バンコク・ヤイ運河沿いの細い路地をそのまま進むと
これまた細い運河を渡る小さな橋にでくわしました。


細い運河を渡ります


この路地沿いには、古い木造家屋が沢山残っていて
このタラート・プルーの歴史を感じさせます。

タラート・プルーとは「キンマ市場」の意味。


18世紀末にチャックリー王朝ができ、対岸の新たな商業地サンペンが
栄え始めると、この地の華僑の一部がサンペンへ移住したと以前書きました。

それと入れ替わりでこの地へやって来たのがムスリムの人たち。

彼らは空いた土地でキンマの栽培を始めたのです。


当時のタイでは、ビンロウジを、赤く染めた石灰を塗ったキンマの葉で包み
噛むことが、貴賎を問わず広くなされていた習慣でした。

この習慣は「キン・マーク」(ビンロウジを食べる)と言います。

常習性のあるこの嗜好は、インド洋沿岸から南洋諸島にまでいたる広範な地域で
古くからなされていたようです。

そう言えば、映画『ナーンナーク』でもマークがナークの口に
これを入れてあげるシーンがありましたよね。


しかしキンマークは、口の中が真っ赤に、そして歯が真っ黒になるとか。

ラマ5世が欧州への行幸に際し、自らと随行員の歯を削って白くした
というんですから、本当に社会の隅々まで広まっていた習慣なんですね。


で、ムスリムはその材料の一つ、キンマの葉を栽培して売り始めたのです。

そこに元々この地に住む華僑の知恵が加わります。
キンマの栽培に肥料を使用したのです。

商業目的での大規模な肥料の使用は、なんとタイ初の出来事でした。

タイ語で肥料を意味する「プイ」は、「肥」の潮州語音から来ているんだそうで、
もしかしたら「プイ」はここ、タラート・プルーから広まった語彙だったのかも。


まもなく、この地産のキンマの葉は上質だと評判になり
水上マーケットの賑わいがかつて以上となったのです。


以来、ここは「タラート・プルー」と呼ばれるようになりました。



この目の前の細い運河も、かつては農園から採取したキンマの葉を
舟でバンコク・ヤイ運河の水上マーケットに運ぶために利用されたんでしょうね。


路地沿いの木造家屋はもうちょっと時代が下った時期に建てられたんでしょうけど、
それでも50年以上は経ってそうな風格です。


タラート・プルーの木造家屋


どの家もさりげなく手の込んだ装飾がなされているんですよね。
この家も2階の欄干(?)が素晴らしいです。


タラート・プルーの木造家屋


路地を抜け、ラチャダーピセーク通りの高架橋沿いの道に出ました。

この付近に行ってみたい店があるんですよ~。
右に曲がり、運河に突き当るところまで歩きます。


あの店です!


ミークロープ・サマイ・ロー5


ミークロープ・サマイ・ロー5

「ラマ5世時代のミークロープ」という、揚げ麺(たぶん)のお店です。
かつては目の前のバンコク・ヤイ運河で舟で商いをしていたんだとか。

今では陸に上がってますが、とても歴史のある店のようです。

というワケで楽しみにしていたのですが・・・


休みじゃないですか!(T T)


月曜日というのは、飲食店では休みにするところが多いんですかねぇ。
うーん、とても残念。

いつかまた来ることにしましょう!



時刻は、11:35。




<交通費>
歩いただけなので:0バーツ
ここまでの合計: 20バーツ

つづく・・・


※旅は2010年7月10日(土)に行いました。


ミークロープ・サマイ・ロー5