タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ラーチャブリーと水瓶の旅<2016年>

チュラロンコン橋 ラーチャブリーと水瓶の旅[1]

ラーチャブリーへの旅はこれで何回目になるんでしょう?
なぜかこの町に惹かれるんですよね。

今回はラーチャブリー出身の知り合いのタイ人から
興味深いラーチャブリー土産の情報を得たので、
いっちょ買いに行ってみるかと旅立ったのでした。

日程は、2016年5月28日(土)。

おっと、ラーチャブリー県の位置をグーグルマップの地図を拝借して
示しておきましょう。


ラーチャブリー

バンコクの西方、ミャンマーと国境を接したところに
ラーチャブリー県はあります。
中心部は地図中「ラチャブリー」の「ャ」と「ブ」の字の間辺り。


ではまずはロッ・トゥーに乗りに戦勝記念塔近く、
センチュリーというショッピングセンター北側にあった
ロッ・トゥー乗り場へ向かいます。

実は軍政の方針で、2016年10月25日から主要ロッ・トゥー乗り場が
行先方面別にモーチット、南、エカマイの3バスターミナルに
強制移転させられてしまったんですよ。

私はこの目でまだ確認していないんですが、
戦勝記念塔周辺やこのセンチュリー界隈にあったロッ・トゥー乗り場も
ことごとく今は消え去って、いずれかのバスターミナルに移ったようです。

ラーチャブリー行きは、南バスターミナルに集約させられたみたいですね。


01_01


というわけで、これはありし日のセンチュリー北側ロッ・トゥー乗り場の光景。

乗り込んだらほどなくで出発です。
時刻は07:02。


順調に国道4号線をかっ飛ばしたロッ・トゥーが


01_02


メークローン川
を渡ったら、そこはもうラーチャブリー中心部です。


01_03


他の乗客とともに橋を渡った先で下車しました。
時刻は、08:33。

この進行方向左手は土手になっていて、
上に国鉄南線が走っているんです。

来た方向に振り返って見ると、


01_04


こんな感じ。 ちょうど駅があります。
ちょっと上ってみますか。


01_05


ここは、チュラロンコン橋駅

メークローン川
に架かる鉄道橋の名が駅名になっています。
んじゃ、向こうに見えるその橋に向かいますか。

ホームの端を下りてさらに進むと左手に何やらありましたよ。
振り返ると、


01_06


でっかい水瓶(みずがめ)!

ラーチャブリー
は、かつて水瓶の一大産地で重要な輸出産品だったんです。
それで町の入口にモニュメントとして飾ってあるんですね。
水瓶については、また何回か後に触れることにします。


で、その先に目的の…


01_07


チュラロンコン橋が!

立派な鉄橋ですね。
カンチャナブリーの「戦場にかける橋」ことクウェー川鉄橋
日本軍の呼称だと「メクロン鉄道橋」をなんとなく連想させる姿ではないですか。

ちなみにこのメークローン川を遡上していくとカンチャナブリーで
クウェーヤイ川と名が変わるので、2つの橋は同じ川に架かってるんです。

このチュラロンコン橋は、タイ国鉄南線開通に合わせて
鉄道・自動車兼用橋として建設され、1901年に時の国王ラマ5世、
別名チュラロンコン大王が立ち会われて開通式が執り行われました。

橋の名もラマ5世による命名です。

当時の橋の様子はここの3枚目の写真で確認できますよ。


01_08


「BUILT. 1901」の字が読めますね。
その右には改修年の「仏暦2503年」(西暦1960年)の文字もあります。

太平洋戦争中には日本軍がマレーからの人員物資輸送に国鉄南線を使ったため、
この橋は、連合国軍の爆撃にさらされたのだそうです。

しかし何度爆撃しても爆弾が当たらなかったのが、連合国軍は1945年2月11日夜、
鎖でつないだ時限式爆弾を投下して橋に絡ませることに成功。
翌12日朝6時30分、時限式爆弾が爆発して橋は落ちてしまったのでした。

以後日本軍はチュラロンコン橋駅辺りで貨車から積み荷を降ろして渡し船に載せ、
川を運搬して対岸から再び貨車に載せて運ぶという不便を強いられたのだそうで。

戦後、インド軍指揮のもと、抑留日本軍を使役して橋の再建工事が
昼夜問わず行われ、工期2か月で1945年10月20日に開通しました。

その後、1960年に改修工事が行われ、翌61年に改修完工式が開催されています。
橋にある「仏暦2503年」の文字はそれを表しているんですね。

1960年のは「改修」ですので、今の姿は日本軍の手で建設されたもの
といっていいでしょう。現在は鉄道専用橋です。


01_09


あっ、ちょうどバンコク方面行列車がチュラロンコン橋駅に停車しましたよ。

そして、


01_10


チュラロンコン橋を渡って行きます。


01_11


日本軍の手による鉄橋が今も現役で活躍しているとは、
なんだか胸が熱くなります。


01_12

鉄橋のわきにある歩道で対岸へ渡ることにします。
中央には釣り人の姿が。

帰ってから調べていて知ったんですが、この橋の真下、
メークローン川の川底に、なんと蒸気機関車が沈んでいるんだそうですよ。
1992年に偶然発見されたのだそうで。

その知らせにラーチャブリー県では、歴史のシンボルとして観光に利用しようと
蒸気機関車の引き揚げを何度も計画したのですが、予算の問題などで
未だに実施されていません。

肝心の蒸気機関車の型ですが、水中の視界が悪く写真撮影が困難なために
これまた未だに特定できていないようです。
ただ、日本製C56かイギリスのKITSON/NORTH BRITISH社製P-CLASSでは
ないかと 推定されているようで。

日本のどこかのTV局さん、代わりに引き揚げて番組にしませんか~?


01_13


そんな太平洋戦争の残滓を感じるチュラロンコン橋を渡り切り、
振り向いてみます。

右に架かる自動車橋は「タナラット橋」。
ロッ・トゥーでさっき渡ったのはあっちの橋です。

さて、これから軍の基地に入ってみますよー。
かなりドキドキですが。




<旅費交通費>
ロッ・トゥー:100バーツ
ここまでの合計:100バーツ

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。

<参考>
ราชบุรีศึกษา "ความพยายามในการกู้หัวรถจักร ใต้สะพานจุฬาลงกรณ์"
ราชบุรีศึกษา "สะพานจุฬาลงกรณ์ กับ ประวัติศาสตร์ที่สาปสูญ"
ราชบุรีวาไรตี้ "ภาพประวัติศาสตร์ เปิดสะพานจุฬาลงกรณ์"

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

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メークローン川渡し船 ラーチャブリーと水瓶の旅[2]

しばらく中断していた「ラーチャブリーと水瓶の旅」を再開します!

前回の第1回「チュラロンコン橋」で日本軍の手で改修された
チュラロンコン橋を渡ったところまで書きました。

渡り切ったところから左、つまり西側を見ると、

2_01

道路の向こうに写真だとちょっと分かりにくいですが
大きな敷地の施設が広がっています。

あそこは、陸軍工兵局のパーヌランシー基地
たぶん中に入れると思うので行ってみましょう!

2_02

チュラロンコン橋とさっきロッ・トゥーで渡った橋の間を下りていきます。
下のメークローン川べりの道を右へと歩いて行くと、正面に基地の入口が。
脇に詰所があり兵士2人が立っています。

緊張の一瞬。さすがにカメラを向ける勇気はありません ^_^;)

何事もなく無言でゲートを通ることができました!
やっぱり誰でも入れるんだ。ホッとしましたよ~。

2_03

左手にメークローン川を見ながらまっすぐ続く道の右手には、
芝生の綺麗なグラウンドの向こうに学校みたいな建物が見えています。

2_04

先にも詰所があるじゃないですか。
その向かいの川面に、基地内にわざわざ足を踏み入れた理由が見えてきましたよ。

2_05

じゃーん。
渡し船が出ているのです!

だから一般人でも立ち入りできると私は踏んだのでした。

乗って対岸に渡ってみましょう。
私が乗り込むと乗客1人なのに、やおら出発。

2_06

なんだかのんびりしてていいですね~。
ちなみに座席はですね、

2_07

プラスチック椅子が並べてあるだけなのでした(笑)

2_08

鏡のように穏やかなメークローン川をゆっくり進んでいきます。

向こうに見えるのがさっき渡ったチュラロンコン橋
あの直下に蒸気機関車が沈んでいるんですよね~。

ちなみに船賃はたしか5バーツだったと思います。
メモるの忘れちゃいました。自信がなくてすみません…。

2_09

ほんの2分で対岸に到着。
朽ちかけた木の板で岸に上がります。

その上は、もう何度訪れたか覚えてないぐらい
なぜか好きで何度も来ている…

2_10

コイキー市場です。

「渓」に「土へんに乾」でコイキーと読むようで、
中国から船で渡りメークローン川を遡上して住み着いた華僑が
開いた市場です。200年の歴史があるんだとか。

金土日の夕方~夜にはこの通りも歩行者天国になって
縁日みたいな市が立ちますよ。


ちょうどこの日はラーチャブリー県主催で伝統を紹介するイベントを催していて、

2_11

ラーチャブリーの昔の写真のパネル展示や、
歌謡ショーでもやるのかステージも設けられていました。

そんな中で、おや、ここにもありましたよ。

2_12

水瓶。
竜の図柄が入ってますね。

水瓶はラーチャブリーと関わりが深い物なんです。
まだ何度か出てくるので最後に解説するとしましょう ^_^;)

コイキー市場から戻り、メークローン川沿いに西へと歩いてみると、

2_13

以前はなかったこんなオブジェが。
かつてここに定住した華僑の生活の様子を再現したんでしょうね。

その先には

2_14

巨人さんもラーチャブリーに定住してたんですか(そんなワケない 笑)


さて、そろそろちょっと遠いですが人気の食堂に歩いて向かいますよ~!



<旅費交通費>
渡し船:5バーツ?
ここまでの合計:105バーツ

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。

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渡し船

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メムさんの玉子クイッティアオ ラーチャブリーと水瓶の旅[3]

ラーチャブリーのメークローン川沿いを離れ、
南へと歩いて行きます。

03_01

南へ真っ直ぐ続くこの道は、カタートーン通り
ずっと先に見えている時計塔は、また後で登場します。

ここではこの道の一本東の道、ラーサドーン・インディー通り
進んでみることに。そっちの道を選んだのにはワケがありまして、

03_02

ソンテオ乗り場を確認したかったからなんです。
黄色い看板に「クーブア」行き乗り場と書いてあります。
あったあった!

ラーチャブリー市街から南へ6kmほどのところに
クーブア遺跡というところがあるんです。
6~11世紀頃のドヴァーラヴァティー時代の都市遺跡だそうで。

一度見に行きたいんですよね~。
そのための下見でした ^_^;)

この道自体には特段なにもなく、
10分歩いて行き止まりのT字路に出ました。

左へ行くと国鉄ラーチャブリー駅ですが、
私は右へと進みます。

03_03

ゾウさんがリアルです ^^

ほどなく目的地に到着しました。

03_04

メムさんの玉子クイッティアオ
 (ร้าน ก๋วยเตี๋ยวไข่ คุณแหม่ม)

ラーチャブリーでもっとも有名なクイッティアオ店なのです。

以前営業時間内に間に合わなかったことがあったので、
ようやく食べに来られましたよ!

03_05

店内は天井が高くて広く、ごちゃごちゃしていないのが好印象。

笑顔が優しい女性に案内されて席に着き、
クイッティアオ・トムヤム(トムヤム・ヌードル)と
クイッティアオ・ヘーン(汁無しヌードル)を注文。

「ムーサテもいかがですか?」

感じの良い接客にのせられて、
思わず「はい」と答えてしまいました(笑)

そう、この店は味のみならず、親切な接客もあって人気店らしいんですよ。
たぶんさっきの女性が店主のメムさんでしょう。

メムさんのお母さんかな? お婆さんもいるんですが、
この方もニコニコ優しく親切です。

03_06

さあ、揃いましたよ!
戴きましょう!

クイッティアオ・トムヤムは、酸っぱさと甘さの加減が絶妙ですね~。
トムヤムってスープのトムヤムと、クイッティアオのトムヤムで
味が違うじゃないですか。ここのはそのちょうど中間な感じの味です。

薄過ぎず濃すぎずでいい塩梅ですよー。

03_07

このクイッティアオ・ヘーンのほうは濃いめの味付けでちょっと辛いです。
私にはとても美味しく感じました!

03_08

そしてムーサテ(豚の串焼き)。

肉が柔らかくていいですね~。
タレもまた甘さがちょうどいい具合です。

さすが人気店!!

あと飲み物に注文したナム・ファラン(グアバ・ジュース)は、
市販のものかと思いきや、ちゃんとグアバから搾ったジュースでビックリ。
果肉感がしっかり残っていて、これまた嬉しくなりました。

夢中で食べていると、「美味しいですか?」と笑顔のメムさん。
こんな一見客にも気を遣って声をかけてくれるなんて!
人気店になるべくしてなったんだろうなと納得しましたよ。

またぜひ来たいと思った店でした。

一応お店情報をお伝えしておきましょう。

店名:クイッティアオ・カイ・クンメム (ร้าน ก๋วยเตี๋ยวไข่ คุณแหม่ม)
場所:グーグルマップ
営業・毎日05:30-17:00
電話:08-1944-5406

03_09

会計を済ませ、店を出がてら、
入口に陳列された土産物を眺めてみると…

おお、今回の旅の一番の目的の品がここでも売られているじゃあないですか!
でもまだガマン(笑) 本店で買おうと思います ^^

メムさんの玉子クイッティアオ」を出て右へ。

するとそこにはもう、さっき遠くに見えた

03_10

時計塔が聳えています。

その背後に見えるのは、ラーチャブリー病院

ここで以前、武装グループによる人質立てこもり事件があったんですよ。
่事件を解説すると長くなるんですが…。

事の発端は1999年10月1日、バンコクのサートーン通りにある
ミャンマー大使館で
「God's Army」を名乗るカレン族の
ミャンマー反政府組織の12人が武装して人質を取り立てこもり、

アウンサンスーチー女史の解放をミャンマー軍事政権に要求した事件でした。

犯行グループはその後、ラーチャブリー県のミャンマー国境まで
自分たちをヘリコプターで送るように要求を変更。タイ政府は要求をのみ、
スクムパン外務次官(昨年までバンコク都知事だった人物)

道中の安全を保障する人質として同行し、事件はとりあえず終結したのでした。


タイ政府が弱腰とも思える対応を取ったのは、ミャンマー反政府勢力に
肩入れすることで、
関係が良好でなかったミャンマー軍事政権に
揺さぶりをかける目的があったからでは
などと報道されました。

が、それが裏目に出てしまいました。

4か月が経過しようという2000年1月24日、なんと同じグループの10人が
今度はこのラーチャブリー病院で医師・看護師などの病院関係者と
患者の400人を人質にとり再び立てこもったのです。

今回の要求は、ミャンマー政府軍による掃討作戦で負傷した
仲間の治療のために
医師・看護師を連れて行くこと。
当局は人質の解放交渉を続けますがまとまりません。


そこで武力による解決へと作戦の変更を決断します。
陸軍、国境警察などから特殊部隊の精鋭を招集。

睡魔に気が緩む午前3時が決行時刻となり、
病院敷地内所定位置へと悟られないように近付いて行きます。

すると思わぬ事態が。

ワン! ワン!

野良犬が吠え出しました。
犯行グループに気付かれてしまったら水の泡だ!
ということでいったん退却して仕切り直し。

午前5時に再度ほふく前進で病院敷地内へ。
今度は順調でした。

病院横のスタジアムにある石油タンクを爆発させ気をそらせた隙をついて
閃光発音筒(スタングレネード)を投げ込んでから特殊部隊が突進し、
15分で作戦は終了。

人質の命を守るため、4~5mの距離で頭部を撃ち、
必ず絶命させることを徹底したそうです。

9人はこの方法で全て射殺。
残る1人はトイレに逃げ込んだため機関銃で蜂の巣に。

人質には1人のケガ人も出ませんでした。

ちなみにこの作戦の指揮官は、スラユット・チュラーノン陸軍大将。
2006年9月19日の軍事クーデターで倒されたタクシン政権に代わって
首相に就任することになるその人物です。


なんだか嫌でも国境県であることを実感させられる事件ですよね。
でも上で触れた99年のミャンマー政府軍による掃討作戦の後、
国境付近も平穏になったようです。
God's Armyの残りも01年にタイ側に投降しましたし。

そんなわけで以前訪れた国境のフアイ・コークムーにも
安全に立ち寄れるようになったんですよね。



<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:105バーツ

<参考>
pantip.com "เล่าเรื่องราวจับตัวประกันที่ราชบุรีให้ฟังหน่อยสิครับ"
Wikipedia "เหตุการณ์ก๊อด'ส อาร์มี่บุกยึดสถานทูตพม่า พ.ศ. 2542 และโรงพยาบาลศูนย์ราชบุรี พ.ศ. 2543"

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。



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つづく

メムさん

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ラーチャブリーの水瓶(みずがめ) ラーチャブリーと水瓶の旅[4]

ラーチャブリー病院前の時計塔から右へ曲がり、
カタートーン通りをメークローン川方面へと戻って行きます。

おっ、

04_01

看板には「SHINZEN」と。
日本食レストランですね~。
でも「新鮮」なのか「親善」なのか、ナゾ ^_^;)

店前に広げられたメニューを覗き込むと
なんと日本語併記じゃないですか。

右のページは普通のネタなんですが、左のページには、

カツロール 199
アボカドウナギロール 185
エビ天ぷらロール 225
アボカドエビコ&ウナギロール 235


そしてスタンドに差してキャンドルのように突っ立っている
手巻き寿司 89

と、どうやらフュージョン系のようですね。
ラーチャブリーにまで日本食ブームどころか、
こんな系統の日本食も到達していて正直オドロキです!


なおも歩き続けると、

04_02

ずっと曇っていたのが、ようやく晴れ間が出てきました。
この辺りは右手は商店街、左手は女子高のようです。

さらに歩くと

04_03

左手には広大な駐車場を備えたテスコロータスが。

その向かい、右手には、

04_04

ロイヤルパーク・ITサニー なるショッピングモールが出現。

サニー(Sunny)はタイ語風に発音すると「サンニー」のため、
地元では短く「サンニー」と呼ばれているみたいです ^^

ラーチャブリーのローカルなショッピングモールってどんなもんなんでしょう。
ちょっと寄ってみますか。

1階入って正面、書店の左隣には、

04_05

おおっ、ここにも寿司店が!

なんと全種15バーツ。

やすいやすいやすいやすいやすいやすいやすい

がクドイです(笑)
それより美味しさをアピールしたほうがいいような気も~。


とまあ、インパクトがあるのは入口付近のみであとは
上の階も閑古鳥が鳴いています。テナントも全ては埋まってないですね。

数年前まで映画館が入っていたようですが、
気付かなかったので今はないんじゃないでしょうか?

吹き抜けの下から元気な声が聞こえてきたので
覗き込むと、

04_06

テコンドー教室かあ。

予想以上に寂れていてあまり見るところがないので
すぐに建物を出ちゃいました。

すると外に、

04_07

竜の図柄の巨大水瓶がここにも!

そろそろ解説をしましょう。
竜柄の水瓶は、かつてラーチャブリーの特産品だったんです。

そもそもは戦前に現在の中国広東省潮州市楓渓区から
陶芸職人の2人の男性が
バンコクへ渡ってきたことに始まります。
2人は焼き物に適した土を発見したラーチャブリーに焼き物工場を設立し、
水瓶(みずがめ)や植木鉢の生産を開始。1933年のことです。

ラーチャブリー初の工場であり、かつ初のタイ国内産水瓶となったのでした。
(加筆:釉薬を塗った水瓶では初の国内産だったということかもしれません。)

その後1943年に2人は新たな工場「タオセータイ」を設立。

当時タイでは水道が普及していないため、
各家庭には水を貯めておく水瓶が必須でした。

太平洋戦争が勃発すると、今まで中国から輸入していた水瓶が
届きにくくなります。

そんな状況下でタイ国内産の水瓶が取って代わって普及。

大きくて重い水瓶は、距離が遠いほど輸送費がかさみました。

また縁起の良い竜の図柄をあしらったこともあいまって、
地方の裕福な家の庭先には、まるで現代のベンツかBMWのように
ラーチャブリー産の水瓶がステータスを誇示するシンボルとして
置かれていたそうです。

1954年に2人のうち1人が別れて自らの工場「タオホンタイ」(陶豊泰
を設立してからは、こちらのブランドのほうが人気だったようです。

しかし水道の普及とプラスチック製品の席巻で衰退。

ドイツの大学に留学経験のある3代目が継ぐ現在のタオホンタイでは
残念ながら水瓶をもう生産していません。
代わりに利益率の良い盆栽鉢や、韓国向けにキムチの壺などの他、
カラフルな前衛的セラミック製品を意欲的に生産しているようで。

郊外にあるタオホンタイの工場はカフェ併設のミュージアムっぽい
造りになっていて、生産の工程を見学できる観光地となっています。

一方のタオセータイも事業継続中。
工場内の様子らしい写真(4年前ですが)を見ると、
こちらでは竜柄の水瓶を今でも生産しているようです。


さて、次なる目的地へ向かうか、
と歩を進めようとすると右手に

04_08

呂祖仙師廟なる中国廟が。

呂?…もしやと思い帰ってから調べたら、
以前「宝くじに当たる5大願掛けスポット巡り」をした時に
バンコクの中華街で訪れた「呂帝廟」に祀られた
呂 洞賓(りょ どうひん)と同一人物でした。

道教の八仙(七福神みたいなもの)の一人で唐代に実在した仙人。
中国の民間信仰では、関帝廟の関羽と並んで人気の神様のようですよ。

お参りすると、恋愛と子宝にご利益があるとのこと。

しまった。
この時知っていればちゃんとお参りしたのに(笑)



<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:105バーツ

<参考>
"โอ่งมังกร ราชบุรี"
Thailand Creative & Design Center "เถ้าฮงไถ่:ต่อยอด DNA แห่งตำนานด้วย“จินตนาการ”และ“ความสนุก”"

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。



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サンニー

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水瓶ケーキ(ケーク・オーン) ラーチャブリーと水瓶の旅[5]

ローカルなショッピングモール「サンニー」から北へ
カタートーン通りを歩いて行くと大きめの交差点に出ました。

交わるグライペット通りを右へと進みます。
とある店を探しているんですよ。
通りの右側にあるはずなんですが…。

あった!

05_01

味もそっけもない外観ですが、

バーン・カノム(บ้านขนม)と
店名が掲げられているので間違いありません。

その横には漢字で「勝長頼」とも。

バーン・カノムは訳すと「お菓子の家」。
ケーキやクッキーなどを製造販売するベーカリーなのです。

お店に足を踏み入れてみると、
いきなり目の前にありましたよ、目的の品が。

05_03

水瓶ケーキ

ラーチャブリー産の竜柄水瓶はタイ全土で有名だということは前回解説しました。
その水瓶をラーチャブリー土産として活用し、この店が開発した商品なのです。

水瓶ケーキ、タイ語で「ケーク・オーン」(เค้กโอ่ง)の
ラインナップは2種類。

上の写真は、水瓶を模した素焼きの容器にスポンジケーキが詰まっているタイプ。
80バーツ。

05_02

こちらのもう1種類は、「食べられる水瓶」タイプ。

なんと容器の水瓶も硬いクッキー生地でできていて、
丸ごと食べられるのです(笑)

中身はドライフルーツの入った「フルーツケーキ」で
150バーツ。

冷蔵庫保存では1か月もつと書かれていますが、
店のおじさんに尋ねると常温では数日しかもたないそうです。

実は詳しくそれぞれの商品について
常温何日で冷蔵何日と教えてくれたんですが、

私の頭が記憶できませんでした ^_^;)

いずれにしても2つのタイプともに日本に持ち帰って
お土産にできるほどは日持ちしないのが残念です。

ふと違う棚を見やると、もう1つ違うのがあるじゃないですか。

05_04

こっちはケーキではなく、中に個包装されたクッキーが入っているタイプ。
100バーツ。

尋ねると常温で(たしか)3週間もつとのこと。

水瓶を使った商品の第1号がこのクッキーだったようです。
2001年のこと。その後、水瓶容器も中身も試行錯誤を重ねて、
今のラインナップにまで増えたんだとか。

じゃあ最初の2つはバンコクへ帰ってから自分で食べる用、
クッキーのはお土産用に買い求めることにしましょう。

レジへ持っていくと、おじさんがどれも丁寧に箱詰めしてくれました。

水瓶ケーキを考案したのは新聞記事によると青年なので、
このおじさんはお父さんで先代ってことかな。

「2月に東京に行って来たよ。30年前と様変わりしてたね」

なんと! 意外と気さくに話しかけてくれて嬉しくなりました。


話は一旦飛んで、バンコクへ帰ってから
水瓶ケーキを食べてみたのでレポートを。

05_05

まずは並べての写真。左から
(1)水瓶ケーキ(容器は素焼き、中身はスポンジケーキ)
(2)水瓶ケーキ(「食べられる水瓶」タイプ)
(3)クッキー(容器は素焼き)
です。

(1)と(3)の容器は形状が微妙に違います。

05_06

これが(2)の「食べられる水瓶」(โอ่งกินได้)。

顔の絵の下には「アーティー・コーピー」(อาตี๋โกปี๊)とあります。
これはバーン・カノムが経営するベトナム・コーヒー店の名。
ブランドがしっかり使い分けられてなく、ごっちゃになってますね(笑)

05_07

袋から取り出したところ。
周りにビニールが巻かれています。

05_08

そうそう、こんなのも渡されたんですよ。
ルークターン(オウギヤシの実)のジャムらしいんですが、
(1)用だか(2)用だか忘れました ^_^;)

さあ、豪快にかじってみましょう!

05_09

中身のフルーツケーキは、こんな感じに
レーズンやパイナップルなどのドライフルーツの粒が
混ぜ込まれています。

周りの水瓶部分は、ケーキのビスケット土台を
もう少し硬くしたような食感ですね。

全体的な味は、正直に言うとフツー ^_^;)
まあ物珍しさで買うものかなー。

これ、1つのボリュームがかなりあって、
とても一人で一回では食べきれません。

切って少しずつ食べたほうが良さそうですよ。


もう1つの(1)は、スポンジケーキがあまりしっとりしてないです。
これもフツーな味ですかね。

(1)を食べた後の水瓶の写真をUPしておきます。


05_10

ちゃんと竜柄が入っているんですよ。
こんなところにはコダワリを感じますよね!

05_11

素焼きと思わせつつ、内部には釉薬が塗られています。
考案した青年は容器の衛生面にもかなり気を遣ったそうなんで、
その結果こうなったんでしょうね。さすが。

ちなみに(3)のクッキーは私は食べなかったのですが、
お土産にあげた人の感想は「中身が少ない」でした(笑)
ビニールで個包装されたクッキーが4~5個入っている
だけだったそうです。値段を抑えるには致し方ないのかも^_^;)

実はもっと大きな水瓶に入ったタイプのクッキーも店には
あったんですよ。でもそっちは確か250バーツだったような…。

全体としてまだまだ改良の余地がありそうですが、
今までこれといった土産物がなかったラーチャブリー待望の
商品ですので、もしラーチャブリーへ行く機会がありましたら、
試しに買ってみるのもいいと思いますよ。

なによりも食べ終えた後に水瓶の容器が
思い出の品として残りますので ^^


そうだ! お店情報をお知らせします。

バーン・カノム(BAN KA-NOM, บ้านขนม)
地図:グーグルマップ
電話:0-3232-8311


会計時にベトナムコーヒー店「アーティー・コーピー」の
チラシを頂いたんで行き方を教えてもらったんですよ。
これからそこへ向かってみようと思います!


<旅費交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:105バーツ

<参考>
ไทยรัฐ "SME มีแวว : เค้กโอ่ง...โอ่งกินได้ ไอเดียบรรเจิดจากราชบุรี!!", 2012年9月18日付
มติชน "จับเค้กใส่โอ่งของฝาก จังหวัดราชบุรี", 2012年1月12日付

※旅は2016年5月28日(土)に行いました。

元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく

バーンカノム

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