タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

サムットプラーカーン県

ソンテオでクローンダーン着 チャチューンサオの海上寺院へ![13]

ワット・ホントーンから歩き出して22分で、


13_01


スクンビット通りに出ました。
時刻は、14:08。

ソイ入口にあるワット・ホントーンの目印の法輪が
輝いていて眩しいほどです。

右手のあずま屋でバスを待っていようと思ったんですが、
中から道路の様子が見えないんですよ。

なので、


13_02


このソイ、「ソーンクローン・ソイ11」の看板でできた
細い影に身体を窮屈に押し込めて立って待っていることに(笑)

すると11分経過したところで、


13_03


あれ、ソンテオ?

チョンブリー-バンパコン-クローンダーン

と正面に書かれています。
バス以外にソンテオもあったのか!

かなり混んでいるので、デッキ部に立ち乗りで出発!

そしてたったの9分で、


13_04


終点のクローンダーンに到着です。

正確には終点はもう100mほど先のようですが、
手前で降りちゃいました。10バーツ也。

時刻は、14:28。

再び戻ってきたクローンダーンの町を今度はしっかり歩いてみますか。


13_05


比較的大きな町なんですよねー。


13_06


朝も見ましたが、漁業が盛んのようでスクンビット通り沿いの市場には
新鮮な魚介類が並んでいます。

町の西端には南北に流れる運河があって、
その手前に運河に沿うかたちで


13_07


歴史を感じさせる商店街があるのを発見。

門にはワット・モンコンコーターワート(วัดมงคลโคธาวาส)と。
奥にお寺があるようで。

ちょっと入って行ってみますか。


13_08


おぉ、古い木造商店が建ち並んでいるではないですか。
これは百年市場に負けず劣らず歴史がありそうだぞ。

この時は知る由もなかったのですが、
今回この日記を書くにあたって調べたところ
こんな感じのようです。

バンナー・トラート通りが開通する前、チョンブリーやパタヤ方面へ行くには
スクンビット通りで海岸線沿いに行くしかなかったのだそうです。

当時のスクンビット通りは今ほど道が広くなく速度が出せなかったので、
バンコクを経つとここクローンダーンで一泊してからチョンブリー方面へ
向かうのが一般的だったのだそうで。

さながら宿場町のような感じで結構栄えていたようです。

また戦争中(太平洋戦争かフランスとの戦争かわかりませんが)は、
ここに関所というか検問というかが設けられ、廃止後には
税関が設けられていたんだとか。

それでクローンダーン「関所の運河」という名称になったのです。

公共交通機関がバンコク方面からもチョンブリー方面からも
ここが発着点になっているのはそういった歴史からなんですね。

で、チョンブリーやパタヤへ速く行けるバンナー・トラート通り
できてからはスクンビット通りを利用する人が激減。
クローンダーンの町も廃れていったということのようです。


13_09


ズームで望むと奥に寺の山門が見えてきました。


13_10


橋からは左手=西側に南北に流れる大きな運河が見えます。
あれがクローンダーン=関所の運河ですね!

でも元々は違った名称だったのだそうです。
なんと、

メーナム・ヒア(大トカゲ川)。

運河ではなく川だったんですかね。

タイ語でヒアと呼ばれる大トカゲが多く棲息していたからだそうで。

この町も同様にバーンヒア(大トカゲの水辺の町)という名だったのが、
関所ができてからはクローンダーンという名のほうが通りが良くなり、
ついには正式にクローンダーンに町名変更されたんだそうです。

ちなみにヒアは、相手をこの上なく罵倒する汚い言葉でもあります。
日本語の「クソ野郎」のン十倍増しの非常にキツイ表現なので、
町名が変わって良かったですね ^_^;)




<旅費交通費>
ソンテオ:10バーツ
ここまでの合計:150バーツ

※旅は2015年11月19日(木)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

クローンダーン

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カートで帰ります! 71年前の足跡を訪ねて[最終回]

バンプー保養地の橋の先端にあるシーフードレストランでの食事を終え、
そろそろ帰ることに。

建物を出ます。


09_01


この橋をまた歩いてみたい気もするけど、
どうせだから今度は送迎カートに乗車してみましょう。

建物前に停まっているカートに乗り込みます。


09_02


うげっ、「TIP-BOX」だって!
こりゃ、いくばくかのチップを入れないワケにはいきませんなぁ…。

私に続けて女性ばかり3人の家族連れが乗ってきて発車。
時刻は、15:25。


09_03


橋を渡り終え、記念碑前を通り過ぎます。
前に座っている女性が運転手のおじさんに駐車場に入って停めてと
依頼しているのが聞こえました。

すると女性が振り返って私に英語で「どこで降りるんですか?」と。
気を遣ってくださってありがとうございます。
でも外国人だとバレてましたか ^_^;)

パークソイ(路地の入口)です。

「どこの路地?」

女性はキョトンとして聞き返してくるではないですか。

スクンビット通りのところです。

相変わらずキョトンとした面持ちの女性。
まさかソンテオで帰るなんて思ってもいないんでしょう(笑)
一方の運転手のおじさんはニコニコしながら黙って頷いています。

というワケで駐車場に入って3人を降ろしたカートは、
続いてスクンビット通りまで出て停車。

ボックスに5バーツ硬貨を入れて降ります。
ありがとうございました。

時刻は15:29。


09_04


戻っていくカートを見送ってから、
すぐ横にあるバス停でソンテオを待つと、


09_05


すぐに36番ソンテオがやってきました!

が、赤い字じゃないじゃないか!
なんだ、赤い字以外の36番もここまで来るってこと?
どうなってるのかよく分かりません -_-;)

15:30出発。

スクンビット通りパークナムへ向けて疾走します。

しばらく走った右手にムアンボーラーン(The Ancient City)というタイの歴史的建築物の
レプリカが数多く建っているテーマパーク(?)があります。

その前辺りでスクンビット通りは右へ曲がるカーブになっているんですが、
どうやら1941年12月8日にバンプーに上陸した吉田支隊とタイ側警察隊が
対峙したのはこの場所らしいんです。

ということは帰国後に調べて知ったので、この時には知る由も無く通過…。


パークナム市街地に入ると渋滞につかまってしまいました。
気が付くと左手にはさっき訪れた中央刑務所跡地公園が。
この辺ならもう歩いていいでしょう。

降りると、つられて他の乗客も降り出しました。
時刻は16:15。


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運転席で運賃8バーツを払い、みんなについて歩いて行きます。
バス停に着きました。


まもなく、バタバタとエンジン音を轟かせて1141番ローカルバスが登場。


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バンナーと書いてあるので大丈夫でしょう!
飛び乗ります。16:19。


スクンビット通りを相変わらずバタバタと大きなエンジン音で走ります。
お、BTSの高架橋が見えてきました。降りますよ~。


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BTSベーリン駅下で下車。
時刻は、16:47。
BTSに乗って帰りました。


ということで、これにて今回の旅も終了です!

実はもう10年近く前からバンプーの日本軍上陸地点が気になっていたんですが、
今回調べた上で訪れる機会を得ることができて、ずっと抱えていた疑問の一つが
ようやく解決した心持ちです。

今回もお付き合いくださいましてありがとうございました!

次は趣向を変えて、バンコク市内某通りの食べ歩きをお伝えしたいと思います!





<交通費>
送迎カートのチップ:5バーツ(任意)
ソンテオ:8バーツ
バス:8バーツ
ここまでの合計:95バーツ

※旅は2012年12月28日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


おわり


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バンプー保養地のレストラン 71年前の足跡を訪ねて[8]

バンプー保養地スックター橋の先端まで歩いて来ました。
そこにあるのは、


08_01


サーラー・スックジャイという建物。
訳せば、心の保養館って感じですかね。

ちなみにスックターは目の保養の意味ですので、
橋を歩いてここまで来れば、目と心どちらの保養にもなるという算段ですね(笑)

じゃ、いかに心の保養になるのか確かめるべく入ってみましょう!

足を踏み入れてすぐの左側には、


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物販コーナーがあり、「陸軍メーバーン製品」と。
この場合のメーバーンは、メイドさんと主婦のどっちでしょうね?

手作りの人形、バッグ、ティッシュボックスなどが陳列されているんですが、
これは! というものは無いですねぇ。残念。

そのまま通り過ぎて奥へと進むと、そこには広大なシーフード・レストランが。
海へ向かって凹の形になっています。中央部は大規模なパーティーが催せそう。
景色を楽しむなら左右のウィング部分ですね。

私はまず、左のウィングを抜けてその先の屋外へと出てみました。
振り返るとこんな感じ。


08_03


建物の前の海面が「いけす」のように四角く遊歩道で囲まれています。
遊歩道を先端まで歩いてみました。


08_04


やっぱり海はいいなー。

昔はこの遊歩道は無く、建物も戦後のどこかの時期に建て直されたようですが、
1941年12月8日、日本軍はこの先からやって来てこの辺りに上陸したんでしょうね。


ぐるっと回って西側のウィングからレストラン内に戻ってみます。


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平日のこんな時間にも関わらず、いい席は結構埋まってるんですよね~。


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海べりの席なんて、こんな感じに


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全て埋まってます -_-;)
まぁいいや。海べりじゃない席で妥協して遅めのランチとしますか!

スタッフに人数を聞かれ、一人と答えたら驚かれてしまいましたが(笑)

やっぱりシーフードですよねー。
パークナムでクイッティアオを軽く食べていたのでそんなに多くは要りません。
ということで、注文した2品はこれ。


08_08


左は、カーオパット・プー(カニ・チャーハン)。美味しかったです!

右は何だっけ? パット・プラームック・プリックタイダム(イカの黒胡椒炒め)かな?
これは散々待たされた上に、味もイマイチでした。

でも良心的な値段設定ですし、悪くはないレストランだと思いました!
家族連れなど大勢で来るにはオススメです。





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:74バーツ

※旅は2012年12月28日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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スックター橋 71年前の足跡を訪ねて[7]

さぁ、いよいよスックター橋へ!


07_01


送迎カートがのんびりと往来しています。
少し橋上を歩いて行くと、


07_02


海の上に出ました!
海に向けて真っ直ぐ突き出た橋なんですね。


ここバンプー保養地は1939年オープン。結構な歴史があります。
なんでもその2年前、ピブーン首相がサタヒープ港視察の折りにこの地を通った際、
バンコクからほど近い上に海に面して雰囲気が良いと感じたことから、内務省に
この地に市民向けの保養地を設けるよう命じたことが始まりなんだとか。

しかしオープン2年後には、ここに日本軍が上陸。
終戦まで日本軍がここを接収している間、保養地としては閉鎖されていたそうで。


まさにこの橋に日本軍が上陸したんですね。感慨深いです。

そうそう、タイ側の資料と突き合わせたところ、前回の日記中の上陸等の時間が
間違っている可能性が高いことが判明したため、修正しました。
参考資料の時刻表記を日本時間だと思ったのですが、
どうやらタイ時間だったようです。すみません。


したがって上陸時間は、12月8日の3~4時の間です。
敷地内宿舎で就寝中だったバンプー保養地所長は、未明に裏のスクンビット通りを
走るトラックの音で目覚めました。恐らく日本人「別働隊」が用意した車でしょう。

そして04:30、一人の職員が所長の元へやって来ます。
日本軍が橋先端にある休憩室にいた職員全員を拘束し、
海岸付近の道に日本軍兵士が溢れていると知らされました。

急いで電話をしようとしたものの繋がりません。
「別働隊」が道すがら電話線を切断する手はずになっていたので、
そのせいで繋がらなかったのでしょう。

それでチャルーンクルン-バンプー線のバス運転手に命じて地方警察へ報告に行かせ、
警察隊がそのバスに乗り込んで現地に急行したところで
バンコクへ向けて進軍中の日本軍と遭遇、対峙することになったのです。

タイ側のスウィット・エーカシン警察少尉は、即座に日本軍と交渉する決心を決めます。
時刻は06:00。

その際の写真がここにあります。

まだ暗い時間だったことが分かりますね。
後列左から2人目が、タイ側のスウィット警察少尉。
多勢に無勢の状況できっと決死の覚悟で臨んだことでしょう。


日本軍チュムポーン上陸は、『ユワチョン・タハーン』(少年義勇兵)で
映画化されていますが、ここバンプー上陸の話も映画化できそうなくらい
十分に劇的です。


上陸部隊メインの近衛歩兵第4聯隊第3大隊(隊長は吉田勝中佐)のその後はというと、
近衛歩兵第4聯隊に合流して競馬場(BTSラチャダムリ駅前の?)に駐屯した後、
12月11日にマレー作戦参加のために鉄道で南タイのヤラーへ向かいます。

翌42年1月1日には英領マラヤ(マレーシア)のイポーから船でキンタ川を下り、
2日未明、トゥルッ・アンソン(現トゥルッ・インタン)にまたしても奇襲上陸して
占領に成功。

2月9~10日にはジョホール水道を渡河してシンガポールに進攻し、
15日の英軍降伏を迎えています。


さてさて、話を現代に戻しましょう。
このスックター橋から西側を眺めてみます。


07_03


右遠方にタンカーが見えますね。
でもチャオプラヤー川河口西岸のポム・プラジュンまでは見えず。
期待していたのにちょっとガッカリ。


一方、東側はというと、


07_04


海岸に沿って竹柵が延々と続いています。
ここでも海岸浸食の被害が深刻なようですね。


ところで、頭上を頻繁に飛び交うものあり。
正体は…


07_05


カモメ~。


ここはカモメも売りにしているらしく、カモメの餌売りもいれば、
カモメにも実は色んな種類がいるんです、ってことを説明した案内板まで
設置されてたりもします。

目と鼻の先を飛んでいくんで、写真好きの人には面白い写真が撮れて楽しいかも~。


橋の先端まであと少しです!





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:74バーツ

※旅は2012年12月28日(金)に行いました。

<参考>
『マレー進攻作戦』防衛庁防衛研究所戦史室、朝雲新聞社、1966年
バンプー保養地ウェブサイト(タイ語)
ReurnThaiWichakan.com(タイ語)

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


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太平洋戦争歴史記念碑とは 71年前の足跡を訪ねて[6]

バンプー保養地(サターン・タークアーカート・バンプー)の入口から
とぼとぼ歩いて行くと、正面に記念碑が見えてきました。

今回の旅の目的は、実はコレを見ることなんです。


06_01


こちら側は英語表記です。
反対側に回ると・・・


06_02


やっぱりタイ語表記!
どちらかと言うと得意なこちらを翻訳してみます。



太平洋戦争歴史記念碑

 ここスックター橋において、1941年12月8日未明、大日本帝国軍のおよそ1大隊が
上陸した。同時にプラジュアップキリカン、チュムポン、ナコンシータマラート、
ソンクラー、パッタニー各県にも上陸し、また陸上部隊がアランヤプラテート方面から
進入した。

 タイ側部隊は、地方警察1小隊、少年義勇兵、サムットプラーカーン県からの住民で
構成され、この地点の北西約2kmで道路を封鎖した。双方がまだ交戦をしないうちに
タイ政府と日本政府の間で大日本帝国軍のタイ国内通過を認める合意が成立した。

 サムットプラーカーン県全集落の住民が一致団結して、勇敢に、身と命を捧げて
国家の独立を守ったことは明らかである。よって模範として称賛し、全タイ国民に
語り継いでいくべきである。




真珠湾攻撃と同日の1941年12月8日(月)未明、
日本軍は、まさにこの先の海に突き出た橋に上陸したのです。

上陸した部隊は、陸軍第15軍に配属の近衛師団近衛歩兵第4聯隊第3大隊を
基幹とする部隊(吉田支隊)。

吉田支隊は、12月3日にサイゴンから白馬山丸(三井の商船?)に乗船し、
ベトナムのフーコック島付近で3日間待機の後、7日に出発。

8日の午前3~4時の間にタイ側から抵抗を受けることなく
この先のスックター橋に上陸しました。

同部隊の任務は、上陸後すみやかにバンコクへ移動し、
チャオプラヤー川に架かる国鉄南線の鉄道橋、ラマ6世橋を占領すること。


同部隊を誘導するために、在タイの「軍人を中心とする屈強なもの」が別働隊を組織し、
7日夜に納涼と称してこのバンプー海岸へ赴く手はずになっていました。

で、別働隊と同部隊は合流したものの、上記記念碑の文面のとおり、
タイ側とにらみ合いこう着状態に。
タイ側とは極力戦火を交えず平和裏に駐留する方針だったからでしょう。


実はこの風雲急を告げる事態の際に、タイのピブーン首相はバンコクに不在で
連絡が取れない状態でした。カンボジア国境付近から車を飛ばして帰って来た
ピブーン首相との間で協議が開始したのは朝7時半。

ピブーン首相の態度が判明(のち、午後3時頃に日本軍通過協定正式調印)したのを
受けてようやく吉田支隊は自動車で前進し、13:40頃バンコクに到着しました。


なお、フランス領インドシナ(カンボジア)に駐留していた近衛師団も先遣隊が
8日朝にタイへ陸上から侵入開始、9日未明にドンムアン飛行場に到着した後、
ルンピニー公園へ前進。
主力も9日午後バンコクに入り、ルンピニー公園で合流。その後
チュラロンコン大学に司令部を設けたようです。


…という驚くべき歴史の一場面が71年余り前、この場所で起きたんですね。
暑いにもかかわらず、思わず身震いしてしまいました。


さらに歩を進めます。


06_03


門のような建物が。
プミポン国王の大きな写真の下には「スックター橋」と書かれています。

この先が、その、日本軍が上陸した橋ですね。
いざ!






<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:74バーツ

※旅は2012年12月28日(金)に行いました。
※時刻を修正しました。(2013年3月11日)

<参考>『マレー進攻作戦』防衛庁防衛研究所戦史室、朝雲新聞社、1966年

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


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