プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校キャンパス内を通る
「千早街道」を北へ向けて歩いていると、木々の間から山が顔を覗かせました。


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たぶん日本軍が「双子山」と呼んでいた山かな。
この角度だと良く見えないけど、頂が2つあるんでしょうね。
タイ語では เขาชะโงก(カオ・チャゴーク=頭を突き出した山)と呼ばれているようです。


ほどなくして目的地に到着!


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大きな岩の上に建つのはクン・ダーン廟(ศาลเจ้าพ่อขุนด่าน)。
近寄ってみましょう。


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なんでも戦時中、ここを取り壊した日本軍の兵が祟りで何人も亡くなったとの
言い伝えがあるのだとか。

そんなところに同じ日本人の私が来て大丈夫なんでしょうか。
ちょっと気になりつつも登ってみることに。


参道を進むと否が応にも目に入るのは、


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沢山のシマウマさんたち ^_^;)

クン・ダーン廟はとてもご利益があり地元で篤く信奉されているとのこと。
そんな地元の方々が奉納したものなんでしょうね。

でも不思議なのは奥にはチャボらしき鶏の像も並んでいるものの、
圧倒的にシマウマが多いんですよ。なぜでしょう??

ひょっとしたら・・・


ワット・プラーンマニー慰霊碑を建てた第37師団が
ナコンナーヨックの地で抑留生活を送っていた時点で、
中国戦線から共に生き延びてきた軍馬3,100頭がいました。

そのうち良い馬200頭は英軍が引き取り、残った馬はお世話になった
付近在住のタイ人たちに譲ろうと考えていたそうです。

それがです。復員が迫っていたある日、
英軍から残りの馬を全部殺すよう命令が下されたのです。

一頭につき一発の銃弾と拳銃が渡されます。

馬と言えども苦しい戦場を一緒にくぐり抜けてきた戦友を
自らの手で殺させるとは、なんともむごいですよね。
殺されるのが分かっているのかじっと立ったままの馬を
涙を流しながら一頭一頭射殺したのだそうです。

馬の死体は対戦車壕や燃料弾薬庫用に掘った穴などに埋葬されました。

近年、陸軍士官学校敷地内でゴルフ場の建設中に当時のものと思われる
馬の骨が出てきたそうです。


地元の人達は軍馬の供養の意味でシマウマの像を奉納しているのかなと思いましたが、
違ってたらすみません。


(追記:違っていたようです。クンダーンの軍馬にちなんで馬の像を奉納するところを、
多くの人はサイズと値段が手ごろなシマウマで代用して奉納するからなのだそうです。
でも日本軍軍馬の話を知っていてその供養も兼ねて奉納する人もいるかもしれませんね。)


ちなみにワット・プラーンマニー第三十七師団慰霊碑
師団将兵と並んで「師団軍馬四三七六頭」の精霊を祭ると刻まれているのは、
この時殺された馬と中国戦線以来命を落とした馬の総数のようです。
軍馬をどれほど愛しく思っていたのかが、この点からもひしひしと伝わってきます。


さて、階段を登りますか。
雨に濡れて滑り易いので気を付けながら…。


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すると途中にこんなものが。


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「剣保管所」と書かれた祠(?)に、まさに剣がいっぱい収められています。
これも奉納されたものなのか。


階段を登り切った岩山の頂で、廟の内部を覗きます。


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クン・ダーンらしき男性の胸像と、ここにも一振りの剣が。

クン・ダーンはアユタヤ時代のナレースワン大王治世に
この地で関所の長を務めていた人物。

ナレースワン大王がビルマからアユタヤを奪還した3年後の1587年、
ビルマ軍が再びアユタヤを攻めてきました。
その機に乗じて東方からクメール軍も進攻。プラチンブリーを陥落させ、
次にナコンナーヨックを狙います。

クン・ダーンは少ない手勢ながらも諦めず、
クメール軍がナコンナーヨックを掌握した後も
カオ・チャゴークに陣取りクメール軍の前進を阻止。

そうこうしているうちに、ビルマ軍がアユタヤ攻略を諦め撤退開始。
アユタヤからの応援部隊が到着し、クン・ダーンの部隊とともに
クメール軍を攻撃してナコンナーヨックプラチンブリーから退却させることに
成功したのです。

その功績からクン・ダーンは死後、廟に祀られたのだとか。
ナコン・ナーヨックの守護神と言っても過言ではないでしょうね。


廟から見下ろすと、


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おぉー、半端無い数のシマウマさんたちに改めて驚愕!

視線を上げると、


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向こうに建物が見えます。あれは競技場。

あの辺りは終戦後「赤坂村」と呼ばれ、
第15軍約8,000名が復員まで過ごしていました。
ナコンナーヨック地区日本軍総司令官の片村四八陸軍中将もここにいたようです。


さてさて、岩山を下りて、さらに奥へと歩いてみますか!






<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計:168バーツ

※旅は2013年8月16日(金)に行いました。
元記事(楽天ブログ タイとタイ語に魅せられて)

<参考>
『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年
『英雄クンダーン』The Golden Jubilee Network(タイ語)


つづく


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