タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~

タイ・バンコクや近県をバス、ソンテオなどの公共交通機関だけで日帰り旅をした様子を綴る旅行記です。
タイ料理屋台から水上マーケット、百年市場、日本の残した足跡まで無鉄砲に飛び回っています。 ※楽天ブログ『タイとタイ語に魅せられて』の1日旅の記事だけを抜粋しました。

ラーチャブリーへの旅<2013年>

ラーチャブリーへの旅[1]

バンコク周辺1日旅の新シリーズ開始です!

今回は時間があったのでちょっと遠くまで行くことにしました。
ラーチャブリー県方面です。

GWの4月30日(火)の早朝に出発!
まずはBTSラーチャテーウィー駅へ。

ラーチャテーウィー交差点を左折してペッブリー通り沿いに歩き、
ソイ10手前にあるバス停でバスを待ちます。

511番エアコンバスが来たので乗車。
時刻は、06:02。

我ながら早起きです(笑)


民主記念塔先で降ります。
06:13。


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昇ったばかりの朝日がすがすがしいです!


最初にやって来た15番赤バスに乗り換え。
時刻は06:15。

で、王宮前広場西側で下車。
06:18。


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振り返ると、


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まだ穏やかな朝日に照らされたワット・プラケオにしばし感動。
まさに早起きは三文の得だと実感 ^^


右に歩いて、


01_04


ター・チャーン(チャーン船着き場)へ。
渡し賃3バーツを払ってチャオプラヤー川の渡し船に乗ります。


01_05


こんな朝早くでも意外と乗客がいるんですね~。
06:25出発。


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対岸のワット・ラカンがこれまた美しい~!!


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対岸のワンラン船着き場に着きました。
あれ? 以前よりやや左に移動してませんか?
08:29下船。

右手に歩き、シリラート病院前の通りに出ました。


01_08


托鉢僧が歩く中、ここで腹ごしらえをと思い屋台を見て回るのですが、
これといった店が無いんですよね。

まぁいいや、ここにするか。


01_09


なぜ気が進まなかったかというと、この店は私が苦手な…


01_10


クアイジャップの店なんです。
どうも臓物系は… ^_^;)

でものんびりしてられないので、背に腹は代えられません。
食べてみたら意外と美味しかったです。


40バーツの代金支払い時に店の女性に尋ねてみました。
トンブリー駅へ行くにはどうしたらいいですか?

「向かいからモーターサイで行けますよ。」

えと、ソンテオ路線は無いんでしょうか?

「あるけど、ちょっと歩きますよ。この先の門からシリラート病院に入って
 反対側へ抜けたところからソンテオがあります。」

どうもありがとうございます!


「ここからモーターサイに乗った方がいいですよ。たった20バーツですし。」

というご主人の声を背に歩き始めます。
私もその方が楽だと十分承知はしているんですが、ポリシーがありまして ^_^;)


言われたとおり門からシリラート病院内の道へ。
出勤の病院勤務職員と托鉢僧でごった返す中、
スタスタと裏側へと一直線に歩いて行きます。


01_11


タイってレストランやファストフードの店員が制服姿で出勤するのは知ってましたが、
看護師さんもそうなんですね。ちょっとビックリ。


裏へ抜けたところで、ちょうど赤いソンテオがやって来ました。


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汽車 ポーサーン学校 水上マーケット ワット・プラドゥー

と書かれています。「汽車」がトンブリー駅のことだな。
というワケでこのまま乗車。
時刻は06:49。


ちなみに「水上マーケット」は、タリンチャン水上マーケットのことなんでしょう。
そうか、このソンテオで行けるのか。





<交通費>
511番バス:13バーツ
15番バス:6.5バーツ
渡し船:3バーツ
ここまでの合計:22.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

つづく


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トンブリー発ランスアン行き255列車 ラーチャブリーへの旅[2]

シリラート病院の裏から乗ったソンテオは右折して
国鉄トンブリー駅前にそのまま横付けして停車。

これは便利だ~。

時刻は06:52。
あっという間の到着です。

で、バタバタしていて私はうっかり運賃をメモるのを忘れてしまいました。
6バーツか8バーツだったような。取り敢えず6バーツにしておきます。
不確かでスミマセン m(_ _)m


ちょっと後ずさって駅を撮影…。


02_01


トンブリー駅はターミナル駅だというのに、なんというシンプルさ。


さて、切符を買わねば。


02_02


売り場で行き先を告げて購入。14バーツ也。
07:30発ランスアン行き255普通列車に乗ります ^^


発車までどうしてようかなと思った矢先、駅アナウンスが。
ランスアン行きは2番線から。今から乗車できます、と。

それを聞くやいなや、


02_03


みんなワラワラと乗り込んで行きます。
あ、私も乗ろう!

座席を確保して一息つきながら、切符をまじまじと眺めます。


02_04


ちょっと味気無いですよね。
タイの鉄道で硬券って無いのかな。


で、ボーッとしていると07:10頃にいきなりガシャン!という音とともに衝撃が。
機関車が連結されたようですね。あー、ビックリした。

どうせだから見に行ってみますか。


02_05


なんだかワクワクしてきました!(笑)


座席に戻ると発車前から物売りが車内を行ったり来たり。
「カーフェー、オーワンティーン~」(コーヒー、Ovaltine)
「ムーヤーン、ムートート、カーオニァオカァ~」(焼き豚、豚揚げ、もち米です)

朝食取ったばかりだからなぁ ^_^;)


カン~カン~という鐘の音とともに列車は定刻どおりに発車。
国鉄南線を西へと走っていきます。


途中、この駅にも停車。


02_06


以前の旅で訪れたワット・ンギウラーイ駅です。

昔この裏手のターチーン川船着き場からスパンブリーと結ぶ定期船が出ていた頃は
そこそこ賑わいのある駅だったようで。

今でも思ったよりここからの乗客っているんですね。


ワット・ンギウラーイ駅を発車すると、ソンテオが並走する姿が。


02_07


あーっ、JESADA TECHNIK MUSEUM まで乗ったソンテオじゃないですか~!

たまたま乗り合わせたおばさんに色々と教えてもらった記憶が蘇ります ^_^;)


ターチーン川を渡ってしばらくすると大きめの駅に到着。


02_08


ナコーンパトム駅です。

ナコーンパトムの街は、以前の旅でどういうわけか居心地良く感じたんですよね。
きっとまたふらっと訪ねに来ると思います。


…なんだか今までの旅を回想する旅と化してますね(笑)


ナコーンパトムラーチャブリー県境を越えた列車が
停車した駅でいよいよ下車しますよ~。


02_09


…って、ホームが途切れてるじゃん。
砂利の上に降り立つことに -_-;)

ここがどこかと言いますと…


02_10


ノーンプラードゥック駅です。

時刻は09:16。
定刻より11分遅れの到着。


やっと来れた!!
ここにずっと来たかったんですよ~。





<交通費>
ソンテオ:6バーツ(?)
列車:14バーツ
ここまでの合計:42.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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ノーンプラードゥック駅 ラーチャブリーへの旅[3]

降り立ったのは、ノーンプラードゥック駅。
今回の旅の最初の目的地です。


03_01


正式名は、ノーンプラードゥック分岐点
英語でも「NONG PLADUK JUNCTION」と書かれています。


ノーンプラードゥック駅、と言われてもピンと来ないかもしれませんね。

旧日本軍が建設した鉄道はご存知かと思います。
その始発駅が、ここなのです。


03_02


ノーンプラードゥック駅自体も日本軍が新たに設置した駅。
日本軍の手でこの駅に鉄道の0キロ・ポストが打ち込まれたのが
1942年7月5日ですので、その前に駅は開業していたんでしょうね。


鉄道の開通は翌43年10月25日でした。

戦後の1963年6月にはこの駅を起点とするスパンブリー線も運行を開始したので、
現在では、鉄道の一部を引き継いだ西線(ナムトック線)とスパンブリー線
2路線の起点駅になっています。


03_03


それを示す看板も駅ホームに立っていました。


さーて、線路北側に建つ駅舎を抜けて外に出てみると・・・


03_04


見事になんにもなーい!


事前に知ってたとは言え、残念感満点なのは否めません ^_^;)

駅前には小さなよろず屋が一軒。
あとは民家が数軒立ち並ぶのみです。

少し歩いたところから駅舎を望むと、


03_05


中央から左に見えるクリーム色の建物が駅舎なんですが、
大木数本の緑に覆われて、知らなければここに駅があるなんて気付かないほど。


日本軍がいた当時はこちら側ではなく、線路の南側のやや西寄りに
日本軍の兵舎と捕虜収容施設が立ち並んでいたようです。

鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年
に当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)が
掲載されています。

それとグーグルマップの航空写真を比較してみると、当時の日本軍施設は
跡かたも無く消え、現在では田んぼになっているのが分かります(矢印の一帯)。


施設の姿は完全に無くなっていますが、日本軍の残した物は
ほんの僅かながら駅近くに残っているようで。

ノーンプラードゥック駅前に住む、当時日本軍施設で働いていたタイ人のインタビュー記事
(タイ語)によれば、日の丸の国旗が残っているみたいですね。
あと他のサイトで見たんですが、この方の家には他にも
日本語の書かれたコンクリート柱片も残っているようです。

この方の話によればノーンプラードゥックの日本軍施設は連合国軍機の爆撃に
何度も遭ったもののほとんど命中しなかったんだとか。

でも一度、待避線に停められた貨車を病院として使用していたところに
爆弾が命中して多くの看護婦が亡くなったそうです…。


私は日本軍の面影を残す物に触れることはできませんでしたが、
ここに来たということだけで、もう十分。


さて、何も無いところに長居するのもなんなので、先に進みましょう。
次に来る列車は、恐らく間もなく到着の西線ナムトック行きなのですが、
私は南線バーンポーン方面へ行きたいんですよね。

そうすると、次の列車は11:05。
ただ待って時間を潰すんなら歩いちゃえ(笑)

線路に並行して伸びる道をひたすら西へと歩くことに。


03_06


ゴールデン・シャワーの並木がなんとも綺麗!

などと感動していたら、道はこの先未舗装に…。


03_07


このはるか先まで埃っぽい道が続く光景に、早々とウンザリしてしまいました。
強烈な日差しが刺さる首の後ろがヒリヒリしますし。


03_08


なんだこの木の折れ方は? 強い嵐でも来たんですかね。
殺伐とした風景に花を添えています -_-;)






<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:43.5バーツ

※シリラート病院―トンブリー駅のソンテオ運賃は7バーツだと
 バンコクバスマニアさんから教えていただきました。ありがとうございました。
 訂正した金額で合計交通費を計算し直してあります。

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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国鉄スパンブリー線の線路 ラーチャブリーへの旅[4]

ノーンプラードゥック駅から歩き始めて8分ほど経った頃、
ふと横を見ると線路が2本走っているのに気がつきました。

おっ、ちょっと線路に上ってみましょう~。


04_01


手前がスパンブリー線、奥が南線です。
知らない間に分岐してました。


先に何やら看板が見えたので歩いて行ってみると、


04_02


「スパンブリー 78km」と。


そう言えば・・・

鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年
に掲載されている当時のノーンプラードゥック駅周辺を撮影した航空写真(英軍撮影?)
について前回の日記で触れましたよね。

その写真とグーグルマップの航空写真を比較すると、一つ奇妙なことがあるんです。

本の写真で左上に向かって弧を描いて伸びる線路を著者は
「西北に向かう鉄道の鉄道線が見える」と書いていますが、位置関係から
どう見てもそれは鉄道ではなく、現在のスパンブリー線なんです。

ってことは、スパンブリー線も日本軍が設置した線路を利用して建設された
路線ということなんでしょうか?

少なくとも戦時中にスパンブリー線の一部分は既にあったことは確かです。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると嬉しいです。


ちなみにこのスパンブリー線の運行本数は凄いですよ。


バンコク発 16:40 → スパンブリー着 20:15
スパンブリー発 04:20 →バンコク着 08:05


この1往復だけ!(笑)

いつか乗車してみたいもんです。


さて、歩き続けることにしますか。


バンコク方面行きの上り列車が通過していきました。


04_03


あっ、こんなところに蜂の巣の跡が~。


そして、


04_04


スパンブリー線の線路を渡ります。
こんな草ボーボーの線路を走るんだもんな。きっと揺れが激しいことでしょう ^_^;)


この先で道は再び舗装路に。
喜んだのも束の間、この後、犬が向かって来て威嚇されること2回。
その度にこちらも目ヂカラで撃退しつつ歩を進めることに -_-;)


そして道はようやく突きあたりに。
そこを右折するとすぐに二車線の車道に出ました!

ふう~っ。
ほっとして自然と溜息が出る自分に気が付き苦笑してしまいました(笑)


でもソンテオは走っていない雰囲気。
まだまだ西へと歩き続けます。


すると…


04_05


前方に立体交差橋が見えるじゃないですか~。
やっと現代に戻ったような心持ちです。


そこは交差点になっていました。


04_06


「コーク・モー」との交差点名の看板が立っています。

頭上に走る高架橋は国道323号線。
左はバンコクラーチャブリー方面、右はカンチャナブリー方面。
で、正面を真っ直ぐ行くとバーンポーンの市街です。

私は真っ直ぐ歩きますよ~。


交差点を渡ると前方に停車中のソンテオが目に入りました。


04_07


側面には「バーンポーン ポーターラーム」と。
バーンポーン行きソンテオには、ここから乗れるんだ。

時刻は、09:56。
ノーンプラードゥック駅から歩いて31分で
やっと公共交通機関を利用できますよ~(笑)


でも私は、この先に寄りたいところがあるので、ここでは乗車しません。

私がソンテオの横を通り過ぎようとすると、
停車していたソンテオがおもむろに走り出しました。

もしや私が乗るかと思って待っていてくれたんじゃ?

す、すみません ^_^;)





<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:43.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)


つづく


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バーンポーン事件の地ワット・ドーントゥーム ラーチャブリーへの旅[5]

まだまだ歩き続けますよ~。


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綺麗に整備された道をひたすら西へ。
8分ほどするとお寺の前に到着しました。


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ワット・ドーントゥーム

ここだここだ!

時刻は、10:04。
ノーンプラードゥック駅から39分歩いたのか~。
我ながら炎天下に無茶やってます(笑)


中に入ってみましょう!


05_03


ワット・ドーン・トゥームの敷地内には学校も併設されていて、
緑の芝が綺麗な校庭が左手に広がっています。

実は、かつてこの校庭とワット・ドーントゥーム周辺には、
泰緬鉄道建設用に日本軍兵舎と捕虜収容所が建っていたんです。
合わせて13棟が建ち並んでいたようで。

1942年6月23日には、マレー半島から鉄道で運ばれてきた
連合国軍捕虜第一陣700名がバーンポーン駅に到着し、
ワット・ドーントゥーム周辺の施設に移されています。

その後どんどん鉄道で到着し、6月30日時点では3,175名だったと
タイ側資料に残されているとか。

最終的に泰緬鉄道建設に送り込まれた連合国軍捕虜の数は6万人余りに
のぼったんですけどね。


そんな中の同年12月18日、ある事件がまさにこのワット・ドーントゥームで起きました。
資料によりディテールが微妙に違うので、おおまかな流れを解説しておきます。


夕方5時頃、ナコーンパトムからワット・ドーントゥーム住職を訪ねてきた
37歳の沙弥(見習い僧)が道端で白人捕虜からタバコをくれるように頼まれます。

沙弥が応じてタバコを捕虜に渡したところ、目撃した日本兵が沙弥の顔面を3発殴り
沙弥は地面に倒れてしまいました。

ワット・ドーントゥームの住職は不在でしたが、寺の講堂に寝泊まりしている
日本軍に雇われたタイ人労働者たちに経緯を話したところ、労働者20名とともに
日本人通訳の元へ抗議に行くことに。

日本人通訳は上官には明日連絡するから今晩はひとまず戻るようにと伝えます。

講堂に戻ると、どうしたことか夜7時過ぎに日本兵がやって来て、
労働者が逃げ惑う中発砲したのです。
タイ人労働者側もスコップやクワで応戦し、双方に死傷者が出る事態に。
日本軍上官とバーンポーン警察署長、郡長が駆けつけてようやく沈静化しました。

しかしです。夜中になって日本軍はバーンポーン警察署に押しかけ、
双方で銃撃戦になります。日本軍は機関銃の掃射までしたんだとか。
これでまた双方に死傷者が出てしまいます。


この事件、そもそもは日本兵が沙弥を殴ったことが発端です。
見習いとはいえ「僧」に手を上げた行為が敬虔な仏教徒の多いタイ人には
仏教への冒涜と映ってしまいました。

さらに顔へのビンタや殴打は、当時の日本とくに軍隊内では日常茶飯事に
行われていたようですが、タイでは顔を殴るなど侮辱もいいところ。

そんな文化への不理解が発端となり、最終的には日タイの外交問題にまで
発展する事件となってしまいました。43年7月の東条英機首相訪タイ時にも
ピブーン首相との間でこの件も話し合われたことでしょう。

タイの軍事裁判でこの沙弥には死刑求刑に対して終身刑の判決が出される結果に。

日本側はタイ側に賠償金を支払わせますが、そのままそっくり寄付として
タイへ戻されることで決着が付けられました。お互いの顔を立てたかたちですね。

その後、タイ駐留日本軍内ではタイの文化・習慣へ理解を深めるための
小冊子が配布されたそうです…。


そんな事件の舞台になったとは信じられないほど
今のワット・ドーントゥームは静寂そのもの。

実は日本軍がいたことを記した碑か何かがあるんじゃないかと思い
境内を探してみたのですが、結局見つからず終いでした。


が、しかし!


帰国後に珍しく日本語でも情報を探していて、
「バンポンの日本人慰霊碑と日本軍の遺品を探して・・・(タイ)」なるサイトを
発見したのですが、それによると日本人慰霊碑が境内に建っているとか!
1991年に建てられた新しい碑らしいですが。

言われてみると確かにこの碑を見かけたんですよ。
私はてっきりお墓かと思って、気味悪がって避けて歩いたんですが…。

この写真では分かりにくいですが、


05_04


本堂の右脇、木の奥に灰色の慰霊碑が確かに建っていました。


さらに、です。併設の学校図書館には、日本軍のヘルメットが保管されているそうで!
知っていればダメモトで見学できないか交渉したものを。

またしても私の詰めの甘さが出てしまいました -_-;)


この時はそんなことなどつゆ知らず、私はワット・ドーントゥームを後にしました。

ワット・ドーントゥームを出たところでバーンポーン行きソンテオを待ちます。
すると、ものの3,4分でやって来ました。なんとラッキー!


05_05


乗り込みます。
時刻は、10:15。

お客さんは3,4人で女性ばかり…。

しばらく走ったところで線路を渡りました。
今のが西線(ナムトック線)ですね。

この路線ですがタイ語のサイトを見る限りでは「西線」が正式名称っぽいですね。
「ナムトック線」は愛称なのかな?


線路を渡ってから道なりに左にカーブしたソンテオは
やや賑やかな町並みのところで停車。どうやら終点みたいです。

下車して運転手さんに運賃10バーツを支払い。
時刻は、10:20。


なんとなく道路を反対側に渡って、バーンポーンの町の中心方向を眺めます。


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左手前方に乗ってきたソンテオが停まってますね。
もっと前方の中央には、町のシンボルになっている時計塔が聳えているのが見えます。

あそこまで歩いて行きましょう!






<交通費>
歩いただけなので:10バーツ
ここまでの合計:53.5バーツ

※旅は2013年4月30日(火)に行いました。
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つづく

<参考>
『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』吉川利治著、同文舘、1994年
『父が語ったバーンポーン』(タイ語)
「バーンポーン警察と日本軍の抗争」『ラーチャブリー研究』(タイ語)


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