央には廟が見えますね。何だろ?


02_07


プラカーン廟(ศาลพระกาฬ)と書いてあります。

案内板を読むと、11~13世紀にクメール様式で建てられた仏塔の基礎部の上に
アユタヤ時代にビシュヌ神を祭る廟を建てたものだそうで。

現在の廟は1933年築のものだとか。

狛犬ならぬ
猿が鎮座していますね ^^
さすが「猿の町」として有名なロッブリーだけのことはあります。

ところでその猿は一向に姿を見かけないんですが…、
と思いつつ右手から裏に回ってみると、


02_08


うはっ、いたいた。猿がいっぱい!

しかもあれがクメール様式で建てられた仏塔の基礎部ですね。

帰ってから調べたところ、元々プラカーン廟の周囲には木が多く茂り、
そこに住む猿が廟のお供え物のフルーツなどを食べにくるようになって
この一帯に住み着き、数が増え、「猿の町」となったんだそうです。


でも今ではお供え物ではなく、


02_09


猿用のエサ場が設けられているのでした。

猿保護のためというより、こうしておかないと
参拝客が猿に襲われるからかも ^_^;)

さらには、


02_10


水飲み場まで。子猿が気持ち良さそうに泳ぎまわっています。
かわいいな~。思わずカメラを向けると…

手前の子猿が飛びかかって来た!!

それを合図にさらに1匹、2匹と私目がけて飛んできてぶら下がります。


02_11


ぎょえ~!!
こら、髪を引っ張るな! イテテテテ…(>_<)

我慢できずに売店のおばちゃんに助けを求めます。

おばちゃんが手にした長い棒をテーブルにバン!と打ちつけると、
猿たちは一目散に逃げていったのでした。

ふぅ~、助かりました。 ありがとうございます m(_ _)m


気を取り直して廟にお参りしておきましょう。
階段を上がると、


02_12


奥に金箔を貼られまくった像が。

元は真っ黒のクメール様式像だったそうなんですよ。
しかも頭と腕がありませんでした。

ある日住民の夢にでてきて、できる限りでいいから頭と腕を探してほしいと
頼んだのだとか。それで住民がアユタヤ様式の頭部をどこからか工面してきて
くっつけた…という言い伝えがあるんだそうで。

腕もヴィシュヌ神らしく4本ありますね。


参拝を済ませ階段を下りると、ちょうど目の前の踏切が閉まって
警告音が鳴り始めたところ。

通過する列車の写真でも撮るとするか。
踏切前まで急いで寄ってカメラを構えて待っていると


02_13


はぁ???

簡素な作業車が、似合わない猛スピードで通過。

思わずズッコケそうになったのでした(笑)





<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:50バーツ

※旅は2014年6月19日(木)に行いました。

<参考>
จังหวัดลพบุรี "ประวัติจังหวัดลพบุรี"
Wikipedia "ศาลพระกาฬ"

つづく

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

プラカーン廟

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