タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

パークナム

「ありがとうございます」 ~ パークナム探訪 [最終回]

「パークナム探訪」を早く書き上げないと!(笑)

チャオプラヤー川岸から戦艦トンブリーのほうを振り向くと、
ちょうど海兵さんたちが通り過ぎて行きました。


戦艦トンブリー前を歩く海兵さんたち


整列したまま前を直視して歩いて行きます。

バンコク市内のバス車内でも時々軍人さんと見かけますけど、
みなさん背筋をピシッと伸ばして立ってますよね。


戦艦トンブリーの横には、大砲も展示してありました。


スアソンレップ要塞の大砲?


これまた何の案内板もありませんが、
もしかしたら、かつてここにあったスアソンレップ要塞
使用されていた大砲かもしれませんね。


さて、そろそろ帰ることにしますか。


受付の近くまで戻った時のこと。

私の前を歩く50代くらいの軍人さん(士官学校の先生?)が
右を向いてやおら立ち止まると、深々と頭を下げたのです。


えっ? 何だろう?

頭を下げた先にあるのは・・・


プラドゥーデーンの木


一本の木。


     プラドゥーデーンの木
 海軍中佐 アピチャート・ペンスィートーン
     海軍士官学校司令官
     2007年9月19日 植樹


と書かれています。
海軍士官学校司令官とは、校長に当たるのでしょうか。


私も頭を下げてから、受付に許可証を返しました。


「ありがとうございます。」


!?
受付の女性がニコニコしながら、日本語で確かにそう言ったのです。

日本語話せるんですか?

「以前、上司が日本人だったことがあるんです。」

上司が? 海軍で上司が日本人ってことはあまり考えられないので、
きっと転職してきたのかな? 立場上尋ねても答えにくいでしょうし、
尋ねるべきでないと思ったので、それ以上聞くことは一応自粛しました。

ありがとうございます!

私もそう日本語で答え、海軍士官学校を後にしました。


すぐ横にあるバス停で待っていると、
ほどなく511番のエアコンバスがやってきました。

乗り慣れている番号のバスは、やっぱりホッとしますね。
時刻は15:30。

スクンビット通りをひたすら走った511番バスは、
気付くと延伸工事中のBTS高架橋の下に入り、
しばらくしてオンヌット駅に到着。


BTSオンヌット駅に到着!


今回もここで下車して、この旅は終わりです。

時刻は16:00。


ずっと曇り空だったのが、ちょっと残念でしたが、
グーグルマップで興味を持ったバーン・サークラーも含めて、
予定どおりに回れたので満足でした!


今回も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
近々、先日に行って来た旅も書く予定です。
またお付き合いいただけましたら嬉しいです!!




<交通費>
511番エアコンバス:16バーツ
ここまでの合計:87.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


おわり


海軍士官学校~オンヌット

ここは要塞跡 ~ パークナム探訪 [6]

戦艦トンブリーをぐるりと回って一とおり見終えた私は、
すぐ脇を流れるチャオプラヤー川を眺めることに。


水面へと伸びた桟橋に進んでみます。

下流側には、先ほどエンジン音を轟かせて目の前を通り過ぎて行った
タンカーが見えます。


チャオプラヤー川(下流側)


左岸に見える赤っぽい屋根の建物群は、
たぶんあの時計塔のあったサムットプラーカーン県庁だと思います。


上流側は・・・


チャオプラヤー川(上流側)


右岸はるか先にクレーン群が見えます。

しかし曇天なのが、ちょっと残念!
晴れていればもっと奇麗なんでしょうね。


川岸に何かを説明した金属プレートがあるのに気付きました。


スアソンレップ要塞


スアソンレップ要塞・・・と書いてあります。

なるほど!
ここ海軍士官学校は、要塞跡地に建っているということですか!


スアソンレップ要塞は、ラマ3世期の1850年に築造された、
と書いてあります。ということはプラジュン要塞よりも古いんですね。


しかし、ここが要塞だった片鱗が跡形もなく消え去っているのが残念!


かつて多くの要塞が、チャオプラヤー川河口域にあったと
以前にも書きましたが、


サムットプラーカーンの要塞所在地


この図を見ると、イメージが湧きやすいですね。
サムットプラーカーンには、かつて本当に多くの要塞があったことが分かります。

ちなみに●がここ、スアソンレップ要塞です。





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


つづく



海軍士官学校=スアソンレップ要塞跡

戦艦トンブリー ~ パークナム探訪 [5]

門番の兵士さんに挨拶をして、海軍博物館を後にしました。
時刻は、15:00ちょうど。

次の目的地は・・・

目の前のスクンビット通りを挟んだ向かいに見えてます(笑)


海軍士官学校


あそこは、海軍士官学校


歩道橋を渡り門の前まで行くと、
やはり門番の兵士2人が寄ってきました。

中のアレを見に行きたいんですが

と指差しながら説明すると、「受付で話してください」と。了解ですー。


門を入ってすぐ左の受付には女性職員が。
また同じことを話すと、
「見て写真を撮るだけですよね?」と確認されました。

はい。私、日本人ですが大丈夫ですか?

一瞬考え込んだ女性は、方々へ電話をして許可を取ってくれました。
「コレを胸に付けてください。どうぞ」

ありがとうございます!
渡された許可証を胸に付け、海軍士官学校の敷地内に足を踏み入れました。


目的のものは、さっきから既に遠くに見えています。
そこを目指して歩を進めて行くと、ほどなく到着!


戦艦トンブリー


戦艦トンブリーです。

またもや一部分だけですが、これだけ大きいと迫力がありますね。


戦艦トンブリー


話の流れでお気付きの方もいらっしゃるかと思いますが、
この戦艦トンブリー戦前の日本製なのです!

神戸の川崎造船所で建造され1937年7月31に進水、就役は翌38年10月5日。

タイ海軍の旗艦だったようです。

しかし41年1月17日、フランスと戦ったチャーン島沖海戦で被弾大破。
軍艦チャーン号が曳航したもののトラート沖で座礁しました。

同年に日本のサルベージ会社の手で引き上げに成功したのですが、
被害が甚大なため修理を諦め、同年9月21日に退役となりました。

その後、係留されたままの状態で、部隊の水上司令部として使用されたのち、
59年6月19日にその役目も終えたとのことです。

なので戦艦としての活躍は、わずか3年弱という悲劇の戦艦なのです。


戦艦トンブリー


その後、艦橋と主砲(?)部分を、ここ海軍士官学校に移したというわけです。


戦艦トンブリー


こうやって見ると、さすがに迫力があります!!




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


つづく


海軍士官学校

海軍博物館 ~ パークナム探訪 [4]

日本製潜水艦「マッチャーヌ」を見終え、ふと博物館本館のほうへ振り向くと
男性職員さんが「中へはこちらです。どうぞ」と手招きしていました。

はい。今行きます~。


どうやら案内してくださるようです。
まず左側の部屋へ。


そこにあったものは、


タイ海軍初の軍艦「プラルアン」


「プラルアン」と書かれています。


実はこれ、タイ海軍の軍艦第一号「プラルアン号の銘板なのです。

プラルアン号は、ラマ6世期にイギリスから購入。

タイに到着したのは、89年前の、なんとちょうど今日。
1920年10月7日のことでした。


続いて右側の部屋に案内されるとそこには
さまざまな銃が展示されています。


さまざまな銃の展示


見ているうちに「日本式機関銃」(プーンゴン・イープン)という説明を発見。


「日本式機関銃」


どこがどう日本式なのかは、分かりませんでしたが・・・(汗)


2階、3階も展示室がありましたが、あまり目ぼしいものがなく
足早に見て下りてくると、「裏は見ましたか?」と、先ほどの職員さん。

まだあったんですね。


しかし、にこやかかつ丁寧に応対してくださいます。
海軍のイメージUPのためかもしれませんが、お陰で気持ちよく見学できましたよ。
ありがとうございます~。


裏の2号館へ足を踏み入れると、
そこには海軍軍艦を中心に色々なタイの船の模型が展示されていました。

中でも圧巻なのは、


王室御座船団の模型


王室御座船のパレードの様子でしょうか。
模型とはいえ相当に大きくて、2階からようやく全体が写真に収まるほど!


土産物の売店で、かわいい携帯ストラップみたいなものを買って、
海軍博物館を後にしたのでした。


さて、次は!




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


つづく


海軍博物館

日本製潜水艦が! ~ パークナム探訪 [3]

パークナムの船着場からわざわざ20分歩いてやってきたここは、

海軍博物館

だったりします。


入館料無料だそうなので、早速入ってみましょう!

門を通ると門番の兵士さんが、
「バット・プラチャーチョン」(身分証明証)と。

外国人なのでパスポートでいいですか?

「なら、結構です。どうぞ」

そ、そんなもんなんですか?(汗)


入るとすぐに飛行機がドーンと。


ラーチャナーウィー


機体には、「ラーチャナーウィー」と名称があります。


飛行機の横を過ぎると、本館の真正面に
不思議なかたちのものが展示されていました。


「マッチャーヌ」


なんだと思いますか、これ?


実は、潜水艦「マッチャーヌ」の艦橋部分なのです。

この潜水艦は、なんと、戦前の日本製!!


そうです。またもや出合いました。
日本の面影に!


タイから発注を受けて、1937(昭和12)年に三菱重工業神戸造船所で建造された、
潜水艦4隻のうちの1号艦が「マッチャーヌ」です。

翌38年、3週間あまりかけて神戸からバンコクまで航行し、
7月から実配備されたんだそうです。


潜水艦「マッチャーヌ」


とくに実戦で活躍することはなかったようですね。

戦後は、敗戦国日本の兵器製造が禁止されたため、
修理部品が入手できなくなり、さらに海軍がクーデターを企てた
いわゆる「マンハッタン号事件」失敗の影響もあって、
事件同年の1951(昭和26)年11月に他の3隻とともに退役したのです。


潜水艦「マッチャーヌ」


退役後しばらくは、シリラート病院近くのチャオプラヤー川に
4隻とも係留されていましたが、サイアムセメント社に売却され
鉄屑として処分されてしまったのだとか。

で、残ったのが、
1号艦「マッチャーヌ」のこの艦橋部分など一部のみ。


海軍が引き取って、こうやって海軍博物館で展示されることになったのです。


しかし、どこにも案内板が無いんですよね。
ただ艦橋部分が展示されているだけ。
知らないで訪れた人は、これが何なのか知らずに終わってしまいますよ・・・。


デッキ部に登ってみました。
足元は、残念ながらコンクリートでの復元ですね。


潜水艦「マッチャーヌ」


でも、この機銃は、元のままです。


たとえ一部分だけでも、軍艦メークローン号とともに、
こうやって残されているのは嬉しいですよね。


<参考文献>
『タイ国情報』第42巻第5~6号、日本タイ協会、2008年
 



<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:71.5バーツ


※旅は2009年7月22日(水)に行いました。


つづく



海軍博物館

 
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