タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ナコンナーヨック県

士官学校内を走るソンテオ 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[最終回]

射撃場を後にした私は、ソンテオを待つために「T字路」(サームイェーク)へ。


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iPhoneのグーグルマップで言うと、黄色い円が射撃場。
出て右へ歩いた先にT字路があり、青い丸の場所の待合所で待つことに。


しかーし、まったく来る気配が無し。
段々不安になって来ました。バンコクでの約束18:30に間に合うだろうか…。
20分ちょっと待ったところで、先へと歩いてみることに。

が、歩き出してほどなくすると、ノロノロと現れたじゃないですかソンテオが。


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やっぱりここで良かったんだ。
どうも30分間隔での運行のようですね。

乗り込みましょう~!
時刻は、15:05。


ほっとしつつ、後ろに流れる景色を眺めます。


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やっぱり広大な公園みたいですよね。


このソンテオ、ナコンナーヨックからやって来て、
プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校の敷地内を周回してから
ナコンナーヨックに戻っているようです。


しばらくして前方に正門が見えてきました。


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プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校を後にします。さようなら~。

実はここには射撃場以外にも一般人が有料で利用可能な施設がいくつもあるんですよ。
例えば、34フィートの高さからの落下傘降下ロープを使っての降下カヤック池越え等々。

でもその多くが休日のみ。いずれにしても今日は時間が無いので無理。
また休日に来て、ぜひ落下傘降下なんかをやってみたいですね~。

ちなみに戦勝記念塔とこのプラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校を結ぶ
ロッ・トゥー路線もあるようですよ。今度はそれで来ますか。


前方にナコンナーヨック病院が見えてきました。
ナコンナーヨック中心市街地に到着です。
ソンテオが交差点を右折してパーニット・チャルーン通りに入ろうとしたので下車。


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時刻は、15:28。


じゃぁ、ロッ・トゥーでバンコクへ帰りましょう。
チャイパン通りまで歩き、目星を付けておいた乗り場へ。


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15:49出発。

途中でお客さんの乗り降りがありつつ、ランシットからパホンヨーティン通りへ。
ドンムアン空港の先から高速道路に乗り、ディンデーン手前で一般道に降りたところで
渋滞につかまります。ディンデーン交差点はいつも大渋滞ですよね。


ようやく終点の戦勝記念塔に到着したのは18:09。


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急がねば。


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ダッシュでBTSの戦勝記念塔駅へ向かい、チッロム駅へ。
走り詰めで待ち合わせのセントラル・ワールドに着いたのは18:35。
あ゛~、5分遅刻してしまいました(>_<)


しかもです。その後なぜか急激に体調が悪化して食事も喉を通らなくなり、
約束の相手に申し訳ない事態に。
なんとか宿に帰ってバタンキューなとなってしまいました。


うーん、パワースポットを回り過ぎたのか。
やはりクンダーン廟参拝がいけなかったのか…。

などと考えたくもなるオチが付いた今回の旅でした ^_^;)



さて次の旅は、またかよ! と思われそうですがラーチャブリー方面です(笑)
でも移動しながら多くのスポットに立ち寄ったので、どうぞお楽しみに!





<交通費>
ソンテオ:20バーツ
ロッ・トゥー:80バーツ
ここまでの合計:268バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

おわり



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射撃体験@陸軍士官学校 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[9]

プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校キャンパス内を
次の目的地へ向けてひたすら歩いていると、
バイクで通りかかった軍服姿のおじさんが声をかけてきました。

「どこへ行くんだ?」

射撃場へ行くんです。

「乗って行きなよ」

えっ、本当ですか! ありがとうございます!!


後ろに跨らせてもらいました。
小太りで人の良さそうなおじさんです。


外国人でも射撃ってできますか?

「できるよ」


なんて話しているうちに到着。

ここはやはりお礼にいくばくか渡した方がいいかなと思い財布を出そうとすると、
「マイペンライ」と手を振ってにこやかに断ってきました。

ありがとうございました!


警察と陸軍とでは、こういうところが違うんでしょうか。
…ってきっと偏見ですよね。すみません。
いずれにしても自分の中で陸軍の好感度が大幅UPの出来事でした。


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この何の変哲もない建物が「射撃場」です。

時刻は、14:06。


中に入ると、すぐの右手に受付が。
あの、射撃をしたいんですが。

「どの銃がいい?」と受付の男性。
2丁の拳銃をロッカーから出してゴトンと目の前に置きました。
オートマチック式と回転式かぁ。

見た目が格好いい回転式をチョイス。


「10発で180バーツ」

映画を観るより安いとは! 


「これを持って奥へ行って」

と渡されたものは、


09_02


銃弾10発と的。


パン、パン、パンと大きな音の聞こえてくる廊下奥の射撃場へと向かうと、


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団体さんがまさに射撃の練習中で、銃声が物凄いっ!!

陸軍士官学校生かと思いきや、みなさんがお揃いで着ている黒いTシャツには

チョーローボー
パークプリー郡


とあるんですよね。
帰ってから調べてみたら…。

チョーローボー(ชรบ.)とは ชุรักษาความปลอดภัยหมู่บ้าน の略で
日本語では村落治安維持隊ってな感じ。

私も初耳だったのですが、各村落単位で住民志願者から構成された自警団組織でした。
内務省自治局国内治安活動部管轄で、郡長が任命を行っています。
テロの続く深南部3県とソンクラー県の4郡では特に組織が強化されているんだとか。

で、パークプリー郡ナコンナーヨック県内北東部にあります。
村毎に拳銃と銃弾が貸与されているので、その練習に来たということですか。
近くにこんな立派な施設があって恵まれてますね ^^


壁の掲示物を眺めていたら標準の合わせ方の解説が。


09_04


左の短銃と右の銃身の長い銃(ライフル?)で標準器の形状が異なるんですね。


それはそうと、こんな大勢で使用中じゃ私はどうすればいいんだ。
困った揚句、受付に引き返して、使用中のようですが…と訴えると、

「ちょっと待ってなさい」とどこかに電話をかけています。
「日本人が射撃をしたいと来ているんだけど」と言っているのが聞こえました。
なんで日本人だって分かるんだ -_-;)

「付いて来なさい」
はっと気が付くと男性が私の横に立っていて促されます。再び射撃場へ。


一番端のレーン(ってボウリング場じゃないって)に案内されます。
男性は慣れた手つきで的を金具に刺しワイヤーを操って先へ持って行きます。


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奥の定位置に設置したところで、銃弾を込めるようにと私に。
「ストッパーをずらして一発ずつ込めて」


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銃弾は軽いけど、拳銃自体はズシリと重いもんなんですね。

「これを付けなさい」とヘッドセットを渡されます。


「片眼をつぶって」

あ、そうなんですか。


「引き金は指から力を抜いて徐々にゆっくりと引いて」

なるほど!力むと標準がずれてしまうってことですね。
勉強になります。


じゃ、いきまーす!


パン!


さっきから思ってましたけど、「バキューン」なんて音しないじゃないですか -_-;)
正しい本物の銃声を耳に焼き付けておくことって大事だと思いますよ。


5発撃ったところで空の薬莢を取り出します。

「熱くないから手で受け止めて」

そうなんだ。恐る恐る手の上にボトボトと取り出したら本当でした。
まったく熱くないんですね。

再び詰めた5発も打ち終えたところで、
「写真撮ってあげようか?」と嬉しい心配り。


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あまりにもブザマな構えなので、手の部分のみ公開します(笑)


終わったー!


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感慨に耽っていると、男性がワイヤーを手繰って的を寄せてくれました。


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いいほうですか?

「いいよ。90点だ。100点満点のうちのね」

一応10発全部黒い円内には入ってるんですが、1発だけ「8」の円だからかな?
いずれにしても拳銃ってさすがに良くできているもんですね。
初心者でもこれだけ命中させることができるんですから。


狙われないように気を付けましょう ^_^;)


男性にお礼を言って後にします。
入口の受付向かいにはグッズ売場が。


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あまり目ぼしいものが無かったのが残念。
代わりにジュースを買いつつ、売場のおばさんにソンテオ乗り場を尋ねてみました。

「ソンテオ…、えーと、T字路…、T字路ですよ」

どう説明すればいいのか困ったような顔をしつつ答えてくれました。
実はさっきおじさんのバイクで送ってもらっている時に
ソンテオがT字路を曲がって行くのが見えたんですよ。

それを確かめたかったのでした。
やはりあのT字路で待っていれば来るんですね。


そうそう、受付の窓にこんな貼り紙が。


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無料Wi-Fiとな!
試しにiPhoneで繋いでみると、


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本当に繋がった!(笑)
なかなか先進的じゃないですか。やっぱり違いますね陸軍は。


さて、射撃場を後にしましょう。
時刻は、14:30。





<交通費>
バイクで送ってもらっただけなので:0バーツ
ここまでの合計:168バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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山と緑に囲まれた陸軍士官学校 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[8]

シマウマの像に囲まれたクンダーン廟を後にして、
「千早街道」を再び北へと歩いて行きます。

ほどなくして分かれ道に到達。


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真ん中には、


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陸軍士官学校らしい像が建ってますね。


右の直線道路を歩いて行くと前方に見えてきましたよ~。


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あれがプラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校の校舎ですね!


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すぐ背後に山々が迫っています。
校舎前方には


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青々とした芝生が贅沢なほどに広がっています。


聞こえるのは鳥のさえずりのみ。
士官学校生は一体どこにいるんだろうってぐらいの静寂に包まれています。


望遠で眺めてみると、


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校舎前にはラマ5世像が。
1887年にラマ5世が同校を創設したためで、校名の「プラチュンラジョームクラオ」
ラマ5世のお名前なのです。


以前はバンコクのラチャダムヌン・ノーク通りにあったものの手狭なことから、
1986年にこの地に移転。

高校相当の予備士官学校卒業生のみが各軍の士官学校に進学できるんだそうです。
最初から要員は決まっているので入試は無いみたいですね。
ちなみに女子の入校は認められていません。

授業料が無料の上に給料まで出るんだそうですよ。
四年制で学生数は600名。
通常の学科の他、1~3月末の訓練期間が設けられています。


歩きながら景色を眺めますか。
まずは南東方向。


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そして進んでいる方向の北東。


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まるで自然公園みたいですよね。
すがすがしい気分になれます。


すたすたと歩いて、校舎横に辿り着くと、戦車がありました。


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小ぶりなサイズですね。

中も覗いちゃおっと ^^


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実は夕方にバンコクで用事があるので、あまりのんびりしていられないんですよ。
ここで寄りたい場所はあと一ヶ所。そこへと向かいますか。

プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校のサイトに掲載の案内図で言うと、


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赤丸が校舎です。
で、これから向かうのは右のほうの黄色い丸のところ。

ちょっと距離がありますが、歩くしかありません。
まぁ暑くないし大丈夫。


東へ向かいつつ西を振り返ってみると、


08_12


カオ・チャゴークの全体の姿がはっきりと見えます。
なるほど、日本軍が「双子山」と名付けたわけが良く分かりますね。






<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:168バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

<参考>
『世界の士官学校』太田文雄著、芙蓉書房出版、2013年


つづく


※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめた新ブログを立ち上げました。

タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 です。

左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。
旅の参考になれば幸いです。




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クンダーン廟と日本軍の逸話 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[7]

プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校キャンパス内を通る
「千早街道」を北へ向けて歩いていると、木々の間から山が顔を覗かせました。


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たぶん日本軍が「双子山」と呼んでいた山かな。
この角度だと良く見えないけど、頂が2つあるんでしょうね。
タイ語では เขาชะโงก(カオ・チャゴーク=頭を突き出した山)と呼ばれているようです。


ほどなくして目的地に到着!


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大きな岩の上に建つのはクン・ダーン廟(ศาลเจ้าพ่อขุนด่าน)。
近寄ってみましょう。


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なんでも戦時中、ここを取り壊した日本軍の兵が祟りで何人も亡くなったとの
言い伝えがあるのだとか。

そんなところに同じ日本人の私が来て大丈夫なんでしょうか。
ちょっと気になりつつも登ってみることに。


参道を進むと否が応にも目に入るのは、


07_04


沢山のシマウマさんたち ^_^;)

クン・ダーン廟はとてもご利益があり地元で篤く信奉されているとのこと。
そんな地元の方々が奉納したものなんでしょうね。

でも不思議なのは奥にはチャボらしき鶏の像も並んでいるものの、
圧倒的にシマウマが多いんですよ。なぜでしょう??

ひょっとしたら・・・


ワット・プラーンマニー慰霊碑を建てた第37師団が
ナコンナーヨックの地で抑留生活を送っていた時点で、
中国戦線から共に生き延びてきた軍馬3,100頭がいました。

そのうち良い馬200頭は英軍が引き取り、残った馬はお世話になった
付近在住のタイ人たちに譲ろうと考えていたそうです。

それがです。復員が迫っていたある日、
英軍から残りの馬を全部殺すよう命令が下されたのです。

一頭につき一発の銃弾と拳銃が渡されます。

馬と言えども苦しい戦場を一緒にくぐり抜けてきた戦友を
自らの手で殺させるとは、なんともむごいですよね。
殺されるのが分かっているのかじっと立ったままの馬を
涙を流しながら一頭一頭射殺したのだそうです。

馬の死体は対戦車壕や燃料弾薬庫用に掘った穴などに埋葬されました。

近年、陸軍士官学校敷地内でゴルフ場の建設中に当時のものと思われる
馬の骨が出てきたそうです。


地元の人達は軍馬の供養の意味でシマウマの像を奉納しているのかなと思いましたが、
違ってたらすみません。


(追記:違っていたようです。クンダーンの軍馬にちなんで馬の像を奉納するところを、
多くの人はサイズと値段が手ごろなシマウマで代用して奉納するからなのだそうです。
でも日本軍軍馬の話を知っていてその供養も兼ねて奉納する人もいるかもしれませんね。)


ちなみにワット・プラーンマニー第三十七師団慰霊碑
師団将兵と並んで「師団軍馬四三七六頭」の精霊を祭ると刻まれているのは、
この時殺された馬と中国戦線以来命を落とした馬の総数のようです。
軍馬をどれほど愛しく思っていたのかが、この点からもひしひしと伝わってきます。


さて、階段を登りますか。
雨に濡れて滑り易いので気を付けながら…。


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すると途中にこんなものが。


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「剣保管所」と書かれた祠(?)に、まさに剣がいっぱい収められています。
これも奉納されたものなのか。


階段を登り切った岩山の頂で、廟の内部を覗きます。


07_07


クン・ダーンらしき男性の胸像と、ここにも一振りの剣が。

クン・ダーンはアユタヤ時代のナレースワン大王治世に
この地で関所の長を務めていた人物。

ナレースワン大王がビルマからアユタヤを奪還した3年後の1587年、
ビルマ軍が再びアユタヤを攻めてきました。
その機に乗じて東方からクメール軍も進攻。プラチンブリーを陥落させ、
次にナコンナーヨックを狙います。

クン・ダーンは少ない手勢ながらも諦めず、
クメール軍がナコンナーヨックを掌握した後も
カオ・チャゴークに陣取りクメール軍の前進を阻止。

そうこうしているうちに、ビルマ軍がアユタヤ攻略を諦め撤退開始。
アユタヤからの応援部隊が到着し、クン・ダーンの部隊とともに
クメール軍を攻撃してナコンナーヨックプラチンブリーから退却させることに
成功したのです。

その功績からクン・ダーンは死後、廟に祀られたのだとか。
ナコン・ナーヨックの守護神と言っても過言ではないでしょうね。


廟から見下ろすと、


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おぉー、半端無い数のシマウマさんたちに改めて驚愕!

視線を上げると、


07_09


向こうに建物が見えます。あれは競技場。

あの辺りは終戦後「赤坂村」と呼ばれ、
第15軍約8,000名が復員まで過ごしていました。
ナコンナーヨック地区日本軍総司令官の片村四八陸軍中将もここにいたようです。


さてさて、岩山を下りて、さらに奥へと歩いてみますか!






<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:168バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

<参考>
『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年
『英雄クンダーン』The Golden Jubilee Network(タイ語)


つづく


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千早街道という名の道 意外と地味じゃないナコンナーヨックの旅[6]

ナコンナーヨック中心市街地をすぐに抜けたソンテオは、
サラブリー県と結ぶ国道33号線スワンナソーン通りを北西に進んでいきます。


途中で左折して入ったのは、ナコンナーヨック・バスターミナルでした。
こんなところにあるんだー。


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ターミナル内をぐるっと一周します。
このバスは、北西の町バーンナー(บ้านนา)行き。

その他にサラブリー行きのロッ・トゥーも停車しています。

利用客の姿がそこそこ目に入りましたが、寂れている感は否めませんね。


再びスワンナソーン通りに戻って直線道路を進んでいきます。


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車がなんて少ないんだ!
立派な道路なのにもったいないですよー ^_^;)


しばらく進んで、交差点で一時停止。右折して、


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これまた立派なこの道に入り、山へと向けて北上し始めました。
実はこれも旧日本軍が作った道路なんです。

終戦でこの地に抑留された日本兵たちは、山や村に日本風の名を付けて呼んでいました。
この道は「千早街道」と呼ばれていたそうです。

「千早」が付く地名はちょっと調べてみると、福岡と大阪にあるんですね。
きっといずれかの地出身者で編成された部隊が命名したんでしょう。


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緑に囲まれた気持ちのいい直線道路です。

右手は田園地帯。


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ワット・プラーンマニー慰霊碑を建てた第37師団は、こちら側を「大和村」、
道を挟んだ西側を「敷島村」と名付けて復員までこの辺りにいたそうです。

遠くに見える山々もきっと日本風の名で呼んでいたんでしょうね。


この頃には乗客は私一人に。


そうこうしているとゲートが近付いてきました。


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プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校の校門です。

ソンテオは校門先の検問で一時停車。兵士がこちらにも一瞥します。
ギロッと睨まれるのかと思いきや、ニコニコと可愛い笑顔で見送ってくれるじゃないですか。

ということで、ソンテオに乗ったままで陸軍士官学校の敷地内へ~。


ここ、ものすごく広いんですよ。おおよそ南北3km×東西2kmもあります。
はい、ナコンナーヨックの市街地よりずっと広大な敷地だったりするんですね ^_^;)

これはあくまで私の推測ですが、この陸軍士官学校の地も
元は旧日本軍が駐屯地用地として整備した場所なんじゃないでしょうか。
千早街道が真っ直ぐここまで伸びていることからきっとそうだと思います。


さて、まず最初に行きたい場所はこの道沿いにあるんですが、しばらくしてソンテオは右折。
やはりそう上手くはいきませんか。慌ててベルを押して下車します。


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時刻は、13:26。
町から25分とは結構遠いですね。


元の「千早街道」に戻ります。


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看板によると2km奥に寺院もあるようですが、
私はそこまで行かずに500m先の廟に行こうと思います!


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うっそうとした緑に囲まれて気持ちいいキャンパスですね。
私が到着する直前まで雨が降っていたようで、なんともラッキー。

おしめりがあったお陰で涼しくなり歩きやすい気温です ^^





<交通費>
ソンテオ:18バーツ
ここまでの合計:168バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

<参考>
『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年


つづく


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